32―エピローグ




      

   四週間後――――



       
      


 帆乃香は控室で雑誌を読んでいた。さきほど白鳥から手渡された発売前の最新号で、帆乃香のインタビュー記事が載っているものだ。



「おは、よ」
 昌は緊張のまま帆乃香に近づいた。
 今日は久しぶりに千穂、帆乃香、実紗と一緒の仕事だった。例の、ファッション誌のモデルの仕事だ。実紗が“時の人”となったことで予定になかったスケジュールが入った。
「み、みんなまだ?」
 どもりながら聞いた。帆乃香は、うんまだ。と答えた。

 勝手に“ラブレター”を渡した日から四週間。帆乃香はあれからすぐに合宿に入り、その後レコーディング、ジャケット撮影、PV制作と多忙を極めていた。ときどき遠くから姿を見掛けてもすぐに誰かに伴われて視界から消えてしまう。こうして言葉を掛けあうのは随分久しぶりのことに思えた。


「……」
 昌はパイプ椅子を引いた。
 目の前でも横でもなく帆乃香の斜め前を選んでしまうのは、帆乃香が苦手だからではなく意識しすぎているからに他ならない。ずっと伝わらなかったそのことに、今なら帆乃香も気づいてくれているようだ。

「この前の、ありがと」
「え」
 帆乃香の方から例の話題が出たことに昌はうろたえる。
「昌って、結構激しいね。――結構、って、まあ、激しいことは知ってたけど自分のことにしか興味ない子だって誤解してたんだよね」
「……」
 自然体の帆乃香が恨めしい。昌はなんと言ったらいいのか分からず頬やこめかみや、鼻の頭をぽりぽりと指の先で掻いた。そうしていないと自分を分析される恥ずかしさがどんどん大きくなる。
「世の中をナナメに見てシラケてるようなとこあったじゃん。だから他人を見る目もそんな感じだと思い込んでた」
「う…、ん」
「昌があんな風に周りを見てたことも意外だったし」
「……」
「出会ってからのことをあの紙一枚に凝縮させたこともすごいし」
「……ん」
「それに表現方法が面白いっていうか、ちょっと変わってて、いいね」
「……うー」
 黙っているとまた誤解を生みそうだと思い必死に口を開くが、葛藤を堪えて発する言葉は「う」と「ん」の二文字だけで、それ以外はなにも唇から離れてくれない。

「って、ちゃんと聞いてんの、昌」
 帆乃香が笑い出す。これまでならば、意識しすぎて仏頂面になってしまう昌からはすぐに視線を外し、昌などはじめからここにいないかのような完璧な無視をするのに、今は昌の態度に真正面からつっこみを入れている。
「こっち向いてみてよ」
「…っ!」
 赤面の昌にお構いなしで、帆乃香はさらに身を乗り出してくる。こういった“茶目っ気”は昌の前では見せたことのない、これも帆乃香の一面だった。親しさが加速度を増して昌の胸をばくばくと波打たせる。その音に呼応するみたいに控室のドアが開いた。

「おはよー!」
 駆けこんできたのは千穂だった。

「部屋変わったって! 移動しよ、移動!」
 打ち合わせの場所に変更があったらしく、後にやってきた千穂が伝言役を兼ねて昌たちを迎えに来た。
「みさちゃんは先に行ってるから」
「そっか、じゃあ私たちも行こうか」
 帆乃香に促されて昌も頷いて立ち上がった。今までなら、こういう場面でも帆乃香は昌に声を掛けたりはしなかった。


「そういえば千穂、ドラマの主役決まったって?」
 あえて昌の隣に並びながら、前を歩く千穂に帆乃香が話しかけた。
「うん。もう現場に入ってるよ」
 振り返りながら千穂は満面の笑みを見せる。
「実はみさちゃんに回ってきた役みたいなんだけど、みさちゃんも忙しくなっちゃったからって私に譲ってくれたんだよね。最初はいいのかなあってちょっと悩んだけど、台本読んだら、ああもう! ぜったいこの役やりたい! って。あっけないほど葛藤消えちゃった。あはは」
 明るい千穂の笑い声につられるようにして笑いながら、昌は複雑な気持ちを胸の奥のほうに押し込んだ。――ほんとうはね、千穂。はじめからその役、千穂のなんだよ。
 言葉にはしなかった。
 だって結果オーライだから。運とかチャンスとか、目には見えないそういうものに人は導かれ回り道をしても必要な人の元へ、必要なものが必ず巡ってくるようになっている。少なくとも今の昌はそれを信じることができるから。
 だから、それでいいじゃないか。



「帆乃香はスタジオこもってたって? 白鳥さんが言ってたよ」
「まあね」
 帆乃香は短期間の多忙を思い返し、少しだけうんざりしてみせる。充実していたと素直に認めることへの照れ隠しのようなものだ。
「そういえば私、まだ帆乃香の歌聴いてないっ」
 千穂がぷーっと膨れた。早足で先を歩きながら器用に振り返ってはくるくると表情を変える千穂は相変わらずチャーミングだ。演技をしているわけでもないのに、動き出した千穂からは目が離せなくなる。もっと見ていたい、もっと。心から思う。
「ねえ、昌は聴いたの、帆乃香の歌」
 千穂に問いかけられ昌は、まあね、と目を泳がせながら答えた。ずっるーい! と千穂が叫ぶ。帆乃香が笑った。
「今日の打ち合わせ終わったら時間ある? あるならふたりに聴いてほしい」
「えっ、ほんとう? やった!」
 千穂が手を叩いて喜んだ。横顔の帆乃香が昌に、どう? と目だけで問いかけてくる。無論、昌に異論などあるはずがない。
「そんなの、聴くに決まってるっ!」
 本音が出た。
 帆乃香が、てへへ、と少女のようなあどけない顔で笑った。こっちのほうが照れ臭い……! 昌は歩幅を変えて千穂に続いた。帆乃香もついてくる。誰ともなく、みんなが早歩きになり、いつの間にか掛け足になった。誰の合図があるわけでもないのに競争になる。打ち合わせの部屋のドアを開けたときには三人の息があがっていた。


