20. 帰結―146
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詩織が視界に入るようになったときはすでに遥とともに復讐の計画に取り掛かっていた。他の仲間達もいた。彼ら彼女らを見つけるのは難しいことではなかった。中里たちの動向を探っていればその背後に暗い怨念の目で彼らを見ている誰かがいた。吸い寄せられるように仲間はみつかった。もちろん誰でも彼でも仲間に引き入れるわけではない。きちんと生活を見て、復讐などに手を染めなくともいずれ大切な人の不幸を乗り越えていけると分かれば、そのまま関わることをやめた。仲間にしたのは復讐を果たさなければ死ぬこともできないと、決死の想いを抱く者だけである。
計画を遂行するにあたり、遥は二重三重にロックを掛けた。仲間同士を名乗らせることは絶対にさせず、顔を見せる仲間には復讐に直接手を下させず、橋渡しの役のみをさせた。そのために司令塔“R”を作り、仲間の数も性別もなにもかも見えないようにした。手を下す役目を担った仲間とのコンタクトは江美香ともうひとり、今はこの世にいない人間が行った。
遥は、復讐する動機がある者にアリバイを工夫した。……だから当然、詩織にも直接手を下すことは禁じた。それなのに詩織は、頑として聞く耳を持たなかった。
「自分で殺れないなら仲間にはならない。勝手に動く」
「それじゃあ本当の復讐にはならない。いい? 私たちが彼らをこの世から葬るのは捕まるためじゃないの。あいつらを裁くため。あいつらのルールをそっくり使って復讐する――、自分の仕事には関わらない、ってルール。分かってるの?」
説得はきかない。
「私は女優よ」
彼女は言った。私はどんな女にもなれるし、どんな役柄も演じられる。絶対に失敗はしない。
遥に相談した。遥は詩織だけでなく他の仲間とも接触は持たない。この先中里たちの懐に入っていき、マスコミの餌食になることを予期していたからだ。
「江美香さんに任せる」
遥は言った。あなたのその目で判断して、と。
江美香は困り、だが詩織の本気の想いに観念して仲間に迎えた。「復讐の方法には従ってもらう」これだけは固く約束させた。
――――思えば、自分を「女優だ」とアピールした詩織が、仲間をも欺くのは簡単なことだ。どうしてそれに気付かなかったのだろうか。まさか、現場に自分たちの合図となる“言葉”を残してくるなんて。そんな裏切り……
いいえ!
江美香は顔を上げた。
たとえ誰が裏切ろうと、私たちの計画に綻びはない!
遥が身を削って立てた復讐計画なのだ。
「久宗さん、“チェリー”の意味は?」
「!」
太い声が江美香を現実に引き戻す。江美香は頭を振った。もやっとした不透明なものに身体を乗っ取られそうになるのを辛うじて耐えた。
「意味ですか?」
江美香は胸を張った。真っ直ぐに西原を見て言った。
「あだ名です。知り合いのあだ名です。彼女にそっくりな人を遠くにみつけたから思わず彼女を呼んだんです」
咄嗟に出た言い訳にしては上手だった。西原の目が一瞬憐みを浮かべたが気にせずに答えた。
「ずっと会ってなかったから懐かしくてつい」
「ちなみにその方の本名は?」
「分かりません。源氏名ですから。そういえば分かるでしょ?」
「ああ、なるほど…」
刑事たちが顔を見合わせ手帳を仕舞う。江美香は会釈した。
「じゃあ失礼します」
「あ、ちょっと」
呼び止められたが無視した。住所も名前も、咄嗟に答えたせいで嘘が言えなかった。だからいつか家に刑事が訪ねてくるかもしれない。それでも構わなかった。時間さえ与えられれば切り抜ける方法は遥と相談できる。今は一刻も早くこの状況から逃げ出したい。だから追ってこないで――。
江美香は必死に、もうとうに信じなくなった神に、祈った。
