マッチボックスのBOX

The Boxes for the Matchbox





 たかが「箱」、されど「箱」


「マッチボックス」のブランド名の由来は、「マッチ箱」のような箱に入って売られたことにあります。そしてその名前には、「マッチ箱に入るほどに小さい自動車のモデル」という意味が込められていたことは言うまでもありません。

これには、以下のようなエピソードがあります。
『オデルの娘が丁度小学校にあがった頃のこと。学校では「マッチ箱に入るサイズのオモチャであれば、学校に持って来ても良い」という決まりを作っていました。男の子たちは、昆虫やその他の「おぞましい」生き物をマッチ箱に入れて学校に持って来ましたが、オデルは娘のために、マッチ箱に入る大きさのロードローラーのミニチュアを真鍮で作って与えました。娘の学校の全ての友人たちは、自分たちのためにもこのロードローラーを欲しがり、オデルは型を製作して鋳造製作したということです。こうしてオデルは、1953年から「1-75」シリーズの設計を始めました。』

「オデル」とは、ジョン・W・オデルのことですが、彼は「レズニー・プロダクツ」の創業メンバーではありません。創業者(レズリー・スミスとロドニー・スミスの2人の「スミス」)のうちの1人であるロドニーが、、前職であった「D.C.M.T.」社(ダイキャスト鋳造会社)で一緒だった、産業用鋳造成型と金型製造の技術者であるオデルを創業後の早い段階で経営パートナーに迎えたのです。

『学校に持って行けるマッチ箱』の話は、あまりに「出来すぎた」エピソードですが、それだけに本当のことなのでしょう。エンジニアであるオデルには「売れるパッケージ」へのこだわりが大きかったとは考えにくいですから、マーケティング/営業・販売系のスタッフによるものではなく、商品やパッケージそのものの企画もオデル自身によるものであることに意外性があるのです。中身の製品も、シリーズのコンセプトも、パッケージデザインも、ブランドネームも1人の人物の頭から出たとしたら、オデルは真の天才と言えるでしょう。まさに「事実は小説よりも奇なり」です。

「マッチボックス」というだけあって、マッチボックス・シリーズの古いパッケージが珍重されるのは、日本市場に限った現象ではなく、英本国やアメリカなどでも同じようです。
レズニーでも後期には「マッチ箱」をイメージしたパッケージは放棄されてしまいましたし、その後はブリスター・パック全盛になってしまったたために、「マッチ箱パッケージ」はレギュラー・ホイル時代のモデルのシンボルになり、かつ古いモデルほど箱付きで現存している確率は下がってしまいますから、余計に「マッチ箱パッケージ」の希少性が上がってしまった、というわけです。



「箱」が珍重されることから目立ちだした現象が2つあります。
ひとつは、そのモデルが販売時から入っていた固有の箱がいったん失われた後に、別の箱に入れられて市場に出るものがある、ということです。しかしレズニーのパッケージは、時期によって何度も変えられている上に、似たようなものが多いことから、例え同一品番・同一金型のバリエーションであっても、「時期的にはあり得ないパッケージ」に入れて売られている場合が散見されます。例えば先日「ブルガリアとハンガリーのマッチボックス」の中でご紹介したように、ブルガリアやハンガリー製のモデルがレズニー期の箱に入って売られている、といった類のものです。

販売者・出品者としては、別に故意に購入者を欺いて価格を吊り上げようとしたわけではなく、「同じ品番の同じ車種のモデルの箱なのだから、かえって良いサービスになるだろう」ぐらいに考えた結果のものもあるでしょうし、何よりも「このバリエーョンとこの箱の組み合わせはあり得ない」と断言できるほどの商品知識を、全ての販売者・出品者に期待することはできない、ということでもあります。

もうひとつは、何度かお話した「リプロ箱」の登場です。私はむしろ「リプロ箱」肯定論者ですが、なかなか納得の行くクォリティを持った「リプロ箱」にお目にかかっていません。プリンタ出力のものはなんとなく軟弱で、紙質も薄くてヘナヘナしていますし、逆にあまりキチンとオフセット印刷をかけられてしまうと、本物と見分けがつかなくなって市場が混乱する、という問題があります。
ネット・オークション出品の画像では、リプロ箱を見破るのは困難ですし、何人かの手を経るうちにリプロ箱を本物だと信じている出品者が発生したりもします。
最近は英米のオークションサイトでも、「Empty Box」(空き箱)/「Box Only」で検索をかけると、リプロ箱ばっかりヒットするようになりました。


これは、1992年にマッチボックス40周年を記念して作られた、「マッチボックス・オリジナルズ」という復刻シリーズに付けられていた「リプロボックス」。ブリスターパックの中に、リプロダクション・モデルと、リプロ箱が同梱された商品でした。

1992年というと、丁度ユニバーサルからタイコへの経営の譲渡期にあたっていますが、ブリスターカード裏面の表記は(少なくともこのロンドンバスについては)ユニバーサル期の「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド」になっています。世界拡販を重視したユニバーサル・マッチボックスも、古くからのファンの重要性に気づいたということでしょうか。

リプロボックスと言っても、もちろんしっかりしたオフセット印刷のかかったものですが、反面オリジナルとの区別を明確にするために、よくよく比較してみると箱そのものの縦横比率をはじめ、イラストレーションやリボンなどの各要素の大きさ比率や、バスの向き、バス側面の広告表現など、オリジナル(下)とは敢えて異なるデザインになっています。

とは言え、ネットオークションなどでは古いオリジナルに混ざって出品されるので、まぎらわしいには違いありません。

コレクターとしては状態の良いものから手を出そうとするのが人情でしょうが、あまりキレイなものはいったんはリプロを疑う慎重さも必要かもしれません。傷んでいるものは、逆に古いものの証明でもあるわけです。ただしこれはミニカーではなく、アンティーク・ドールでの話しですが、敢えて「エイジング」(汚しやキズなどを塗装で加えて古い時代のものに見せること)を施したリプロダクションを高値で売ろうとする集団まであるという話を聞きました。

オークションサイトを見ていると、空き箱の価格がモデルそのものが十分買える、あるいはそれ以上になっているのを見かけることがあります。箱については、単に「古いから稀少」というだけでなく、比較的新しいものであっても「レアな箱」というものがあるのですね。例えば絶版直前に箱だけが新しいデザインに変えられたような場合です。新デザイン箱での生産は短期間で終わってしまいますから、中身のモデルではなくて箱だけが「レア」になるのです。高価になっている「空き箱」にはそういう秘密がある場合もあります。

そんなこともあって、わき道にそれるテーマではありますけれど、「マッチボックスのパッケージ史」について、少しご紹介してみようかと思いたちました。ただし古いものについては、パトカーや救急車モデルのパッケージだけでは「通史」を構成できないので、違うジャンルのモデルのものも登場せざるを得ないことになりますのでご容赦ください。レギュラーホイル時代のポリスカーや救急車は種類が限られているのです。

ある面でパッケージはモデル本体以上に、それぞれの時代や市場環境、経営主体の持っていた個性などの「空気感」を表現するメディアでもあるので、「ミニカー文化小史」にでもなれば幸いと思っています。一応古い年代から始めますが、以後は手元にあるパッケージから少しずつ流れを充実させていきたいと思っていますので、気長におつきあいいただければと思います。 (2009/1/16)




BIBLIOGRAPHY
-Collecting Matchbox Regular wheels,1953-1969 by Charlie Mack,Schiffer Publishing Ltd., 2001
-The Encyclopedia of Matchbox Toys by Charlie Mack,Schiffer Publishing Ltd., 2002 
-The Big Book of Super Fast Matchbox Toys 1969-2004 Volume1: Basic Models & Variartion
 Lists by Charlie Mack,Schiffer Publishing Ltd., 2005
-The Big Book of Super Fast Matchbox Toys 1969-2004 Volume2: Products Lines & Indexes
 by Charlie Mack, Schiffer Publishing Ltd., 2005
-Matchbox Toys 1947 to 2007 Identification & Value Guide, Fifth Edition by Dana Johnson,
 Collector Books, A Division of Schroeder Publishing Co., Inc. 2008

-Lesney's Matchbox Toys Regular Wheel Years 1947-1969 with Price Guide by Charlie Mack,
 Schiffer Publishing Ltd., 1992
-Universal's Matchbox Toys The Universal Years 1982-1992 by Charlie Mack,Schiffer Publishing
 Ltd., 1993
-Matchbox Toys The Tyco Years 1993-1994 by Charlie Mack,Schiffer Publishing Ltd., 1995
-Matchbox Toys 4th Edition with Updated Price Guide by Nancy Scjffer,Schiffer Publishing Ltd.,
 1998

-matchbox1-75.com (http://www.matchbox1-75.co.uk/)
-matchbox (http://www.shabbir.com/matchbox/mbmenu1.html)
-Frank's Matchbox Lesney Page (http://www.fcarnahan.com/pg/history.html)
-Matchbox (toy) (http://en.wikipedia.org/wiki/Matchbox_(toy))
-Tyco Toys (http://en.wikipedia.org/wiki/Tyco_Toys)
-Model Colector Britain's biggest die-cast magazine
 (http://www.modelcollector.com/content/a_z/m.htm)

*I am not approved to make related links to these websites about Matchbox.
 My special thanks goes to these websites for bringing me a lot of informations.






