16.閉塞 ―116


     
                      
 
 和佳子の段取りで仕事が終わったあとに居酒屋へ向かった。ファミレスやコーヒーショップではないところがさすが、しっかりしている。
 場所は仕事帰りの彼女たちが集まりやすい中間地点の駅ビル内の店を選んだようだ。その点はありがたかった。
 店の中に入る前にいったん深呼吸をして気合いを入れた。本当は駿介にも声を掛けたのだが、この日にどうしても外せない用があると断られてしまった。財布のアテも外れ、哲はあきらめて気持ちを切り替えた。


 店内は比較的空いていた。商業ビルの最上階の飲食店街にあって、他の店よりもやや価格設定が高めのこちらは人気が低いようだ。
 自動ドアに足を踏み出してすぐ、哲を見た和佳子が手を上げた。すでに女性は三人集まって飲み物を手にしていた。
「こんばんは。先にはじめてました」
 悪びれもせず和佳子が言った。哲は、どうぞどうぞ、と和佳子のノリに合わせつつ、初対面のふたりに自己紹介をした。
「この子がみっちゃん、大山美子おおやまみこ
 和佳子が隣に座る女性にてのひらを向けた。美子はやや緊張した面持ちで会釈した。
「で、この子がカンコ。神原沙織かんばらさおり
 和佳子の向かいに座っている沙織が手をひらひらさせ笑顔を見せた。
「今日はありがとうございました。私は途中で失礼しますので、少しだけお時間ください」
 哲は開いている席――、沙織の隣に座った。店員に生ビールをひとつ追加注文し、さっそく質問に移った。和佳子も援護してくれる。
「電話でも言ったけど、明菜のこと知りたいんだって。なんで調べてるのかは職業柄話せないみたいなんだけど、ここもおごってくれることだし、協力してあげてね」
 哲は、お願いしますと頭を下げた。さっそく沙織が口を開いた。

「佐々木さんが来る前も少し話してたんだけど、明菜ってさ、わりと人見知りっていうかあんまり交友関係広げないんだよね。広く、浅く、の反対。だから学生時代に仲良くしてたのってこの三人プラスバスケ部の仲間ぐらいなのよね」
 同意を求められた美子も続ける。
「だけど、『そのとき』に親しい人としかつきあわないところもあって……。たとえば私は一年のとき同じクラスで仲が良かったけど二年になって和佳子と仲良くなったら、あからさまじゃないけど、私のことはどうでもいいみたいな、そういうところはあったわ」
 和佳子も神妙に頷く。
「私もそういう印象。三年になってカンコと仲良くなったら私とも部活中しか話さなくなったし。そういう子だよね。だってそうじゃなきゃ今もつきあいあるしね」
「そうよね。大学違ったら私にも連絡なくなったもんなあ」
 三年生のときに親しかったという沙織も肩をすくめた。
「結局、不器用な子なのよ。誰にも彼にも良い顔できないっていうか。すぐ近くにいるひとりの友達にしか気が回らないっていうか」
「みなさんは中学は――」
「一緒、一緒。みんな一緒。そんなわけだから、中学の頃に明菜が仲良かった子に聞いても、私たちよりもっとつきあいはなくなってると思うよ」
「なるほど」
 哲は手帳に書き留めた。
「そうすると今明菜さんが親しくしているお友達が誰かってことはみなさんはご存じじゃないんですね」
「うーん。私は知らないけど、ふたりはどう?」
 和佳子が美子と沙織に質問を向けてくれる。ふたりは考える風に唸った。
「実は私、大学に入って少しは明菜に連絡してたのよ」
 何かを思い出した沙織が身を寄せてきた。
「夏までね。そのあとは私も自分の交友関係に忙しくなって連絡しなくなったけど」
「明菜ってどこの大学行ったの?」
 和佳子が割って入る。沙織が、大学名を教えた。
「うちの学校からそこ行った子って誰だっけ」
「ええとね、何人かいるのよね。舞子とか聡美とか幸次くんとか筍くんとか――――」
 哲は明菜の通った大学名を手帳に書き留めた。何年の卒業生ということが分かれば調べるのは簡単だ。
「明菜って結構頭良かったもんね」
 三人が頷き合う。
「親しくしていた男性などは、どうですか?」
「彼氏ってことよね」
「ええ」
 また三人は顔を見合わせた。その目に好奇心は浮かばない。よっぽど男の気がなかったのだろう。
「いなかったと思うなあ。憧れてた男の子は何人かいたけど、本気って感じはしなかったし」
「うんうん」
 三人の口は、それ以上語ることがないのか動かなくなった。
「では、神谷豊さんとお話しされてるところは見たことがありますか?」
 哲は質問を変えた。高校時代、明菜は三人とそれぞれ一年間だけ親しくつきあっている。三人の記憶になければ神谷と小磯明菜に接点がなかったことがほぼ確定となる。
「全然ないです」
 まず美子が答えた。
「私もこの前言った通り、ふたりが一緒のところなんて一度も見たことはないわ」
 和佳子も言う。
「ないわねえ。というか会話の中にも出てきてないはず」
 沙織の言葉にふたりも大きく頷いた。
「そうですか。ありがとうございます」
 哲は礼を言った。明菜が神谷の事情を学生時代に知ったという線はこれで消えた。哲は気持ちを切り替えた。 
「あの、みなさんは例の事件のことどう思ってらっしゃいますか」
 例の、といえばすぐに結びつくであろう人物たちに三人が一様に渋い顔をした。