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「駿介くん!」
タクシーを降りたばかりの駿介をみつけ、駒場は叫んだ。ほどなく病院から哲も出てきた。
「あ。アニキ……、ごめん、病院内も探したけどいない。ナギさん、外は?」
駒場は左右に首を振った。
「こっちもだめだった。あの短時間でいったいどこへ行ったんだ……」
「――仲間が、いるんじゃないでしょうか」
黙っていた駿介が言った。
駒場は哲と顔を見合わせた。
「仲間? どういう意味?」
哲が聞く。
駿介が降りたタクシーが病院からの客を乗せて走り出す。三人は正面入口から離れ植え込みのそばに移動した。
「これを」
駿介は持っていた封筒を差し出した。封筒には会社名が書いてある。ヤケミ製薬。
「中里から貰いました。手記です。彼らがどうやって知りあったかが書いてあります」
「すごいじゃないか、駿介くん」
「やったな! アキニ!」
やおら興奮する駒場たちに駿介は浮かない顔を見せている。全身から精気が奪われたような、なんともいえない無力感が漂っている。
「実は、中里から預かったのは他にもあります」
駿介は封筒からペンを取りだした。ボディは黒、そこにシルバーで模様のようなものが刻まれている。
「これは井出筍のものです」
「あ! 家庭教師先の教え子が言っていたあの……」
哲が気付いて声を上げた。駿介が小さく頷いて答えに代えた。
「これを小西遥に返してほしいと」
「!」
「!」
一瞬、肌を刺す風が止んだ気がした。
止めていた呼吸が白い息となって虚空に吐き出されると、三人はそれぞれに項垂れた。哲がよろめき、踏ん張って呟いた。
「どういう、ことだ……、なんで井出筍のペンを小西遥に返すんだ……、それって、つまり」
「そういうことだよ。つまり、」
「つまり、井出筍の恋人は小西遥。小西遥は……まさか」
哲が蹲る。頭を抱え、声にならない声を発している。
駒場は哲の肩に手を置いた。
「ナギさん、冷静ですね」
駿介の苦しげな視線を受け駒場は頭を掻いた。
「あのな、駿介くん。実は俺、さっき聞いちまったんだよ」
駒場は打ち明けた。
「小西遥に卵が投げつけられただろう。そのとき、卵を投げた方向に向かって誰かが叫んだ。“チェリー”って。まるで小西遥を庇うみたいに俺には聞こえた。あのときはただの疑心だった。けどこうなればすべての辻褄はあう」
「“チェリー”と?」
「ああ。誰かは分からない。ひどく切羽詰まった女の声だったが」
思い当たることがあるのか、駿介の左手が口元を覆った。
駒場の携帯が鳴った。
「はい、駒場」
着信の相手は西原だった。
「どうしたんすか」
目配せと唇だけで、側にいるふたりに刑事だと教えた。
「――え? あ、はい。は……、はあ。どっちも、ですか?」
再び駿介に視線を向けた。
「分かりました。後ほど、ええ。あ、西原さん。――情報、ありがとうございました」
素直に礼を言い携帯を切った。息を詰めて自分をみつめているふたりに向き直る。
「チェリーと叫んだ、声の主が分かった」
「だ、誰っすか?」
哲が待ちきれない、と言う風に叫んだ。
「叫んだのは久宗江美香だ」
「!」
西原が教えてくれた通りに伝えた。――事件の手掛かりを探すため刑事たちは裁判所に張り込んでいた。“数の合わない被害者”の謎。それを辿って、警察は復讐劇を仮定した。復讐。もしも復讐があったとしたら、星川俊也の恋人であった小西遥もまた同罪。復讐をやり遂げた者達が正義に駆られて小西遥に敵意や殺意を抱かないとはいえない。行動を起こさないまでも、何かしらの手掛かりが掴めるかもしれない。
そう考え裁判所で張り込んでいた。
ビンゴ。
「卵を投げつけたのは誰です?」
焦れたように駿介が聞いた。
「境田好江という中年の女性らしい。知っているか?」
「いいえ」