 TYPE A ── MOCO LESNEY with script lettering (1953-1954)

最初期の「タイプA」は、1-75シリーズ/レギュラーホイルが1953年にスタートした時のパッケージで、1954年までしか使われませんでした。すなわち、

1A Diesel Road Roller (1953)
2A Dumper (1953)
3A Cement Mixer (1953)
4A Massey Harris Tractor (with fenders) (1954) (フェンダーの無いのは1957年の4B金型)
5A Lonon Bus (1954)
6A Quarry Truck (1954)
7A Horse Drawn Milk Float (1954)

の7点のみに使われた箱ということになります。8Aのキャタピラー・トラクターからは1955年の発売になるからです。正面のリボンの中に入った「A MOKO LESNEY」の文字のうち、「MOKO」の部分だけがスクリプト体(筆記体)になっているのが、「タイプA」の特長です。



7点のいずれも現存するものは極めて少ない(All are quite rare to find)ということで、それもそのはず、年代が古いだけでなく、「ミニカーの箱は保存しておくべきもの」などという暗黙のルールが存在していない時代のことですから、無理からぬことでしょう。

入手はむずかしいかと思っていたところ、運良くいくつかを入手することができました。
価格的にも相当のレベルかと考えていたのですが、例えば右上の「クォーリー・トラック」(採石場のトラックの意味)は、箱だけを56ドルで入手しています。

この間の「箱探し」プロジェクトでは、色々と面白い体験をしました。空箱を探しているコレクターは、「箱だけを集めている」人というのはもちろん少数であって、多くは手持ちの箱なしミニカー用の「家」を探しているのですね。したがってレギュラーホイル後期の箱の人気が高く、すぐに30ドル・40ドルになってしまいます。つまりレギュラーホイル後期の箱なしミニカーを持っている人がそれだけ多いために、競争率が高いのです。それに対して初期の「MOKOスクリプト箱」などは、人気が高いとはいえないようで、その希少性に比べれば割安感はあります。もちろん箱だけに56ドルには抵抗のある方もいらっしゃると思いますが。箱を確保した上で中身のミニカーを探す場合は、A金型であっても多少のハゲチョロに目をつぶれば、品番によっては10ポンドまたは15ドルぐらいから入手可能です。

娘のために作ったモデルがロードローラーだった、というオデルだけあって、初期モデルの7点全てが
特車系で、乗用車が1台も含まれていないことが注目されます。特にNo.3の「セメント・ミキサー」は、
「自動車」ですらないところが驚きです。



 TYPE B ── MOCO LESNEY with block lettering (1954-1960)



続いて「タイプB」は1954年から1960年まで使われたもので、正面の「MOKO」の文字が筆記体でなく、「A MOKO LESNEY」一体のゴシック体(ブロック・レター)になりました。
サイズについては必ずしも一定ではなく、中に入れられるモデルの大きさによって違ったようです。
モデルによっては、上の画像・下段右のディムラー救急車のように、妻面のブルーが正面にまで回りこんでいるものがあります。
こうして見ると、同じ「タイプB」箱でも、時期によって妻面に品番表示の無いもの、黒で加刷されたもの、白ヌキ円の中に表示したもの、などの違いがあるようです。

-B1 Moko Lesney box has plain end flap.(妻面に品番表示の無いもの)
-B2 Box has model number on end flap.(妻面に品番表示のあるもの)
-B3 Box has model number on end flap in white circle.(妻面の品番が白の円の中にあるもの)
-B4 As above but includes model description in black on a white panel on end flap.
  (B3と同様ながら、妻面に製品名が白ヌキの矩形上に黒で書かれているもの)
-B5 As above but model description in white without white panel.
  (B4と同様ながら、妻面の製品名が矩形上でなく、直接白ヌキ文字で書かれているもの)

したがって、上の画像でロンドンバスは「B1」、デイムラー救急車は「B2」、ロンドンタクシーは「B5」ということになるでしょうか。そうすると「B3」や「B4」が確認してみたくなってくるのです…。
「タイプB」のMOKO箱は1960年まで使われており、つまりNo.1からNo.75までの全ての品番に存在し、一部は初代「A金型」だけでなく二代目の「B金型」用も存在するので、こうしたバリエーションが発生したのでしょう。

5Aのロンドンバス(初代全長2インチ金型)は、1957年の5B(同じロンドンバスの二代目2.25インチ金型)の登場まで生産されていますから、当初1954年に「タイプA」に入って売られ、その後「タイプB」に入れられた、ということになります。「タイプB」については、「タイプA」ほどにレアではないが、多くが傷んでいる、とのこと。 ところで、この「MOKO」とは何か、という問題が残りますね。

「MOKO」は、もともとドイツ・ニュールンベルクのエージェントで、「MosesKohnstam」という会社です。1900年頃にイギリスに進出し、多くの中小玩具工場に対して、パッケージング(ブランディング)/販売/流通/金融的支援などのビジネスを行っていました。
「Moses Kohnstam」は英語読みでは(たぶん)、モウズィズ・コーンスタム、ドイツ読みだと「モーゼス・コーンシュターム」で、私の推測としては、ドイツ系ユダヤ人の金融業の家系ではないでしょうか。

1953年にリチャード・コーンスタム(独音ではリヒャルト・コーンシュターム)が「MOKO」社のトップになるとともに、レズニー社との提携関係が成立。
「マッチボックス」の商標登録に際して、レズニーとモコで権利を50%ずつ共有することとしました。これはレズニーが、モコの提供するサービスと金融的支援(つまりお金を借りる)を継続して受けていくことの意思表示でもありました。

パッケージには「モコ・レズニー」の表示がされることが両社で合意され、「MOKO」社はマッチボックスの「ワールド・ワイド・ディストリビューター」になりました。「タイプA」に表示されていたのは、「筆記体」というよりは「MOKO」社のブランドロゴタイプだったのでしょう。

商標権の共有は日本をはじめ現在の制度でも可能ですが、単独で権利を持つ場合と違って、権利の行使や処分に際して他の共有者との共同行動や同意が必要になるなどの様々な制約が生じます。

レズニー・マッチボックスが草創期から世界市場を目指していたこと、そのための販売パートナーを求めていたこと、大量生産と海外販売に資金を必要としていたことなどから、あえて商標権の50%を半ば担保がわりに提供したものと思われます。マッチボックス・シリーズは単価が低いですから、量産・多売を前提にしないと、設計・金型制作などの投資分が回収しきれなかったのかもしれません。
マッチボックスのビジネスは、当初からこうした「リスク」を持っていたことになります。



同じ品番で、「タイプA」(MOKOスクリプト箱・上段)と、「タイプB」(MOKOブロックレター箱・下段)を比較してみます。箱のサイズは全く同一、イラストレーション/リボン等の表示要素も同じで、「MOKO」ロゴタイプだけを差し替えていることがわかります。

「MOKOスクリプト箱」の作られた、1A〜7Aの初期金型7点は、実はマッチボックスの中でも最も小さなモデルばかりで、1A〜7Aについては箱のサイズを変えないまま、「タイプB」箱にシフトしたのでしょう。
箱サイズは57mm×39mm×27mm程度、ロンドンバス用は厚みがなく、23mm程度です。上の画像ではロンドンバスのスクリプト箱のみ下に「MADE IN ENGLAND」が赤文字で入っていますが、他の箱も反対側の面には全て同じ表示があります。

初期A金型(各品番の初代金型)でも、品番が進むにつれてモデルが次第に大きくなって行きますから、それに従って箱も大きくなって行ったのでしょう。それが「タイプB」箱に色々なサイズのものが混在する理由と思われます。ただし品番によっては、二代目のB金型になってもこの小さなサイズの箱が使われ続けるため、A金型用の箱か、B金型用の箱かで見極めに苦しむことにもなります。



 TYPE C ── LESNEY line drawing box (1961)


「タイプC」では、正面のリボンの中から「MOKO」の文字が削除されました。
1961年だけしか使われておらず、したがってこのタイプの箱を持つモデルは限定されます。(1961年以前からの生産分も新デザインにシフトされますから、1961年新発売分だけとは限りません。)