16. 閉塞―117

  


 同級生が起こした残虐な事件に不快感を持たない人間はいない。だがせっかくだ、ぜひ聞いておこうと哲は決めていた。
「彼らのことで覚えていることはありませんか? あ、明菜さんのこととは無関係で」
 一応念を押した。いらぬ誤解を与えては彼女が可哀想だ。

「私たちも本当すごく迷惑してるの。結構伝統ある学校だったのに、犯罪者の学校みたいに思われて、なんだか出身校口にするのナーバスになっちゃって」
 和佳子が言った。美子と沙織も口元を尖らせて頷く。
「まるでそういう校風? 犯罪に対して甘いというか意識が低いというか、そういう言い方してたコメンテーターの人がいたよね。そりゃうちの学校は自由な方だったけどさ」
「けどひどいよね。“気づく生徒がひとりもいなかったのが疑問だ”なんて。あれじゃまるで私たちが見て見ぬ振りをしていたみたいじゃない?」
「だけど仕方ないってところもあるのよ。彼らがひどいことしてたのって在学中からみたいだし」
「あれはショックだったあ」
 哲は目の前に置かれた生ビールに口を付けるのもそこそこに、彼女たちの会話を手帳に記した。三人は酒の力も手伝ってか無意識に過去に遡りはじめた。

「そういえば星川くんの彼女だったっていう……」
「そう! 小西さんでしょ。吃驚したよね。いったいどういう接点? って思ったもんね」
「あんな大人しくて地味な人がなんで星川くんみたいな人を好きになるのか不思議で仕方がないわ」
「みなさんは小西さんと親しくされていたんですか?」
 哲はそっと会話に加わった。
「ううん。私たち運動部だったし、同じクラスになったことないし」
「私! 一年のとき同じクラスだった」
 和佳子と美子が揃って否定する中、沙織が手を上げて発表するみたいに言った。ふたりが「そうなの?」と興味を向ける。哲も一緒に視線を向けた。
「悪い子じゃなかったよ。入学当時は今とは全然違う印象だよ。愛嬌あって可愛かったし、もっと積極的だった。体育の授業で運動神経いいの分かって、私、バスケ部に誘ったもん。あそこまで地味になったのって、確か目が悪くなってからだと思うよ。で、夏休み開けたら眼鏡になってて、ついでに無口になってて存在感薄くなっちゃった」
「そうなんだ。知らなかった。小西さんって『俯いてて、眼鏡』って印象しかないわ」
 和佳子の言葉に美子も同意する。沙織も唸った。
「確かに、他の子みたいに髪型とか制服とか崩さなかったから目立たなかったけど、でもね眼鏡とったら結構可愛いのよ。彼女のこと好きだって言ってた男子もいたし。ただね……」
 沙織が急に声を落とした。内緒話のそれに哲を含むその場の全員が沙織に耳を傾けた。
「こうなってから思い出したこともあるの。当時は気にも留めなかったしたいした話題にもならなかったんだけどね」
 沙織は高校一年の冬休み直前に起こったことについて語り出した。それは哲や駒場が以前、星川たち仲間を調べる中で耳にした奇妙な出来事と重なった。


