3.Monday ―11
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「今日もサボりかよ。ったく、どっちがボスだか」
哲は貧乏揺すりを止め、諦めて椅子から立ち上がった。そのまま駒場の机まで行き立ったままメモ紙にペンを走らせる。――戻り次第電話よろしく。哲
「………」
一旦ペンを置き、文字列に書き加える。――大至急
カメラを手にドアに向かって歩き出す。部屋を出る直前、置時計のデジタル表示をもう一度目に留めた。午前十時二十八分。決められた出勤時間は十時十分前、既に仕事に入ってる時は電話を入れ合うことになっている。しかし駒場からは昨日も今朝も連絡はなかった。
今日は哲が『駒場探偵事務所』に雇われるようになってから七ケ月目の朝だった。子供のように褒めてほしいと思うわけではなかったが、「よくもったな」とか「頑張った方かな」とか軽口を叩き合うぐらいは正直、したかった。だがその駒場は女に現を抜かし“家”にも戻らない……。
哲は考えるのを止め、ドアに鍵を掛け階段を駆け下りた。
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池袋から西武線で準急に乗って五つめの駅、そこから徒歩十分程度で待ち合わせのファミレスに着く。哲は腕の時計で約束の時間より早いことを確認し、案内のウエイトレスに奥の席を頼んだ。
駒場から引き継いだ仕事は星川から借りた卒業アルバムを元に話しを聞いて回ることだった。駒場が言うには、いずれもどこかそわそわと遠慮がちに、だがこちらが聞きたいことの全てに答えてくれるらしい。打ち明けてすっきりしたい心理が働いていると言う。哲は昨日会った
「ご注文はお決まりですか?」
注文ボタンを押すとウエイトレスがやってきた。
「あー、一番早く出来る食い物なにかな?」
「えっと、あの、たぶんなんでも早いと思います」
「そっかレンジでチン、だもんね」
「………」
嫌味で言ったわけではなかったがウエイトレスが困ったように黙った。哲が「じゃ、これと、これ」とみるからにすぐに出てきそうなパスタとサラダを指すと、ようやく笑顔を見せた。
「かしこまりました。少しお待ちください」
お辞儀で去っていくウエイトレスを見送り、哲はすかさず手帳を取り出した。昨日までに知り得た情報を声に出さず読む。
3.Monday ―12
奇しくも駒場と対象者をチェンジしたその日、哲は思いがけない場面に遭遇することとなった。
中里の家は高級住宅が立ち並ぶ田園調布にあるが、そこへは滅多に足を向けることはなく、自分で立ち上げた南青山のオフィスに居住スペースを設け、そこを一応の本拠地にしているようだった。他にも原宿と中目黒、白金に親が購入した中里名義のマンションがある。父親の勤め先はヤケミ製薬。日本人なら誰もが知っている大手製薬会社だ。父親はそこの役員をしている。子供は三人。父親と同じ道に進んだ長男、財界の御曹司に嫁がせた長女、そして次男の中里だ。中里と上ふたりとは母親が違う異母兄弟で、年は一回り以上離れていた。そのせいかどうか、父親は特に中里には甘いようだ。
中里が帰宅してから二時間が経過した頃だった。斜め向にはマンションの出入りが見渡せるファストフード店がある。哲は二階の窓際カウンター席で氷だけになったコーラをすすっていた。琴美の取材を終えた後、電車の中でひと眠りしたせいで頭は冴えている。元々の視力も良く、蟻一匹見逃すことはないコンディションだ。
ちょうど日付が変わったあたりでマンションのエレベーターが開き人影が見えた。哲はすぐに反応した。中里だった。双眼鏡を覗く。が、瞬間、膝に落とした。薄暗い住宅街の方向へと歩きながらおもむろに振り返った中里がレンズの中で威嚇するようにこちらを見たのだ。もちろん気のせいだったが、中里の神経が研ぎ澄まされていることだけは確かだった。哲は腰をあげた。
中里の足音だけをたよりにいつもより用心し尾行を開始した。いくつかの路地を曲がると長い上り坂になった。一方通行の表示がないのが不思議なくらいの細い道路だ。まるで世間から取り残されたように町並みは古く、人の気配がない。それでも僅かだが明かりのつく家があり、ここに生活があるということは感じられる。