1958年に、レスリー・スミス(レズニー創業者のうちの一人)はアジア市場のポテンシャルに注目。なかんずく日本市場への参入を決意しましたが、モコ社のリチャード・コーンスタムはこのことに同意しなかったため、「モコ・レズニー」としての日本市場参入は実現しませんでした。
かくしてレズニーは、「マッチボックス」の商標権のうちのモコ社の権利相当分を買い取り、パッケージから「MOKO」の表示をはずすことになったのです。

この話の経緯から言って、日本に正規ルートで輸入されるようになったマッチボックスは、「タイプC」以降、すなわち「MOKO」のはずされた後のものと考えていいのではないかと思われます。(未確認です。)

日本にマッチボックスが入って来たのが正確に何時か、という記録は手元に無いのですが、『ミニカーコレクション』(中島登・二見書房・1980年)の巻末リストによると、5Bのロンドンバス(2.25インチ金型・1957〜1961年の生産)は「×日本未輸入」、17Cのオースチン・タクシーキャブ(1960〜1963年の生産)は「○日本に輸入」になっており、これが事実とすると、1961〜1963年の間と考えて良いのではないでしょうか。17Cのロンドンタクシーも「MOKO」表示のない「タイプC」箱に入っていたはずです。輸入事業者は、1960年代後半と同一とすれば、朝日通商ということになります。

レズニー・マッチボックス自体について書かれた英文のテキストは見つけることができますが、マッチボックスに限らず、日本のダイキャストミニカーについての沿革を記した体系的な資料が無いのは誠に残念と言えるでしょう。最近、プラモデルの50年史やボックスアート関連の書籍が相次いで刊行されていることと比べても、この点は際立っています。ダイキャストミニカーの草創期に関与した会社が既に市場退出していたり、「日本プラモデル工業協同組合」のようなはっきりした業界団体が見当たらないことなどに原因があるのかもしれません。上記朝日通商も、創業は1955年ですが、現在はバンダイグループの「株式会社シー・シー・ピー」となっています。



 TYPE D ── "MATCHBOX Series" in arc (1962-1963)

「タイプD」になると、モデルのイラストレーションが、それまでの赤/黒の線画ではなく、はじめてフルカラー化されます。
「タイプA」以来、イラストレーションの下側のリボンの中に入れられていた「A LESNEY PRODUCT」がリボンの外に出されました。箱の妻側は品番と車名だけの表示で、まだクルマのイラストレーションが無いのが特徴です。
1962年〜1963年しか使われていないため、発売時期によっては「タイプD」に入っているものはレアになります。すなわち、パッケージが「タイプD」に移行してまもなくの1962年〜1963年に生産の終了してしまったモデルです。

6B Quarry truck(1957-1964)
25B Volkswagen 1200 Sedan(1960-1964)
62A General Service Lorry(1959-1963)
71A Austin 200 Gallon Army WaterTruck(1959-1964)

中でも以下の7点の「タイプD」箱は極めてレアとされます。

33A Ford Zodiac MKU Sedan(1957-1963)
47A 1 Ton Trojan Tea Van(1958-1963)
51A Albion Chieftain(1958-1964)
53A Aston Martin(1958-1963)
55A D.U.K.W.(1958-1963)
58A BEA Coach(1958-1962)
66A Citroen DS19(1959-1962)

もはやこうなると、「箱」は単なる付属品ではなく、欧米には「箱」そのもののコレクターがいるようです。



 TYPE E ── "MATCHBOX" in arc (1964-1968)



一見すると「タイプD」に良く似ていますが、"MATCHBOX" の文字が太くなるとともに、「SERIES」の表記がアーチ型に組まれた"MATCHBOX"の下に移動しました。「タイプD」ではクルマの絵の両側にあった品番表示がクルマの下に移動し、箱の妻側にもクルマのイラストレーションが入るようになります。

そう言えば、1960年代のマッチボックスの売り場では、前面のディスプレイケースに見本商品を並べ、後ろの棚に箱入りのストックが積まれていたものでした。ストックの中から商品を簡単に選べるようにする配慮とともに、ストック陳列にもディスプレイ的要素が加味されたアイデアと言えるでしょう。



マッチボックスのアメリカでの販売は、1950年代の終わりからニューヨークのセールス担当であるフレッド・ブロナーが行っていましたが、彼は1964年に「レズニー・プロダクツUSA」を設立。レズニーはフレッド・プロナーの出資株式を買い取り、ブロナーが「レズニー・プロダクツUSA」の初代社長となりました。製品でもアメリカ車が目立つようになります。日本やアメリカでの販売が伸びて行く、レギュラーホイルの黄金期と言えるでしょう。

左の「フォードGT」の箱のうち、下のものは妻面の処理が「タイプD」に似たものになっており、、「タイプE」でも比較的早い時期のものかもしれません。(NEWMODEL の表示があります。)

その後、上のクルマの側面図の描かれたものに移行したと考えるのが自然でしょう。このように、書籍などの資料には必ずしも詳述されていない、サブ・バリエーションもあります。

「タイプE」でも、以下はレアとされます。特に下の3点は見つけるのがむずかしいようです。
(以下のモデルで「タイプE箱に入ったものがレア」という意味で、以下のモデルそのものがレアということではありませんので念のため…。)

22C Pontiac Grand Prix Sports Coupe (blue)(1964-1969)
36C Opel Diplomat(1966-1969)
44B Rolls Royce Phantom X(tan)(1964-1967)

34C Volkswagen Camper (green)(1967-1968)
45B Ford Corsair with boat(1965-1969)
65B Jaguar 3.4 Litre Saloon (1962-1967)



 TYPE F ── Number in blue square (1969)

"MATCBOX"ロゴがアーチ型に組まれなくなり、正面右のブルーの矩形の中に品番が目立つように入れられるようになりました。「タイプA」以来踏襲されていた、箱前面の囲みケイがなくなり、モデルのイラストレーションが大きく、ゆったりと描かれるようになります。
レギュラーホイル用パッケージの最後の形です。

「タイプF」でも、以下はレアとされます。

3C Mercedes Benz Binz Ambulance(1968-1969)
8E Ford Mustang Fastback(1966-1969)(スーパーファスト・イラストの描かれているもの)
12C Safari Land Rover(1965-1969)


特に下の3点は見つけるのがむずかしいようです。

14D Iso Grifo(1968-1969)
22C Pontiac Grand Prix Sports Coupe(1964-1969)
62C Marcury Cougar(1968-1969)(スーパーファスト・イラストの描かれているもの)

以上の「タイプA」〜「F」の6点で、レギュラーホイル時代のパッケージは全てです。

1968年に、マテル・ホットホィールの最初の5点が発売されました。
まもなく1969年の「スーパーファスト化」の嵐がやって来ます。
1969年は、レギュラーホイルとスーパーファスト・ホイルの両方が生産される年になります。






 SF TYPE A ── Number in blue square (1969)

1969年から、マッチボックス・シリーズの「スーパーファスト」(スピードホイル)化が始まりました。

レギュラーホイル時代最後期の「タイプF」箱(ナンバー・イン・ブルー・スクエア)と基本的には同じデザインを持ち、"マッチボックス"のロゴ下に「Superfast」の文字を加えたものです。

「Superfast」が何か特別なカテゴリーやシリーズを意味するのではなく、「この商品はスーパーファスト・ホイルを付けていますよ」という機能的な説明として付されていたのです。

現在では、「レギュラーホイル」「スーパーファスト」というのは、マッチボックスにとって歴然と異なる2つのカテゴリーになっていますが、それは後年のコレクターがコレクションの都合上で行った整理の方法なのであって(このパッケージの整理法についても、レギュラーでタイプ「F」まで進んでいた記号が、スーパーファストではまた「A」に戻ります)、1969年時点での店頭の陳列ケースにあっては、既存のレギュラーホイルを付けたラインに混じって、スーパーファストを付けた商品が加えられて行き、やがてレギュラーホイルが絶版になるにつれて次第に「スーパーファスト化された」ということだったのです。

1969年のある時点で、一気にレギュラーホイルのシリーズが打ち切られ、「スーパーファスト化」されたわけではありません。

「Superfast」の文字には赤のものと、黒のものがあり、赤文字の方が初期タイプにになります。

またクルマのイラストレーションについても、レギュラーホイル用の「タイプF」箱と全く同じ絵をそのまま流用したものと、スーパーファスト用に新たに描き起こされたものを使ったものとの両方があるようで、レギュラーホイル流用版の方が現存数は少ないようです。特にNo.14のイソ・グリフォの流用版は稀少のようです。

左のVW 1500セダンでは、「Superfast」の文字は赤になっており、クルマのイラストレーションではホイルがスーパーファストホイルになっていないことにご注目ください。