「どうしたの」
 目の前には、相変わらず綺麗な顔をした実紗がいる。今回は約束の時間より前に到着しているファッション誌の関係者数人が、恐縮して立ち上がった。
「そんなに焦って来なくてもまだ時間になってないわよ」
 我先にと飛び込んできた格好の昌たちに、白鳥の冷静な声が言った。

「昌が、走り出したから」
 千穂が恨みがましく言う。
「そうだよ。昌のせい」
 帆乃香もメイクくずれを気にしながら文句をつける。昌は言った。
「だって負けたくなかったんだもん」
 唐突な昌のライバル宣言に、ふたりが、へ? という顔を向けてくる。
「あんたたちだってムキになったくせに」
 負けず嫌いはお互いさまなのだ。
「そりゃあ、私だって、負けたくないし」
「当然でしょう」
 千穂も帆乃香もしぶしぶ認める。
「なにをやってるの、あなたたちは」
 白鳥は呆れながら、雑誌の担当者たちに「まったく騒がしくて、すみません」と頭を下げている。苦笑いが広がる。――この子たち、仲悪いのかな、という空気が流れ出している。だが互いの胸のライバル心を確認しあった昌たちにはどうでもいいことだ。

「こんなので勝っても勝負のカウントにはならないんだからね」
 三着の帆乃香が抗議し、二着の千穂も激しく同調する。
「勝ちは勝ちでしょ。私はこの部屋に『一番』に入った!」
 昌は鼻息を荒くする。
「なにを子供みたいなことを……」
 実紗が割って入ってきた。昌はびし、と実紗に指を向けた。
「いっとくけど、澄ました顔で眺めている実紗がこの中では一番の負けず嫌いだから。つーかあんたは最強だから!」
 実紗は目を丸くする。
「な、に言い出すの、昌」
「私は見届けるんだから! 実紗がどこまで行くか。絶対、見ててやるんだから! それで辛くなったら本音をぼろぼろ吐かせて、また走ってもらうんだから!」
 千穂にもびし、と指を向ける。
「千穂の才能を悔しいなんて思わない。だってさ、千穂のはそういうの越えてるんだもん! だからもっともっと、もっとうんと高いところにのぼってよっ、私も負けないからっ」
 帆乃香にも向き直る。
「帆乃――」
 言いかけた昌に、帆乃香が両手を顔の前で慌てて振った。
「私のはいいっ! 昌の気持ちはもう知ってるしっ!」
「……あ。……そっか、」
 昌はふ、と黙った。急に力が抜けた。なんだか恥ずかしいことを口にしたような気がしてきた。

「昌。私もひとことだけ言ってもいい?」
 微笑みを浮かべたまま実紗が言う。昌は顔をあげた。
「昌の視線が私を支えてくれてた、って言ったら信じるかな」
「!」
 他の誰に分からなくとも昌だけは「視線」の意味を知っている。口を開こうとしたとき、千穂がぐっと前に出てきた。
「みさちゃんも昌も親に感謝してよねえ。そんな美人さんに生まれてこれて幸せなんだからね!」
「よく言うわ。美貌なんて千穂の前では無意味になるじゃない」
 おもわず実紗も切り返している。
「それを言うなら帆乃香だよ」
 千穂が帆乃香にくるっと向き直る。
「童顔の巨乳で、しかも歌うとすっごいって、なんか帆乃香の歌聴いた人たちみんな超興奮してるんだけど!」
「な。童顔も胸も私にとってはコンプレックスだったんだからね! 事務所入ってようやく克服したの! 私のことより昌よ」
「え、私?」
「昌はね、存在感自体ずるいのよ。いるだけでみんなが昌の顔色を見る感じとか。そういう迫力って持って生まれたものじゃん」
「だってそれは、私がいつもぶすっとしてるからって、」
「それだけなわけないでしょ」
「そうね、昌は期待の星だもの。社長が昌に特別目を掛けてることは上層部ならみんな知ってるしね」
 実紗も応戦だ。
「えー、いいなあ」
 千穂がじたばたした。昌は慌てて否定する。
「ちょっと千穂、本気にしない! 嘘に決まってるじゃん。私が期待されてたらみんなはどんだけ特別扱いよ!」
 気がつけば、四人は喧嘩腰に互いのことを褒め合っていた。言い出したらそれはどんどん積み重なって、これまでどれだけ相手を意識し、観察していたかを知らしめる結果となった。つまるところ、四人はそれぞれを認め合っていたわけだ。



「――――っていうかあの、みなさん、仲が良いんですね」
 部外者のひとことが昌たちを我に返させた。気づけば、白鳥が笑っている。
「!」
 ひとりは口を開けたまま、ひとりは興奮のためにあがった腕を宙に浮かしたまま、ひとりは赤面し、残るひとりは、(それは昌だが、)照れを誤魔化すためにぷいっと横を向いてぶっきら棒に放った。
「今のぜんぶ、聞かなかったことにして」

 数秒後、その場が笑いの渦に包まれたのは言うまでもなかった。




















お  わ  り  。

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おまけがあります。