 ――遥を好きだという男子は、同じクラスで沙織の左隣の席に座っていた。目立つタイプではないごくごく一般的な男子学生だったという。彼の気持ちに沙織が気づいた。なぜかといえば、沙織の一列前の右隣に遥が座っていて、彼はほぼ毎日毎時間、遥をみつめていたからだ。はじめは、こっちにばかり顔を向けている男子に苛立ち、ちゃんと前むきなさいよ、と注意していた。が、あるときふと彼が遥を見ていることに気づいたのだ。
 先生の体が黒板に向いているときを見計らい、沙織は隣のノートに走り書きをした。
 “小西さんのこと好きなんでしょ”
 彼は真っ赤になって俯いた。が、それが答えだ。沙織は面白がって嗾けた。
 “告白しちゃえばいいじゃん”
 “早くしないとバラしちゃうからね”

 彼が実際にアクションを起こしたかどうかは分からない。ただしばらくして左隣の席は空になった。下校の途中で足を滑らせて大怪我をし手術を受けたという。噂では足を切断しなきゃならなかったとか、ショックで失語症になってしまったとか無責任に囁かれていた。気がつけば進級の時期が来て、二年生になった。彼は学校へ戻らずそのまま転校した。


「あのとき、小西さんに告白したのかしないのか、ちょっと気になったんだけどいつのまにか忘れてのよね。それを今回思い出したの。ほら、報道されてたじゃない。今思えばって事故がうちの学校にも結構あって、それらは中里くんたちの仕業なんじゃないかって」
 実際、彼らが犯罪者だと分かるとそれまで口を噤んでいた同級生たちがそろそろと話しはじめていた。『実は……』
 そのすべてが本当かどうかは定かではないが、哲や駒場に語ってくれた同級生たちの他にも彼らの犯行の“目撃者”はいたようだ。

「まあ、私のこれは関係ないと思うんだけどさ。だってそのころは小西さんと星川くんはつきあってないわけだし」
「そうだね。偶然かもね。でもなんかやな感じだよね」
 三人の表情に困惑が浮かんだ。


 





16. 閉塞―118

   

 
 和佳子たちに礼を言い、二万円札をグラスの下に置いて店を出た。生ビール一杯に二万円か……と釈然としないものが残るが駿介のためでもある。仕方がない。
 哲は財布から消えていった二枚の札のことを頭から追い出し駿介にメールを打った。
 ――たいした収穫はないけど聞いてきたよ。アニキの都合はいつがいい?


 和佳子たちは明菜のことも星川たち仲間のことも期待以上の情報を持っていなかった。だが接点のない同級生なんてそんなもんだろう、とも思っていた。この先は、明菜の大学時代の友人に聞いた方がいいだろう。

 
 夜遅く、駿介からメールが入った。
 送信時間は夜中の二時。当然哲はそのメールを朝起きてから開いた。すぐに掛け直しては迷惑だと思い、昼の休憩を待って、コンビニへ行く道すがら電話をした。

「アニキ、俺、俺。昨日はずいぶん遅かったんだな。何時に起きたんだ」
 駿介は、いつもどおりだよ、と答えた。自分もそうだが駿介も、世間や社会で常識とされることを守る習慣があった。二日酔いでも遅刻をしない、夜は家に帰る、友人や知り合いに話せば「真面目だな」と決して褒め言葉ではない反応をもらうことになるが、生まれ持っての性格なのだから仕方がない。