つまり、レギュラー・ホイル最末期の「タイプF」箱で、「AUTO STEER」(手でミニカーを走らせながら左右に曲げると前輪がステアするアクション)のロゴの入っていた位置に赤の「Superfast」ロゴを差し替え、イラストレーションはレギュラー箱のものをそのまま使用していたのが、スーパーファスト初代のパッケージだったのです。それでイラストではレギュラー・ホイルを付け、前輪がステアしている、というわけです。
この直後に「Superfast」ロゴは黒文字に、イラストのホイルが5本スポークのスーパーファスト・ホイルになり、前輪のステア描写もなくなります。(このタイプでは、箱とミニカーを同梱セットしたブリスターパック版も確認できます。)

同一金型で、レギュラーからスーパーファストへの転換をはさんだパッケージの変化をお見せすることも目論んでいるのですが、フォードGTで「Superfast」赤文字になったものは、ミニカー+箱付きで150ドル超にもなっていました。つまり初期の「MOKO」スクリプト箱付きなどより高くなってしまうのです。多くの人が探している結果でしょう。(上のVWでは、実は反対側のエンドフラップが欠落しています。)



 SF TYPE B ── "Matchbox Superfast" with blue square (1970)

スーパーファスト登場期の変化は激しく、1970年には早々にデザインが変わります。
レギュラーホイル時代から使われていた"MATCHBOX"のロゴタイプが廃され、イタリック(斜体)のかかった新しいものになるとともに、「Superfast」と一体になりました。
つまり、シリーズ名そのものが「MATCHBOX」から「MATCHBOX Superfast」になったのです。
箱の妻面の表示も、「タイプA」箱では「MATCHBOX」の方が上にあったものが、「タイプB」箱では「Superfast」の方が上に書かれるようになりました。

「Superfast」はもはや単なる車輪の「機能」の説明ではなくなり、アメリカ市場ではホットホィールとの競争の面で死活問題となる重要なアピールポイントとなったのです。

後続の「タイプC」箱が出るまでの過渡期的な処理の性格が強いと言えるでしょう。

以下の5点では、キャタピラを履くなど特殊なホイル処理のモデルのため、レギュラーホイル時代のパッケージを踏襲し、「Superfast」の表示はオミットされているようです。

-16-D1 Case Tractor
      (ゴムキャタピラ)
-39-C2 Ford Tractor
      (大小の特殊ホイル)
-40-C1 Hay Trailer(トラクター牽引用の
 トレーラーで車軸が露出)
-61-B2 Alvis Stalwart(6輪)
-65-C1 Claas Combine Harvester
 (大小の特殊ホイル)

「16-D」の「ケース・トラクター」。

ゴムキャタピラを履いたブルドーザーで、どう考えてもスーパーファスト化できないため、スーパーファストBOXのデザインになりながら「Superfast」の表示がされなかった特異な例です。

「Superfast」がシリーズ名であるなら、パッケージに表示しても何の問題も無いわけですが、「Superfast」を商品の機能・性能と考えているために、「虚偽表示」になることを避けようとしたのでしょう。オデルをはじめとするマッチボックス・スタッフが、いかに「真面目」かが偲ばれようというものです。



 SF TYPE C ── "Matchbox" with wheel (1971)

1971年になると、"MATCHBOX" ロゴタイプが現在まで使われているものと(基本的に)同一のものに変えられました。ただしこの時期のものは、角丸(かどまる)の囲みがなく、ホイルのデザインが右側に付きます。「Superfast」の書体も変わり、青い四角の中に入っていた品番表示も廃されました。

1-75シリーズのうちで、ほとんどが「タイプB」箱での出荷を継続する中で、1971年リリースの製品に限って「タイプC」箱が使われたようです。したがってこのタイプを使うモデルは20種に達しません。



上はマーキュリーのポリスとファイアチーフの箱で、同じものだと思っていたのですが、新製品期の「new」の表示のあるものと無いもの、品番と「new」を赤のケイで囲ったもの(「Superfast」と車名の表示なし)などの違いがありました。箱への注目は、意外な発見がたくさんあって、面白いものです。



 SF TYPE D ─ "Matchbox" with streaking background (1972-1974)

英語で「ストリーキング・バックグラウンド」という名前の付けられたデザイン。
「ストリーク」というのはもともと稲妻の閃光のことで、転じて「稲妻のように光る・稲妻のように速く走る」という意味で使われるようになりました。
「Superfast」の表現が文字だけでは足りず、イラストも使って「速いぞ」というアピールを全身でするようになり、箱が目に見えて派手になっていきます。

1973年はレズニーにとっての転機で、ずっと共同経営者として経営に関与して来たジャック・オデルが、レスリー・スミス一人を残して役員を辞しました。文字通り、「ジャック・オデルのマッチボックス」の時代が終わり告げたのです。したがって、この年は逆に革新的な製品が出ることなり、「ローラマチック」(車輪の回転と連動して、回転灯やエンジンなどが動くアクションを持ったもの)が登場しました。

「タイプD」箱では"MATCHBOX" ロゴタイプが上左にレイアウトされているため、「Rolamatics」が表示されるものは右上に入れることができました。下の画像右下の装甲車(ストート)がそうで、車輪の回転につれて、上半身を車外に出したコマンダー人形が90°ずつ体の向きを変える仕掛けになっています。ジャック・オデルの退任と同時に「ローラマチック」が世に出たということは、オデルは「ローラマチック」的な企画に反対だったのではないか、といううがった見方もしてみたくなります。



繰り返しになりますが、1969年(タイプA)・1970年(タイプB)・1971年(タイプC)・1971年(タイプD)と、毎年全商品の箱を変えているわけではなく、新年度の新製品から箱を変えているのです。したがって、特定の箱デザインには特定の品番だけしか使われていない、という現象が起きるのが、この時代のスーパーファストの特徴です。

「タイプD」では、MB28-A・マック・ダンプトラック/MB48-A・ダッジ・ダンプ/日本版のロータス・ヨーロッパ(MB5-A)が稀少のようです。日本版で「タイプD」箱なんて、あるんでしょうか。見た記憶がありませんが。



タイプD(左側2つと右下)、タイプB(右中央)、タイプA(右上)に見る、「スーパーファスト」ロゴの変化。
「ロゴタイプ」というのは、そもそも商品やブランドのイメージを一貫させ個性付けするために、特長のある書体の文字を作り、かつ使用し続けるものなのですが、これほど頻繁に表現を変えてしまっては、イメージの統一をはかるヒマもありません。なんとか米国をはじめとする市場での挽回をはかろうとするレズニーの焦りが、こんなところにも現れているような気がします。



SF TYPE E ─ Colored background with "Matchbox" logo(1975-1976)

レギュラーホイル時代からの伝統だった黄色基調のパッケージが捨てられ、箱の正面全体が色々な背景色を持つイラストレーションで占められるになりました。

 スーパーファストの箱としては、比較的印象に残っているのがこのタイプなのではないでしょうか。

"Matchbox"ロゴが現在と同じ角丸の囲みの中に入れられた「バナー・ロゴ」と呼ばれるものになり、その下の品番と車名、さらにその下に「Superfast」「Rolamatic」「Streakers」などのサブブランドが入れられました。


 「タイプE」箱としては、MB70-B・ダッジ・ドラッグスターが稀少のようです。


 SF TYPE F ── Brazilian box(1977-1978)

1977〜1978年に使われたブラジル版のためのパッケージで、入手は諦めていたのですが、アルゼンチン/ブラジル方面を(もちろんネットで)探索しているうちに、偶然入手することができました。

チャーリー・マックの『エンサイクロペディア』では、「ブラジリアン」として54台を挙げていますが、どうしたものか私の入手したモデルは入っていないので、さらに多い可能性もあります。
どうやら、他の英国や他の地域向けバリエーションとは、カラーリングなどが異なっているようです。
箱の側面の出所表示や注意書きは、当然ポルトガル語になっています。

ミニカー裏板は「MADE IN ENGLAND」のままになっていますが、「FAB ZF Manaus」のモールドのあるプラスチック片が貼り付けられています。


「FAB ZF Manaus」は、「Fabricado em Zona Franca de Manaus」で、「Manufactured in Free Zone Manaus」(マナウス自由都市製)といった意味でしょうか。「マナウス」は、ブラジル北部・アマゾナス州の州都です。

レズニーがブラジルに金型を貸してブラジル国内で生産されたもので、この「SFタイプF」のパッケージを使用したのは「インブリマ(INBRIMA/Industria de Brinquedos Amazonaz)」、という会社でした。

