アルゼンチンとブラジルの小スケールミニカー

Small scale diecasts from Argentina and Brazil





 集めにくいものが欲しくなるのがコレクター心情


私のコレクションの好みが全体に小スケールの方向に向かっていることは、何となく察していただけているのではないかと、勝手に考えています。

小スケールの利点は何と言ってもカサばらないことで、バリエーション集めを楽しむことができます。
昔は1/43クラスであっても、コンパクトな紙箱に収まっていたものですが、中国製の「精密モデル」が1/43スタンダードになってからは、大きなプラケースに入れられるようになって、全くカサばること、壊れやすいことこの上なく、つい私としては敬遠することになりました。
「精密模型化」の流れは、実は小スケール分野にも押し寄せていて、「トミカ・リミテッド・ヴィンテージ」や1/64〜1/72サイズの緻密なプリントをしたモデルが人気を得ているようです。

しかし小スケール・モデルの面白さというのは、偶然に発生してしまったバリエーションとの遭遇や、いつ・どこで作られたかもわからないような、コピー製品にあったりする、というのが私の持論で、信念なのです。もともとバリエーションというのは、「同じ色でずいぶん生産継続して来たので、たまには色を変えてみた」り、「ホイルが足りなくなってしまったので別のものを付けてみた」り、「違う品番用のシールを流用して貼ってみた」りして偶然に発生したことが多く、それゆえに発見する面白さがあったり、それらがリサーチされ、リスト化されることに感動があったりしたのです。

ところが最近のトミカのように、大量生産があまりにも高度に品質管理されてしまうと、そうしたイレギュラーな要因ではバリエーションが発生することは殆どなくなり、バリエーションと言えば量販店やショップが特注して「意図的」に作られたものになってしまいました。こうしたモデルでは、エラーモデルでもない限り、違うホイルが付けられたり、違う印刷が施されたりする可能性は極めて低く、仮に発生しても品質検査工程で発見され、ハネられて出荷には至らないことでしょう。全ては計画され、管理されていて、試行錯誤や偶然性の要素はほとんど入り込んでこないのです。

ところがかつてミニカーづくりが、もっとずっと「無計画」で、試行錯誤に満ちていた時代がありました。他社製品を模倣したり、複製したり、金型を借りて来たり、色を変えたり、工夫したパーツを付加したりして、この新しい産業のもたらす利益の恩恵に自分たちもあやかろうとした多くの企業家や技術者がいたのです。

これらが「品質が低く」、「怪しげ」なモデルだとは、私は必ずしも思いません。「品質が低い」というのは、現在の市場で多く求められている「プラスチック部品を多様した精密完成品ダイキャスト」をひとつの基準とした見方にすぎないと思いますし、たとえコピーモデルであっても、その時代のその地域の生活文化を表現した貴重な証言者だと思うのです。ディンキー/コーギー/マッチボックス/ソリドなどがダイキャストのメイン・ストリームを形成して来たとすると、それらの製品が必ずしも行き渡らない地域で、子供たちの遊び相手になり、消えて行った、星の数ほどにたくさんのミニカーやブランドがあって、それらは「メインストリーム」と互いに補い合いながら、おもちゃ文化史とでも言うべきものを形成して来たと思うのです。

以前にご紹介した「ブルガリアとハンガリーのマッチボックス」からの流れを汲むこの企画ですが、今回はアルゼンチン/ブラジルに飛んで、いわばミニカーの「サブカルチュア」とでも言えるオモチャたちをご紹介してみたいと思います。内容は、以下の3回に分けての掲載を予定しています。
調べものの量が多い関係で、更新ごとの連続掲載とはいきませんが、しばらくおつきあいいただければ幸いです。 (2009/7/12)

(1) アルゼンチンの「MUKY」
(2) 「MUKY」以外のアルゼンチン製モデル(BUBY/Jet/Aguti/GALGO など)
(3) ブラジル生産〜パッケージングのモデル(マッチボックス/コーギージュニア/マジョレット/
    シュコー など)

※ただしタイトルにも付けたようにテーマは1/64サイズのモデルで、1/43モデルは含みません。


 Small scale diecasts from Argentina and Brazil

Argentina and Brazil are car-production countries so continue to produce diecast cars also.
There are a lot of firms for manufacturing diecasts in these countries. Buby, Muky, Jet, Aguti,Galgo, Loden, Kiko and etc. They had produced very interesting models.

Especially 'Muky' has provided a lot of 'mysteries' to collectors of Hot Wheels and small scale diecasts. Someone says that Muky cars had been casted from 'stolen' dies from Mattel factory.And many collectors looked for early castings with product number 1 to 6 which are not displayed by a list of products on the boxes and cards.

As a part of the project for the Buenos Aires Toy Museum, Bob Frassinetti, a freelance journalist and a dealer of arts succeeded in interviewing with Bruno Dell Arciprete, the son of Dell Arciprete who was the owner of Muky/Induguay company.

Bob Frassinetti clarifies in this interview that the De Conti brothers had PURCHASED Hot Wheels dies from the third party and Bruno Dell Arciprete did not know about the early products with 1-6 numbers. It seems that they were not manufactured from the beginning.

Fastly I have purchased some taxis and police cruisers from Argentina, so I have been charmed by mysterious magic from south America.
I will try to investigate 'mysteries' of small scale diecasts from these countries.


BIBLIOGRAPHY
-Encyclopedia of Small-Scale Diecast Motor Vehicle Manufactures by Kimmo Sahakangas, Dave
 Weber and Mark Foster, Iconografix WI, 2006
-Corgi Juniors & Husky Models, A Complete Identification and Price Guide by Bill Manzke,
 Schiffer Publishing Ltd. PA, 2004

http://www.joesdiecastshack.com/bobfrasmuky.htm
http://muky-argentina.tripod.com/
http://www.breithaupts.com/toycar.html
http://www.breithaupts.com/tcma306.htm
http://www.breithaupts.com/totc415.htm
http://www.breithaupts.com/totc475.htm
http://joesdiecastshack.com/bobfrasbuby.htm
http://www.kbickford.com/AlphaJ.html
http://www.home.railscene.com/garyscars/mb/Brazil/

*I am not approved to make related links to these websites about diecasts from Argentina.
 My special thanks goes to these websites for bringing me a lot of informations.



 まずは「有名」な「MUKY」から


まず最初に取り上げるのは、アルゼンチン製「MUKY」です。この綴りがスペイン語でどう発音されるのかは定かではありませんが、とりあえず素直に「ムーキー」あるいは「ムキー」と読んでおくことにします。また、以下では「Hot Wheels」を「ホットウィール」ではなく、「ホットホィール」と記します。

「MUKY」はマテル製ホットホィールと同じボディを持つモデルを作ったことで知られていて、『モデルカーズ特別編集・ホットウィール・ファンクラブ2004-2007』にも1ページを割いて取り上げられているのですね(p131)。この記事は、「MUKY」がホットホィールの「コピー」である、という前提のもとに書かれていて、『単純なコピー品ではなく、「マテルから流出(盗難?)した金型で作られた」という噂が根強くあり』という、いささか穏便ならざる表現も見られます。「MUKY」が既に現役のブランドではないためにクレームを受けることも、広告主または広告主の取り扱い商品になることもないという安堵感があるためでしょうか。

話の出自・出典を明確にできないというところが「噂」である所以なのでしょうが、私はこの「盗難」説というのは全く支持できません。
マテルは1960年代から世界各地に玩具製品を輸出する国際企業でした。こういう国際企業は、商標権などの自社の権利の保護・保全にはひとかたならぬ努力をするもので、本社には法務部門があり、各国で出願される商標や、無断模造商品、著作権・商標権侵害商品などを日夜チェックしているのです。マテルは、実車関係の商標使用や商品化に対して、大きな金銭を実車メーカーに払っているわけですから、自社の知的財産に対する権利意識も当然高いのです。

「MUKY」は1970年代から生産されましたが、1985年頃に経営者が代わり、さらにその後も生産されました。権利関係にナーバスであろうマテルが、いかに合衆国外のこととは言え、盗難された金型による生産・販売が事業として行われることを約15年ほども指をくわえて見ていることなど、到底考えられないと私は思います。

アメリカなどの本国で生産・償却の終わった金型を使って、アルゼンチンやブラジルで生産を継続することは、玩具に限らず工業的によく行われることだったようで、例えばアメリカの実車メーカーだった「カイザー」は、アルゼンチンでの自動車生産をインダストリアス・カイザー・アージェンティーナ(Industrias Kaiser Argentina (IKA)で、また、ブラジルでの生産をウィリス・ド・ブラジル(Willys do Brasil)で継続させたことがあり、これは1960年代にアメリカで使用した金型などを流用したものだったということです。

私は「MUKY」製品を実際に手にしてみて、これは単なるデッドコピー(正規の手続きをとらずに造られた単純な模倣品・複製品の蔑称)や盗難金型を使ったものではないことを現時点ではほぼ確信しています。パッケージでの苦心や、30点におよぶシリーズ構成、経営者が変わっても生産され続けたことなどを考え合わせると、アルゼンチンの子供たちが遊べるミニカーを供給したいという「善意」や使命感が感じられるからです。

アルゼンチンは自動車生産国であり、上述の「IKAルノー」(70年代以降)をはじめ、フォード/クライスラーなどが工場進出して自動車を生産していました。またトゥリオ・クレスピなどの元レーサーがレーシングカーメーカーを経営して、各メーカーのアルゼンチン生産車をベースにしたコンバージョンやチューンナップカーを作ったりしたようです。現在では、フォード/GM/クライスラー/トヨタ/ルノー/ダイムラーベンツ/VW/フィアット/イベコ/スカニア/セベル(Sevel=Sociedad Europea de Vehiculos Ligeros フィアットとプジョー・ソシエテ・アノニム(Grupo PSA)の共同出資による企業体)の各現地法人が生産・組み立て工場を持っています。自動車生産国でミニカーの重要があるのは「世界共通の摂理」で、ここに「MUKY」をはじめとするアルゼンチン製ミニカーの存在基盤があったと言えるでしょう。

ちょっとした「バチもん」程度に見られがちなアルゼンチンやブラジルのミニカーに、もう少しちゃんとした光を当てること、そして「MUKY」が、マテル社で償却の終わったホットホィールの金型そのものを使って再生産されたものなのか、ホットホィールを模造した別の金型から作られたものなのか、にアプローチすることができればいいと考えています。


 波乱万丈の「MUKY」の歴史──(1) 「ESDECO」期

ボブ・フラシネッティ(Bob Frassinetti)というフリーのジャーナリスト兼美術・骨董品ディーラーが、ブエノス・アイレスおもちゃ博物館のプロジェクトとして、MUKYの「いきさつ」について取材・レポートをしたコンテンツがあります。
http://www.joesdiecastshack.com/bobfrasmuky.htm
http://muky-argentina.tripod.com/

これらのサイト中にある情報をベースに、「MUKY」の経緯を少し整理してみましょう。
実は「MUKY」の歴史もまた、ヨーロッパのダイキャスト・メーカーと同様、あるいはそれ以上に「波乱万丈」なものなのです。

サイトはスペイン語ではなく英語で書かれていますが、スペイン語の知識が無いため、人名や地名をカタカナに写すにあたって間違いがあるかもしれませんが、その点はご容赦ください。なるべくそうしたものは元の綴りを併記するようにしたいと思います。

1970年代、「デ・コンティ」(De Conti)という名の兄弟が、カリフォルニアに住んでいました。兄弟のうちの一人の名前は、リビオ・コンティ(Libio Conti)と言います。言うまでもなく、カリフォルニアというのはマテルのお膝元です。兄弟は、既に絶版になっていたホットホィールのいくつかの金型を「購入」し、それらをアルゼンチンに持って来て、「MUKY」という名のダイキャスト・シリーズの生産を始めました。

上記サイトでは金型の「盗難」説があることにも触れ、かつ明快に否定しています。ただしこの点についての取材・インタビュー先については明記されていません。ホットホィールの生産は全てがマテルで行われたわけではないので、金型は第三者(サード・パーティ)から購入した、とされています。
マテル本体からではなく、協力工場等からの購入を示唆する表現と言えるでしょう。ただし協力工場はマテルとの間で守秘義務契約などを結んでいるはずなので、いかに償却の終わった金型とは言え、マテルに無断で譲渡できるかどうかには疑問も残ります。


「Yahoo!地図」  http://map.yahoo.co.jp/

デ・コンティ兄弟は、生産開始にあたり、首都・ブエノス・アイレスから5時間ほど離れた、北をグアイキラロ川、西をパラナ川、東をウルグアイ川に囲まれたエントレ・リオス州(Provincia de Entre Rios)にあるグアレグアイ市(Gualeguay)に倉庫を借り、会社を設立しました。

ブエノス・アイレスのほぼ真北に「グアレグアイチュ」という街がありますが、ここではなく、西少しに行ったところの「グアレグアイ」です。ウルグアイ川の対岸(上の地図の右側)は国境を越えてウルグアイ東方共和国になります。「rios」は「リオ」(川)の複数形、「entre」は「with」「in」「within」に近い意味の前置詞のようで、「エントレ・リオス」という州名そのものが「川に囲まれた地域」という意味のようです。

この時期の社名は「エスデコ」(ESDECO)と言い、初期MUKYのパッケージや裏板上に見出すことができます。「DECO」は明らかに「デ・コンティ」から名づけられたものでしょう。アルゼンチンでの生産は、1970年代後期まで続けられました。



初期「ESDECO」期のMUKYで、品番「#14」のローラGT。
この時期は黄色の紙箱が特長になります。



パッケージはホットホィールではなく、明らかに同時期のレズニー・マッチボックスを意識しています。
米本国版ホットホィールは紙箱は使っていませんから、こういう現象になったのでしょうか。
右側のマッチボックスの方は、1970年頃に使われた「スーパーファスト・TYPE B」。
スペイン語の「Super veloz」(たぶん発音はスペル・ベロス)は文字通り「Super Fast」の意味です。




同じく「ESDECO」期、品番「#12」のリンカーン・コンチネンタル。
屋根上に、意味不明の大きなデカールが貼られていて、
文字は「PERFECT CIRCLE」ですが、特注品ということでもないだろうと考えています。

裏板には、菱形の中に「ESDECO」の文字をはっきり読み取っていただけるでしょう。
「アルゼンチン製」の刻印は少々わかりづらく、「ESDECO」ロゴの下にある
「IND ARG」の小さな文字がそれにあたります。
「INDUSTRIA ARGENTINA 」の略で、「インドゥストゥリア・アルヘンティーナ」と読みます。

「インドゥストゥリア」は、「産業・工業」の他に、「工場・製造所」の意味があります。
サッカーが好きな方は応援コールでご存知と思いますが、
「ARGENTINA」は「アルヘンティーナ」と発音されます。


その後、アルゼンチンの経済環境が非常に複雑な状況に直面したために、兄弟は生産拠点をブラジルに移しました。ブラジル生産版では、「ESDECO」のモールドのままで、「Made in Brazil」が表記されるようになります。

1970年代のアルゼンチンは政治・経済的に激動の時にあり、1966年のクーデターによって成立していた軍政が1973年には民政に移管することを約束。亡命先から帰国したペロンとその夫人(通称イサベル)を正副大統領とする第二次ペロン政権が1973年10月に発足して穏健な社会主義的、民族主義的政策を実施しました。しかしほどなく74年7月にペロン大統領が死去。ペロン夫人が大統領に就任したものの、経済情勢の著しい悪化も加わって失脚し、76年3月のクーデターで再び軍政に戻りました。
1982年のマルビーナス戦争(英国での名称はフォークランド紛争)とその敗北、民政移管後も混迷する経済状況への対処に失敗したために1988年にハイパーインフレーションを招き、富裕層の没落、中産階級の海外脱出などの事態を招きました。

したがって「ESDECO」のブラジル移転は単に「ミニカー生産・販売」としての事情によるものではなく、アルゼンチンの経済・社会事情そのものが原因と言えるでしょう。

この、デ・コンティ兄弟時代の「MUKY」についての情報は極めて乏しく、ボブ・フラシネッティもデ・コンティ兄弟自身とコンタクトをとることはできなかったと書いています。記録や情報に乏しいこと、本人たちと既にコンタクトがとれないことが、「金型盗難説」などが発生するひとつの原因になっているのでしょう。




「ESDECO」期のブラジル生産分。品番「#26」スーパーターボ。
裏板に「ESDECO」ロゴと「MADE IN BRAZIL」の刻印があります。
「#26」が全てブラジル生産ということではなく、もちろんアルゼンチン生産分もあります。



下がアルゼンチン生産分で、「INDUSTRIA ARGENTINA」、
上がブラジル生産分で「Industria Brasileira」。
アルゼンチンはスペイン語、ブラジルはポルトガル語を使いますが、
両言語は似ているところが多く、相互意志疎通が可能なんだそうです。



「MUKY」はパッケージが色々あることでも有名です。
プラケース入りですが、これも初期「ESDECO」のもので、
アルゼンチン生産分であることも読み取れます。
時期的に紙箱よりも後だという証拠はありません。
小売店頭でのディスプレイ効果を意識したものでしょう。



ふつう、プラケースには同じプラ材で作られた「底」があるものですが、
このケースには「底」がなく、紙のベースを下からかぶせただけです。
ミニカーの固定ピンなども何もなく、車軸に輪ゴムを通し、紙底の穴を通して引っ掛けてあります。
赤/白チェッカーのデザインは、紙箱と共通です。



先ほどと同じ黄色のリンカーンを入れましたが、このリンカーンは箱なしで入手し、
リンカーン用の紙箱とプラケースは別途空箱として入手したものです。
なので、この黄色のバリエーションがプラケース入りだったかどうかはわかりません…。



左の「スーパーターボ」についてはプラケース付きで入手したもの。
品番・車名のゴム印が押されています。



「ESDECO」期のモデルが入った状態で入手しましたが、
このパッケージが実際に初期「ESDECO」期のものかどうかには、一抹の不安も残しています。
モデルは「#22」のランボールギーニ・スペシャル。