落胆と混乱が駿介の中に見えた。労いを込め、駒場は駿介の肩を叩いた。
「どっちにしろ、ふたりは徹底的に調べられることになるだろう。大切な誰かを失っているとすれば、それが明らかになるのも時間の問題だ。そのあとの判断を警察がどうするかは分からないけどな」
「俺な、哲。ナギさんも聞いてください」
「うん」
駒場は哲と共に頷いた。
「このペンを手にしたときの衝撃はちょっと言葉にできないほどでしたけど、それからここに来るまで、タクシーの中でも、いろいろ考えました。小西さんと接して感じていたこと、話したこと、いろいろです。俺ずっと、彼女の星川への想いを“本物”だと信じてきました。でもどこかやっぱり違和感があって、星川のどこにそんな魅力があるのか死者に失礼かもしれませんが、納得できないところもあって」
「わかるよ! 俺もそこんとこ葛藤あったし」
駿介を気遣い、哲が自分のことのように擁護する。駿介が続けた。
「でも、小西さんが井出筍のことを想って気持ちを言葉にしていたとしたら、すべて辻褄が合うんですよ。彼女はきっと、星川の名を借りて、井出筍との思い出を俺に話して聞かせてたんでしょう。恋人を殺した中里を絶対に許さないと言った彼女の強い瞳を、俺は本当の意味で理解していなかった」
「だとしたら彼女はとても強い人だな」
駒場は心から言った。
憎い敵の恋人になってまで復讐を果たすなど、並みの神経ではできないだろう。
「中里は? あいつはすべて知ってたってことだよね?」
哲の疑問はもっともだった。駿介が弱く頷いた。
「たぶん、そうだろうな。知っていたが黙っている。それほどに中里も小西さんが好きだったんだろう。だが想いを伝えても恋人にすることは叶わない。彼には許嫁がいたらしいから」
駿介は指で封筒を弾いた。
「駿介くんには酷だが、小西遥が証言していることのすべてにも信憑性がなくなるぞ。星川が語ったとされる言葉もふたりの間のことも、当然、殺害の経緯も真相もだ」
「分かっています。星川に駒場探偵事務所へ行くように言ったのも間違いなく小西さんでしょう。ですがそう考えれば腑に落ちます。あの星川が、人の意見などに耳を貸さないはずの男がポストにチラシが入っていたぐらいで大事な秘密を持って探偵に頼るはずがない」
「その、肝心な『なぜ俺のところに』……ってのは未だ謎だけどな」
三人は少し暗い顔で地面をみつめた。
「これから、どうなるんだろう……」
哲が呆けたように呟いた。駒場も答える。
「どうなるんだろうな」
だが口にしながらも、きっとすべてが明るみに出るのだろうとも思っていた。小西遥の復讐も、仲間達の存在も、隠れていた被害者たちも次々に表へ出てくるだろう。――――警察は詩織へも辿りつくだろうか。
「俺、小西さんのアパートへ行ってみます」
居ても立っても居られないというように、駿介が走り出しながら言った。待機中のタクシーに乗り込む。見送って哲とふたりになった。
「駿介くん、小西遥と会えるといいな」
本心だった。
“あの日が彼女と会った最後だった”――
そんな風に記憶を辿り寄せて悔いる日々など自分と哲だけで十分だ。
風が冷たくなった。
コートの襟を立てて、俺達も戻ろうか、と歩きだす。ふいに哲が言った。ひとり言のような響きのそれに駒場も足を止めた。
「詩織はなぜナギさんの時計に、“チェリー”の手掛かりを残したのかな」
「いつか、聞いてみたいもんだ」
聞いてみたいことは他にもある。
なぜ自分だったのか、そして、今の詩織の気持ちだ。
「すげえ気になりますね」
「そうだな」
「……」
駒場は哲と顔を合わせた。数秒黙り、どちらともなく口を開いた。
「じゃあ、探すか」
やはり詩織に会いたいと思った。
哲も同じらしい。
「――探しますか」
言ってから、ばつが悪いのか、それを誤魔化すために哲は声を立てて笑った。駒場もそれにつきあった。