古い民家の並びを抜け中里が向かった先は高台にある荒れ果てた公園だった。灯りは夜を照らす新月と公衆便所の電球。闇は濃く、風に揺られる木々の音までが遠慮がちに聞こえる。中里が階段を上りきるのを待ち哲は息を詰めて階段を上がった。顔が出るギリギリのところで止め、公園の様子を見る。中里の到着を待っている人影があった。哲はコートのポケットからそっと双眼鏡を取り出した。ひとり、ふたり、さんにん……。そこにいたのは井出、吹田、三鷹だった。ざっざっざっ、地面を大股で歩く中里の靴音に三人が振り返った。
「な、中里ぉっ、こいつが、約束をっ」
歩いてくる影を認識した途端、縋るように駆け寄ってきたのは井出だった。だが中里は井出の横を素通りし、代わりに両脚を必死に踏ん張って手をだらんと下げただけの吹田に向かっていった。吹田は前屈みのまま後退った。
「――――」
「そうなんだよ、中里! これは“脅し”だろっ? こいつ、俺らを脅してんだぜっ」
中里の背後に構えた井出が興奮して捲くし立てる。黙っている三鷹がどんな表情をしているか哲からは見えない。
「――――」
「ほらっ! さっき俺も言っただろう。中里だって承知するはずねぇって!」
「し、仕方ねぇだろ…っ、俺だって俺だってどうしようもねぇんだよっ、でも金を渡せば! 金を渡せば解決するんだ! だから頼むよ、なあ、俺の分だけでも、俺のっ!」
向かい合った吹田は悲鳴のように叫んだ。乞うような声色が必死さを物語る。中里がなにかを言っている。
「――――」
「だっ、だけどよっ」
「――――」
「…けどっ」
「――――」
中里の声は哲の耳に届かなかった。元々大声を出すタイプではない。それは今までの尾行でも分かっていた。が、哲はどうしても中里がなにを言っているのか知りたかった。回していたビデオカメラをより遠くへ、音声ボリュームを最大にした。中里の顔にズームする。
「(みとめたら おれらが おまえを ころすぞ)」
哲はレンズ越しの中里の唇に集中した。反芻する。
「(どっちが いいんだ)」
中里は不気味に笑っていた。
「(すうじつちゅうに えらべ)」
――数日中に選べ。
言い終えた中里が踵を返し、哲は慌ててカメラを下げた。その肉眼に足を上げた三鷹が見えた。次の瞬間、ぐぎゃ、という叫び声が聞こえ吹田が地面に倒れされた。土煙が舞い、ボコッボコッという太く重い音が響く。吹田は痛みに呻き苦痛の悲鳴を上げた。「助けてくれ…」「助けてくれっ」
制裁のような暴力は果てしなく続いた。中里が煙草に火をつけ夜空に向かって煙を吐き出す。井出がその横で従順な下僕のように突っ立っている。気付くと、哲の足は一歩ずつ階段を下がり始めていた。自分でも無意識のうちに。
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3.Monday ―13
「ご注文はおそろいですか?」
「!」
ウエイトレスの声に慌てて顔を上げた。手帳に落とした視線はいつのまにか文字の上を滑ったまま、意識は昨夜の凄惨なシーンへと飛んでいたらしい。
「はいはい、おそろいですよ」
気を取り直しおどけるとウエイトレスは愛想笑いを浮かべた。軽い男の扱いなど慣れている、といわんばかりの顔だ。
「ごゆっくりどうぞ」
「ありがと」
見送ってフォークを手に取った。朝食は九時過ぎに摂ったし昼には一時間も早い。たが気にしないことにする。
探偵の職についてから食べられる時間に食べるという習慣が身に付いた。それまで働いてい家業の酒屋では当たり前に決まった時間に食事をしていた。見習い探偵として雇われたばかりの頃、空いた時間に食事を取る駒場に「不規則ですね」と呟き怪訝な顔をされたことがある。その意味が分かったのは間もなくのことだった。張り込みのついでにホカ弁をかっ込む駒場に「どうした、おまえも食え」と言われた。だが午後三時を過ぎたばかりだ。昼に食べたとんかつがまだ消化されず残っている、腹など当たり前に空くはずもなかった。「まだ時間じゃないんで」と真顔で断る哲に、駒場は口元だけで笑った。それからまもなく対象者が動き出した。
結局その日は夜中まで口に物を入れることができなかった。仕事が終った後、駒場が言った。「これからは食える時に食えよ。単独での仕事になるからな」
その日から哲は教えを守っている。
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「あの、佐々木さんですか?」
平らげた食事を下げてもらった数十分後、テーブルに置いた“目印”を指し男が現れた。哲は手帳から顔を上げ、同時に立ち上がり名刺を差し出した。
「すみません、わざわざ来ていただいて。神谷さんですね。佐々木です」
「はあ、どうも」
昨日の琴美同様、目の前の神谷豊も周囲を窺いながらばつの悪い顔をしている。