こちらは「#13」のスーパーターボ。
信頼しきれない理由は、「ESDECO」などの社名の印刷がどこにもないからです。



「$28.30」はUSドルではなく、アルゼンチン・ペソ(ペソ・レイまたはペソ・アルヘンティーノ)でしょう。
アルゼンチンの通貨は、インフレ対策で1970〜80年代に何度もデノミや変更を経験しているので、
日本円換算が簡単にはできません…。

後年になって、在庫品のために作り直された箱ではないか、という疑惑も持つのですが、
車名が白ヌキ文字で印刷され、品番も赤で入れられてしまっているところから、
やはり「ESDEKO」期のパッケージとも思えます。
プラケースと似たデザイン感覚ではあります。

「El mas veloz en sus propias pistas」は、「The fastest one in its own trails」の意味で、
「モーターライズでないミニカーの中では一番速いよ!」と言っているのでしょう。
コレクション性やデザイン性などより、スピードホイルの走行性を重視していることがわかります。


 波乱万丈の「MUKY」の歴史──(2) 「INDUGUAY」期

結局、生産拠点をブラジルに移したものの、経営は行き詰ってしまったようで、その後「MUKY」はデル・アルシプレーテ(Dell Arciprete)という人物に売却されました。

ブエノス・アイレスおもちゃ博物館の仕事で「MUKY」についての調査取材をしていたボブ・フラシネッティは、デル・アルシプレーテの息子であるブルーノ・デル・アルシプレーテ(Bruno Dell Arciprete)にコンタクトし、インタビューをすることに成功しました。

それによると、彼の父親は、燻蒸会社(fumigation company/蒸気を当てて、部屋や物品などを消毒する仕事)を所有して事業を営んでいましたが、「MUKY」の工場があったのと同じ「グアレグアイ」にデル・アルシプレーテ自身の新しい燻蒸工場をオープン。苦労しながら長年事業を続けた結果として、ダイキャスト工場を買収するだけの資金を貯めることに成功し、1984年か1985年頃、「MUKY」を買収したのでした。ブルーノは明確な買収年次を記憶していないと語っています。

デル・アルシプレーテが取得して以降の「MUKY」モデルのパッケージと裏板には「INDUGUAY」の社名が表示されるようになりますが、これはおそらく工場のあった地名の「Gualeguay」に由来していて、「グアレグアイ工場製」(Industria Gualeguay)を略したものではないかと考えられます。
とりあえず「インドゥグアイ」と読んでおきたいと思います。

買収した時点で、デル・アルシプレーテは「MUKY」のブランド(登録商標)をそのまま取得し、継続使用したわけですが、デ・コンティ兄弟が考案したこのブランドの由来については聞かされていない、ただブラジルに「MUKY」という同名のココアのブランドがあったことだけ記憶している、と語っています。



「INDUGUAY」期になってからのミニカーとパッケージ。
マテル・ホットホィールでもポリスカー仕様だった「Cruiser」の金型ですが、
マテルの作っていないブルー1色のカラーでスペイン語「POLICIA」のデカールを付けます。



アルゼンチン製ミニカーを探すきっかけになった、魅力的なタクシー。
マテル・ホットホィールも、この金型でのタクシーは作っていません。
黒ボディに黄色ルーフは、ブエノス・アイレスやサン・チアゴなどのタクシーの定番カラーのようです。




「INDUGAY」期のパッケージ(下の2つ)。
初期「ESDECO」期(一番上)に比べると、マッチボックスふうの黄色のカラーが消滅し、
「Super Veroz」(Super fast)の表現もなくなりました。
かわりに「MUKY」のブランド表示が大きくなり、
社名と「エントレ・リオス州・グァレグアイ」が明記されるようになります。
デル・アルシプレーテ家は、グアレグアイという土地に大変に誇りを持っていたのでしょう。
「ESDECO」期から継続する菱形パターンの残っているものと、ないものがあります。

「Super Veroz」表記がありながら、黄色の基調色を廃して「青/白」トーンになったものも
確認できますが、「ESDECO」末期か、「INDUGUAY」期のものか、未確認です。



「ESDECO」期(下の3つ)、「INDUGUAY」期(上の2つ)を通じて、
紙箱は共通ジェネリック箱ではなく、ひとつひとつに固有のイラストレーションと
品番/社名表示が与えられていました。


生産を始めてまもなく、「MUKY」のミニカーはアルゼンチンでの全国的なブームを巻き起こしました。デル・アルシプレーテは、商品をアルゼンチン国内の地方にまで供給できる流通ネットワークを持っていたので、ビジネスは拡大していきました。おそらくは、既存事業だった燻蒸事業の営業・販路を利用したということなのでしょう。マーケットの要望も取り入れ、ビジネスを改善・拡大させていきました。ダイキャスト・ミニカーを生産している間、本業である燻蒸事業も並行して営まれていました。

全く同じ金型と生産設備を使いながら、デ・コンティの「ESDECO」社の経営は行き詰って事業の売却に至り、それを取得したデル・アルシプレーテによる経営が発展したということは、「ESDECO」社が商品の販路を十分に持っていなかったか、市場の要求を感知して商品に反映させていくマーケティング的な素養が不十分だった、ということになるでしょうか。

デル・アルシプレーテ家は、ダイキャスト・ミニカーの事業からは既に撤退してしまいましたが、燻蒸事業の方は順調に発展し、現在も継続しているということです。ダイキャスト・ミニカー生産を志した時、ブルーノの父親の心に去来したものが何であったのかは、息子であるブルーノにとっても、もはや知る由もない、ということです。


 さて、ここでいよいよ金型のチェック


さて、ここでキャスティング状態の比較を試みることにしましょう。まずは「#12」のリンカーンです。左がマテル・ホットホィールの「カスタム・コンチネンタルMk.V」、中央が「ESDECO」期」、右が「INDUGUAY」期の「リンカーン・コンチネンタル」です。

リンカーンの屋根に堂々と張られた「フェラーリ」エンブレムなど、妙なものには目を奪われないで、ボディの成型状態を目を凝らしてご覧になってみてください。

全長・全幅で誤差は無いと言って良く、ボンネットの開閉アクションも継承されています。もちろんボンネットを開ければ、「MUKY」にもエンジンルームがあります。エアインテークのルーバーのモールドなどもシャープで、やはり無断複製ではなく、ホットホィール金型によるキャスティング品と考えて良いのではないでしょうか。

ただし「MUKY」にはシートは無く、ホットホィールのウインドはサイドが開いているのに対して、「MUKY」はインテリアが無いことを隠すため、サイドの閉じた別製のウインドを付けています。当然マテルが付けているレッドラインともホイル形状は異なります。

つまりデ・コンティ兄弟が入手したのは、ボディおよび裏板のダイキャスト成型関係だけで、ウインド/インテリア(シート)/ホイルなどの、プラスチック成型関係は含まれなかったのではないでしょうか。





同じくリンカーンの裏板で、上からマテル/ESDECO/INDUGUAIYです。マテルだけは左がフロント側、「MUKY」の2台は右がフロント側です。
マテル・オリジナルのサスペンションやドライブシャフトなどのモールドはほぼそのまま残っており、車名/ブランド名/生産地表示などを刻印し直しています。

考えてみれば、ダイキャスト鋳造に全く知識の無い人が金型だけを手に入れて来ても生産はできないわけで、デ・コンティ兄弟という人たちは、金型のブランド表示を入れ直したり、ダイキャストを生産したりする技術のネットワークを持っていたことになります。あるいは、譲渡を受けたのは単に金型だけでなく、ダイキャスト成型のための機械設備をも含んでいたのかもしれません。



「#21」のキャデラック・エルドラード。
左がマテル・ホットホィール(カスタム・エルドラード)、中央が「ESDECO」期」、右が「INDUGUAY」期の「MUKY」です。コンチネンタル同様に、マテルで付けられている「カスタム」というネーミングとコンセプトは「MUKY」では失われます。

これも成型状態はなかなかシャープで、複製とは思えません。複製をすると、ウインド形状のニュアンスなどが微妙に崩れてくるのです。

中央の「ESDECO」版はブラジル生産分ですが、ホットホィールのメタリックな透明感のある塗装を、ある程度継承・再現しているように思えます。レッドライン期のホットホィールのメタリック塗装に見られる透明感は何げなく見ていますが、実は独特な技術で、なかなか再現がむずかしかったことがうかがえます。金属光沢の上にトランスペアレント(透明)な塗料を乗せなければならず、うかつにガン吹きしてもすぐに剥げてしまうと考えられるからです。





上からマテル/ESDECO/INDUGUAIYです。マテルだけは左がフロント側、「MUKY」の2台は右がフロント側です。
マテルでは、プラケースなどにホールドするためのピン穴が2か所開いていますが、「MUKY」ではこれをオミット。マテルにない、サスペンション/アクスル/ガソリンタンク/エンジン/エクゾーストパイプなどを克明に彫刻しています。



「ESDECO」はブラジル生産分なので、「MADE IN BRAZIL」の表示に変えられています。
「Super Veroz」(Super Fast)の表示もあります。



「#26」スーパー・ターボ。マテル名は「ターボファイア」。
一番左がマテル版で、あとは全て「ESDECO」期の「MUKY」。中央2台はアルゼンチン生産、右端の黒ボディがブラジル生産版です。



この金型も、全長などでの誤差は見られないようです。
どうやらブラジル生産分になって、「Super Veroz」の表示を加えたようです。


 やはり「MUKY」はホットホィール金型そのものによる成型品か

ということで、どうやら「ESDECO」期からの生産分は、マテル・ホットホィールから入手した金型そのものを使って生産されていることは間違いないようで、デッドコピー説は退けても良いように思います。
一般に無断複製品は、もっと稚拙で、成型も曖昧なものが多いからです。抜け勾配(金型を抜く方向に勾配角度がすぼまっていないと、型が抜けなくなってしまう)などを付けているうちにツジツマが合わなくなり、形が崩れて来たりします。

ブルーノのインタビューでも、デル・アルシプレーテが買収した後も、基本的なデザイン変更やディテールの付加・省略は行っていないということが語られていて、ミニカー・コレクター的言語に翻訳すれば、「ESDECO」・「INDUGUAY」期を通じて、ボディの既存金型に対して大幅な変更は加えていない、ということでしょう。

ただし「INDUGUAY」の後期には裏板とホイルの取り付け部には改良を加えたそうで、「ESDECO」時代にダイキャストで作られていた裏板をプラスチックに置き換え、より良い走行性能を実現したということです。

「INDUGUAY」の工場内ではダイキャストとプラスチックの2つの成型ラインを置き、裏板のプラスチック化は結果として増産・拡販にもつながった、ということです。ブルーノは、プラスチック裏板への置き換えを「走行性能」の向上のためのように語っていますが、コスト政策上のことでもあったように思えます。

ウインドについては、アンバーのものと透明ブルーのものの両方が使われた、とブルーノは言っていますが、現物を見ていくと、かなり強い赤も多用されています。シートが入っていないことを隠したり、緊急車の赤色灯と一体成型にしたりする意味があったのでしょう。



「Cruiser」(1968・プリマス・フューリー)の金型で、左がホットホィール、中央が「#24 Policia」(ポリス)、右が「#36 Servico Medico」(メディカル・サービス)です。安易に「アンビュランス」とせず、「メディカル・サービス」としているところに感心します。この金型は、前述のタクシーと、さらにファィアチーフにも活用されました。
(ファイアチーフはマテルも作っています。)





上がマテル、中央は「INDUGUAY」ダイキャスト裏板(ポリス)、下が「INDUGUAY」プラスチック裏板(赤十字車)。プラスチック裏板化されたものが、一応「MUKY」の最後期生産分ということになります。
プラスチック裏板のモールドはダイキャストのものをほぼ踏襲しているようです。



マテル名「TRERO」、「MUKY」名「ランボルギーニ・スペシャル」。
左がホットホィール、中央の赤が「ESDECO」期、右のグリーンが「INDUGUAY」プラスチック裏板です。
このモデルも、ボンネット開閉アクションが生き続けました。



インタビューを受けている息子のブルーノ自身もいくつかの設計に関与したようで、『カーゴトラック/YPFペトロールタンカー/ウォータータンカー/パイプ運搬車/トレーラーハウスなどが含まれる、彼らが製造したどのモデルも、周囲の日常生活からインスピレーションを受けていた』、と語っています。

初期ホットホィール時代にサーフボードを背負ったレッドライン・モデルとしてデビューした「デオラ」が、「MUKY」では「はたらくクルマ」に化けてしまったのは有名ですが、どうやらこれを作った張本人がブルーノ・デル・アルシプレーテであるようです。ブルーノの「日常生活からのインスピレーション」にとっては、カリフォルニアでサーフボードを背負った「デオラ」のフォルムは、「はたらくクルマ」のベースに、つまり「トラック」にしか見えなかったということなのでしょう。いきさつを聞いてみると、なかなか納得できる話で、これもデ・コンティ兄弟がもたらした金型の種類に限りがあったことに起因しているのではないでしょうか。「デオラ」以外にもっといいトラックのキャブとシャシがあれば、当然そちらが利用されたに違いありません。




つまり「ESDECO」「INDUGUAY」の両社ともに、デ・コンティ兄弟が入手したホットホィール金型をあくまで基本とし、プラスチック・インジェンクションで対応できる裏板の改修/アクセサリーパーツの付加などによるバリエーション商品開発を中心としたようです。

(ただし「ESDECO」期にはプラスチック製ボディの金型を、また「INDUGUAY」期にはダイキャスト製ボディを独自開発したと考えられるモデルがあり、これについては後述します。)

「INDUGUAY」社では、ダイキャスト・ミニカーの生産にあたって自動化された生産ラインを持つことはなく、約45人ほどの従業員がいた他に、100家族前後の人たちが、彼らの自宅でペインティングや最終的な組み立て工程に従事した、ということです。工場内ではダイキャストやプラスチック部品の成型作業を行い、一部の工程は手作業に外注されていたのでしょう。


 欠番のある製品リストの怪

「ESDECO」「INDUGUAY」の両期間を通じて、「MUKY」の製品リストは「No.8」から始まっており、しかしながら収集をしていくとフォード1941セダンに「No.7」の品番が与えられていることが発見されます。
ところが、どこをどう探しても、No.1〜No.6は見つけることができないのですね。
この点が、マテルから金型がもたらされた経緯とともに「MUKY」のもうひとつの大きな「謎」とされているのです。

ボブ・フラシネッティは、ブルーノ・デル・アルシプレーテに、この点についても食い下がって質問をしています。「No.1〜No.6」はどうしたのか、と。しかしブルーノは、「私は本当に知らない」と答えています。しかし一方で重要な証言もしていて、『我々は7点のニューモデルを加えた』と言っており、その中には「フォードGT 40」「フォード1930年代クーペ」「ビートル」「フェラーリ」が含まれているようです。

したがって、デ・コンティによるシリーズのスタート期から、品番は「No.8」から始められていて、特に大きな「謎」はない、幻の「No.1〜No.6」のモデルをコレクターは探す必要はない、ように私には思えます。シリーズがNo.8から始まった理由としては、


-No.1〜Np.6の金型は、何らかの理由で、再生産ができないほどに破損していた。

-または、アルゼンチンでの市場特性を考えると、販売が伸びないと思われるようなモデルだった。

-あるいはNo.1〜Np.6の金型は、もともと存在しない。シリーズが以前から継続しているように見せた
 り、顧客が自分の持っていないモデルがまだ他にもあるように感じさせるトリックだった。
 (戦前・戦中の日本政府の対外宣伝雑誌には、以前から刊行されているように見せるために、
  創刊号からスタートしない手法がとられたりした例があります。)




「INDUGUAY」期のブリスター/パッケージに印刷された製品リスト。
ご覧のように、リストは終始「#8」から始まっており、「#37」で終わっています。
「#38」にVW、「#39」にフェラーリが発売されましたが、
これらがパッケージ上のリストに加えられることは結局なかったようです。
「#39」のフェラーリの箱に印刷されたリストも、「#37」で終わっています。


 「GRAND PRIX REGAL」の怪

とは言え「謎多きMUKY」のこととて、依然としてわからないことが次々に起きるのですね。

新しくアルゼンチンから入手したポリスカーについて、重大な事柄が判明しました。
既に「INDUGUAY」期のモデルとしてご紹介したものと同じ「Cruiser」(1968・プリマス・フューリー)の金型ですが、裏板には「ESDECO」「INDUGUAY」のいずれの刻印もなく、「GRAND PRIX REGAL」の刻印があります。



アルゼンチン在住のネットオークション出品者は「MUKY」との説明を明記しており、「MUKY」が「SFPD」(サンフランシスコ市警)マーキングのバリエーションを作っているのかと色めきたって入手したものです。

ところが「SFPD」や「POLICE」の文字は、どうやらインスタントレタリングで、ドアサイドの星型エンブレムや屋根上スピーカーの銀ペイントは、手で入れられたもののようなのですね。カスタムされていることは良いとして、わからないのは「GRAND PRIX REGAL」のモールドです。これは本当に「MUKY」なんでしょうか。



「Tales of Toy cars」(http://www.breithaupts.com/toycar.html)という、ブログっぽいサイトがあり、そこの掲示板(Found in the Letterbox/http://www.breithaupts.com/tcma306.htm)に、ロドリゴ・パラシオ(Rodrigo Palacio)という投稿者と、編集者ダウ・ブレイソープト(Doug Breithaupt)とのやりとりが掲載されているのですが、この中に非常に重要な記述があります。

デ・コンティ兄弟が、「MUKY」のブランド名を使用する以前に使っていたのが、「GRAND PRIXREGAL」だと言うのですね。これは投稿者と編集者の双方が認める形になっています。

そういう目で裏板を見てみると、「GRAND PRIX REGAL」の裏板は、「MUKY」のものよりもいっそうホットホィール金型に近い状態であることがわかります。ホットホィール(下の比較画像のうちの下段)にある、前後2か所の固定用ホールがそのまま開口しており、シャシの前部・後部は非常にシャープな状態です。




ただ裏板中央部だけが、「HOT WHEELS」のモールドを隠すようにプレートでツブされ、代わりに「GRAND PRIX REGAL」を刻印されています。後の「MUKY」と同じく、シートは入っておらず、ホイルもレッドラインではありません。コピー品にしてはあまりにもキャスティングがシャープであるため、「MUKYのブランド名を使用する以前の製品」という指摘は、信頼して良さそうに思えます。

入手したモデルについては、おそらくホットホィール製「Cruiser」と同じ白/黒のカラーで売られたものに、誰かがマーキングを施したものでしょうか。時期は確認していませんが、この「Cruiser」には白1色のものもあったようです。カラーリングといい、「GRAND PRIX REGAL」のブランド名といい、あまりにもアメリカ的だったために、後に「MUKY」「ESDECO」「ブルーのPOLOCIA」という、アルゼンチンの購買者に受け入れやすいものにローカライズされたのではないでしょうか。



これは、マテル・ホットホィール純正。余談になってしまいますが、ワシントン州・モーゼス・レイクというところの女性の出品者から買ったもので、夫の子供の頃のコレクションだということでした。父親の農場で手伝いをするたびに50セントをもらい、そのお小遣いで1週間に1台ホットホィールを買ったのだそうです。
子供の頃からのコレクションというにはあまりにも状態が良いので、彼にとっては自分の働いたお金で買ったミニカーはよぼと大切だったのでしょう。このパトカーを見るたびに、私はいつもこの話を思い出しています。



デ・コンティ最初期との情報のある、「GRAND PRIX REGAL」。マテルのレッドラインよりわずかに大径のホイルを付けます。スポークのパターンも当然違っています。なので、デ・コンティの入手した金型の中には、ホイル/シート/ウインド/屋根上灯などの。プラスチック成型関係は含まれていなかった、と推測しているわけです。

窓回りの「抜き」がマテルよりもわずかに甘く、塗料も厚塗りされているようです。ただしこのモデルはカスタマイズされていて、明らかに白塗料部分にもリタッチがあるので、どこまでがオリジナルの塗装かはよくわかりません。ボンネット/トランクの黒塗装はかなり平滑ですが、エッジがマスキングをカッターで切ったようにカクカクしており、後から加えられている疑いもあります。
しかし70〜80年代から、アルゼンチンにこういうカスタムをする人たちがいた、考えるだけで楽しくなるではありませんか!