以下の5種がレア、とりわけ「MB41 Siva Spyder」がレアだということです。ブラジル版の登場した1977年に生産が終了しているのですから、ムリからぬことでしょう。

-MB 1-C Dodge Challenger
      (1976-1982)
-MB 4-C Pontiac Firebird(1975-1979)
-MB36-C Formula 5000(1975-1980)
-MB41-B Siva Spyder(1972-1977)
-MB58-C Faun Dump Truck
      (1976-1983)

「インブリマ」以外にも、ブラジルでマッチボックスを生産した会社には、「ローリー・トイズ」「トロール」などがあったようです。詳しくは「アルゼンチンとブラジルの小スケールミニカー」のページをご参照ください。


 SF TYPE G ── Last picture box(1977-1982)

「イラスト箱の最終形」と呼ばれるもので、1977年からレズニー終末の1982年まで使われました。
使用期間が長いため、ほぼ全ての品番が「タイプG」箱でリニューアルされています。
ただし品番の「20」と「29」だけは作られなかったようです。
「タイプG」箱で稀少なのは以下だということです。

-MB 1-C Dodge Challenger(1976-1982)
-MB 6-B Mercedes Benz Tourer (blue)(1976-1983)
-MB19-D Peterbilt Cement Truck(1982-)
-MB61-C Peterbilt Wrek Truck(1982-1987)
-MB66-D Super Boss (1982-1984)

基調となっている箱のカラーは、それぞれのクルマの雰囲気を表現するべく描かれたイラストレーションの背景がそのまま箱の色になっているので、シリーズ別に色分けされている、ということではありません。



下は、同じ「41」番のアンビュランスと「10」番のプリマス・ポリスカーですが、新製品としてのリリース時には正面左下の品番の上に黒で「new」の文字を載せ、その後(新発売から時間が経つと)取り除かれていることがわかります。

製版・印刷プロセス的に言うと、黒(スミ版)で文字を載せるのであれば他の3版(赤・青・黄)に影響を与えないので、1版だけを製版し直せばすみます。カラー印刷は、赤・青・黄・黒の4版のアミ点の掛け合わせで印刷されているからで、白で文字を抜いてしまうと、4版全てを製版し直さなければいけなくなり、無用のコスト上昇につながります。



特にパッケージ形式としての独自記号は与えられていないようですが、デザインがイレギュラーなので、ご紹介しておきます。

1977年のシルバー・ジュベリー(エリザベスU世女王・戴冠25周年記念)のロンドン・バス用のもので、時期から言っても「タイプF」の仲間ということになるでしょう。

この年には、レズニー/コーギー/ディンキーなどの英国メーカーから、銀色のロンドンバスやロンドンタクシーなどがたくさん出ました。ただしマッチボックスは銀色のロンドンタクシーは作っていません。
(何故かトミカが作りましたが。)

「ジューベリー」は本来は「50年祭」を言うことの方が一般的なので、この時は「シルバー・ジュベリー」
と言ったのですが、1952年即位のエリザベスU世女王は、2002年に戴冠50年(ゴールデン・ジュベリー)を既に迎えました。レドなど、いくつかのブランドが「ゴールデン・ジュベリー」記念のミニカーも作っています。欧米では、「100」をひとつの節目に、「ハーフ」(1/2=50)、「クォーター」(1/4=25)という切り方をするので、日本人の感覚からすると半端に感じる「25周年」がクローズアップされるのです。
今年(平成21年)は天皇御在位20年にあたりますが、果たして記念ミニカー(新御料車?)は企画されるでしょうか。



 SF TYPE H ── Clear plastic(1977)


1977年にドイツ市場でのテストマーケティング用に作られたものだとのことで、クリア・プラスチック、前面・背面と妻面の計4面に"Matchbox"のバナーロゴタイプが入ります。

これも探すのはなかなかてごわそうでしたが、偶然に入手することができました。
中身のミニカーはMB42-C8のメルセデス・コンテナトラックで、黄色1色のDBP(民営化前のドイツ連邦郵便)仕様になっていて、「ドイツ市場向け」という情報と一致しています。

入手したもののプラケースは完全無色透明ではなく、わずかに黄色味かがった色が付いていますが、経年変化によるものかもしれません。

普段はマッチボックスはドイツでは物色しませんが、ちょっと見た印象では、ドイツのネットオークションに出ているマッチボックスは、スーパーファスト以降の、それも箱なしのルース品が多いという印象でした。

ドイツ市場にマッチボックスが供給され始めた時期や供給形態などが関係している可能性もあります。(例えばブリスターパックでの供給が多かったとか。)


 SF TYPE I ──Black Japanese Box(1977)

日本市場向け「J-シリーズ」として、「J-1」から「J-9」の9台のみに使われた「ブラックボックス」と言われるもの。
「J-シリーズ」は実は「ジャパン・シリーズ」ではなく、「ジョリー・シリーズ」の「J」です。(jolly: 陽気な・愉快な)

赤とグレーの帯に、白の線画のイラストレーションが特徴です。つまり赤と黒の2色刷りです。

もちろん、日本市場にしか出なかったものですから、海外では喜ばれます。彼らにはカタカナの「マッチボックス」バナーロゴだけでも十分にエキゾチックでしょう。

中のモデルは「MADE IN ENGLAND」のものをパッケージ替えしただけで、日本国内の協力工場で生産された、ということではありません。

日本市場向けとて独自のバリエーション番号が発生しているものと、そうでないもの(つまり他の地域向けのものと変わらないもの=ランボルギーニ・ミウラ/フォードGT/ダッジ・チャージャー/メルセデス・ベンツ・230SL)があるようです。

J-1 ランボルギーニ・ミウラ (MB33-A Lamborghini Miura)
J-2 ロータス・ヨーロッパ (MB5-A7 Lotus Europa)
J-3 イソ・グリフォ (MB14-A8/9 Iso Grifo)
J-4 ロールスロイス・シルバーシャドー (MB24-A9 Rolls Royce Silver Shadow)
J-5 フォードGT (MB41-A Ford GT)
J-6 VWビートル (MB15-A7 VW 1500 Sedan)
J-7 アルファカラーボ (MB75-B7 Alfa Carabo)
J-8 ダッジ・チャージャー (MB52-A Dodge Charger)
J-9 メルセデス・ベンツ・230SL コンバーチブル (MB27-A Mercedes 230SL)

箱の側面には、「発売元レズニー株式会社/生産英国/パッケージ日本」の記述があります。
この時期の日本市場での販売が、レズニーの日本法人である「レズニー株式会社」が担当していたことは知られていますが、その設立の経緯などは英文の資料では記述されないので、よくわかりません。それまで、日本での輸入代理業務と販売は朝日通商が担っていたわけですが、1977年に朝日通商との契約関係を解消し、直接出資による日本法人である「レズニー株式会社」を設立。輸入・販売業務を同社に移管したようです。しかし同社はわずか3年後の1980年には閉鎖されています。

ちなみに商標の登録状況を調べてみたところ、「マッチボックス」は「マテル・インコーポレーテッド」(在カリフォルニア州 エル・セグンド)を権利人として日本で存続していますが、「レズニー」の登録は既にありませんでした。「マッチボックス」の日本での商標出願は1968年6月12日、登録完了は1971年2月10日なので、当初の権利人はレズニー、その後日本でも権利が譲渡されていったと考えられます。

「タイプG」箱、そして海外戦略にかかわる「タイプF」(ブラジル)、「タイプH」(ドイツ)、「タイプI」(日本)の各パッケージの登場時期が全て1977年であることから、1977年にレズニー海外戦略の転機があったことがうかがえます。同じ1977年には「ヴォーグ(Vogue)」というドール・カンパニーを「トンカ」グループから買収、1978年にはプラスティック・キットの米国「AMT」を買収して事業の多角化を試みています。(AMTは1982年に米国 Ertl 社に売却。Vogueはレズニー破綻後の1984年にMeritus Industriesに売却。)



 SF TYPE J ──Japanese White Box(1978-1979)

「ジャパン・シリーズ」(まるでプロ野球の「日本シリーズ」のようですが)は、1978年〜1979年は「黒箱」を脱ぎ捨てたフルカラーの箱になりました。

「ショート・シリーズ」(短期間のシリーズ)で、確認されているのは、J-8/J-10/J-11/J-12/J-14/J-19/J-21/J-22/J-25/J-31/J-38/J-75/25/31/47/70/75
の17台で、J-19の「マツダRX500」の「タイプJ」箱は極めてレアとのこと。