「さあ、どうぞ」
「……」
「なにを召し上がりますか?」
腕の時計を見せる。昼少し前だ。
「いや、いいです。あまり時間もありませんし」
「じゃあ、飲み物を」
神谷の牽制を素知らぬふりで交わし、哲はウエイトレスを呼んだ。適当な飲み物をオーダーする。
「では、時間がないようなので単刀直入にお伺いしますよ」
哲は手帳を捲った。
「昨日電話でもお話しましたが、三鷹英喜さんのことについてお聞きしたいんです」
「………」
「学生時代、同じクラスでしたね、彼についてあなたが知っていることを教えてもらえませんか?」
「………」
「なんでもいいんです。他愛ない思い出話でもいいし、学校外のことでも――」
「ちょっと待ってくださいっ」
「はい?」
ヒステリックに遮る神谷に哲はにこりと笑みを返した。
「あの、俺のことはいったいどこで。なんで俺が三鷹のことを知ってるなんて……」
ほら、きた。と哲は心で言った。目の前に座る神谷は卒業アルバムのあどけなさをそのまま残したどこにでもいる青年だ。流行にとらわれないスーツの着こなし方や髪型、気弱な目の奥からもその印象は間違ってないだろう。ましてや昨夜のように、“仲間”である吹田に執拗な暴行を加えるような男とつきあえるタイプではない。哲は笑顔のままで神谷の観察を続けた。テーブルから離した指先が震えるのか、もぞもぞと動かし続け落ち着きがない。この怯えようでは、もしかすると神谷も三鷹の凶暴性を知るひとりかもしれなかった。
「別に神谷さんだけに聞いてるわけじゃありませんよ」
哲は殊更に明るく言った。
「あなた方が卒業した後、学校名が変更になりましたよね」
「…確かに、そうですが」
訝しげに答える神谷に営業的とも言える笑みを向けて続ける。
「今度、その最後の卒業生にスポットをあてた特集を作ることになりまして、主役になる人物を探しているんですよ。そこに三鷹英喜さんの名前が上がり、なにか面白いエピソードがあればと取材にきたんです」
神谷の視線が名刺の上に落ちた。哲の肩書きは「ケーブルテレビ局の社員」になっている。駒場とも話し合った上で、星川たちのことを探るのに探偵事務所の名を表に出さない方がいいだろうということになった。駒場はその時その時の空気に合わせて設定を変えているようだが、哲ははじめから従兄弟の肩書きを使おうと決めていた。知っている人間を思い描いた方がスムーズにいくように思えた。
「まだ準備段階なのでボツるかもしれないし、本当になんとも言えなんですけどね、どうにもピックアップする人物にこれといった特徴がないものですから」
哲はわざと困った顔をして見せた。神谷が恐る恐る、といった感じで顔をあげる。
「彼――、三鷹が取り上げられるってことですか?」
「いえいえ、候補のひとりですよ」
哲は笑顔を崩さなかった。
「なんでも彼はたいへんな人気者だったらしいので期待はしているんですが」
「―――」
「え?」
神谷が口の中でもごもごと言葉を発した。哲は聞き取れず、聞き返す。
「あいつは、止めたほうがいいです」
今度はしっかりと聞こえた。
「どうしてですか?」
哲は適度な間を取り訊ねた。ここからは苦労なく三鷹の情報を聞き出すことが出来ると確信しながら。
「ヤツは二重人格者ですよ」
神谷は唇を噛んだ。
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3.Monday ―14
「どういう意味でしょう」
静かに語りかけると神谷は目を伏せた。
「神谷さんと彼は友達ではないんですか」
「友達?」
哲の言葉に神谷は探るような視線を向けてきた。
「いや、すみません。卒業アルバムを元にこうやっていろんな方に取材をお願いしているところなんですが、確か旅行のページだったかな、神谷さんと三鷹さんが肩を並べてピースサインで写ってるショットがあったもので」
それは本当だった。数人の男子生徒がはしゃぐ様子は、傍目にもなにが面白いのかと思うほど大口を開け目を輝かせたものだ。青春時代特有の騒々しさも垣間見える。
「ああ、あれか」
数秒考えた後、思い出したように神谷が顔を上げた。
「別に意味はないです。学生の頃って、レンズを向けられると誰でも写ろうとして寄っていくじゃないですか、それです。それに三鷹は誰とでもあんな風ですよ」
「あんな風とは?」
「…人懐っこいというか」
言いながら神谷の頬が歪む。三鷹の評価に不服がある顔だった。
「人気者だったと聞いていますよ」
「表面上は、ね」
「それは仮の姿であると?」