ご参考までにもう一度「INDUGUAY」期の「MUKY」版のサイド・ビュー。
ホイルは小径になり、スポークのパターンも「トミカ」っぽくなっています。ギザギザのトレッドパターンも入っています。屋根上灯とウインドを一体にしたため、窓全体が赤くなってしまいました。



左が「GRAND PRIX REGAL」、右がマテル。屋根上のスピーカーに銀が塗られているのもカスタムで、オリジナルではないと考えられます。


 ブラジル期の別パッケージとプラスチック製「MUKY」の怪

 ブラジル時代、つまり「ESDECO」の末期ですが、コンパクトなプラスチックケースに入った製品を確認
 ・入手しました。スチロール樹脂系の透明プラに、黒の底部が付きます。アルミホイルの不思議な内張りがありますが、ミニカーを引き立たせるための演出だったのでしょう。なんとか安いコストで、店頭でミニカーをアピールできるパッケージを工夫しようという熱意が感じられます。

 側面は「MUKY」ロゴのある紙シールで封じられていますが、何とこれには「ESCALA 1:43」の印刷があります。「MUKY」は1/43サイズのミニカーの生産を準備していたのでしょうか。それとも単なる「罪のない」間違いなのでしょうか。




 「LANCIA」のデカールを貼られたモデルは、ホットホィールの「フォード・Jカー」で、裏板も、車体
 後部もダイキャスト。エンジンフードの開閉アクションも健在で、エンジンもあります。
 裏板には明確に「Made in Brazil」のモールドがあり、車名は「Ford GT 40」になっています。





 さて、問題はこちら。裏板の車名は「Ford 36 Coupe」ですが、ボディ/裏板ともに全てがプラスチッ
 クなのです。




 裏板には「アルゼンチン」「ブラジル」のどちらの表示もなく、その部分の刻印をツブしたような跡がありますが、はっきりと「ESDECO」のモールドがあります。
 側面のシールは開封されていますから、もとからこのプラケースに入っていたという保証は無いのですが、一応は「ESDECO」末期のブラジル製と考えられます。

 そうすると、ひとつ問題が発生します。先にご紹介したように、ブルーノ・デル・アルシプレーテは、「INDUGUAY期の後期に7点のモデルを加えた、と言っており、その中に「フォード1930年代クーペ」が含まれているのです。
 「Ford 36 Coupe」にはダイキャスト・ボディのものもあり、これも「ESDECO」期の黄色基調の箱に入ったものが確認できます。(製品リスト上に記載されない「#7」の「Ford sedan 41」とは別のモデルです。)

 「Ford 36 Coupe」が既に「ESDECO」末期にブラジルで生産されていたとすると、ブルーノの「我々が新たに加えた」という発言と矛盾します。また私は、プラスチックの裏板やボディが導入されたのは「INDUGUAY」期以降だと想像していたので、この点も意外でした。今後の要確認事項と言えそうです。



私は金型の知識はありませんが、ダイキャストは鋳造型、プラスチックは射出成形型で、マテルから譲渡されたダイキャスト金型そのままで、プラスチックの成型は出来ないはずです。
したがって、「MUKY」は、デ・コンティ兄弟の「ESDECO」期から既に、マテルからもたらされた以外のプラスチック成型による新製品を企画・製造する努力を始めていたということになるのではないでしょうか。

アルゼンチンのネットオークションでは、裏板だけでなく明らかにボディもプラスチック製の「ターボファイア」や「コルベット」などを見出すことができますが、「MUKY」によるプラスチック・ボディ製品なのか、「MUKY」をさらに他社がプラスチックでデッドコピーしたものなのか、いまひとつ判然としません。


 「INDUGUAI」後期のパッケージ形式



「INDUGUAY」期には、ブリスターパック版も作られています。マテル・ホットホィールがブリスターだったことから考えれば、これは自然なことでしょう。(「ESDECO」期にブリスターがあるかどうかは未確認です。)

リスト中の品番は#37までありますが、#1〜#7が無いため、「30台集めよう!」というセールストークになっています。



同じ「#24」のポリスカーですが、未開封のはずのミニカーの屋根に「POLICIA」のデカールがありません。たまたま貼りそこなったものか、後期版はデカールをひとつ節約しているかのどちらかなのでしょう。



「MUKY」の最末期と考えられる、ウインドウ・ボックス。モデルは「#22」のランボールギーニ・スペシャル。
「ESDECO」(アルゼンチン/ブラジル)、「INDUGUAY」を通じて生産され続けていて、「MUKY」には「絶版」ということがなく、同じモデルが作られ続けたことがわかります。
ただしこのモデルは最後期に裏板がプラスチックに変えられた分です。



マッチボックス同様に、この時期になると品番・車名はスタンプ押しされているだけのジェネリック箱になりました。


 ホットホィール以外の金型による追加モデルの怪




「#39」のフェラーリ308。「MUKY」の最後の品番をもらったモデルです。
「#35」はホットホィールの「CRUISER(ポリスカー)」金型のファイアチーフ、「#36」が同金型の「メディカルサービス」、「#37」がメトロポリタン・タクシーと、明らかに品番を40番に到達させるための「品番稼ぎ」の色替えモデルが続き、その後唐突に「#38」にVWビートル、「#39」番にフェラーリが追加されました。ただし前述したようにパッケージの製品リストには載っていません。

VWとフェラーリはデ・コンティのもたらした金型には含まれていず、デル・アルシプレーテが最後にシリーズに付加したモデルのようです。



ホットホィールのフェラーリ308(上)は、明らかにピラーの再現形状が違い、ボディも上下分割にはなっていず、通常の「裏板」方式です。したがって「MUKY」の「#39」はホットホィール金型によるものではなく、かつホットホィールを「参考にした」ものでもありません。



マッチボックスは、ボディが上下分割になっており、ピラー処理も似ているのですが、いかにも全長が大きく、これも同じ金型ではありません。



「MUKY」は、「裏板」というよりも、ボディが上下に分割されていて、シャシを含む下半分が黒プラスチックになっています。上半分はダイキャストです。赤/黒のツートーンを再現するための工夫です



先にご紹介した、「Tales of Toy cars」(http://www.breithaupts.com/toycar.html)の掲示板(Foundin the Letterbox/http://www.breithaupts.com/tcma306.htm)中の、ロドリゴ・パラシオ(RodrigoPalacio)と、編集者ダウ・ブライソープト(Doug Breithaupt)とのやりとりにはもうひとつ重要な指摘があり、「MUKY」のこのフェラリーは香港の「Zylmex」を「参考にしたもの」だと言っています。
彼らは、「MUKY」「#38」のVWも基本は「Zylmex」金型だと言っています。

上のグリーンのモデルは、中国製「Dynawheels」で、オランダ人出品者の説明によれば、「Zylmex」と同一金型とのこと。確かにボディ下半分を「シャシ」としている点や、各部の処理などは「MUKY」と大変に似ています。

ところが、下の比較のように全長では「MUKY」よりはかなり小さいのです。「MUKY」は、「Zylmex」を「参考」にしつつも、単なるコピー(オリジナルの原型を作らず、他社製品を原型として金型を起こすこと)ではない独自の金型を起こした、という結論になるでしょう。
「MUKY」がその最末期には、マテルからもたらされた金型だけに頼らず、オリジナル金型の開発に取り組んでいた、ということになるかと思います。



左から、マッチボックス、ホットホィール、MUKY、Zylmex(Dynawheels)。



「#18」のフォード・Mk.W。これも後期のプラスチック裏板を付けます。



左がマテル・ホットホィールで、同じモデルだと思うのですが、どうもこのフォードに関しても、「MUKY」の方がわずかに大きいような気がするのです。



どうでしょう。やはり、わずかに大きく、ボディも肉厚になっているように感じます。
ということは、このフォードMk.Wに関しても、デ・コンテイ兄弟が入手した金型ではない可能性もあります。

「ESDECO」「INDUGUAY」期を通じて同じモデルが生産され続けているため、各品番の初出年次が特定できず、したがってどれがマテルからもたらされた金型で、どれが後から加えられたものかが明確に判別できない、という状況になっています。各年次のカタログでも確認できれば良いのですが、特に「ESDECO」期のカタログの入手はなかなかむずかしそうです。ネット上で見ることのできるものもありますが、年次別になっていない全製品リストなので、この点ではあまり参考になりません。



ブルーノの談によると、「INDUGUAY」社の「MUKY」は、スペインと、隣国のウルグアイにも輸出されたようですが、生産の99%はアルゼンチン国内で販売されたとのことです。これらの輸出は「Camara Argentina del Juguete」という代理店(商社)を通じて行われたようです。アルゼンチン/ウルグアイ/パラグアイ/ブラジルの4か国は、現在では「メルコスール」(南米南部共同市場)という関税同盟を結成しているように、経済的な結び付きが強いのです。

またブルーノは、世界中のコレクターの注文に対して、直接製品を、個々に発送したと語っているのが興味深いところです。インターネットの普及がまだなかった時代に、コレクターは直接「INDUGUAY」社に手紙を出し、会社は快く品物を発送して、少しばかりの増産にも貢献したようです。ホットホィールのコレクターが、「話しのタネ」にMUKYを入手したがったことは容易に想像できます。

デル・アルシプレーテ・ファミリーは、前述したように現在でも燻蒸事業を継続しており、ダイキャスト事業は中断していますが、ダイキャスト関連の機械の保守は続けているとのことです。ブルーノはダイキャスト事業の継続に意欲を見せており、現代にふさわしい商品を送り出すことのできる人材や技術の確保さえできれば、「MUKY」ブランドが復活する可能性もあると語っています。ただブルーノも、手持ちのホットホィール金型が「時代遅れになってしまった」ことは自覚しているようで、ダイキャスト事業の再スタートがあったとしてもそれは、ホットホィール金型の再生産という形ではないと考えられます。


 MUKY・品番/製品リスト

「MUKY」はホットホィールのコレクターが興味を持つことも多いために、若干ながら日本にも入って来ているようです。シリーズをコンプリートしよう、という方もいらっしゃらないでしょうが、一応シリーズ全リストをあらためて掲載しておくことにします。

あくまで「MUKY」のパッケージ上にある製品リストを対訳したもので、「そのモデルが本当にランボルギーニか?」といった点については責任を持ちかねます。またスペイン語の辞書に載っていない単語を使ったものがあることも手伝っているのですが、そもそも意味不明の商品名のものもあって、ホットホィール的なネーミングをスペイン語でマネた形跡があります。
例えば「デオラ」系の「#13」はフツーのトラック荷台ですが、「Arenero」は辞書によると「闘牛場整備員」だということです。「闘牛場整備車」というのは、彼の地には本当にあるのでしょうか。「#29」のパイプ・トラックの名前の「Skoda Baby」も意味不明です。

以下のリストでは「Ford Sedan 1941」を「#7」に加えていますが、「#41(?)」としている資料もあります。(この場合「#38」を未確認、「#40」をVWビートルとしています。)

また「フォードGT40」は「#10」でターボ、「#20」でターボなし、「マクラーレン MGA」は「#19」でターボ、「#34」でターボなし、になっていますが、これはスポイラー部品の有無によるバリエーションのようです。そう考えていくと、意外に金型の種類は少ないことがわかって来ます。
デオラ系やスポイラーの有無などについては、サイトによって同じ品番で違うモデルの画像を掲載していることもあります。箱が失われてしまったり、違う箱に入れられて売られたりすると、たぶんに混乱してくるのでしょう。

パッケージ上のリスト印刷の時点での誤植と思われるものもあります。#9の「Ford MKN」は、明らかに「Ford Mk.W」の誤植でしょう。一度輪転機が回ってしまった、というだけならともなく、間違ったリストが何度も繰り返し原稿に使われたようです。以降世界中のコレクターがミス・プリントのリストを片手に謎のモデルを探しているのですから、何ともミステリアスな話ではあります。


# 7 Ford Sedan 1941 フォード・セダン1941
# 8 Lola GT Spoiler ローラ GT スポイラー(スポイラー付き)
# 9 Ford MKN Turbo フォード MKN ターボ(#18と同一でスポイラー付き)
# 10 Ford G.T 40 Turbo フォード GT 40 ターボ(#20と同一でスポイラー付き)
# 11 Chevelle SS シェベル SS(HW カスタムAMX)
# 12 Licoln Continental リンカーン・コンチネンタル(HW カスタム・コンチネンタル)
# 13 Arenero Muky 「闘牛場整備用無蓋トラック」(HW デオラ)
# 14 Lola GT 40 ローラ GT 40(スポイラーなし)
# 15 Dodge Charger ダッジ・チャージャー
# 16 Corvette Especial コルベット・スペシャル
# 17 Casa Rodante Muky Muky モービル・ホーム/キャンパー(HW デオラ)
# 18 Ford MK IV フォード Mk.W(#9と同一でスポイラーなし)
# 19 Mac Laren MGA Turbo マクラーレン MGA ターボ
# 20 Ford GT 40 フォード GT 40(スポイラーなし)
# 21 Cadlilac Eldorado キャデラック・エルドラード(HW カスタム・エルドラード)
# 22 Lamborghini Special ランボルギーニ・スペシャル(HW トレロ)
# 23 Cisterna Muky タンク(水槽)トラック(HW デオラ)
# 24 Policia ポリスカー(HW 1968・プリマス・フューリー)
# 25 Camion Jaula 動物輸送トラック(HW デオラ)
# 26 Super Turbo スーパーターボ(HW ターボファイア)
# 27 Furgon Muky Muky 有蓋トラック(HW デオラ)
# 28 Chaparral 2 G シャパラル 2G
# 29 Skoda Baby パイプ積載トラック(HW デオラ)
# 30 Ford Coupe 36 フォード・クーペ・1936
# 31 Volcador Muky ダンプ・トラック(HW デオラ)
# 32 Lancia 3000 ランチア 3000(HW スーパーターボ・スポイラー付き)
# 33 Rapit Urbano 幌トラック(HW デオラ)
# 34 Mc Laren MGA マクラーレン MGA(スポイラーなし)
# 35 Bomberos ファイアチーフ(消防指令車)(HW 1968・プリマス・フューリー)
# 36 Servicio Medico メディカル・サービス(赤十字車)(HW 1968・プリマス・フューリー)
# 37 Taximetro メトロポリタン・タクシー(HW 1968・プリマス・フューリー)
# 38 Vokswagen escarabajo フォルクスワーゲン・ビートル(独自金型)
# 39 Ferrari 308 フェラーリ 308(独自金型)


 「MUKY」についての追補  (2009/8/15)



「MUKY」の別のモデル何点かがアルゼンチンから到着しているので、ご紹介しておくことにします。

「プリマス・フューリー」金型のポリスカーで、前回「白1色のものもあったようだ」と書いたのですが、その白無地のものと、白地にデカール貼りされたものの2点を入手しました。




ご覧のように、「ESDECO」期(MUKY前期)のもので、ブルー1色のポリスカー(「INDUGUAI」期)よりも古い時期の生産であることがわかります。上が白1色版/下がデカール貼り版ですが、裏板に違いはないようです。




どうも、ダイキャスト成型の状態があまりよろしくなく、白1色の方は前輪フェンダー部で湯が回っていなかったり、デカール貼り版ではボディ側面のバリ跡が目立ちます。
白1色版は、スポークのパターンの無いホイルを履いています。