その後のユニバーサル時代の窓付き黄色箱などと違い、1-75シリーズの75台全てにJシリーズの白箱があるわけではないのですね。

画像のフォードGTを含め「25/31/47/70/75」の5点は、何故「J」ナンバーが付かないのか、など不明な点が多々あります。

上の画像では「マッチボックス」のバナーロゴがBMW=カタカナ、フォードGT=英文になっていますが、妻面を含めてひとつの箱にカタカナ/英文の両方が記されています。つまりカタカナの反対面は英文になっているのです。側面には「発売元レズニー株式会社/生産イギリス」の記述があり、「タイプI」箱のような「パッケージ日本」の表記はありませんが、イラストレーションはおそらく日本で描かれたものでしょう。
上のBMWポリスカーは、ドイツ市場向けと同じモデルを日本箱に入れたもので、特に日本市場向けの塗装ということではありません。

セリカ(J-21-A)/ギャラン・エテルナ(J-22-A)の2点については、金型にも「J」記号が与えられており日本で金型を開発したようですが、非常にコスト高であった、という記述も見出すことができます。
(フェアレディZとサバンナRX-7は「MB」金型で、英国開発と思われます。)
既にトミカの発売からも7〜8年が経っています。レズニーにとって、日本市場が必ずしも良い収益源にならなくなっていたことが推察されます。



日本での金型開発と考えられる「セリカXX 2600G」は、「J-21」と「47」の2種類の品番をもらったパッケージがあることがわかりました。ということは、「J」記号のない品番のモデルも、「J」記号付きのものと中身が重複している可能性もあります。このあたりは、海外のコレクターが調べてくれるわけはありませんから、日本のコレクターが解明しておくべき課題と言えるでしょう。



 SF TYPE K──Japanese Colored Background(1979)



日本市場でのJシリーズに、「タイプF」的な「カラード・バックグラウンド」のコンセプトを導入したもの。
確認されているのは #2(サバンナRX-7)/#5(フェアレディZ)/#38の3点のみ。

ワールドワイド版のみならず、こうした日本市場向けパッケージの頻繁なデザイン替えや、いずれも短期間でのシリーズの途絶は、この時期のレズニー・マッチボックスの苦悩と逡巡を表しているわけですが、やがて1982年6月11日、レズニーは経営破綻の日を迎えることになります。



 SF TYPE L ── Picture Generic (1982)

タイプ「D」(1972-1974)を最後に、「マッチボックス」パッケージのかつてのシンボルカラーだった黄色
の基調色は捨てられていたのですが、レズニー最末期の1982年になって、アメリカ市場向けのパッケージだけには、「黄色」の基調色が復活しました。



ただし箱のイラストレーションは、コルベット/Jeep/ピータービルトのトレーラー・トラックが3面に描かれているもので、箱の中に入っているモデルが描かれているわけではないのです。

この箱を入手されて、違うモデルの箱に入っているのかと戸惑われた方もいらっしゃるかもしれません。

その意味で、ひとつひとつの品番・車種にそれぞれ異なったパッケージを与えていたそれまでのマッチボックスのパッケージには見られない画期的なコンセプトを持っており、「ピクチュア・ジェネリック」という名前が与えられています。

「ジェネリック」というのは、特別なものでない、個性化されない、包括的な、ということで、特定の品番やクルマのためのものではない、ということです。特許切れ医薬品の「ジェネリック」(特定の特許保有企業のためのものでない)と同じ意味です。

75種の異なったパッケージの制作・在庫管理からくるコストを軽減する意図が込められていることは明らかでしょう。

パッケージは全て共通のため、箱の妻面のエンドフラップに、品番と車名が印刷されました。ただし印刷はスタンプ状のもので大変に品質が悪く、読みづらいものとなっています。

この「タイプL」箱は、ユニバーサル以降のものかと思っていたのですが、箱の著作権表示はニュージャージー州のレズニー・プロダクツ・コーポレーション(おそらくはレズニーの米国法人)1982年、「マッチボックス」商標の権利者はロンドンのレズニー・プロダクツ&カンパニーになっています。

また、このパッケージに入っていたMB54-E・NASA Ttacking Vehicle の裏板が「Made in England」になっていることから、レズニー最後期のものと判断することにしました。

いずれにしても、1982年という年は、レズニーからユニバーサルへの移行期にあたっており、MB54-Eも途中からマカオ生産に移行します。イェスターイヤー・シリーズ以外の製品は、ユニバーサル譲渡以降は英国内で生産されていませんが、「Made in Enhland」裏板を持った在庫や部品が譲渡されことも考えられますし、著作権・商標権等での「レズニー」の表示も、権利関係の譲渡・移転が完全に終わっていないためにユニバーサル後にも一部で表示されるケースがあったようです。



 Superfast Boxes── Generic black window box

 これもウインドゥ・ボックスであるため、ユニバーサル以降のものとタカをくくっていたのですが、箱の後ろ側に書かれているのはイタリア語で、「Fabbricato in Inghilterra e importato da Lesney S.R.L.Bologna」(イギリス製。輸入元はボローニャのレズニー有限会社)という表記があります。「S.R.L.」は「有限会社」(Societa a Responsabilita Limitata)の略で、イタリアにおけるレズニーの現地法人ということになります。ドイツから買いましたが、イタリア市場向け共通パッケージに、イタリア独自品番を刻印したものでしょうか。
チャーリー・マックの「エンサイクロペディア」などの資料には登場しませんが、ミニカーの裏板も「England」になっていることから、レズニー期のものと特定したいと思います。英米のコレクターにたぶんあまり馴染みがない箱なのでしょう。

側面には「MB10」のプリントがあり、色々な品番・車種でパッケージを共用していることがわかります。この考え方は、「ウインドゥボックス」とともに、ユニバーサル期以降の大きな特徴になっていくのですが、イタリア・ローカルとは言え、レズニー末期に既に採用されていたことに驚きます。

各国市場向けローカルを見ていくと、まだまだ知られていないパッケージが存在するに違いありません。







 「マッチボックス」の経営は香港・ユニバーサルへ
1980年頃の時点で、レズニーは既に財政的な重圧を感じていました。
ジャック・オデルは1973年に既に役員を辞していましたが、レズニーの危機打開のため、1981年に「副会長」(vice-chairman)として、1年間の期間限定で経営に復帰しました。

そして、ユニバーサル・トイズ会長(chairman/海外では「取締役会(ボード)議長」ということで、日本企業の「会長」職とはニュアンスが違う場合が多いです)のデビッド・イェー(David Yeh)との間で、彼の持つ極東工場でマッチボックスの生産を行う契約を行いました。その工場は、ディズニー・キャラクターのフィギュアを生産していた工場でしたが、極東での生産は、非常に高いコストを伴うという結果だけを残して終了することになりました。打開策であったはずの極東での生産は、結果的により多くの損失を発生させることとなり、債権者からの圧力が次第に高まって行きました。そして遂に1982年6月11日、レズニーは「破産」(bankrupt)を宣言することとなります。

レズニー破綻の原因を、「スーパーファスト化のための金型の改修」に求めた記述なども見られますが、それだけに原因を求めることはできないでしょう。例えばナイジェル・クーパー氏は「60台のモデルをスーパーファスト化するために何百万ボンドも費やし、追加の設備投資はほとんどこの点に集中した」といったことを書いています。確かにレギュラーホイルの車軸は、ダイキャスト製の裏板で直接ホールドされていましたが、スーパーファスト化されたモデルを見ると細い車軸はいったんプラスチック製の軸受けを介してホールドされているので、裏板パーツの何らかの金型変更は必要だったでしょう。

スピードホイル化で商品が売れるのであれば、そのための投資はいずれ回収できるでしょうが、せっかくお金をかけた仕様変更で商品が売れるようにならないのなら全くどうにもなりません。「売れなくなって来ている」原因はスピードホイル以外の点にもあり、「売れなくなった」原因の全てを「スピードホイル」だけに求めようとしたこと、ホットホィールのコンセプトを「スピードホイル」を付けている点だけと誤解して、デザインのマインドがわからなかったことに、おそらくは問題があるのです。現在でもアメリカのネットオークションでは、ダイキャスト分野で「マッチボックス」よりも「ホットホィールの方が主流(出品点数で見ると約3倍)です。ホットホィールがアメリカ人の心を捉えた本当のところ(カリフォルニアン・ホットロッドをはじめとする、カスタマイズやレーシングのマインド)が、レズニーには結局理解できなかったのかもしれません。

しかし失速して行ったのは必ずしもアメリカ市場だけではないようですし、プラキットやドール分野への進出/ダイキャスト生産のアジア移管や、日本での日本車金型開発など、業績の挽回のために打って行った様々な施策のための投資が、結果的に利益を生まず、有利子負債の拡大だけにつながっていったと考えられます。全般にレズニーの経営には、ジャック・オデルに象徴される「職人気質」「武士の商法」的気風が感じられます。ジャック・オデルは、スピードホイル化の現象を「一過性」のものと見ていたようで、これは実際は正しかったことになるのですが、「一過性」のものが過ぎ去るのを待つだけの体力がレズニーに無かったということでしょう。