「まあ、そうです。それにその写真を撮った時は別のクラスだったし。あ、二年の時ですから、修学旅行。特別親しいわけでもなかった」
「じゃあ三年で同じクラスになって仲良くなった」
「………」
神谷は答えなかった。哲は話題を変えた。
「そういえば誰かが言ってましたね、彼について、ちょっと妙だと」
「え?」
哲は駒場の取材メモを見ながら、証言者の言葉を伝えた。
――あれは音楽の時間だったよ、楽器を使ってみんなでひとつの曲を演奏するってことで四回ぐらい似たような授業を繰り返してたんだ。けどどうしても三鷹だけ、音程が合わなかった。それを教師がさ、冗談めかして非難したんだ、あからさまに嫌味を含んで。三鷹は「すみません、音感ないんで」なんて笑いを取りながら悪がってたけど、確かにあれは教師の言い方がよくなかったと思うしみんなも三鷹に同情的だった。次の授業はボイコットしてやろうか! なんて休み時間に盛り上がったりしてた。けど俺たちはボイコットしなかった。なぜってその教師、それからすぐに“一身上の都合”とやらで学校からいなくなっちまったんだから。
哲が読み上げる“同級生の証言”を神谷は真剣に聞いていた。哲は続けた。
「他にも彼になにかあると彼と関わった人間が怪我をしたり学校へ来なくなったりしたことがあると。もっとも彼が、『俺には超過保護な守護霊でも憑いてたりして、死んだばあちゃんか?』とかなんとか笑い飛ばすものだから、周りもおかしいなと思いながら聞いていた、と」
「いつの話ですか、それは」
「ええと、これはですね、音楽の授業の話しは二年生の時のクラスメイトで、その下の話しは中学の頃の同級生ですね」
「………」
哲の話を聞いた神谷は、長い間押し黙ったままだった。運ばれてきたコーヒーに湯気はない。それでも神谷の視線はカップの前で止まっている。
「神谷さん?」
哲はそっと声を掛けた。放っておけばおくだけ放心している神谷は、哲の声に反射的に顔を向け一瞬きょとん、とした。がすぐに苦悩の表情を浮かべた。数秒掛けて自分がなぜこの場にいるのか改めて理解し直したようだ。
親身な顔で哲は囁いた。
「言って楽になる場合もありますよ。俺はこの通り、あなたとも三鷹さんとも無関係の人間だし、なにを聞かされても驚くことはない」
神谷の指先が心細げに唇を触った。言うべきか言わぬべきか……、心が揺れているのかもしれない。
「神谷さん」
もう一押ししようとした時、神谷がぐん、と顔を上げた。その目は哲の思惑とは逆にはっきりとした拒否を示していた。
「いや、言えません。簡単に言えるようなことじゃない」
「………」
今度は哲が黙る番だった。
「俺にとっては思い出したくないおぞましい過去です。口に出すだけでも…」
目に恐怖心を浮かべ力なく首を振った後で、神谷は懇願するように言った。
「彼をテレビで取り上げるのは止めてください」
「なぜです?」
「そんなことをしたら俺があいつの同級生だってことがバレてしまう」
「え?」
「あ、いや、なんでもありません」
哲の探る視線を避け神谷は横を向いたまま立ち上がった。「そ、それじゃあ」と逃げるように伝票を掴む。哲がその手を制した。
「神谷さん、話したくなったらいつでも“そこ”へ電話してください」
伝票の代わりに、テーブルの上に置き去りにされた偽の名刺を渡し直す。神谷の手が恐る恐る伸びた。哲は笑顔のまま口を開いた。このまま引き下がるのは癪だった。
「いずれにしても三鷹さんへも取材を申し込むつもりです。会ってみて、彼が適任だったら決めるかもしれません」
わざと爽やかな口調で言ってみる。神谷の顔が面白いほど簡単に引きつった。
「俺、ドキュメンタリー大賞、狙ってるんですよね」
「え?」
「地方を飛び出すつもりです」
NNK主催のそれは優秀作品が平日の四週に渡って全国へ放送され、視聴者の投票も募る人気番組だ。神谷が知っているかどうか定かではないが、後で必ず調べるに違いない。これは、なにかを恐れている神谷への揺さぶりだった。
「感動的に仕上げるつもりです。楽しみにしていてください」
哲は立ち上がり神谷に向かって右手を差し出した。声もでない神谷の、呼吸もままならない怯えた顔を見ながら。
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3.Monday ―15
神谷を見送り、頭を掻き毟った。