ちなみに、「ホットホィール」「グランプリ・リーガル」「ESDECO」「INDUGUAI」の側面画像を再録して比較してみることにしましょう。







金型は、何千・何万と成型作業をしているうちに、実は傷んでくるのですね。ひとつの金型を手に入れると、未来永劫・無限に成型できるわけではないのです。

ホットホィールなどの大量生産品では、同一製品につき、複数の同じ金型を持つこともあるようですが、「MUKY」が入手した金型は1車種につき1つではななかったかと考えると、金型の疲労も早かったはずです。

側面形を比較してみると、一番上のマテル・オリジナルは「さすが!」の成型状態。その後「ESDECO」期に金型がかなり傷んでしまい、「INDUGUAI」期に金型補修を受けているらしいことがわかります。
(側面のバリ跡がなくなりました。)

「ESDECO」期に既に「INDUGUAI」期と同じホイルや、同一デザインのデカールが使われていることもわかります。「INDUGUAI」は、「ESDECO」期に生産されていたモデルの仕様を大幅に変えずに生産を継承しようとしたようです。



同じプリマス・フューリー金型のファイアチーフ。ブリスター版を入手済みでしたが、ブリスターを破る気がしないため、箱入り版を入手したものです。右はマテル製。

「INDUGUAI」期のもので、マーキングのデザインはブリスター入りと同じですが、デカールの書体がわずかに異なっています。

その他未入手ですが、同じプリマス・フューリー金型のメディカルサービスのバリエーションで、上面白/下半分がライトブルーで「MEDICO」のプリントのあるもの(ESDECO期)、赤/白の塗り分けのもの(おそらくINDUGUAI期)もあるようです。



次は、「#26」の「スーパー・ターボ」のプラスチック・ボディ版かと考えて入手したものですが、実際手にとってみてビックリ。成型状態は劣悪で、主要な形状を凸のスジ掘りで表現し、裏板も無く、車軸がボディに直接ホールドされています。

こんな品物ですが、ボディ裏には「アルゼンチン製」(INDUSTRIA ARGENTINA)の小さなモールドがあります。おそらく関税対策など、法的な面で必要となる表示なのでしょう。

アルゼンチン製であることには間違いが無いようですが、「MUKY」による製品ではなく、「MUKY」をアルゼンチンの他の事業者が複製した作った、これぞまさしく「コピー品」と考えています。
どこの国でも、こういう品物が登場するものなのですね。




「MUKY」自身が、裏板やボディのプラスチック化に取り組んだ形跡はありますが、少なくともこの品物については「MUKYによるもの」という疑いは消えたように思います。

ホットホィールと比べると「コピー品」呼ばわりされるメタリック塗装の「MUKY」製品が、このプラスチック・コピーの横に置くと大変に立派に見えます。








 アルゼンチン製ミニカーの「代名詞」=ブービー


アルゼンチンとブラジル製の小スケール・ミニカーを特集するこの項を、最も謎多きブランドである「MUKY」からスタートさせてしまったのですが、アルゼンチン製ミニカーとして最も有名なのは、実は「ブービー」でしょう。
「ブービー」(BUBY)は、1950年代の後半から1990年代の終わりまで、ダイキャスト・ミニカーを生産しており、その製品は、アルゼンチンはもとより、海外でも良く知られていました。当初は標準スケール・サイズ(1/50〜1/40〜1/43)でしたが、後半には1/64サイズのミニカーも生産しています。


ブービーに関する文献としては、ルシアン・C・ブルース(Lucien C. Brousse/スペイン語読みは違うかもしれません)がスペイン語で著した、『写真で見るブービーの歴史』(Buby, La historia en fotos)(286ページ・モノクロ)があるということですが、おそらく版元絶版の古い本で、入手できていません。

「MUKY」に関する記事中でご紹介した、フリージャーナリストのボブ・フラシネッティ(Bob Frassinetti)は、再びブエノス・アイレスおもちゃ博物館のプロジェクトで、ブービーの創業者兼オーナー社長であったアロルド・ブービー本人に、2003年3月にインタビューすることに成功しました。
(http://joesdiecastshack.com/bobfrasbuby.htm)

実は私はこうしてアルゼンチンのミニカーブランドについて調べながら、日本のダイキャスト初期のメーカーに関してよりも、よほど情報に恵まれている、またそれらを今日ネット上で発見できることに驚いているのです。日本との最大の違いは何かというと、「おもちゃ博物館」といった施設が手間と費用をかけて自国のおもちゃ産業史をきちんと掘り起こし、後世のために残しておこうという努力をしている点なのですね。「ブエノス・アイレスおもちゃ博物館」は、単に「世界の珍しいおもちゃを集める」といった収集コンセプトではなく、「アルゼンチン製の玩具の歴史を把握し、収集し、後世に残す」ことにこだわりを持つ施設なのです。
ボブ・フラシネッティが、「MUKY」の創業者であるデ・コンティ兄弟と結局コンタクトをとることができなかったように、50年代・60年代の企業家や技術者にインタビューをしておくには、年齢的に言ってそろそろ限界が近づいている、という危機感も背景になっていると考えられます。

日本では実車や機械類の保存が産業史的にやっと目を向けられ始めたところであり、「おもちゃ博物館」などというと「物好きな個人の趣味コレクションの公開」程度にしか考えられないことが多く、初期の関係者の方々が次々と物故されていく中で、体系的な情報収集は結局できないままに終わってしまうことが危惧されます。

※インタビューは口頭でのやりとりのため、年次の特定が曖昧になっているものが多くなっています。
 資料的なバックアップのない状態で、記憶を頼りに答えている場面が多いためです。
 周辺情報から年次の特定できるものはなるべく特定したいと思いますが、この点ご容赦いただけれ   ばと思います。 (2009/8/15)


 ヨーロッパのメーカーに遜色のないブービーの歴史

「ブービー」はアロルド・ブービー・マルアー(Haroldo Buby Malher)によって創業・運営されました。スペイン語では母音の前の「h」の音を発音しないので、「ハロルド」ではなく「アロルド」に、「マルハー」ではなく、「マルアー」「マラー」になるのではないかと思います。ただし彼の父親はドイツからの移民なので、ドイツ読みをそのまま使っていたとすれば、「ハロルド・マルハー」で良いことになります。マルハー家がアルゼンチンにやって来て後に、自分たちの姓をどう発音させていたかはわかりません。移民1世が母国語にこだわって読ませたり、書かせたりしていた姓も、2世・3世と世代が下るにつれて、次第に現地語化されていったりもします。

全くの余談ですが、私のファースト・ネームは「Hideo」なのですが、フランス語やスペイン語では「イデオ」と読まれることになり、結局公然と「Hi Ideo!」と書かかれたりすることになります。
アメリカでは野茂さんが「Hideo」だったので知名度が上がり、「日本では多い名前なのか?」なんて聞かれるようにもなりましたが、どうもあまり彼らにとっては読みやすい字並びではないらしく、「ヒデイオ」とか、最悪の場合「ヒダイヨ」とかになります。「ヒデイキ・マツーイ」も読みやすい字並びではないらしいです。アクセントをどこに持って行ったら良いのかがわからないせいでしょう。


アロルド・ブービーは1931年・アルゼンチン生まれ。インタビューの行われた2003年3月に71〜72歳ということになります。アロルドの父親は1922年にドイツからアルゼンチンにやって来て、1928年にアルゼンチンの女性と結婚しました。
「ブービー」は、アロルドの正式なミドル・ネームではありませんが、彼の父親が、アロルドが生まれた時から(つまり正式な命名をする以前から)呼んでいた愛称だということです。マルハー家では、伝統的に初めての男子に「カルロス」(Carlos/スペイン語圏以外ではCharles)と名付ける習慣があったのですが、彼の母親が「カルロス」にはしないことを決意していたため、父親としては生まれてすぐには呼びようがなく、「ブービー」と呼んでいたものがそのまま定着してしまったということです。

彼はダイキャストミニカーの会社を起こすにあたって、「テリー」「ロビー」など1000以上のブランド名の候補案を検討したそうですが、短くて、記憶しやすい、呼びやすいということから、結局彼の幼少期からの愛称である「ブービー」とすることに周囲も賛同したのだそうです。
「ブービー」(BUBY)と「ムーキー」(MUKY)が音としても、字並びとしても似ているのが面白いところです。(母音の「U」と「Y」を同じ形で共有しています。)デ・コンティ兄弟は、「MUKY」の創始にあたって、当然アルゼンチン国内での先行ブランドである「BUBY」を意識していたでしょう。あるいは「MUKY」もデ・コンティ兄弟の赤ちゃん時代の愛称だったのかもしれません…。

ブービーはヨーロッパ車・アメリカ車の両方をモデル化のテーマに選びましたが、これはアルゼンチン国内で、欧・米両メーカーの実車が生産されたことと関係しているでしょう。ブービーはこれらにラテン・アメリカ市場に適したアレンジを加えており、製品はデッドコピーなどではなく、初期からオリジナルのものだったようです。
『ブービーの作るモデルは、「オリジナル」でなければならず、また実車のレプリカ(スケールモデル)でなければならない、その点にこだわったことが子供たちに「魅力」を感じさせることができた理由だろう』、とアロルド・ブービーは誇り高く語っています。生産は一貫してアルゼンチン国内で行われました。当初の工場の所在地は「ラネラグ」(Ranelagh)というところだったようです。



比較的初期から使われていた「BUBY」のシンボルマーク


ブービーのスタートは、アロルド・ブービーが24歳の時だったとのこと。ということは1955年前後ということになるでしょうか。ヨーロッパのミニカーメーカーに負けない老舗ということになります。24歳の社長は若すぎて、どの玩具店のマネージャーも真剣に取り合ってくれなかったそうです。

若いブービーは、どこへでも持って行けるように商品をスーツケースに詰め、比較的小さな玩具店を自ら営業に回りました。大きな玩具店を避けた理由は、単に「怖かったから」だと彼は語っています。しかしこれらの店では、彼らがそれまで扱っていたティン・トイに対してダイキャスト製品が大変に高価であったために、取り扱ってもらえなかったのでした。

ところがある日、ブエノス・アイレスのカヤオ通り(Callao Avenue)の理髪店にいた時のこと、客の一人が6台のミニカーを買ってくれました。そうするともう一人の客が、「君はこの商品を売っているのかい? これを作っているのは誰なのかね?」 アロルドはこの質問に対して「作っているのは私です。」と答えました。その客は財布から名刺を取り出すと、アロルドにこう言ったのです。『明日の朝9時に、私を訪ねてきたまえ。』客は、サンタ・フェ通りにある、ブエノス・アイレスでも最も大きく、かつ重要なトイ・ショップである「サンタ・クロース・トイ・ストア」のマネージャーだったのです。

翌日、彼はブエノス・アイレスの重要な20店のトイ・ショップのリストを渡しながらアロルドに言いました。『いいかね。君は小さな玩具店を回る必要はない。君はこのリストにある人達に、君のミニカーを売るのだ。価格は君が設定している金額で結構だ。ウチには来週60台のミニカーを持って来て欲しい。』アロルドは翌週、1グロス(144台)のミニカーを準備して持って行きました。

これは、12月10日の出来事でした。「サンタ・クロース・トイ・ストア」はクリスマス商戦に「ミニカー」を投入しようとしていたのです。アロルドは、エンジニアのための海外奨学金を取得していて、12月27日にはヨーロッパに発たなければならない時でした。彼は造船技師の資格を取得するための勉強を継続していたのです。彼がヨーロッパに発った後、ブービー社のスタッフからは、大手の玩具店から続々と入ってくる注文の全てに、どうやったら対応できるのかわからない、と言って来ました。
アロルドは最終的に資格取得を含む全てを中断してアルゼンチンに帰国し、本腰を入れてミニカー生産に没頭するようになりました。これが「ブービー」の「はじまり」でした。

アロルドは、非常に重要なコメントをしています。「ブービー」は、60年代にダイキャスト・ミニカーに「サスペンション」機構を導入した最初のメーカーだ、という点です。
その後、フランス/イギリス/アメリカなどのメーカーが競ってそのサスペンション機構を取り入れたものの、品質的には「ブービー」のものに及ばなかった、と彼は自信をもって語っています。

サスペンション機構がコーギーなどに採用されて、1960年代の半ば頃に日本にも入って来た頃、我々はそれを実車の機構を再現したリアリズムだと受け取ったものですが、アルゼンチンの子供たちは、それを「レース」に活用したそうです。適度な「おもり」をミニカーに乗せて走行させると、走行性能がアップするばかりか、相互にクラッシュすることを微妙に避けることができるのだそうです。

そうしたクォリティは、ブービーのミニカーをアルゼンチン国内でポピュラーなものにしていきましたが、子供たちはそれらがカッコいい外観を持っていると同時に、新しい「遊び」の可能性も持っていることに気づいていました。多くの子供たちは、ブービーを1台だけ持っているのではなく、1台は思い切り走らせて遊び、1台をコレクション用に大切にしていました。現在40代になっている世代のほとんどは、1度はブービーのミニカーで遊んだことがあるはずで、このことをもってアロルド・ブービーは『アルゼンチンでコレクション・トイを初めて普及させたのはブービーである』という誇りを今も持ち続けているのです。



ジャパン・ミニチュア・コレクター・クラプ(JMCC)会報『コレクター』誌・82号(1966年12月号)に、NHK交響楽団の北野勝曠氏が『ミニチュア・カー 南米の旅』というタイトルでの寄稿をされていて、1966年時点でのブラジルやアルゼンチンのミニカー事情についてふれた貴重な内容になっているのですが、その中に『このブービィ・トイス』にはNo1からすべてスプリングサスペンションが附されております。』という記述があります。これはアロルド・ブービーのインタビュー発言を見事に証明しています。また同誌の記事および写真説明中にある通り、1966年の時点で、既にプラスチック製の小スケール・モデルを作っていたようです。


また、中島登著・『カラー版・ミニカーコレクション・オール絶版車カタログつき』(二見書房・1980年)では、フォード・ファルコンとシボレー・ベルエアのポリスカー(p89)、シボレー・ベルエアのタクシー(p96)を紹介していますが、いずれも1/40スケール・1965年発売・日本未輸入となっています。




 「アルゼンチン生産車」のモデル化にこだわる

「MUKY」の項でご紹介したように、実車メーカーだった米国「カイザー」は、アルゼンチンでの自動車生産のために、1956年にIKA(Industrias Kaiser Argentina S.A./インドゥストリアス・カイザー・アルヘンティーナ・ソシエダドゥ・アノニマ)を設立していたのですが、これはブービーの設立時期(1955年前後)とピッタリ重なっています。ブービーは、「IKA」の生産車の中から「エスタンシエラ」(Estanciera)、をモデル化した、と言っています。
「Ika Estanciera Nafta」というのは、どうやらJEEP型のハードトップ車のようです。ベースはウィリスのステーションワゴンではないでしょうか。

IKA車のモデルでは、ブービーは1/32スケールのカイザーJEEP T-80 ピックアップ・トラックなども作っており、箱には「SUSPENSION PATENTADA」(特許・サスペンション機構付き)の文字を見ることができます。

1959年にIKAは、アルゼンチンでのルノー車の生産を行うことに合意し、ルノー資本が入って社名も「IKAルノー」となりました。したがってブービーもルノー・ドーフィーヌ(Renault Dauphine)、ルノー・シス(Renault 6)など、ルノーのモデルを作っています。

1962年にはIKAルノーはAMC(アメリカン・モーターズ・コーポレーション)ともジョイント・ベンチャーを形成。「トレノ」などを生産し、ブービーもこの「トレノ」をモデル化しています。「トレノ」は実車/モデルともにアロルドにとっても大変に評価の高いものになっているようです。



フランク・H・シポラ著 『IKAの挑戦』(2003年)/『カイザー・ルノーの冒険の歴史』(2004年)の表紙。
残念ながらスペイン語の書籍はあまり一般的でないようで、
アマゾンでも販売されていず、入手できませんでした。

IKA La aventura by Franco H. Cipolla, Ediciones del Boulevard 2003
La Epopeya De Kaiser-Renault, 1954-1975 by Franco H. Cipolla, Ediciones del Boulevard 2004
Photos From Wikipedia, the free encyclopedia


ところが、1969年にアメリカ本国のカイザー・インダストリーズは自動車産業から撤退することを決断。1970年には米国カイザー=ジープ・コーポレーションはアメリカン・モーターズ・コーポレーション(AMC)に売却され、アルゼンチンの「IKA」もルノーに買収されてしまいました。ブービーはこの後もルノー系のモデルの生産を継続しています。

ルノー・シスでは1/43・プラスチック・ボディの完成品モデルも製造されており、このモデルにはノーマル/ACAロード・パトロール(ACA・UNIDAD DE AUXILIO)/ブエノスアイレス・タクシー/ポリス/ICRC(国際赤十字委員会)ドクターカーなどのバリエーションがありました。
余談ですが、「ルノー」(Renault)は、フランス語圏以外では「レノー」と言わないと通じないことがあり、スペイン語圏でもその可能性があります。

このようにブービーは、単なる欧米車(輸入車)ではなく、アルゼンチン国内での生産車のモデル化を重視する姿勢を持ち続けていました。

これらの初期モデルは稀少になっており、アロルドは近年になって「エスタンシエラ」に2000ドルの値が付くのを目撃したということです。全体に、ブービー初期のモデルは、ワールドワイドのネットオークションで80ドル〜100ドル(USD)程度の値がついているようです。


 その後の順調な発展

1960年代後半には、フランスのソリド製品の供給を受け、ブービーが塗装および組み立てを行って販売しました。フランス製のソリド・オリジナルとの違いは、パッケージに貼られたステッカーだけだということです。アロルド・ブービーは、これを「オンガニアが統治していた時期」と語っています。
オンガニアというのは、1966年にクーデターによって登場した軍事政権の長で、1971年に陸軍司令官ラヌーセに交代するまで権力を掌握していました。したがってソリド製品の組み立て供給は、1966年から1971年の間ということになります。

