


海軍に行った弟の四郎(手前の椅子)と莞爾(三男)

柳条湖付近の満鉄線路の爆発により起きた
満州事変(昭和6年、1931年9月18日)

関東軍の重要な任務の一つは、満鉄の安全確保にあった
昭和6年(1931)10月8日、石原作戦参謀の指揮の下、関東軍は張学良軍の
拠点・錦州(現遼寧省の地級市)に八八式偵察機12機で爆撃を加えた


再赴任のため満州に向かう石原莞爾(昭和12年9月、
新潟から出航の満州丸船上にて)。直筆サイン入りが
あるので、この写真が一番のお気に入りだったらしい

関東軍司令部(新京)前での参謀記念写真


日本本土の約3倍の領土を擁した満州国(人口7000万人)。
この地に於ける石原の建国の思いは、民族協和の「王道楽
土」にあった

昭和13年頃の椅子に腰掛けた石原莞爾。体調不良のせいか、疲れた表情を見せている
家族――莞爾の隣は父の啓介。妻のてい、母のト井。父・啓介は莞爾の満州再赴任中に亡くなったので、写真は生前最後のもの?





満州国の要人から帰国後の石原大佐(仙台第四連隊長)宛に送られてきた、異才を称える色紙と手紙

満州国の首都・新京(現在の長春)中心部・大同大街の美観。満州国は一瞬ではあったが、アジアを牽引する
光芒を放った事実を忘れてならないだろう