この手のことはよくあることだ。対象者を庇うあまり嘘をつかれたりはぐらかされたり、または完全黙秘を通されることも珍しくない。しかし神谷の怯え様は当事者だけが持つ空気そのものだ。言えば自身の身にもなにかが及ぶ――、と考えるのが自然な気がした。例えば証言にもあった“消えた”人間たちのように。三鷹に暴行を受けた吹田篤のように。……だとしたら簡単には口を割らないだろう。今回ばかりは駒場の“読み”が外れたようだ。
「ま、そんなこともあるかな」
哲は神谷を諦め、手帳に書き込まれた電話番号の列を眺めた。横線が引いてあるのは連絡不可を、△の印は約束を取り付けたことを意味している。駒場は言った。「とりあえず残りの△に当たったら終っていい。どうせ“思い出話”しか出てこないからな」
学生時代の中里には親しい友人がいなかった。同じクラスの星川さえも級友たちの記憶には友人として映ってはいない。不思議なことに同級生たちは口を揃えて、「彼らが友達だった? そうだったかな?」と首を捻る。それがきっかけとなり、駒場は吹田、井出、山岸、三鷹の過去も探り始めたのだ。しかし辿れば辿るほど六人の関係は奇妙なものだった。中里を除く全員がそれぞれに別のグループに属し接点を持たない。クラブ活動や委員会で顔見知りだったという記録すらない。
「――いったいあいつら、どこで知り合ったんだ?」
唸る駒場に哲は言った。
「星川に聞いてみたらどうです?」
「ばーか、んなのとっくに聞いたさ」
駒場は呆れたように天上を仰ぎ叫んだ。
「教えてくれないんですか?」
「ああ。依頼になんの関係があるんだ、と逆に凄まれたよ」
「なるほど言いたくないわけがあるんだ」
「だろうな」
――それが数日前の駒場との会話だ。
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「よし、残りの△、片付けるか」
哲は気を取り直し立ち上がった。しばらくは神谷のことを考えたが、電車が池袋に着く頃になると意識から薄れ始めた。わざわざやってきて何の情報も得られなかったことは悔しいが、依頼には直接関係がなく、好奇心だけを突き詰めるには理由がない。本人が語りたがらないのだから自分にはなにもできはしないのだ。
だがその夜、哲の携帯が二回鳴った。相手は哲の従兄弟、
――俺の話を聞いたら、あいつを……、三鷹をテレビで取り上げるのを止めてもらえますか?
それが神谷の第一声だった。哲は飛びつきたいのを押さえ余裕を持って言った。
「どういう意味でしょう? でもまあ別にいいですよ。彼に拘っているわけではありませんから」
「絶対に、です。必ず守ってください、絶対に取り上げないと。あいつへも取材はしないでください。じゃないと俺も佐々木さんのことを会社にバラしますから」
切羽詰まった震える声に脅迫されてもさして恐怖心は起き上がらない。哲は「え? バラすってなにをですか?」と惚けて返した。が、その答えは聞かなくても分かっていた。
「今回の取材、会社の仕事ではないみたいですね。そういうの背任行為って言いますよね」
「………」
わざと間を作ってみせる。神谷は捲くし立てるように言った。
「ちゃんとあなたの会社に電話して聞いたんですから」
「聞いたんですか、まいったな」
哲は焦燥の声色を作った。こんな時のために名刺の所在と偽名の“佐々木駿介”を本物にしておいたのだ。神谷よりも前に掛かってきた駿介からの電話であらかたの事情は聞いている。尤も、やり手の駿介が上司のふりで神谷の話を上手く聞きだし、結果、機転をきかせて風向きを変えたのが真相だ。
―――おまえが探偵なんてなあ
探偵事務所に雇われたことを真っ先に報告したのは、親よりも友人よりも駿介だった。子供の頃から五才年上の駿介を慕い、何でも相談する癖がついていた。
「じゃあ面白いネタがあったら教えてくれよ」
駿介は本気とも取れる冗談で、古い名刺を「就職祝いだ」とごっそりとくれた。未だ、駿介に“ネタ”を提供したことはなく、この先も守秘義務を破るつもりはない。だが今回の件は直接依頼とは関係のないことだ。すべてが終わったら酒の肴に話すぐらいはいいだろうと、哲は内心思っていた。
「わかりました、あなたには負けました。交換条件をのみましょう」
神谷の、場慣れしていないだろう脅迫を聞きながら哲は神妙に頷いてみせた。
「今日のやり直しをしましょう」
最後まで抜かりなく、誠実さを声色に込める。
「じゃあまた明日に」
電話を切る。
哲は深く細い息を吐いた。神谷が何を語るつもりなのか想像もできなかったが、とにかく明日が待ち遠しかった。
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