アルゼンチンでの時の政権の政策によって、部品は完成品よりもはるかに安い関税で輸入することができ、組み立て後の製品は順調な売れ行きを示しました。また単に組み立てだけでなく、塗装もアルゼンチンで行った、というコメントに注目するべきでしょう。塗装後のミニカーのボディは、「部品」としてぞんざいに取り扱うとキズだらけ、剥げだらけになってしまうと考えられるからで、無塗装パーツの状態で輸入し、アルゼンチンで塗装するのであれば、この問題は解決することができるからです。

1960年代後半にソリドの組み立てをしていた時期の月産は1万台前後でしたが、1986〜87年の通貨変更の直前の時期(1988年にハイパー・インフレーションを招く)には、販売が好調で、日産(daily)で1万台、月産で20万台の生産を数えたそうです。
当時ブエノスアイレス近郊「Don Torcuato」の工場には約200名の従業員がおり、大半の工程は自動化されていましたが、塗装工程だけは自動化されていなかったということです。

1975年前後の経済不況の折りには運転資金が不足して苦労したこともありましたが、何とか乗り切って、アルゼンチン国内での生産を継続することができたようです。当時の政府は中小企業に対して決して「親切」とは言えず、従業員に対して、何も支払えるものがない、というところまで経験したということです。




これはソリドではありませんが、裏板に「アルゼンチン製」のテープを貼られ、「INDUSTRIAARGENTINA 」のプリントのある箱に入れられたマジョレット。
『マジョレットでアルゼンチンで生産されたものがあるとは知らなかった!』と購入先の出品者に書いたところが、『これはアルゼンチンで生産されたものではない』という返事でした。

「INDUSTRIA ARGENTINA 」が明記されているのに「アルゼンチンで生産されたものではない」とはどういうことか、といぶかしんでいたところに(実は彼の母国語がスペイン語であるために、意思疎通が若干不十分なところがあるのです)、この「ソリド製品の組み立て」という記事に遭遇したのですね。部品のキャスティングはフランス、組み立て・パッケージングがアルゼンチンなのではないでしょうか。箱には「マジョレット」のブランドだけがあり、組み立て・箱詰めをした、事業主体の表示は一切ありません。



「Made In France」の裏板刻印はそのままで、
その上に「アルゼンチン製」のテープが貼られたマジョレット。
組み立てをしていたのがどこの会社なのかは究明の余地がありそうです。



1990年代には、「コレクターズ・クラシックス」(Collector's Classics Collection)という、50年代・60年代のアメリカ車の1/43モデルを作り、「アルゼンチン製とは信じられないデキ!」という評判をとったものでした。(それまでのアルゼンチン製モデルに対するコレクターの「偏見」が、こういう言葉を言わせたのでしょうが。)

-1946年リンカーン・コンチネンタル
-1946年リンカーン・コンチネンタル・ペースカー
-1953年フォード・サンライナー
-1953年フォード・クレストライン・ヴィクトリア
-1954年マーキュリー・モンテレー・サンバレー・コンバーチブル
-1955年シェビー・コンバーチブル
-1955年シボレー・ベルエア・ハードトップ
-1956年デ・ソート・ファイアフライト・コンバーチブル
-1956年デ・ソート・インディ500ペースカー
-1956年パッカード
-1969年シボレー・カマロRS・コンバーチブル

などのモデルが作られています。このシリーズは、「コレクターズ・クラシックス」というブランドを前面に押し出しての展開だったようですが、ミニカーの裏板には「Buby」のメーカー刻印が見られます。
またコンバーチブル系のモデルについては、トップ(屋根)を上げたものと、下げたもののバリエーションがあるようです。

90年代後半での傑作モデルは、1/50のブエノス・アイレス・シティ・バス(Buby Bus Urbano BuenosAires)で、ブービーによるコレクターへの「最後の貢献」と言われています。

アロルドは、ブービーのミニカーの中での最高傑作はどれか、という質問に対して、1966年式のポンティアックGTで、それは彼が設計した最後のモデルだと答えています。
標準スケールでの最後のモデルは1976-77年式のカマロで、スケールは1/43でした。ドア開閉機構を持つ、他社製品にも見られない素晴らしいモデルだったということです。

(上記リストと対照する限り、これが「コレクターズ・クラシックス」シリーズ中のモデルであるとするなら「1976-77年式」というアロルドの記憶は、69年式の誤認かもしれません。)

 ブービーの作った小スケールモデル



ブービーは当初は標準スケール(1/40〜1/50、後に1/43)を採用していたのですが、その理由については、サスペンション機構や、後にドア開閉機構などのアクションを盛り込むについては、自ずとある程度のサイズが必要だったためとしています。

しかし、マルティネス・デ・オスが経済大臣だった時期に(1976年に経済相として来日)、経済状況がかなり「こじれて」しまい(things got quite complicated)、標準スケール・サイズのミニカーの生産・販売が困難になって、1980年代の半ばに1/64サイズの「ミニ・ブービー」シリーズを発売することになります。おそらくは経済的混乱で消費者の購買力が減衰し、標準スケール・サイズの価格による子供向け市場での販売がむずかしくなったということなのでしょう。

小スケール・ミニカーのブランドを解説した資料(Encyclopedia of Small-Scale Diecast MotorVehicle Manufactures by Kimmo Sahakangas, Dave Weber and Mark Foster, Iconografix 2006)によれば、当初はマッチボックスと同様に「レギュラーホイル」を付けた製品としてスタートし、後に「スーパーファスト」ホイルに転換した、とされます。
アメリカ車/アルゼンチンで生産されたアメリカ車/トラクタートレイラーや、TV番組「特攻野郎Aチーム」のキャラ車なども含んでいたようです。

アロルドのインタビューでは、『当時、ミニ・ブービーは、素材/塗装/プレゼンテーションなどのあらゆる面において、マッチボックスやマジョレットに対して何ら遜色のあるものではなかったが、当時人々はあまりそうした点に注意を払わなかったた。ようやく最近になって、コレクターがミニ・ブービー製品に対して感謝を向けはじめている。』と語っています。

これは微妙な表現ですが、「マッチボックスやマジョレット」に遜色のないクォリティを持っていたにもかかわらず、アルゼンチン国内での販売はこれらの外来ブランドに圧迫された、当時の人々にはブービーのクォリティが必ずしもわかってもらえなかった、ようやく最近になってコレクターから再評価されている、という意味にも受け取れます。
アロルドは一切ふれていませんが、この時期、アルゼンチンや周辺のブラジル/ウルグアイなどまでを含むダイキャスト・ミニカー市場では、「MUKY」との熾烈な競争も起こっていたはずです。

1/64サイズの市場では、クォリティよりもコスト・カットの攻防になっていくことは明らかで、ミニ・ブービーはマッチボックス/マジョレット/MUKYなどとの激しい競争に晒されたことでしょう。クォリティと「アルゼンチン国産のオリジナリティ」を重んじるブービーとしては、価格競争に近い不本意な戦いを強いられたことが想像できます。


 #110 Ford Pantera 'L' (Serie 100)



「100シリーズ」のフォード・パンテーラLのハイウェイ・パトロール。
「100シリーズ」なのに、パッケージのタイトルは「BUBY 88」になっており、「88」の意味がよくわかりません。箱は窓なし、ブービーの初期から使われたシンボルマークを付けています。

パンテーラは、日本では「デ・トマソ」製として知られていると思いますが、デ・トマソのオーナーで創始者であるアレッサンドロ・デ・トマソと、当時フォードの副社長だったイタリア系アメリカ人のリー・アイアコッカが個人的に親しく、「フォード製エンジンを積み・フォード・GT40のイメージを踏襲するスポーツカー」として作られました。アメリカなど、欧州外では「デ・トマソ」の知名度が低かったため、フォードの巨大な販売網を利用し、「フォード」のブランドの名を借りて販売されたのです。

パンテーラ「L」は、イタリア語で「豪華・贅沢」を意味する「Lusso」の頭文字を付けたもので、、1972年に追加されたモデル。アメリカ市場での販売を促進するために設定され、扱いやすさを向上させるためにエンジン出力を約40馬力ほどダウンさせてありました。



 #1101 Ford Pantera 'L' Police (Serie 1000)



「1000シリーズ」に移行した後のパンテーラ・ポリス。
アルゼンチン警察にパンテーラのハイウェイ・パトロールが実在したかどうかはわかりませんが、子供たちにとっては「カッコイイ」もの同士のベストな組み合わせで、人気も高かったのでしょう。

それまで大文字を入れて「BuBy」と記されていたブランドロゴが「buby」という小文字ベースのものになり、赤いシンボルマークも使われなくなりました。



ミニカーでは「100シリーズ」でシール貼りだったマーキングが全て印刷になりました。
小スケール・ミニカーの製造技術の革新が、アルゼンチン市場にも例外なく押し寄せていることがうかがえます。

パッケージ裏面の製品集合写真は、何となくドイツの「Siku」を思い出させます。
「Made and printed in Argentina」が、アルゼンチン国内のミニカー・メーカーのプライドです。




リアのエンジンフードは、開閉機構が付いていますが、ご覧の通りの状態で、あまり大きくは開きません。これ以上ムリをすると、ヒンジを折ってしまいそうです。アロルドは、ブービーのクォリティについて、『マッチボックスやマジョレットに遜色がない』ということで大変に自信を持っていたことがうかがえますが、こういう点については疑問も残ります。

サスペンション機構において、他社の追随を許さなかった、と語られていたブービーが、どうしてこういう状態を許容したのでしょう。
開閉アクションがキチンと動作しないということは、コレクターにとってではなく、子供たち向けの玩具にとって大きな失点となるでしょう。当時のマーケットではマッチボックスやマジョレットなどに押され、時間の経った今頃になってコレクターズ・アイテムになっている、という構図が見えて来ます。

一般的に言って、保護貿易的な政策の下では輸入品は国産品保護のための関税をかけられて価格が割高になるのですが、国産品の立場としては次の3つの可能性があるわけです。

【1】輸入品よりも品質が高く、価格も安い。
【2】輸入品より品質は劣るが、何といっても価格が安い。
【3】輸入品より品質は劣り、価格も劇的に安いとは言えない。

【1】であれば輸入品はその国の市場に参入できませんし、【3】であれば国内市場はまたたくまに輸入品に席捲されてしまいます。そして品質の判断をするのは、供給者側ではなく、顧客なのです。


 #1180 Opel Ambulancia (Serie 1000)



「1000シリーズ」のオペル・アンビュランス。

後部窓はちゃんとブラインドでふさがれており、乗用車やバンにやたらと赤十字を描いて「救急車」を自称している安易なバリエーション・モデルとは一線を画す姿勢をアピールしています。
この点は、「MUKY」のプリマス・フューリーが、どう考えても患者輸送車にはならないので、「メディカル・サービス」を標榜していた点と共通します。

このモデルについてはちょっとした「いわく」があり、それについてはこの後 「jet」 というブランドの項でご紹介しています。


 #1260 Renault Trafic Ambulancia (Serie 1000)




裏板に「1260」のモールドを持つ救急車。
箱の妻面には品番のスタンプがなく、かつ製品リストは1250で終わっていて、「1260」番はありません。ひょっとすると、ブービー・小スケールの最後の金型かもしれません。

裏板の車名は「trafic」、フロントのグリル上にモールドされたエンブレムは明らかに「ルノー」のもので、1981年から販売された初代ルノー・トラフィックなのでしょう。

パンテーラでタンポ印刷になっていたマーキングが、またぞんざいなシールに戻ってしまっていますが、ボディ右側スライドドアは開閉し、車内にはちゃんとストレッチャー台があり、単にバン・モデルを白く塗って赤十字を貼り付けたものでないことに感心します。



 100-1000シリーズの製品リスト

私が入手した1/64サイズの「buby coleccion」のパッケージに印刷されたシリーズ・リストは以下のようになっています。
当初は3桁品番の「100シリーズ」としてスタートし、後に「1000シリーズ」を追加。
最終的に全て1000番台の4桁品番に移行したようです。ただし、3桁品番時代で絶版になり、4桁品番をもらわなかった金型もあるようです。

4桁品番では、金型ごとに10の位を、同一金型内のバリエーション番号として1の位を与える、という仕組みのようです。
製品によって、掲載されているリストは異なっており、シリーズ途中で絶版が出ていたようです。
このあたりは、ずっと同じリストを掲載し続けた「MUKY」とは事情が異なると言えるでしょう。

この他、1/64サイズで『BUBY ROCKERS』と名づけられた、 大径タイヤを履かせた「スーパー4WD」のシリーズがあり、フォード・ブロンコ/JEEP などが出ていました。
「JEEP」は旧ウイリス・オーバーランドを買収したカイザーの持つ商標でしたから、アルゼンチンに工場のあったIKAの関連で、アルゼンチン製モデルではよく登場します。

パッケージ形式は、「100シリーズ」では窓なし、「1000シリーズ」では窓付きの箱入りの他、ブリスター入りもあるようです(「特攻野郎Aチーム」のシリーズなど)。1/43サイズでのブリスター入りシリーズもあるようです。



「1000シリーズ」のパッケージには、全長の長いものと短いものがあります。
ロゴ周りなどのデザインも頻繁に調整されているようです。



箱は全て共通のジェネリック箱なので、エンドフラップにスタンプで車名が入ります。
しかし最後期のルノー救急車(一番右)ではこれがありません。
酷な言い方ですが、次第に仕事が雑になっており、「終焉」が見えて来ます。



【100シリーズ】(Serie 100)
101 Ford Falcon
102 Corvette Shark (後に#1020)
103 Maserati Indy (後に#1030)
104 Mercedes Benz Coupe (後に#1040)
105 Mustang U (後に#1050)
106 Citroen 3 (後に#1060)
107 Trino Coupe
108 Chevy (後に#1080)
109 Maserati Bora  (後に#1090)
110 Ford Pantera "L"  (後に#1100)
111 Mc.Laren SP
112 Fiat 128
113 Peugeot 504 (後に#1130)
114 Renault 12  (後に#1140)
115 NSU Bertone Trapeze (後に#1150)
117 Renault 12 Break (後に#1170)
118 Opel Ambulancia  (後に#1180)
119 Pick Up Ford  (後に#1190)
120 Ford Mark W (後に#1200)
121 Buggie Con Lancha (後に#1210)
122 AMI 8 Cruz Roja




【1000シリーズ】(Serie 1000)
1011 Ford Falcon Policia
1020 Corvette/Corvette Shark
1021 Mako Shark Daytona/Corvette Sprit of America
1030 Maserati Indy
1032 Indy Brigada a
1040 Mercedes Benz 450 SLC
1041 Cupe Mercedes Rally
1050 Ford Mustang U
1051 Dukes of Hazzard
1052 Mustang Cobra
1060 Citroen 3 CV Rally
1061 3CV Safari
1070 Ford Sierra
1080 Chevy TC
1081 Chevy Daytona
1090 Maserati Bora
1091 Maserati Alitalia
1093 Fantastico
1100 Ford Pantera
1101 Ford Police
1110 Renault 18
1120 VW Gacel
1130 Peugeot 504
1140 Renault 12
1141 Renault 12 Rally
1142 Renault Policia
1150 N.S.U. Bertone
1160 Cupe Renault Fuego/Renault 18
1161 Renault 18 Policia
1162 Renault 18 Marlboro
1170 Renault 12 Break
1171 Break Competition
1172 Break Angel Amarillo(当初#1171から1172に移動)
1180 Opel Ambulancia
1190 Pick Up Ford
1191 Ford 350 A.C.A.
1200 Ford Mark W
1210 Buggie Con Lancha
1212 Buggie Brigadaa
1220 Ford Bronco
1221 Bronco Wind Surf
1222 Bronco Brigadaa
1223 Bronco Sheriff
1224 Bronco N.A.S.A.
1230 Van Coca Cola
1231 Van Marl Boad
1232 Van Brigadaa
1233 Van JPS
1234 Van Las Lenas
1240 Cupe Fuego
1250 Cupe Sierra

アロルドは、30年間にわたって、ダイキャストミニカーづくりに情熱を傾けました。
ブービーは、現在ダイキャスト・ミニカーの生産をしていませんが、ミニカー・ビジネスに戻る気持ちはあるのか、というボブ・フラシネッティの質問に対して、アロルド・ブービーは、『もちろんある。最近の技術の進歩は、コレクション・トイの分野に、これまでにない新しい可能性をもたらした。しかし、私がこの仕事に戻るとしても、それはアルゼンチンでデザインされ、アルゼンチンで生産されたモノづくりでなければならない』と語っています。

『アルゼンチンの子供たちのための、オリジナルな、Made in Argentina』というブービーの「こだわり」が今も彼の中に鮮明に行き続けている証と言える言葉と言えるでしょう。


 Jet ── ブービーが開発し、生産継承した小スケール・ブランド

「ジレット」社のブランドで、1/64サイズの小スケールのシリーズです。

「ジレット」は、ご存知のように米国P&G(プロクター&ギャンブル)の持つ「剃刀」(かみそり)のブランドで、ここで言う「ジレット」社とは同名の別の会社と思っていましたが、「珍品ダイキャスト──ブリックフォード・ダイキャスト研究所」(Die Cast Oddities presented by The Bickford Diecast ResearchCenter/http://www.kbickford.com/AlphaJ.html)というサイト上に、『米国ジレット社がアルゼンチンでダイキャストミニカーを生産していた』(The American Gillette company manufactured diecastcars in Argentina)という記述があり、かの「ジレット」がアルゼンチンでミニカーを作っていた、と受け取れます。