「そっちはどんな感じ? 俺はこれから小磯明菜の大学時代の同級生に連絡をとってみるつもりだよ。週末にまた報告ってことになるかな」
 単独で、しかも仕事外で調べるとなると平日の夜はめいっぱいで、休みの日しか時間が取れないのも現実だった。駿介は中里たち仲間の幼少期を遡って調べはじめていて、夜は執筆に時間を当てている。昨夜は確か、井出の幼少期を知る人物と会っていたはずだ。星川や三鷹、山岸の過去は手に入れている。駿介の準備は着々と整っていた。事件の全貌を知ることが出来たら罠にかかったことも含め、平和堂大学病院で起きたことも一冊の本にまとめるつもりのようだ。
「そっちはだいぶ進んだ?」
 哲の情報はすべて駿介へあげてある。その中で記事にするものしないものは駿介に一任してある。

「――へえ、また中里の面会に?」
 哲はコンビニの前で立ち止まり携帯を持ちかえた。
「ちゃんと話してくれますかねえ」
 皮肉まじりに言った。駿介から以前の面会の様子を聞いている。どうせまた今回も適当にはぐらかされるのではないだろうか。
「(小西さんのことで、彼も気をもんでいるんじゃないかと思うんだ。彼女の様子も含めてどんな些細なことでも聞きたいはずだから)」
「そんなもんかね」
「(おまえだって、小さな情報でも詩織さんのことは知りたいだろ)」
「……」
 唐突に出てきた詩織の名に哲は憮然とする。詩織が消えてからも忘れたことはない。たとえ犯罪者であってももう一度会いたい。これは正直な気持ちだ。詩織に会える可能性があるならどんなところへでも行くだろう。だがそのわずかな情報さえ今はない。彼女の足取りはあの日に見失ってからぷっつりと途絶えている。

「じゃあ中里にも聞いてみてよ」
 哲はやけっぱち気味に言った。詩織はすべての人間関係と人生を清算し消えた。なにひとつ手掛かりを残さずに。もっとも綿密な計画の元にこの復讐が完遂されたのだとすれば、それも当然のことだ。哲や駿介に簡単に見つけ出されるような場所へ逃げるはずもない。
「(うん、聞いてみよう。実は今日、彼にはそのことも含めてぶつけてみようと思っているんだ)」
「え。どういうこと?」
 哲は聞き直した。駿介の声はクリアだ。取材が順調に進んでいることを物語っている。
「けどなにも喋らないんだろ、中里は」
「(まあな)」
「それじゃ今回も無駄じゃないのか」
 哲の脳裏には、高台の公園で仲間同士での暴行を指示した中里の様子が浮かんでいた。あのときのことを思い返すと今でも震えがくる。決して声を荒げることもなく、だが情けをかけることもなく冷酷に仲間を懲らしめる図は、感情が見えないからこそより恐ろしかった。もっとも彼の残虐性は、執着があるという遥の目の前で仲間だった星川を刺殺したことからも疑いようがない。
「(またはぐらかされて終わりかもしれないが、無駄ではないと思うよ)」
「そりゃそうだけどさ」
「(行ってくるよ)」
 週末に落ち合う約束だけして携帯を切った。

「すげえよなあ」
 コンビニに入ると同時に勝手に感嘆の声が漏れていた。入れ違いに出ていく人に怪訝な顔をされた。首筋を掻きながら弁当のコーナーへ進む。湧き上がる気力を持てまして肩をぐるぐると回した。言うまでもなく駿介のバイタリティに触発されていた。週末に駿介の元へ報告をあげるまで、もっとたくさんの情報を渡してやりたいと思った。

