岐阜県  
 
 
   垂井(垂井町)  
 
 
  垂井は中山道69次のうち江戸から数えて57番目の宿場町で、美濃路との分岐点としても栄えた。美濃一宮(南宮大社)の門前町としても賑わった。宿場名にもなった垂井の泉は、今でもコンコンと清水が湧き出していた。町並みを歩くと、歯抜け状態ながら、伝統的な建物がかなり残っていた。  
 
 
   
  中山道・垂井宿①(垂井町)17.05.29       F6  
 



所用で愛知県へ出かけた帰り、中山道の垂井宿へ立ち寄った。まずは腹ごしらえと、町の人に聞いて「いっしょう」という食堂へ入った。関ヶ原の東だけに「味噌カツ」が名物で、ボリュームと味に満足した。東側から旧宿場町に入り、最初に出会う桝型(鍵の手に曲がった道)のところに「亀丸屋」という古い旅館があった。それに焦点を当ててまず1枚。趣味で古い旅籠泊まりを重ねておられる「七ちょめさん」が、最近泊まった宿。1777年(安永6年)の創業という。1777年といえば田沼意次が老中を務めていたころ、アメリカ独立戦争のころ。とんでもなく古い宿だが、建物も創業当時のものとか。日陰がないので、電柱がつくる細い陰に身を入れた。


                                     <七ちょめさんの「亀丸屋」宿泊記がこちらに>

 
 
 
   
  中山道・垂井宿①(垂井町)17.05.29       36×51㎝   
 
宿場町の中心部に美濃一宮(南宮大社)の石の大鳥居がど~んと建っている。そこから北向きに分かれる道筋にとても魅力的な一画があった。日影で描こうと、いろいろ検討したが、日向ながらベストアングルを選んで座った。ちょうど鳥居の根元で、車も来ず、安全性では一番だったが、「暑かった」。この家は正面が中山道に面しており、その裏手の土蔵まで、ずいぶんと規模の大きな建物だった。同行のFさんはヒマなので、わざわざ美濃一宮までお参りに行った。関ヶ原の戦いで焼け徳川家光が再建した神社だそうだが、東海道線や新幹線を越え、ずいぶん遠かったとか。神社の印象を聞いたら「暑かった」。





 
 
 
   
   「不破北部ダム」より(垂井町)17.05.29       F6  
  垂井町中心部から西北の方向へ入った山中に不破北部ダムの人造湖・明神湖がある。そこからの俯瞰が面白そうだったので行ってみた。ダムの下流にある集落は古い地図では「谷」となっているが、今の地図には載っていない。遠くには濃尾平野が広がっていたが、残念ながら春霞のためかその向こうの伊勢湾のきらめきは見えなかった。  
 
 
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