ただしジレットがP&Gに経営統合されたのは2005年10月なので、「jet」ミニカーの生産当時(1980年代)は独立した会社だったはずです。「jet」が単にジレット社のブランド名なのか、アルゼンチンにおけるミニカー生産のための子会社(現地法人)だったのかは判然としません。
ダウ・ブレイソープトによる「Tales of Toy Cars」のサイト上の「Aguti」の項(http://www.breithaupts.com/totc475.htm)には、『Jet, a subsidiary of Gillette, produced models with molds that werelater bought by Buby.』 という記述があります。「subsidiary cpmpany」というのは普通「子会社」のことを言い、「jet」を生産主体としての同格の主語にしているので、この言い方に関する限り単なるブランド(営業標)ではなく、独立した子会社と受け取れます。

ボブ・フラシネッティによるインタビューの中で、アロルド・ブービーは、マルティネス・デ・オス経済大臣の時代に、ジレット社からのコンタクトがあり、ブービーが「jet」シリーズのの生産を継承してくれないか、との打診があって、ブービーがそれを引き受けた、と発言しています。

そもそもブービーは、自らいくつかのモデルを「jet」シリーズのために開発し、「jet」が1980年代に生産を停止して以降は、それらのブービー開発の金型を買い取って、「ミニ・ブービー」シリーズの一員として生産・販売した、ということのようです。

「jet」シリーズのモデルの全てが、ブービー開発の金型なのかどうかはわかりません。上記サイト(Die Cast Oddities)の記述では「何点か」を開発し(Some of these cars were actually developed by Buby)、「何点か」を引き継いだ(Buby bought several of the molds and sold them as Mini Bubys)、としています。

マルティネス・デ・オス経済大臣はアルゼンチン軍政期(1976〜1983年)の経済社会モデルを起案した人で、輸入奨励と外国資本の誘致政策を進めていましたから、この政策によってアルゼンチンに進出し、剃刀製品の販路を活用して玩具販売を企てたジレット社が、小スケール・ミニカーの競争について行くことができずに、撤退とブービーへの金型売却を行った、ということになるでしょうか。

一時は、金型開発だけでなく生産もブービーが行っていた(OEM供給)のではないかと疑いましたが、金型がブービーの手元にあるのならば、「引き取って欲しい」という要請は成立しなくなりますから、少なくとも 「jet」 は自社での生産設備と技術を持っていたのでしょう。ただし「引き取る」(to take over)というのは金銭的な「売却・買収・接収」のことで、協力工場を共有していたような可能性も残ります。


下は「jet」ブランドによる「オペル救急車」で、先にご紹介したブービーの1000シリーズのモデルと明らかに同じものです。小スケール・ミニカーのブランドを解説した前掲資料(Encyclopedia of Small-Scale Diecast Motor Vehicle Manufactures)にも、ブービー製と全く同じオペル救急車が「jet」製品として掲載されています(p51)。




左が「ブービー」、右が「jet」。マーキング/シート色/回転灯色などを変えていますが、同じモデルであることがわかります。

「jet」は紙シールですが、「ブービー」の方は、ボンネット上の「AMBULANCIA」を鏡面印刷するなど、なかなか凝ったプリントになっています。ブービー版になってから、窓のエッジなどに成型時のバリが目立ちます。




「jet」(上)には裏板にはっきりと「jet」のモールドがあり、逆に「ブービー」(下)の方は刻印の何もない「のっぺらぼう」になってしまっています。赤マジックの「BUBY」は、まさかブービー工場で書かれたものではなく、コレクターが後日購入後に書いたものでしょう。

順序としては先にモールドのある「jet」生産分があり、その後にブービーが金型を引き取って「jet」モールドを削り取って再生産した、ということになります。


下のモデルはMUKYも作っている「フォードMk.W」ですが、見比べる限り、ホットホィールでも、MUKYでもなく、オリジナル金型らしいところが、誇り高き「ブービー」による開発を裏付けているような気がします。
未入手ですが、おそらくはブービー・1000シリーズの「#1200 Ford Mark W」と同一モデルでしょう。





左から香港・リントイ/アルゼンチン・MUKY/ホットホィール/アルゼンチン・jet。
MUKYとホットホィールは近似しますが、「jet」はご覧のように違う金型です。
実際の比較もせずに「コピー品」呼ばわりするのは危険なことがわかります。


ブービーは、jet 製品の一部の開発のみならずドイツ・ファーラーの機関車用の部品の製造も行っていたようで、ブービーの技術力の高さを物語る逸話と言えるでしょう。

ちなみに、「jet」のパッケージ裏面に掲載されているモデルは以下の通りです。
これらについては、全車種にわたりブービーとの重複感があります。これらは「Jet」の生産停止後にブービーが引き継いだだけでなく、ブービー開発の金型と考えても良いのではないでしょうか。

-No. 6 Ford Taunus Cupe
-No. 7 Ambulancia
-No. 8 Mercedes Benz 450 SLC Sport
-No.10 Ford Mark W
-No.12 Ford Pantera
-No.14 Bertone Trapeze

ちなみに jet 製品はイラストレーション箱に入っていますが、中身のミニカーによって絵が変わることはなく、全て共通のジェネリック箱です。





 GALGO ── ブービーの協力工場から独自のブランドに発展

1970年代〜1980年代にかけて、ダイキャストおよびプラスチック製のミニカーを製造したアルゼンチンの会社ですが、前掲資料Encyclopedia of Small-Scale Diecast Motor Vehicle Manufactures)の「ブービー」の項(p18)によると、ガルゴはブービー製品の製造で恩恵を受けた協力工場のひとつだった「らしい」(apparently)ということです。

初期にはマッチボックスのスーパーファストを「参考」にしたミニカーをフリクション動力入りで製造。ただし塗装をはじめ品質はあまりよろしくなく、窓ガラスは「まるでキャンディのように溶けてしまう」そうです(前掲書・p37)。どういう状況かはわかりませんが、誠に恐ろしいことです…。

その後1/87スケールでスカニア・キャブのトラック、1/43サイズで「VW-T2」のバンなども作りましたが、現在最も良く見かけるのが、1/64サイズのレーシングマシンのシリーズで、これにはブリスター入りのものの他、ウインドウ・ボックス入りのものもあるようです。

香港の「モーターマックス」製品を輸入して、「ガルゴ」のブリスター入りで供給したものもあったようです。警察・救急車輌を作っているかどうかもわからないブランドなので、話のタネにブリスター入り製品1点だけを入手しました。



これは「Mini Galgo」というシリーズで、ブリスター裏面の製品リストにあるのは、以下になっています。

No. 1 Porsche Turbo
No. 2 McLaren-Chevy
No. 3 Lola T-160
No. 4 Matra-Simca
No. 5 AGS-Hart
No. 6 March 802
No. 7 Polifac BMW
No. 8 Osella BMW
No. 9 McNamara STP Spl.
No.10 Penske PC7
No.11 McLaren DFX
No.12 Longhorn-DGS
No.13 Wildcat-Offy
No.14 Parnelli-Foyt V8
No.15 John Zonk Spl.
No.16 Texaco Star

1/43サイズの「VW-T2」で、私が見かけたのは「アルゼンチン航空」のバン(小スケールでないので入手は我慢しました)でしたが、ひょっとすると救急車やポリスが作られているかもしれないですね。





 Aguti──「BUBY」「MUKY」に次ぐ第三の勢力

もうひとつ、アルゼンチンで忘れてはならないブランドに「Aguti」(アグティ)があります。

アグティは、1970年代の後半にダイキャストミニカー事業に参入し、1980年代まで生産を継続しました。「BUBY」「MUKY」に次ぐ第三の勢力ということになり、そういう意味ではアルゼンチンは大変に多くの国産ミニカー・ブランドに恵まれたマーケットだったと言うことができるでしょう。

アグティの不可解な点は、複数のブランドを持っている点で、「アグティ」ブランドの他、「ラピトイ」(Rapitoy )、「ローデン」(Loden)のブランドが使われていますが、いずれも系列はアグティのものだということです。

前掲資料『Encyclopedia of Small-Scale Diecast Motor Vehicle Manufactures』の「Aguti」の項(p9)によると、「ラピトイ」と「ローデン」は「別企業」(different firms)だが、裏板のブランド刻印は「Aguti」のままで生産された、これは(裏板上のアイデンティフィケーションを削除する)コストを削減するためだった、としています。何故ブランドを変えて別企業として生産したのか、その理由は判然としません。

同じアルゼンチンのダイキャスト・メーカーでも、「jet」「Galgo」「Aguti」については例のボブ・フラシネッティ(ブエノス・アイレスおもちゃ博物館)のインタビュー記事が無いため、情報量が一気に少なくなってしまいます。メーカー/ブランド紹介として書かれている資料でも、これらの企業については「だったらしい」といった曖昧な記述が大変に多くなってきます。

非常に多くのモデルを作っており、ただしそれらの多くはマッチボックス、コーギー、スペインのギスバル(Guisval)にインスピレーションを得ており、中には「クローン」が含まれているということです。
(2009/8/30)
 ダッジ・チャージャーMk.V



いわずと知れた、マッチボックス・スーパーファスト(MB52-A・1970年初出)と「完全同車種」のモデル。マッチボックスに「インスピレーションを得た」(look-alikes abound with sources of inspiration)だとは到底言えず、大変に良くできた「コピー」でしょう。

前掲書『Encyclopedia of Small-Scale Diecast Motor Vehicle Manufactures』では、これを敢えて「コピー」とは呼ばずに「クローン」と呼んでいます。

「クローン」というのは、「コピー」に代わる大変に良い言葉で、このモデルを見ていただければ、「クローン」と呼ばれる理由はわかっていただけるものと思います。
そう言えば、「ブランド時計のパーフェクト・クローンはいかが?」というspamメールが最近海外からたくさん来ます。




ここまで美しく「クローン」されてしまうと、『MUKYはコピーではなく、ホットホィールの金型そのものからの成型品に違いない』という先の私の結論もかなり揺らいでしまうほどです。

しかし詳細に見て行くと、ボディ上の細かいスジ彫りモールドが省略されていたり、側面形でのボディの厚さとウインドウの高さとの関係が変に崩れていたりして、マッチボックスと同一金型によるものではないことがすぐにわかります。「MUKY」と違って、インテリア関係のプラスチック・パーツも複製されており、グリルのパターンが異なる他、リアエンドのスリットは省略されてしまっています。

しかし塗装などはなかなか綺麗で、これだけの技術があるのなら、「クローン」などに命を賭けずにもっとオリジナルの製品を作れば良かったものを、と思わずにはいられません。




上がアグティ、下はマッチボックス。




裏板には「aguti」のロゴタイプがありますが、これがかなりのオーバーデザインで、ちゃんと「aguti」と読めず、「aquli」などに誤読されるおそれがあります。実のところ、アルゼンチン国外のコレクターがこのロゴタイプを誤読した場合、「aguti」で検索してもオークション出品にヒットしない、という厄介な事態を生んでいます。

裏板の構成やモールドなどを、ほぼ「まんま」クローンしています。せめてこういうところにもう少し気を使ってくれると、「真似したわけではない」という主張をする余地が生まれると思うのですが、これでは何とも致し方がありません。「MUKY」では商品名をホットホィールとは変えていましたが、アグティは「ダッジ・チャージャー MK.V」を公然と名乗っています。

アグティのパッケージには万国旗が付いていて、アルゼンチン国産品であるにもかかわらず不思議な「ワールドワイド感」を演出しています。ちゃんと「日の丸」が付いているのが可笑しいですね。



 メルセデス・ベンツ350SL コンバーチブル



これもマッチボックス・スーパーファスト(MB6-B・1973年初出)に「インスピレーションを得た」モデル。
裏板(グリル/バンパー兼用)はクローム・メッキのなかなか上質な仕上げですが、車高が妙に高くなってしまい、ゴロンとしたモデルになっています。

ダッジ・チャージャーの方は、各車共用のウインドウBOXでしたが、このメルセデスは品番・車名・イラストレーション入りの専用紙箱に入っています。



ううん、これまで私は、「MUKY」「BUBY」など、アルゼンチン製ダイキャストが独自性を追求しようとする姿勢をかなり擁護してきたつもりなのですが、このあたりになるとかなり怪しくなってきます。

確かにわが「マルサン」なども、最初はコピー商品から入っているようですから、黎明期には他社製品を「真似る」ことで商品開発力や生産技術力を体得する、ということもあるのです。しかしアルゼンチンでは既に1950-60年代からブービーが独自製品を開発・生産していたわけですから、そこから20年ほども経ってから「クローン」メーカーが出るというのは、弁護できる話ではないでしょう。

いつの世でも、どこの地でも、なるべく簡便に「漁夫の利」を得ようとする人たちは存在する、ということでしょうか…。

マッチボックスの方は、ボンネット上にメルセデスの「スリー・ポインテッド・スター」のモールドがありますが、アグティにはそれがありません。「金型を借りた」とか、「買った」とか、「部品を輸入して組み立てた」とかいうことではなく、似て非なる別の金型が起こされていることは明らかです。

前掲書『Encyclopedia of Small-Scale Diecast Motor Vehicle Manufactures』では、「アグテイの末期のモデル群は、正規のオーナーによる許諾を得ていないようだ」(The Last Aguti models were apparently produced with no authorization from the original owners)としています。
ということは、少なくとも初期には、オリジナル開発者の許諾を取っていた時期があるのでしょうか。




上がアグティ、下がマッチボックス。
アグティではサスペンションの加減で車高が上がってしまい、ソフトトップもさらに高くなってしまいました。




上がアグティ、下がマッチボックス。
マッチボックスは刻印の文字の向きの加減で、左がフロント側(アグティは右がフロント側)です。
やはりアグティはブランド・ロゴが読めないですね。



アグティ(左)はどうやら、ボックスアートまで「クローン」してしまっているようです。
これですと、逆にマッチボックス・コレクターにアピールするかもしれません。マッチボックス・コレクションには、「パイレート・モデルズ」(海賊版)というカテゴリーがあるからです。

アロルド・ブービーのインタビュー発言では、マッチボックスはアルゼンチンで輸入・販売されていたようですが、アグティはこれで商売になったのでしょうか。
アルゼンチン国内で、マッチボックス・オリジナルとどの程度の価格差があって売られていたのか興味のあるところです。




「Aguti」ブランドでの製品リストは、「ダッジ・チャージャー」のウインドウBOX裏面にあり、メルセデスの箱にはリストはありません。 

 1. Volkswagen
 2. Pick Up Ford
 3. Iguana Beat
 4. Alfa Carabo
 5. Dodge Charger
 6. Ambulancia
 7. Siva Spyder
 8. Mercedes Benz
 9. Datsun 126X
10. Hairy Hustler
11. Auxilio A.C.A.
12. Mercedes Convertible
13. Ambulancia Bomberos
14. Ambulancia Militar

「Alfa Carabo」「Siva Spyder」「Datsun 126X」「Hairy Hustler」など、レズニー・スーパーファストと「まんま」の車名があるので、大変にわかりやすい構成です。

救急車(Ambulancia)が3点入っていますが、マッチボックスMB6-Aのフォード・ピックアップをノーマルで「#2」に、白塗り赤十字で「#6」に、赤塗りして「#13」の消防隊救急車に、緑に塗って「#14」の軍用救急車に仕立てたものです。

このほかに、メルセデス608系のトラックのバリエーションが9点紹介されています。
また、パッケージ上のリストにはありませんが、この他にも

-Modulo Pininfarina
-Morris Mini Cooper
-Abarth 2000
-Alfa Romeo 1600 Scarabbo
-Corvair Monza GT
-Ferrari Dino
-Prototipo Panther Bertone
-Porsche 917

などのモデルがあるようです。(売られたブランドが「Aguti」「Loden」「Rapitoy」のいずれかは未確認です。)


 セアト124・タクシー




こちらは、「ローデン」ブランドによるもの。
車種は「セアト124」で、スペイン・ギスバルに「インスピレーションを得た」またはクローンのモデルのようですが、ギスバル製のオリジナルは入手していません。
ボンネット開閉アクションを持ち、銀色のエンジンが入っています。



パッケージは「ローデン」ですが、裏板のモールドは「aguti」のままで、出自を格別隠そうという意思も見られません。

「セアト」はスペインの自動車メーカーで、フランコ政権下の1950年、政府の産業振興機関と銀行7行、イタリアのフィアットの出資下で国策自動車会社として創設された会社でした。フィアットと技術提携のより、1953年に中型車「1400」、1963年に小型車「600」などを発売してスペインのモータリゼーションに貢献。以来1980年のフィアット撤収まで、いくつか独自車種もあったものの、一貫してフィアット車をライセンス生産して、スペイン最大の乗用車メーカーとしての地位を維持しました。
フィアット撤収の2年後の1982年にフォルクスワーゲンと業務提携、1993年には完全子会社化されて現在に至っています。
このうち、このタクシーになっている「セアト124」は、1968年から1980年頃にかけて生産された中核小型車で、4ドア/ワゴン/クーペがあったようです。

「124」については未確認ですが、「セアト600」など、一部の車種はアルゼンチンで生産されたことがあるようです。スペイン製の大衆車のモデルは、アルゼンチン市場にとってはマッチボックスなどより馴染みのあるものだったのかもしれません。




実はスペイン・ギスバル・オリジナルの、セアト124(このタクシーと同じクルマ)のポリスを見かけたのですが、なかなかの価格になってしまい買い逃しました。上は「ローデン」がクローンしたのとは違う車種ですが、ギスバルは小スケール・モデルで、結構な種類を作っているようです。



「ローデン」ブランドでは、この形式のウインドウBOXだけが使われたとのことです。

「ローデン」の箱は上のセアト・タクシーの入っていたものですが、エンドフラップの車名表示は「Acoplado」になっていて、ラテン・アメリカ系のスペイン語で「トレーラー」を意味します。パーケージ裏の製品リストの最後にあるモデルで、残念ながらこのタクシーは「箱付き」ながら違う箱に入って来たことがバレてしまいました。どうやらスペイン語は、ヨーロッパ/メキシコ/ラテンアメリカで若干違う部分があるようです。

