ことのはのいと
TOP
>>
novel
>>
Index
NANASE
up 2005 春輝
薄暮……………………………………………………………………………03
「もしもし」
私は携帯を取った。
『ああ、マユ。春日、どうだった?』
開口一番七瀬の名前を出して来る。私は、色んな意味を込めて溜め息をついた。
「どうもこうも…まだ七瀬の家の前」
『家?』
「そう。正確には、ドアの前」
『ドアの前って…? どういうことだよ?』
藤井が呆れたように言う。
…この状況をどう説明しよう?
考え込んだ時、
「マユ…」
背後から突然七瀬の声が聞こえて来た。ぎょっとして振り返る。扉は閉まったままだ。
「委員長からの電話?」
その閉め切った扉の向こうから、声は聞こえて来る。どうやら、扉の薄い板を挟んだすぐそこに、七瀬も座っているらしい。
藤井に「ちょっとごめん」と断り、私は扉に向かって「うん。そうだよ」と答えた。
「でも、よく分かったね」
…なんで、分かるのよ…。七瀬の妙な感のよさにあまり良い気持ちがしない。七瀬は私の言葉には答えず、かわりにしばらくの沈黙の後、
「ねえ、お願いがあるんだけど…」
と弱々しく言った。
「…お願い? 何?」
「委員長をここによんで欲しいの」
「え?」
予想もしなかった言葉に、胸がドクンと鳴った。
「委員長なら、助けてくれそうな気がするの…」
…委員長なら?
まるで、特別な存在であるかのような口ぶりに、同情も何も吹き飛びそうになる。
…どうして、あんたが藤井に助けを求めるの? 彼女でもないくせに…
それが、正直な気持ちだ。
…まさか、あんたも藤井を好きとか言わないよね? そんなに早くコーイチさんの事吹っ切れるわけないよね?
何も答えられずにいると、また、扉の向こうから声が聞こえた。
「誤解しないで」
はっとして顔を上げる。
「委員長なら、どうしたら良いのか答を教えてくれそうな気がするだけ。それだけよ。本当にそれだけ…信じて」
その哀願する声に、嘘は感じられなかった。冷静に考えてみれば、おそらく七瀬は、夏の夜のレッスン以来、藤井の事をコーチのように頼っているんだろう。客観的に見て、藤井には指導力がある。誰だって頼りにすると思う。それだけだ…きっと、それだけなんだろうけど…。信頼…その気持ちがいつか恋愛感情にならないとも限らない。それに、七瀬にその気がなくたって、藤井は…。
そこまで考え、私は大きく首を振った。
「ねえ? ダメ? 真由美」
七瀬の弱々しい声が聞こえて来る。こんなに傷付いている七瀬の願いを無下に断る事は、私にはできない。でも、これ以上、七瀬と藤井を近付けたくない。その二つの気持ちに挟まれ、パニックになる。
『おい、マユ。春日、何って?』
藤井の声で我に返り、私は膝においた携帯に目を落とした。
「え?」
『お前、春日と話してるんだろ?』
「…聞こえてた?」
『うん。少し』
「そう…」
聞こえていたんならしょうがないよね…と、私は観念してできる限り素っ気無く言った。
「…じゃあ、聞こえたでしょ? 七瀬が今すぐ藤井と話したいって」
『え?』
電話の向こうで藤井が息を飲んだのが分かる。それが、私の気持ちをまた暗くする。
藤井は、しばらく考えたあと『分かった。行く』と答えた。
『30分ぐらいでつくようにするから、マユもそこで待っていてくれ…』
「…分かった」
短く答えて携帯を切る。そして、相変わらず閉じられたきりの扉に向かって
「来てくれるって、藤井」
と伝える。
「本当?」
驚き気味の七瀬の声が聞こえる。しかし、私は何も答えなかった。すると、七瀬が済まなさそうに言った。
「ごめんね…」
謝ってなんか欲しくない…。
約束通り、30分を待たずに藤井が現れた。門の前からこちらに向かって軽く手を振ったけど、私はニコリともせずに玄関を指差した。
「七瀬、あの向こうにいる」
「分かった…」
藤井は頷くと、足を立ててこちらまで走って来た。そして、軽くドアをノックする。
「春日、居るのか?」
「委員長?」
