草稿


マシマがこの別世界に来て一カ月になる。
どうすれば元の世界へ戻れるのか、ラハールは変わりなく暮らしているのか。日に日にそれが気になった。
今の自分があるのはラハールのおかげだ。ラハールの力で赤い月の夜に産まれたマシマは、彼に望まれなくなったら、存在が消えてしまう。
「なあ、マシマさん」
「…はい」
名を呼ばれ、ぼんやりしていたマシマは苦笑した。戦闘の一日が終わり、小屋の中でエルビロの傷を手当しているところだった。
再び治療を始める。手を翳し、暖かな熱で傷口を覆う。
マシマとエルビロは以前、一度だけ関係を作った。
それからもう一回したわけでもなく、気まずくてぎくしゃくしたわけでもない。
酒のせいでうやむやになってしまったのだ。
「…なあ、マシマさん」
「はい」
椅子に座ったエルビロの前に屈み、マシマはほんの少し顔を上げて微笑んだ。
「……」
エルビロは戸惑い、帽子をかぶり治す。
「あんたは何でも治せるけどよ。例えば、オレが異常者だったらそれも治せるのか」
「病状にもよりますね」
手を止め、小首を傾げて考える。
「例えばこう、胸が苦しくなるとか、飯が食えなくなるとかさ」
今度は帽子を目深にかぶった。言ったそばから顔が赤くなる。
「まるで好きな人ができたみたいな症状ですね」
意味も分からずに微笑むマシマに、エルビロは唇を噛んだ。
「あんた、好きな人はいないのか」
「さ、傷が治ったらお帰り下さい」
ほんの少し刺のある声で返事をする。ドアを開けるために背を向けた。
「マシマさん」
エルビロが後ろから両腕を回し、捕まえる。
「何で抵抗しないんだよ」
「してほしいんですか」
前を向いたままなのでマシマの表情は読み取れない。
「…いや」
エルビロにとって難問であった。とにかく女は分からない。
「あんたの考えが聞きたい」
自分で確認しながら言う。思わず身震いした。
「オレは、あんたが好きだ」
マシマが腕の中で俯く。そして、苦笑してみせた。
「エルビロさん、酔ってらっしゃるんですね」
「酔ってねえよ。真剣だ」
感情的になり、強く吐き捨てた。
「このままあんたのこと、抱くことだってできるんだぜ」
腕に力がこもる。眉をひそめ、マシマの顔が曇った。
「マシマさん」
黙り込み、力を抜く。そうなるなら、それでも良かった。
「なあ、何か言ってくれよ」
肩を掴み、向かい合った。困惑したマシマと顔の赤いエルビロ。二人は俯いた。「ごめんなさい」
黙っていたことを。返事ができないことを?
声に出してからどちらなのかと自分で思った。
「すまねえ」
手を離し、そう言うとエルビロは小屋を出ていく。
「……」
エルビロの置いていた手の感触が肩に残っている。マシマはそっとそれに手を重ね、自分の身を抱いた。
手かせよりも、エルビロへの思いがただ重たかった。
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