また入手していないもうひとつのブランドである「Rapitoy」は、「Fast Toy」「Rapid Toy」の意味ですが、こちらはウインドウBOXではなく、イラストレーション付きの紙箱(ピクチャーBOX)を使用したそうです。
「ローデン」「ラピトイ」ともに、生産量はそれほど多くないようです。



「ローデン」のパッケージ裏面の製品リストをご紹介しておきましょう。

-Dadge Charger
-Ambulancia
-Datsun 126X
-Auxilio A.C.A.
-Ambulancia Bomberos
-Ambulancia Militar
-Fiat 124
-Morris 1100
-Renault 12
-Citroen Visa
-VW Escarabajo Rock
-Pick Up Wrangler
-Pick Up First F
-Dadge Charger Fuego (Dadge Charger にデカール貼りしたもの)
-Mercedes Benz Coupe Com Techo Desmontable
-Taxi 124
-Camion International Volcador
-Bulldozer
-Tractor
-Acoplado

全体に「Aguti」シリーズとの重複感があり、何故「ローデン」ブランドを名乗ったのかには謎が残ります。このうち、「Aguti」のリストには出てこない欧州車系のモデルが、スペイン製「ギスバル」のクローンでしょうか。メルセデスの「Com Techo Desmontable」は、「取り外し式の屋根」という意味なので、「Aguti」シリーズでトップをアップしたものとダウンしたもので2つの品番を与えていたものを統合したということでしょう。





 「アルノ・キコラー」 ── コーギー・ジュニアをライセンス生産したブラジルのブランド


アルゼンチンのいくつかのブランドのご紹介を終わり、いよいよ「ブラジル」に飛びます。
(ただし、アルゼンチン/ブラジルともに、ここにご紹介するブランドが全てではありません。)

パッケージは、明らかに「コーギー・ジュニア」のブランドを掲げていますが、並列して「KIKO」のマークがあることにお気づきでしょう。

「Kiko」は、「アルノ・キコラー」(Arno Kikoler)社のブランドで、この社名はしばしば「A.Kikoler」と略されます。パッケージ上での出所表示の印刷も「A.Kikoler」となっています。
箱の前面にある「colecione todos os modelos」は、「全部コレクションしよう!」(collect all of the models)の意味です。

「A.キコラー」は、1970年代後半から1980年代にかけて、非常に多くの玩具/ホビーメーカーの製品を、それら各社の正規契約の下で、ブラジル国内でのライセンス生産を行ったことで知られます。
この時期、ブラジルでは完成品の輸入に対しては非常に高い関税がかけられたため、ライセンス許諾の下での国内生産の形を採ることによって、より安い価格での供給をはかったのです。

「A.キコラー」は、実はレベル(米)、エアフィックス(英)、エレール(仏)のプラスティック・キットのブラジルでのライセンス生産者だということです。

米レベルが、モノグラムとの統合前だったと思いますが、米本国でとうに絶版になったキットが「ブラジル・レベル」版として再販されることがありました。1/40のミリタリーのシリーズ(M35トラックや105mm榴弾砲など)で、現在はキットを持っていませんが、パッケージのどこかに「A.Kikoler」の文字を見出すことができるのかもしれません。


「A.キコラー」は、ダイキャスト・ミニカー分野ではコーギー/マジョレット/ノレブ/レベル製品のライセンス生産を行っており、コーギー製品は小スケールのシリーズである「コーギー・ジュニア」でした。ミニカーの裏板では、オリジナル(許諾元)のブランドのほか、「KIKO」のブランドと、ブラジル国内で製造されたことを示す「INDUSTRIA BRAZILIERA」のモールドが加えられました。

「A.キコラー」は、仏・ノレブの「ジェット・カー」シリーズも生産しており、このシリーズは「キコ・ジェットカー」(Kiko Jet-Car)と名付けられていたようです。これらは、1970年代後半から1980年代前半に製造され、モデルの裏板には「Jet-Car」と「Norev」のモールドがそのまま残されており、「KIKO」のブランドはパッケージの上だけに表示されていたようです。

「A.キコラー」の創業者は、社名そのままの「アルノ・キコラー」という人物で、彼の義理の息子であるマウリシオ・M・ヌーチ(Mauricio M Nhuch・ポルトガル語読みに全く自信なし)はローリー・トイズ(RolyToys)という別の会社を起こしました。
アルノとマウリシオは、英・エアフィックス社で働いていたことがあり、エイフィックスは一時期ディンキー・ブランドを持っていたことがあるのですが、「A.キコラー」がライセンス生産したのはディンキーではなく、「コーギー」でした。

マウリシオの起業した「ローリー・トイズ」は1964年から1968年頃に、1/54〜1/62程度の小スケール・モデルを製造。一部のトラック・モデルは1/100程度のスケールだということです。ブラジルにおけるダイキャスト・ミニカー製造者としては初の企業と考えられ、製品化した車種はブラジルとドイツ車が主体でした。マッチボックスを製造した技術を基礎としており、一部のレア・モデルには「Roly Toys」を表示したマッチボックスのライセンス生産品があるということです(『Encyclopedia of Small-Scale Diecast Motor Vehicle Manufactures』 p90)。
 フォード・エスコート・タクシー


フォード・エスコートのタクシー。
コーギー・ジュニア「E63-A」の金型を利用したもの。

マッチボックスやホットホィールの作った「マキシ・タキシ」のような、2ドアのドラッグ・レーサーに似たたたずまいですが、それもそのはずで、コーギー・ジュニア時代にはメタリック・ブルーのラリーカーで、商品名も「フォード・エスコート・ラリー」になっており、タクシー仕様はありませんでした。
金型は2ドア車ですし、イギリス製ミニカーで「タクシー」と言えば、オースチンのタキシー・キャブが多いですから、当然と言えば当然です。

ラリーカー時代の英国での生産は1971〜1975年、KIKOによるブラジルでの生産は1980年代で、KIKOでの品番は「#8」、ブラジル版として「C8」の整理番号が与えられています(Corgi Juniors &Husky Models, A Complete Identification and Price Guide by Bill Manzke, Schiffer Publishing Ltd.PA, 2004)。

同書p81の写真では、ラリーカー時代の2連のフォグランプが、裏板と一体式でラジエーターグリル前にあるのですが、私の入手したモデルにはありません。「折れてしまった」「前の所有者が切断加工した」「タクシー用にKIKOが金型を変えた」のいずれかのはずですが、いずれも断定はできません。
ただシールなど、ミニカーの他の部分の状態は良いので、フォグランプだけがスッパリと折れたとは考えにくいのですね。メーカー生産時に加工されている可能性も否定できないと思っています。

このモデルのオークション出品には質問が入っていて、「フロントにフォグランプがあるはずだが…。」
それに答えて出品者は動ぜず、「その通りだが、もしそれが失われていても、このモデルの価値をいささかも減じるものではないと思うよ。」
みんな、何でも良く知っているものだと思って、感心したものです。

入手したモデルのウインドは透明グリーンですが、透明レッドのものもあるようです。前掲書では、このウインドの色違いだけをバリエーションとしてあげており、フォグランプ有無のバリエーション記載はありません。
「KIKO」は同じフォード・エスコートで、白ボディに「ハリウッド・ラリー」のラベルを貼ったものも作ったようです。



裏板は、「CORGI JUNIORS」の表示がキチンと残された上に、製造者である「KIKO」のブランドが加えられ、「INDUSTRIA BRASILIERA」(Made in Brazil)が表示されています。

「WHIZZ WHEELS」(ウィズ・ホィールズ)というのは、コーギー・ジュニアにおけるスピード・ホイルの名称で、コーギーの小スケール・ブランドも当初は「ハスキー」のブランド名でレギュラー(非スピード)ホイルを付けており、その後スピードホイル化されました。コーギー・ジュニアもまた、マッチボックス・スーパーファストやホットホィールとの戦いを世界各地で繰り広げることを余儀なくされたのでした。


 フォード・サンダーバード 1957


コーギー・ジュニア「E96-B」の金型。
前掲のコーギー・ジュニア解説書では「C60?」としていますが、箱に印刷されている「KIKO」品番は「#41」なので、「C41」としておきます。(同書では「C41」は欠番しています。)

イギリスでの生産は1980年10月から1983年まで。「KIKO」での生産も1980年代です。金型は、スペアが貸与されているようなので、「KIKO」での生産が必ずしも英本国での生産終了後とは限りません。

この本でのカラーバリエーションは黄色と赤になっており、入手した白は含まれていませんから、「コーギー・ジュニア・コレクションの権威」と言えども、ブラジル版についてはわからない点が多いのでしょう。「KIKO」版のコーギー・ジュニアとして、色違いなどを除いて独自品番を与えられたものだけで80種程度に及ぶようです。



サンダーバードでは、「CORGI JUNIORS」 「WHIZZ WHEELS」 といったオリジナル版の表示がなくなり、「KIKO」が前面に立っています。


 シェビー・バン 「バリグ・ブラジル航空」



「フォード・サンダーバード」では、裏板を見ない限り「ブラジル版」の痕跡は何もないのですが、「バリグ・ブラジル航空」のバンにはお国柄が表われていて、探した甲斐があるというものです。

やはり(いかに本国版には無い稀少なものであっても)色違いモデルなどよりは、ポルトガル語表記のポリス/救急とか、サン・パウロやブエノス・アイレスのタクシーなどに魅力があります。
「KIKO」製コーギー・ジュニアにポリスや救急があるのかは未確認です。

シェビー・バンは本家コーギー・ジュニアでは色々な製品が作られていて、ファイアボールバン(E90-A)、スーパーマン・スーパーバン(E47-B)、その他「チャーリーズ・エンジェル」「ペプシ」「ゴールデンイーグル」「アディダス」「ブリテイッシュ・ガス」などがあります。いずれも紙シールを貼り付けただけのあまり感心できないモデルですが、ポップな感じの独特の魅力もあります。

バリグ・バンの「KIKO」での品番は「C13」です。
「KIKO」は「C10」で「Revell Plastic Kits」のラベルを貼ったものを作っていますが、これは「KIKO」がレベルのプラスティック・キットのライセンス生産をしていたことを考えると、自社のプロモーションも兼ねていたことになります。

下は、コーギー・ジュニア本家製の「ペプシ・バン」とのツーショット。
アルゼンチン「Aguti」製の「クローン」とは違って、本家金型を貸与されてのキャスティングでした。
ただし、ホイルは「KIKO」オリジナル・デザインのものを履いています。





上のバリグ・バンでは、「CORGI JUNIORS」 と「KIKO」 の両ブランドが併記されています。
下はコーギーの「ペプシ・バン」ですが、「CORGI JUNIORS」「CHEVROLET VAN」のモールドはそのままで、裏板の丁度空いている場所に「KIKO」「INDUSTRIA BRAZILIERA」の文字を追加したことがわかります。これなら、追加刻印を後で削除することも簡単にできたでしょう。




フォード・エスコート/サンダーバードはイラストレーション付きの専用箱ですが、バリグ・バンだけは窓のあるジェネリック(各車種共通)箱です。ただしバリグの入って来た箱には「#39」のスタンプがあり、「KIKO」の「#39」フォードのダンプトラック(E49-B)なので、違う箱に入れられて来た可能性があります。


実は、「コーギー」製品を製造・販売していたメットーイ(Mettoy)は、1983年10月31日に経営破綻して事業を停止しました。そして、1984年3月29日に、更生新会社である「コーギー・トイズ・リミテッド」が設立されています。同社は最終的には米国マテルによって1989年12月18日に買収されることになります。一時、ロンドンタクシー/ロンドンバスなどをはじめとするかなりの金型が、「ホットホィール」ブランドで製造されたことをご存知の方も多いことでしょう。

前掲のコーギー・ジュニアの解説書(Corgi Juniors & Husky Models, A Complete Identification andPrice Guide)では、「KIKO」はコーギー製品の輸入代理店であったものの、ブラジル政府の高関税政策のためにブラジル国内での生産を決意。英国にあったスペアの金型とブラジル国内での生産設備を用意した、ただしその時期は、メットーイの破綻した1983年10月31日の前か、後かは判然としない、としています。
メットーイ破綻後に生産されなくなった金型がブラジルに流れたということではなく、メットーイまたはその資産の継承者である「コーギー・トイズ・リミテッド」が、ブラジルにおける販売代理店であった「A・キコラー」社に正規契約のもとで貸与したものでしょう。

「KIKO」による生産に使用された全ての金型は、最終的にコーギーに返還され、その時点でブラジル生産用に追加・変更されていた刻印や、一部の改訂箇所は全て元の状態に戻された、としています。それら、ブラジルから返還された金型は、現在も「コーギー・クラシックス・リミテッド」または「マテル」が所有しているはずだ、としています。

アルゼンチンの「MUKY」の使った金型はマテルから盗まれたものだという話とは、対照的な後日談だと言えるでしょう。それほどにマテルの金型管理は厳しい、ということを物語る話であるとも思います。


 ブラジル版「マッチボックス」

ブラジル版マッチボックスの存在を知ったのは、「マッチボックスのBOX」の記事を作っていた時でした。チャーリー・マックの『エンサイクロペディア・オブ・マッチボックス・トイズ』(Revised & Expanded 3rd Edition 2002)の152ページにあるパッケージ写真と、手持ちの箱を対照させていくと、見当たらないものがあり、これが「ブラジル・マッチボックス」用の「スーパーファスト・タイプF」(1977〜1978年)でした。この時点では、入手は諦めていましたが、アルゼンチン/ブラジル方面の探索の結果、現物を手に入れることができました。

「マッチボックスのBOX」の記事を作成した時点では、「レズニーがブラジルに金型を貸し、マナウスで生産されたものか、英国で生産したものをマナウスで箱に入れたものかは未確認」としていたのですが、その後の調査でおおよその状況はわかって来ました。

何度か書きましたが、ブラジル/アルゼンチンともに、完成製品の輸入には非常に高い関税をかけた時期がありました。1964年のクーデターから1985年の民政移管まではブラジルも軍事政権下にありましたが、1970年代初頭のオイルショック、さらには外国資本の導入による大規模な資本の流出などで経済が破綻。これらの結果1970年代後半には経済が低迷し、同時に深刻な高インフレに悩まされるようになったのです。

1969年から1994年には、「グルジェル」(Gurgel)という、ブラジル国内資本による自動車メーカーもあって、VW・ビートルを基とした小型車で市場進出し、ブラジル国内で大変な人気を博したこともありました。その後、1970年代になると大型車・オフロード車の製造を本格的に開始し、一部モデルは10か国以上に輸出されるなど大きな成功を収めましたが、1980年代になるとブラジル景気の悪化とともに経営難となり、他にも業績が悪化・倒産する企業が相次ぎました。クライスラーなど多数の外国企業も1980年代にかけて引き上げてしまいました。
(結局「グルジェル」は1994年に閉鎖に追い込まれることになります。ただし1995年には「トロラー」社がブラジル国産資本・第二の自動車メーカーとして誕生しています。)

国内が経済危機に見舞われ、ブラジル国内に立地する外国資本が撤収してしまう中での高関税政策は、外国製品の席巻を抑制し、国内産業を保護するための対策だったのでしょう。したがってイギリスで組み立てられた「マッチボックス」の輸入・販売は非常に高いものにつき、レズニーとしても南米市場での販売には高い障壁を設けられてしまったのでした。

つまり「ブラジル版マッチボックス」は、「英国製品をブラジル版パッケージに入れたもの」ではなく、「アルゼンチン国内で製造」されたものでした。
レズニーなどの欧州企業にとっても、ブラジルで製品の販路を確保し続けるためには、ブラジルの企業にライセンス製造を許すことが、最善の方法だったのでしょう。



マナウスの「インブリマ」社



ブラジルでマッチボックスの生産をした会社のひとつが、「INBRIMA」です。とりあえず、素直に「インブリマ」と読んでおきたいと思います。
『エンサイクロペディア』上の「タイプF」ボックスとして掲載されているのは、「インブリマ」製のものです。

ブラジル版マッチボックスは、生産量が少ないと思われる上に、マッチボックス・コレクターが探しているため、なかなか入手がむずかしいようです。選り好みをしている余裕はなく、私の入手したのは「MB24-C」のディーゼル機関車(Shunter)でした。

そういう目であらためてパッケージを見てみると、「Fabricado na zona franca de Manaus por :Imbrima ・Ind. de Brinquedos do Amazonas S.A.」の表記があります。
ポルトガル語のため、どの部分が社名がわからないでいましたが、「Industria de Brinquedos doAmazonas S.A.」が社名、「Inbrima」はそのブランド(営業標)でしょう。




「Industria de Brinquedos do Amazonas S.A.」は、「Toys Industries of the Amazon Inc.」で、「アマゾン玩具産業株式会社」、「INBRIMA」は「INdustria de BRInquedos do MAnaus」から採ったネーミングではないでしょうか。Manaus(マナウス)は、ブラジル北部・アマゾナス州の州都です。
おそらくは「アマゾン玩具産業」社の所在地でしょう。

余談ですが、スペイン語がヨーロッパ/ラテンアメリカ/メキシコで少しずつ違うように、ポルトガル語もポルトガル本国などで使われるイベリア・ポルトガル語と、ブラジル・ポルトガル語では少し違うとのことで、「ブラジル」はイベリア・ポルトガル語での発音、ブラジル・ポルトガル語では「ブラズィウ」に近い発音だということです。




ミニカー裏板は「MADE IN ENGLAND」のままになっていますが、「FAB ZF Manaus」のモールドのあるプラスチック片が貼り付けられています。「FAB ZF Manaus」は、「Fabricado em Zona Franca deManaus」で、「Manufactured in Duty-Free Zone Manaus」(マナウス関税自由都市製)といった意味でしょうか。「関税自由都市製」ということは、ブラジル政府の高関税政策に対して、輸入部品や原材料を加工・組み立てるための工場がマナウスに集積されていて、一種の「経済特区」になっていたような状況がうかがえます。