破産管財人であるR.D.アガター(R.D. Agutter)とG.T.E.ペッド(G.T.E. Ped)は、レズニー社を「マッチボックス・トイズ・リミテッド」として再編することと、会社の売却先を探すことを命じました。その時点では、「フィッシャープライス」(1930年創業のアメリカの知育玩具会社で、1993年以降はマテル傘下)と「マテル」が有力な売却先でしたが、1982年9月24日、香港のユニバーサル・トイズが、「マッチボックス・トイズ・リミテッド」およびフランス/ドイツ/オーストラリアの販売会社を、総額1億6500万イギリス・ポンドで買収しました。この時点で、ジャック・オデルが多くの工作機械や工具類などを購入して、自ら「レド」社を立ち上げたことは、かつて別のページでご紹介したとおりです。



ユニバーサルは、かねてからアメリカ市場に関心を持っており、1977年に「Kidco」社を創業、「タフ・ホィールズ」(Tough Wheels)というシリーズ名で、ブリスター入りの軍用車のダイキャスト・モデル(台湾製)などを供給していました。また1978年には、ニューヨークの「LJN Toys」の株式の80%を取得。「マッチボックス」買収後には、「Kidco」や「LJN」の製品ラインは、ヨーロッパではマッチボックス製品として供給されることになります。1981年には、「マカオ・ダイキャスティング・トイズ・リミテッド」を立ち上げ、マカオでダイキャスト生産用の工場用地を確保していました。
ということは、ユニバーサルの登場は決して唐突なものではなく、レズニー製品の一部の生産を受託した頃から「折り込み済み」の戦略だったと見ることもできます。

したがってこの後、マッチボックスの生産は、マカオにあるユニバーサルの生産施設に移ります。裏板のモールドが「England」から「Macau」に変わるのです。ただし1985年まで、イェスターイヤー・シリーズの生産はエセックス州(イングランド東部)ロシュフォード(Rochford)の工場で継続されましたが、これも後にはマカオに移されました。

ユニバーサル期のエンドースメント(製品の出所表示)の特徴になる「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド」は、1983年に香港で設立されました。「レズニー・プロダクツ」の表示は、何らかの形で、1985年の後半までパッケージなどに表われることがあるようです。1986年には「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド」の社名は、「ユニバーサル・マッチボックス」に変更されました。1986年から1987年の期間に(ただし1985年〜1986年との説あり)、全ての生産はマカオにシフトされ、1987年ロシュホードの工場は完全に閉鎖されるに至りました。

レギュラーホイルからスーパーファストホイルへのシフトが「さみだれ」的なもので、ある日一斉に変わったのではないように、レズニーからユニバーサルへのシフトも、1982年6月11日を期して一斉に行われたわけではないのです。したがって特に1982年から1985年ぐらいの期間では、レズニー破綻後の製品であるにもかかわらず、「Lesney」などの文字がパッケージに残っているケースが想定できます。
しかしミニカーそのものの生産が、ユニバーサル傘下での操業再開以降はマカオに移っているという上記の経緯を考えると(少なくともイェスターイヤー・シリーズを除いて)、「Made in England」はレズニー、「Made in Macau」はユニバーサルと考えたいと思います。この点を認識いただいた上で、ユニバーサル期のパッケージを見ていくことにしましょう。

香港が中国に返還されるのは1997年で、マッチボックスがユニバーサル傘下にあった1982年〜1992年の期間はまだイギリス領でした。なので、以下のアイコンでは英領香港の旗を使っています。


 Superfast Boxes── Generic blue window box (1983- )

ユニバーサルは、マッチボックスのパッケージを、グローバル市場ではブルーのウインドウ付きボックスに一新しました。箱には、黄色と赤のストライプが斜めに入ります。このデザインとカラーリングは、1983年のマッチボックス・カタログにも使われました。
チャーリー・マック著の「エンサイクロペディア」には、このブルーのものを含む「窓付き」パッケージは取り上げられておらず、したがってアルファベットの「Type」記号も与えられていません。

資料によってはこの「窓付き青箱」を「タイプM」としているものもあり、当サイト・別ページの「マッチボックスによるヨーロッパのポリスカーと救急車」では一部「タイプM」説を採用した記述もしています。ユニバーサル以降のパッケージでは、グローバル市場とアメリカ市場で、品番やパッケージが違って来るため、整理は少なからず混乱して来ます。この「窓付き青箱」は、基本的にアメリカ市場には出ていないようです。

参照した資料では使用開始時期が「1982年」になっていますが、これはレズニー破綻の時期に合わせていると考えられ、ユニバーサルの買収日時を考えれば少なくとも1982年9月14日以降、「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド」の設立と生産施設の移行やパッケージ替えの準備期間などを考えれば、実質はマカオ工場からの生産・出荷の始まった1983年5月からの使用開始と考えてもいいでしょう。したがって「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド」の表示のあるものは、設立の1983年から、社名変更される1986年までの期間に生産されたモデルと考えていいことになります。


ウインドゥ・ボックスでは、箱を開けることなく、窓を通して中のモデルを確認することができますから、いちいち中のモデルのためのイラストレーションを描き起こす手間がなくなります。

つまり窓付き箱は、「特定の品番やクルマのためのものではない」全車種共用(ジェネリック)が基本なのです。

逆に言うとレズニーは、次々と金型が変わって行く75種類のモデルの全てについて、固有の品番・車名・イラストレーションを持つパッケージを印刷し、在庫管理するコストと手間を負担していたことになるわけです。これもまた、コスト政策よりも職人的「こだわり」を重視したことの現れでしょう。


正面・妻面などに品番と車名をスミ版で載せたタイプと、完全にジェネリックで品番も車名も表示されないものとがあります。

このパッケージでは、妻面は糊付けされていて、いったん開封してしまうと元には戻りません。

したがって現存しているものでは、開封後に再接着されたり、テープでぞんざいに留められていたりするものもあります。箱には、店頭のラックに吊るすための穴も開けられていて、ブリスターパック的な商品陳列方法と兼用できるようになっていることも、パッケージとしては優れた点と言えるでしょう。単に色やデザインだけでなく、製品パッケージとしてのコンセプトそのものが大きく変わって来ているのです。

下は「窓付き青箱」のバリエーションで、「コレクション・カード・インサイド」のプロモーション・バナーのあるもの。「FREE」の表記がありますが、無料、タダ、つまりオマケで小さなカードが付いているよ、ということです。1986年に使われました。

バナーが入るため、黄・赤のストライプが正面では箱の下まで貫かずに途中で止まっています。

コレクションカードには、実車のエンジン排気量などが書かれていますが、「マッチボックスとしては実車の詳細スペックについては責任は終えない」みたいなことが書いてあります。

箱の上での著作権表示は1981年・マッチボックス・インターナショナル・リミテッド。
「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド」は1983年の設立ですから、「1981」の表示と矛盾しますが、製品の企画・開発に伴う著作権の発生年次が1981年(つまりレズニー時代に企画・開発された金型)、著作複製権の権利人が「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド」、ということでしょう。コレクション・カードの著作権は「1986」年になっています。

著作権の表示は、もちろん初期のダイキャスト・ミニカーにはありませんでしたが、無断複製の海賊版対策などのために付けられるようになったものでしょう。この後は、実車メーカーの商標使用や、玩具化許諾ライセンシーなど、権利関係の表示はどんどん複雑かつシビアになって行きます。

これも「窓付き青箱」のバリエーションで、「Linkits Robug offer」のプロモーション・バナーの付いたもの。

箱の中に入っているミニ・リーフレットのクーポン3枚と送料22ペンスを送ると「LINKITS」関連ロボット・キャラクター商品がもらえる、という「スペシャル・プロモーション・パック」になっています。1983年から1987年に使用されました。


箱裏の著作権表示は1981年になっていますが、ミニカー裏板の方は1986年の著作権表示なので、画像の個体の生産は1986〜1987年でしょう。「スペシャル・プロモーション」の応募締め切りは1987年12月31日になっています。


 Superfast Boxes ── Generic Blue Window Box
for American Edition

プルーのウインドゥBOXは、基本的にアメリカ市場以外のグローバル向けとして設定されたはずなのですが、ほぼ近似したデザインで、「American Edition」をうたったパッケージを見つけました。

ところが実際はアメリカではなくイギリスから購入したもので、「アメリカ市場向け」なのか、「アメリカ仕様のクルマ」をグローバルに提供したものなのかが判然としません。

もし前者だとすると、下のアメリカ市場向けの黄色グリッド箱が使用される以前のもの、ということになるでしょうか。

裏面の著作件表示は、「Matchbox International Limited」1983年になっています。


 SF TYPE M ── Yellow with red grid / Yellow Logo (1983-1993)