七瀬の声がした。
「…来てくれたの?」
その言葉に、藤井がふっ…と笑顔を浮かべる。
「お前、何引きこもってるんだよ。らしくねえぞ」
「ごめん」
「謝らなくていいから、そこから出て来いよ」
「無理…立ち上がる気も起きない」
「何言ってんだよ。本当にらしくねーぞ」
私は、階段の一番下のステップに腰掛け、頬杖をつき、背中で2人のやりとりを聞く事にした。七瀬の声が聞こえて来る。
「委員長、私…これからどうしたらいいのかな?」
「簡単だろ? 今すぐ外に出て、やるべき事をやれよ」
藤井らしい明解な答だ。
「…そんなこと、分かってるよ。…でも、気持ちがどうしてもついて行かないの…もう、何もかもイヤになっちゃった。どうして、私ばっかりこんな目に合うのかな? パパもママも私の事を愛してくれなかった…でも、その事はもういいの。…あの人達の事は。私はコーイチさえいればよかったの。なのに、私、コーイチにまで裏切られた…どうしてなの? なんで私ばっかりこんな目に合わなくちゃいけないの? こんな目に合ってもやっぱり頑張らなくちゃいけないの? ねえ、教えてよ委員長」
「…」
私は肩ごしに藤井を見上げた。藤井は俯いて黙り込んでいる。今の彼女の言葉を彼なりに整理しようとしているのか…。
それにしても、七瀬が私以外の人間にここまで話すなんて…。小さな驚きとともに、複雑な気分が込み上げて来る。やっぱり七瀬は藤井に惹かれているんじゃないだろうか?
「分かったよ」
唐突に藤井が口を開く。
「春日にとって、コーイチさんがどれぐらい大きな存在だったかって事はよく分かった」
「うん。大きかった。今でも大きいよ」
「でも、それって俺らには寂しいよな…」
藤井が言った。なんだか胸が締め付けられそうになる。
「春日にとって、俺らはいらない存在?」
「…そんな事、言ってない」
七瀬が答える。
「いらないとは言ってない。委員長や、クズッちや、アヤミンと仲良くなれて良かったと思ってるよ」
さっき、あんな風に綾美を怒らせたくせに?
「でもね、それだけじゃダメなの。私、今までコーイチの言葉を信じて頑張って来たんだよ。それが、全部嘘だったんだよ。バカみたい! もう何も信じられない。何を信じて頑張ればいいのか分からない。こんなんじゃ、もう歩けない。前に進めないよ」
「…コーイチさんの裏切りが許せないんだ」
「…うん。そう。私、コーイチの裏切りが許せない…でも、嫌いにもなれない…私、どうしたらいいの?」
つまり、結局七瀬はコーイチが好きだって事だ。藤井が溜め息をつく。その姿を見て私は意地悪く思う。…いい気味だ。そして、そんな自分がたまらなく嫌になる。
「正直言って、俺には春日がなんであの人にそこまでこだわるのかが分からないな」
藤井がはっきりと言った。怒ってるようだった。私はびっくりして体ごと後ろを振り返る。何を言い出す気だろう?
「だって、どう考えたって最低じゃないか。ここまで春日を信頼させておいて、いきなり突き放すかよ! 信じらんねえ。マユも言ってたけど、男としても人としても最低! けどさ、こうも思うんだ。春日は本当に、あの人から何ももらわなかったかなって? もし、春日があの人と会わなかったら、俺も、葛谷も、町田も、こんな風にお前と話す事もなかったかもしれない…とにかく、あの人は、お前をここまで頑張らせてくれた。春日は、あの人の言葉を信じて頑張ったおかげで、得たものはなかった?」
「…」
何も答えない扉に向かって、藤井は言葉を続けた。
「あの人は、確かにお前の信頼をひどく裏切ったけど、何も残らなかったわけじゃない。そう考えて、頑張れないか?」
「…」
「俺、思うよ。みんなそうやって、何度でも転んでは立ち直って生きて行くんだって…」
がちゃりと扉が開き、七瀬が姿を現した。その目が涙で濡れていた。
食い入るように彼女を見つめる藤井から、私は目を逸らした。
prev
/
index
/
next
TOP
BBS
創作記録
Diary
MAIL
Whats New