ミニカー上には「INBRIMA」の表記はありません。
このプラスチック片には、白/クリーム/ライトブルー/黒などがあるということです。
初期では、この形式のプラスチック片ではなく、裏板に「IMBRIMA」のブランド名のある黒いラベルを貼り付けた形式のものが作られたようで、プラスチック片に置き換えられたのが1976年頃ということです。

「マッチボックスのBOX」での記事と重複になりますが、前掲書の『エンサイクロペディア』によれば、以下の5種がレア、とりわけ「MB41 Siva Spyder」がレアだということです。ブラジル版の登場した1977年に生産が終了しているのですから、ムリからぬことでしょう。

-MB 1-C Dodge Challenger(1976-1982)
-MB 4-C Pontiac Firebird(1975-1979)
-MB36-C Formula 5000(1975-1980)
-MB41-B Siva Spyder(1972-1977)
-MB58-C Faun Dump Truck(1976-1983)

ブラジル製マッチボックスの出品は海外ネットオークションでも少ないですが、少なくとも「インブリマ」製については、裏板に上のプラスチック片やラベルがあり、ブラジル版の箱に入っているはずです。
ブラジル製をレズニーの箱に入れたもの、逆にブラジル版の箱にレズニー製ミニカーを入れたもの、などにご注意ください。

ブラジル製マッチボックスのパッケージは、ここに掲げた「タイプF」のジェネリック箱だけではなく、いくつかの種類があります。とは言え、ネットオークションの画像では、ポルトガル語の出所表示の細かい文字を確認することはなかなか困難かもしれません。



「ローリー・トイズ」社(「KIKO」創業者の義理の息子の会社)

何度も引用している、小スケール・ダイキャストのメーカーを解説している洋書資料『Encyclopedia ofSmall-Scale Diecast Motor Vehicle Manufactures』のp49では、「INBRIMA」はブラジル版マッチボックスをライセンス生産した会社の「ひとつ」(Inbrima is one of the names used by Brazilian Matchbox Licence("Industria de Brinquedos Amazonaz").)だとしており、つまりブラジルでマッチボックスをライセンス製造した会社は複数あることを示唆しています。

この複数社のうちのもうひとつが、先のアルノ・キコラー(コーギー・ジュニアなどをライセンス製造した「キコラー」の創業者)の義理の息子(son-in-law)であるマウリシオ・M・ヌーチの「ローリー・トイズ」ということになるわけです。

「ローリー・トイズ」製のマッチボックス・ライセンス版については、わずか数行の記述のみ(It has also recently been learned that this firm produced Matchbox models in Brazil and added their nameto the baseplates of these rare models)で、詳細は全く不明です。どうやら、「ローリー・トイズ」製には裏板に社名の記述があるようですね。

ケイト・ビックフォード(Keith Bickford)による、世界のダイキャスト・ブランドの解説サイト(Diecast Oddities presented by The Bickford Diecast Research Center/http://www.kbickford.com/AlphaR.html)によると、「ローリー・トイズ」は1965年にマウリシオ・M・ヌーチと、 クルト・アドルフ・ハンベルガー(Kurt Adolf Hamberger・何故か完全なドイツ名)によって創業。『ローリー・オリジナルの製品とともに、マッチボックスのライセンスによる製品を「インブリマ」の名称で生産した』(They manufactured Matchboxes under license with the Inbrima name, as well as their own cars)としており、「インブリマ」と「ローリー」を完全に同一視しています。

一方、「GarysCars」というコレクター・サイト(http://www.home.railscene.com/garyscars/mb/Brazil/)では、マナウスでのマッチボックスでの生産が始まったのは概ね1972年、当初は「ローリー・トイズ」の黒いラベルが裏板に貼り付けられていたが、やがてローリーは社名を「インブリマ」に変更した(thecompany changed its name from Roly Toys to Inbrima)としています。
経緯の説明としては、この記述が最もスジが通っており、そうなると「ローリー・トイズ」「インブリマ」「マナウス玩具産業」は全て同一の事業主体ということになります。

またこのサイトでは、マッチボックス(レズニー)は、キット形式で製品を輸出し、ブラジルで組み立てられた、としています。したがって「ローリー」と後の「インブリマ」は、、マッチボックスから金型の貸与を受けたのではなく、アルゼンチンのブービーがソリド製品に際してそうしたように、未組み立て部品を輸入してブラジル国内で組み立てだけ行ったということになります。

「キコラー」によるコーギー・ジュニアは、裏板の刻印改訂が行われていて、ブラジル国内でのダイキャスト鋳造を示すのに対して(つまり金型貸与を受けている)、「ローリー」と「インブリマ」のマッチボックスは裏板改訂を受けておらず、ラベルやプラスチック片を裏板に貼り付けてられていることからも、部品組み立て(つまり金型貸与は受けていない)と判断して良いように思います。

チャーリー・マックの『ザ・ビッグ・ブック』(Volume 2 Product Lines & Indexes 2005)では、p17〜19で「ブラジリアン」として54台を挙げています。これらは「Brazilian (Manaus)」とされていますが、「インブリマ」製とそれ以前のものとは必ずしも識別されていないようです。英国や他の地域向けバリエーションとは、カラーリングなどが異なっているようですが、私の入手したモデルは入っていないので、さらに種類が多い可能性もあります。




「トロール」社

もう1社「TROL」(これも素直に「トロール」と読んでおきます)というブラジルの会社があり、ドイツ・ファーラー社の「ヒット・カー」のシリーズとともに、ブラジリアン・マッチボックス・ライセンシーを持っていた、とされます(『Encyclopedia of Small-Scale Diecast Motor Vehicle Manufactures』 p108)。これは1980年代で、ウインドウ・ボックスが見出される、ということです。

「ローリー」によるマッチボックスの生産開始が1972年、「インブリマ」製は「スーパーファスト・タイプF」ボックスの使用時期が1977〜1978年ということからして、ライセンス許諾を与えたのはレズニーですが、トロールの「1980年代」という表現は微妙です。
果たして香港・ユニバーサル(1982年にマッチボックスを買収)期にもブラジルとの関係は継続していたのでしょうか。

ブルガリアとハンガリーのマッチボックス」のページで書いたように、ユニバーサル・マッチボックスは、1986年に10の金型のライセンス生産と、「マッチボックス」の商標の使用許諾を、ハンガリーの「メタルボックス GMK」(Metalbox GMK)という会社(同社はコーギー・ジュニアも生産)に与えていますので、同様にブラジル企業に金型貸与を行った可能性もあるわけです。ただし「トロール」による生産が明らかに80年代で、「インブリマ」による生産より後のことと特定するには情報が不十分です。


 シュコーやSikuをライセンス生産した「REI」




完成品の輸入が高い関税をかけられる、という同じ理由から、ドイツ製品をライセンス製造した会社もありました。「REI」といい、はじめシュコーの1/66シリーズ(品番800番代のいわゆる「800シリーズ」)を生産し、その後「Siku」製品を生産しました。

ケイト・ビックフォード(Keith Bickford)による、世界のダイキャスト・ブランドの解説サイト(Diecast Oddities presented by The Bickford Diecast Research Center/http://www.kbickford.com/AlphaR.html)によると、「REI」(Brinquedos REI)は、マナウスに工場を持つ「アルフェマ」(Alfema)社の1事業部門で、シュコーから金型を「購入」し(from dies purchased from Schuco)、1/43・1/66の両方の商品ラインを製造した、としています。『古い金型を使っているわりには、品質や再現性においてオリジナルのシュコー製品に対して遜色がなく、1/66スケールのルノー17・クーペに至っては、シュコーよりもデキが良いくらいだ』との評価をしています。


私が入手したのは「ゴルフLS」(シュコーでの品番は「880」、1974年初出)ですが、パッケージに同梱されていたミニ・カタログの中には「シロッコ」「パサートLS」「T2・バン」など、VW車がたくさん含まれています。

累計生産台数1625万5000台目となる最後のVWビートルが、1978年1月19日正午にエムデンの工場からラインオフされて、33年にわたるビートルの歴史に幕が下ろされた後にも、ビートルの生産設備が主にメキシコとブラジルの両工場に移され、引き続き生産されたのは有名な話です。
現在でもブラジル国内の自動車生産は、VW/GM/フィアットで国内の販売台数の約7割占めているとのことで、VWとブラジルとの歴史的な結びつきは大変に強いと言えるでしょう。






「REI」のブランドマークの下に大きく書かれている「faca sua colecao」も、「コレクションしよう!」(do its collection)の意味です。
シュコー金型のモデルについては、「REI」製品もドイツ本国製品と同じプラスチック・ケース入りの仕様で販売され、40種以上が作られたということです。

裏板には、「PZF Manaus」「I.N.D. Brazileira」 と「REI」のシンボルマークが刻印されています。
金型の譲渡または貸与を受けて、ブラジルで鋳造されたことを示していると言えるでしょう。


「REI」によるブラジル版Sikuは、ヨーロッパ市場などで出ることがありますが、なかなか高価で、ちょっと「冷やかし」では入手しづらいものになっています。ポルトガル語表記の救急車やパトカーでもあれば考えたいと思いますが。

「REI」は、1980年代の半ばに、「ホット・カーズ」(Serie Hot Cars)というプル・バック動力のシリーズと、「Dapper」という名のバスのシリーズを販売し、これらのうちのいくつかには「マスダ・トイズ」(Masuda Toys Press Tokyo)の表記が見られる、ということです。
戦後「オキュパイド・ジャパン」の時代をくぐり抜け、現在も台東区蔵前で営業している「増田屋コーポレーション」の製品でしょうか。日本企業とブラジル/アルゼンチン市場との関係なども興味のあるところですが、残念ながら同社の「沿革」にもそこまで詳しい情報は記載されていませんでした。

「増田屋コーポレーション」が1940年から1980年のブリキ玩具全盛時代に生産・発売・輸出した玩具の資料書籍が、アメリカで出版されています(Modern Toys from Japan, 1940s-1980s by William C.Gallagher, Schiffer Book for Collectors, Schiffer Pub. Ltd. 2005)。「Modern Toys」は、同社が輸出用に使っていたブランドのひとつです。このように、日本企業であっても輸出先市場では違うブランドを使っていることが多々あるため、日本製品と気が付かないでいるようなケースもあります。

「ブービー」の項でご紹介した、ジャパン・ミニチュア・コレクター・クラプ(JMCC)会報『コレクター』誌・82号(1966年12月号)の、NHK交響楽団の北野勝曠氏の原稿 『ミニチュア・カー 南米の旅』の中には、
『「チリー」のサンチアゴでは、日本製某社の初期の製品の「グロリア」「セドリック」「クラウン」「コンテッサ」「スカイライン」などが全く装いの異なった箱に入ってショー・ウインドウに並んでおりました。』という記述があります。これだけでは、アサヒ・モデルペットなのか、大盛屋ミクロペットなのかはわかりませんが。


 その他のブラジル製ブランド

小スケール・ダイキャストのメーカーを解説している洋書資料『Encyclopedia of Small-Scale DiecastMotor Vehicle Manufactures』では、ブラジルのブランドとして、さらに以下を紹介しています。
ただしいずれも極めて簡単な解説で詳細は不明、ましてや実際のモデルの発見はなかなか困難そうですし、やめておいた方が無難と思われます。ブラジルに住むことがあったら、探してみてください。


-ESTRELA: 
初期ディンキーのレーサーのコピーモデルを製作。

-FIDART: 
1970年代に、ホットホィールのコピーモデルを製作。「フックス」(Fuchs)という、キツネのモチーフを使ったウインドウ・ボックスや、「ホットホィール」「スピード・ボックス」などの表記を用いたとのこと。
リンカーン・マークW/ローラGT/シェベルSS/コーベット・スペシャル/バギー・シャパラル/バギー・モンツァ/バギー・モナコ などのモデルがあり、このうち「バギー」関係は、ローンスターのプラスチック製コピーに金属性裏板を付けたもの、だということです。デキはあまりよろしくなく(The cars are of poor workmanship)、現物を見なくてもおおよその想像はつく、というものでしょう。
「キツネのモチーフ」というのは何のことかと思われるでしょうが、コーギーの「犬のマーク」をヒントにしたものと察しがつきます。

-JUE:
1960年代に、1/90スケールの「キャタピラー・ブルドーザー」のモデルを製作。
「Automobile Yearbook of Models 1982」にその記述があるということです。

-SACI:
コーギー・ジュニア金型をノック・オフしたもので、裏板に「SACI」の刻印があるとのこと。事実とすれば、「KIKO」以外にもコーギー・ジュニアの生産を許諾された会社があることになりますが、確証はなく、コピーモデルの可能性も否定できません。

-TAMAS/TINICAR:
1965年頃に、1/60程度のスケールの農業用トラクターのモデルを製作。

-P.Z.F.
この本では、「P.Z.F.」を独立したブランド・アイデンティフィケーションのように掲げていますが、「P.Z.F.」は「Produzido na Zona Franca」の略で、「Fabricado em Zona Franca」と同じ意味、つまりマッチボックスのところで出て来た「マナウス関税自由都市製」(Fabricado em Zona Franca de Manaus」)のアタマに付く略号でしょう。つまり複数の会社がこの表記を使っているはずで、特定のブランドの名前ではないと私は思います。同書では、「Azrak Hamway International」のために作られた、いくつかのディズニー・カーの裏板や、他社製のホットホィールのコピーモデル、「REI」製のいくつかのモデルにこの表記がされている、としています。


 その他のアルゼンチン製ブランド

アルゼンチン製ブランドについては、このページでかなりの部分をご紹介したことになりますが、ついでに同書に掲載されている他のアルゼンチン・ブランドもピックアップしておくことにします。
これらはダイキャスト・ミニカーの製造ブランドとして挙げられているもので、この他にもティントーイの製造メーカーなどもあるようです。


-RENO:
F2レーサーやスポーツカーの、シンプルかつ愛らしいモデルを製作。
「ジョン・プレイヤーズ・スペシャル」をはじめとするF2レーサー/フィアット・リトモ/ルノー・サンク/フォード・シェラなどのモデルがあるようです。

-RENNO:
「RENO」と似ている綴りなので、「両者は同じものかもしれない」とのこと。いい加減なようですが、実際は同じ会社(ブランド)が途中で名前や綴りを変えたりすることもあるので、あながちそうとばかりも言えないのです。商標的には「RENO」「RENNO」「レノ」「レンノ」などは明らかに類似なので、同じ会社の商標と考える方が自然でしょう。もし両者が違う会社だとすれば、明らかに一方が著名ブランドを模倣して、「他人の褌で相撲をとろうとした」ということになります。
「RENNO」製品で良く知られるのは、黄色や白のインテリアを付けた「バットモービル」で、デキはあまりよろしくないらしく、「RENO」社のスポーツカー・シリーズの方がクォリティは高いということです。

-SIGOMEC:
1978年に、「ジョン・ディアー」(John-Deere)の農業用トラクターのプロモーショナル・モデルを製作。




 海外ネットオークション「eBay」公認の 日本向けサービス

アルゼンチン/ブラジル/インド /ブルガリア/ハンガリー/旧東ドイツなどのミニカーは、日本には過去に全く入って来ていない、というわけではないようですが、やはり市場に流通している絶版車の量には限りがあるようで、ある程度の選択の幅をもって探すとなると、海外のネットオークションに頼らざるを得ません。

特にアルゼンチンは、ティン(ブリキ)を含めると「おもちゃ大国」とも言える様相を呈しており、米国eBay上に英語の説明で出品しているアルゼンチン在住の出品者が結構たくさんいます。英語の説明を書いている人とは、英語でのコミュニケーションが可能です。



海外ネットオークションへの直接入札や外国人出品者との直接のやりとりには、どうしても言葉などの面で不安が残る、という方のために、セカイモン(sekaimon)というサービスをご紹介しておきます。カリフォルニア州サンタクララの、「ショップ・エアラインズ・アメリカ・インク」(SAL・Shop Airlines)という会社(ネットプライスグループの海外Eコマース事業担当会社)によるサービスですが、eBayの日本向け公認サービスとして、日本語サイトが開設されています。

登録会員は日本語で表示されたサイトを見ながら。検索・入札。
落札された場合、商品は出品者によってロサンゼルスにある配送センターにいったん送られ、そこから日本に転送される仕組みになっています。一種の代行入札システムなので、落札金額・送料の他に、落札価格の15%の「セカイモン手数料」が必要です。

ロサンゼルスの配送センターまでの米国内送料と、そこから日本への国際送料がかかる仕組みのため、出品者からダイレクトに送られる場合より基本的には割高になります。したがって決済手続きも2回になります。ロスからの国際配送料金(国際宅急便)は、重量制の目安金額がサイト上に表示されています。ミニカーであれば、複数台を買ってもまず2kg以内ぐらいで収まるはずです。同一出品者から複数購入するなどして、ミニカー1台あたりの送料を減らす工夫をした方がいいかもしれません。
会員登録をすると、入札金額を入力すると諸費用を含めた見積総額が表示される機能を使うことができます。

いまのところ、入札対象になるのは米国eBay ということで、別サイトになっているドイツ/フランスなど各国eBayの出品物は購入できません(ドイツ在住の出品者であっても、米国eBayに出品しているなら、入札できることになります)。 一方、出品者にとっては発送先はロスの配送センターであるため、「米国内にしか発送しません」という出品にも入札できることになります。

検索をかけてリストを表示すると、アイテム名のアタマのところに「セカイモンで取り次ぎできる」アイコンが表示されます。表示されないものは、英語版eBayからしか入札できません。出品時に「セカイモン取次ぎ」をOKするかどうかの条件設定がされているのかもしれません。また、日本語への翻訳プロセスを経るせいか、検索リストの表示と改ページに少し時間がかかるようです。

関心のある方は日本語サイト内の説明を良くお読みの上、納得と自己責任の原則の上でご利用ください。活用の仕方によっては、日本のコレクターに新しい可能性を拓く仕組みかもしれません。






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