 コンビニでおにぎりを買ったあと、店の外で携帯を開いた。駒場の好意に甘えてまた開いた卒業アルバムから、昨日和佳子たちから聞いた四名の情報を書き留めてきた。ひとりずつ会って小磯明菜のことをきくつもりだ。やはりどうしても気になるのだ。小磯明菜が神谷とどういうつながりを持っていたのか。今回の件にまったく無関係というのは考えにくい。もしかしたら、ここが突破口となり詩織へ繋がるのではないか――。そんな期待もあった。



 




16. 閉塞―119

   

         

 駿介は再び中里亮治と透明のアクリル板を挟み向き合っていた。

「こんにちは。顔色はいいですね」
 駿介は見たままを口にした。とても刑の確定を待っているとは思えない落ち着き方をしている。中里はまた閉じた口で笑った。
「時間が限られているので今日も早速本題へ入ります。小西さんのことですが」
 最初に遥の話題を出そうと決めて来た。探り合いをしていても時間が惜しい。前回、遥の話題にだけ中里が人間的な表情をしたことは記憶に新しい。
「小西さんはあなたの伝言を受け取りませんでした」
「そうですか」
「まだ心の準備が必要なようです。私も無理強いはしていません。小西さんの気持ちが落ち着いたら改めてお伝えするつもりでいます」
 注意深く中里の表情を追った。中里は、それすらも見透かしているとでもいうように、眉ひとつ動かさなかった。……やはり手強い。駿介は気を引き締めた。
「彼女の様子を聞かせてください」
「わかりました」
 駿介は簡潔に答えた。マスコミの攻撃にあっていて引っ越しを余儀なくされていること、とても精神的にまいっていること、質素な暮らしぶりのこと、それから遥から聞いた今回の事件の状況。

「小西さんは、星川さんとあなたを仲直りさせたくて部屋に呼んだとおっしゃってましたが」
「そうですか」
「あなたが星川さんから、小西さんと恋愛関係にあることを聞いていたと伺い私は少し意外に思いました」
 中里は小揺るぎもしなかった。ただ口元を揺らしたまま駿介の言葉に静かに耳を傾けていた。
「あなたの想いに小西さんは気づいていなかったと言っていました。そうなんですか?」
 中里はシャツの肩に軽く手を掛けた。何日も同じ服を着ているはずなのに汚れた感じがしないのは育ちの良さのせいか、仕草や動作もさることながら表情にも気品のようなものが見えた。
「彼女がそう言うのならそうでしょう」
 中里は他人事にも受け取れる突き放した口調で言った。
「違うのですか?」
「認識は人それぞれですからね」
「……」
 駿介は一旦黙った。というか、一瞬言葉が出てこなくなった。中里からはこの状況に似つかわしくない余裕が感じられる。それを認めるとさらに自分の中の焦りが増産される気がする。妙に湿った、不快な感覚だ。
 駿介は目を閉じて呼吸をひとつ落とした。取材対象者には冷静沈着な視点で向き合わなければといつも思っている。思っていても、毎回入れ込み過ぎて喜怒哀楽の感情を持て余してしまう。哲のように表面にそれが表れることはないが思い入れが行動に直結する。真実や、駿介の信じる常識や正義が駿介を動かす。だが今回、駿介は翻弄されていると思う場面を多く経験している。自分に巻き込まれたという意識があるせいだろうか。

「大丈夫ですか」
「!」
 中里の労いに、顔に火がついたようになった。心の中を盗み見られた感覚が駿介を追い込んでいく。落ち着け……。駿介は自分の膝を指先でつまんだ。痛みを与えて精神を統一する。

 自分はたぶん中里に試されている。真実に辿りつけるのかどうかも含めて、中里は傍観の構えを見せている。その結果駿介に“与える”のか、または“与えない”のか決めるつもりでいるのかもしれない。


「中里さん、あなたにお聞きしたいことがあります」
 突然押し黙った駿介を可笑しそうに見ていた中里は、その表情のまま首をやや傾けた。






 

16. 閉塞―120

 

「自分たちが手に掛けた人たちのことはどこまで覚えていますか」
 中里はゆっくりと捻った首を元に戻した。表情は穏やかなままだ。
「多すぎて覚えていない、という答えはなしですよ」
 中里ははじめて、ふっ、と声に出して笑った。
「なしと言われても、実際にそうなので困りましたね。不謹慎だと思いますか」
 駿介は答えの代わりに唇をぐっと噛み、中里を見据えた。
「桂木梨佳さんという女子高生のことをお聞きしたいのですが」
「桂木梨佳? 同級生でしたか?」
「いいえ、あなたが大学生の頃に高校一年生だった女の子です。平和堂大学病院に入院しているお友達がいて、よく見舞いにも来ていた。同じ頃に山岸さんの祖父が入院していた病院ですよ」
「そうですか」
 中里は薄い笑いを見せていた。感情の読めない笑みだ。
「その少女がなにか?」
「桂木梨佳さんは亡くなりました。プールで事故死したんです」
 中里の返事を待ったが唇は閉じられたままだった。駿介は続けた。
「あなたは桂木梨佳さんを覚えていますか?」
「いいえ」
「では質問を変えましょう。桂木詩織さんのことはご存じでしょうか」
「同じ苗字ですね。繋がりが?」
「……」
 とぼけているのか本当に記憶にないのか、中里の表情には軽い好奇心が見えた。
「梨佳さんの姉です」
「なるほど」
「彼女と会ったことはありませんか。会ったことがなくても、つきまとわれたりは?」
「意味がよくわかりませんが」
 駿介は唇を噛んだ。
「すみません。今のは忘れてください。桂木詩織さんを知っているかどうか、お答えください」
「それは私がこうして囚われていることと関係があることでしょうか」
「あるかないかで答えるのなら、あります。もっと言えば、私もその件に無関係ではありません」
「そういうことですか」
 中里は肩をあげてみせた。
「残念ながら僕はすべてに関わっているわけではないのであなたが知りたいことに答えられない可能性がありますね。現にあなたとは面識がない。平和堂大学病院へも足を踏み入れたことがありませんしね」
「では誰が桂木梨佳さん、詩織さんをご存じだと思われますか?」
 中里は考えるポーズを作った。演技のようで、そうじゃないような、やはり感情が掴めない表情を虚空に向けている。
「たとえばですが、ここにいるのが三鷹なら、あなたを満足させることができたかもしれませんね」
「なぜです?」
「簡単に言えば、彼は他人のことに首を突っ込むことが好きだからですよ。正義感が強い」
「正義感、ですか」
 犯罪仲間に持つ感情としては違和感を覚えた。中里は気に留めていないようだ。
「彼はすべての件を把握していた可能性があります。聞いてみたらどうです?」
「三鷹さんは現在行方が分かりませんが」
「ああ、そうでしたね」
 中里の後ろに控えている刑務官が上半身を伸ばした。目が時計に向く。――もう時間か……早い。
 駿介はアクリル板に両手をついた。

「中里さん、あなたの仲間たちは復讐されたとは思いませんか」
 何時間も、何日も、何週間も、この事件に関わることになってから考えては打ち消し、仮定しては否定し、ようやく辿りついた結論を唇に乗せる。
「あなたが星川さんを刺殺しなくても、それからあなた自身も――」
 駿介は一旦言い淀み唾を飲み込んで続けた。
「遅かれ早かれ命を絶たれていたとは思いませんか」
「時間だ」
 刑務官が立ち上がった。駿介は急いで付け足した。
「あなたが星川さんに手を掛けた理由を教えてください。小西さんが原因ではないとすればなんです? そうするように仕掛けられたということは? あなたは誰かに、星川さんに殺意を持つよう仕向けら――――」
 中里の身体は刑務官によって後ろのドアに押し込まれていた。中里も逆らわずに身を任せる。駿介の言葉は中里の背中に虚しく漂った。

 バタン、
 ドアのしまる音に駿介は唇を噛んだ。
 



 

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