アメリカ市場向けパッケージは、レズニー最末期〜ユニバーサル移行期に他の地域向けのものとは分離され、「タイプL」のイラストレーションの付いたものになりましたが、ユニバーサルへの譲渡の完了した1983年以降は、黄色基調の上に赤の線でグリッド(方眼)を引いたものに変えられました。


チャーリー・マックの「エンサイクロペディア」では、グローバル市場用の「窓付き青箱」が登場しないため、この箱を「タイプM」としています。

箱にあるエンドースメント(出所表示)では、「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド」と、「マッチボックス・トイズ(USA)リミテッド」が併記されています。画像の箱の著作権表示は1989年です。

ユニバーサル期のものは、「MATCHBOX」のバナーロゴの囲みの中が黄色なのが特徴で、後のタイコ期になると、箱のデザインは同じでもバナーロゴの中が白になったものが使われます。(ただしタイコ期になっても、黄色地のバナーロゴのものも確認できます。

箱のデザインは、中に入っているミニカーの車種・品番に限らず全て共通の「ジェネリック」ですが、妻面のエンドフラップに品番と車名がスミ版(黒)で印刷されています。パッケージの単価で言えば、ブルーの窓付き箱よりはるかに安いでしょう。


 Superfast Boxes── Japanese Generic Yellow window box (1984-)

これは、日本市場用のもので、黄色の基調色の窓付き箱、方眼グリッドはありません。
英文の資料や、英・米のネットオークションなどでは登場しませんので、「ジャパニーズ・ジェネリック・イエロー・ウインドゥ・ボックス」と、勝手に命名することにしました。

正面の車名表記は英文ですが、妻面には「マッチボックス」のカタカナ・ロゴと、日本語での車名が入ります。レズニー期の日本法人は「レズニー株式会社」でしたが、ユニバーサル期の日本法人は「株式会社マッチボックス・ジャパン・リミテッド」(〒111 東京都台東区寿2-10-11 841-7010)です。

箱にはシリーズの車名リストが印刷されており、これが「MB-1」から「MB-100」まであります。つまり「1-75」シリーズではなくて、「1-100」シリーズになっています。「COLLECT ALL 100 MODELS」(100種類全部を集めよう!)というセールストークが、何故か英語になってしまっているのが不思議です。



日本におけるマッチボックス・コレクションの第一人者であるJ吉瀬拓雄氏(JMAC会員)は、「ミニチュア・カー」誌(現在の「ミニカーマガジン」の前身で、「日本ミニチュア・カー・クラブ」(NMCC)発行/カドー ミニチュアカー〜コレクショントーイ センターが発行所)の86年4月号で86年のマッチボックス新製品について、また87年4月号で87年のマッチボックス新製品について書かれていますが、特に87年4月号に、レズニー末期からユニバーサル期のマッチボックスの動向を整理した、貴重な記述があります。以下がその抜粋・概要です。
(No.222・p4-p9)

-1977年・英国レズニー本社が朝日通商 
 との契約関係を打ち切り
 子会社・日本レズニーを設立して直接
 輸入を始める
-1980年・日本レズニーを閉鎖
-1982年・英国レズニー本社の倒産
  香港資本のユニバーサル社が買収
-したがって1980年から1983年は「全くの
 暗黒時代」で、カドー玩具が輸入を継続
 「ミニチュア・カー」誌でも新製品の紹介
 を継続していた
-「マッチボックス ジャパン」社が設立
 されて、1984年からコンスタントに輸入
 されるようになる

また、1987年4月号で、1987年のマッチボックス新製品について書かれていますが、その中で、品番が英国/米国/日本市場で3種類与えられるようになってしまったこと、品番が100まで広げられたのは日本市場だけなので、他の地域向けのモデルやバリエーションも輸入される可能性が高いこと、1987年が新製品ラッシュだったこと、などの記述があります。

 これらを総合すると、この窓付き黄色箱は、「マッチボックス ジャパン」設立後に日本への輸入が安定し、品番が100まで広げられた1984年以降のものということになります。吉瀬さん執筆のの記事中で、1986年新製品として登場する「トヨタMR2」が箱のリスト中に登場していないことから、1984〜1985年頃の時期のものではないかと考えています。


日本版・「窓付き黄色箱」には、ミニカーをホールドするための内装に、外箱と同じ紙製のもの(わざわざ黄色インクで印刷をしたもの)と、プラスチックの真空成型(バキュームフォーム)のものとがあることがわかりました。

証拠はありませんが、常識的に考えて紙製のものの方が初期、プラ製のものが後期と考えられます。

左の画像のメルセデスは紙製を使っています。

プラのバキュームも、最近の製品のように個々の商品の形状にピッタリフィットしているわけではなく、大きめの収容部分の中にゴロンと入るようになっています。

日本版・「窓付き黄色箱」のバリエーションで、正面の品番・車名印刷がなくなるとともに、代わりに品番・車名入りの丸いシールが貼られるようになりました。

したがって、シールの無い状態での箱そのものは完全にジェネリック(全品番共通)です。
このことから、シール貼りタイプの方が後期のものと考えられます。

妻面のデザイン、そして「MB-1」から「MB-100」までの車名リストも、内容が微妙に差し替えられています。

ユニバーサル期のマッチボックスは、日本市場での拡販に注力した時期がありました。

「ミニチュア・カー」誌の1986年6月号(No.212)では、裏表紙に「株式会社 マッチボックス ジャパン」の広告が掲載され、「MB100シリーズ」のタイトルが確認できます。また誌面では1986年5月1日〜13日に横浜高島屋で「マッチボックス フェスティバル」が開催された、との記事があります。
「フェスティバル」では、JMAC・吉瀬氏のコレクションを展示・紹介していました。

吉瀬コレクションは、1983年に甲子園・阪神パーク、1984年「東京おもちゃショー」でも一部が展示されましたが、この横浜高島屋でのフェアが、首都圏初・かつほぼコレクション全容に近い展観でした。

「ミニチュア・カー」誌は、こうしたイベント情報やコレクターの執筆記事にとどまらず、新製品の日本での発売時期/価格などもわかる貴重な情報の宝庫になのですが、いかんせん新聞に近いフロー(一過性)の情報として散逸してしまうために、体系的な情報整理が困難になっており、それらの集約は今後の課題と言えるでしょう。

 Superfast Boxes ── Generic dark blue window box
with light blue grid(1987-92 )

これも、チャーリー・マックの「エンサイクロペディア」には登場しません。
ユニバーサル初期のブルーの窓付き箱に、アメリカ市場向けの方眼グリッドを加えたようなデザインになっており、アメリカを除くグローバルで1987年頃から使われたようです。

資料によってはこの窓付き青箱を「タイプN」としているものもあります。

米国市場と「それ以外グローバル」との間で品番やパッケージに違いが出てしまったため、各地域を俯瞰した全体像を把握することがむずかしくなった結果でしょう。


画像の箱は、著作権表示が「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド・1990年」になっています。正面の窓下に品番が、妻面に品番と車名が入ります。

この、ダークブルーにライトブルー・グリッドのデザインは、同時期のブリスター・パック用のカードにも使われました。


ブルーのウインドウ・ボックスの日本版。
このタイプがグローバルで採用されているのが1987頃のようなので、日本語版の発生も当然それ以降でしょう。

箱自体は全品番共通で、車名や品番は印刷されません。黄色のウインドウボックスの後期と同じ、赤い丸シールが貼られます。

黄色のウインドウボックスにあった、箱裏面の製品リストはなくなり、マッチボックスについての数行のセールストークだけになりました。

確かに、せっかく車名と品番の印刷を廃止して全品番共通の箱にしても、製品リストは絶版と新製品が出るたびに変化して行きますから、別刷りのミニカタログなどとして入れるべきで、箱に印刷してしまうのは得策とは言えません。

案外このあたりの日本市場用パッケージは、海外でも知られていないかもしれません。

グローバル版では、店頭展示でラックに引っ掛けるためのベロが箱の上に出ていますが、日本版にはありません。つまり、グローバルでは量販店での販売が主流になって行く時期に、日本ではまだ量販店ルートが確立されていなかったことがうかがえます。

セロテープで補修されてかなりヨレていますが、ブルーのウインドウ・ボックスのバリエーションとしてご紹介しておきます。

オーストラリア市場向けの限定品用として使われたもので、「オーストラリアン・コレクターズ・モデル」「リミテッド・エディション」の表記とオーストラリア国旗がデザインされています。

1988年にロンドン・バッキンガム宮殿前を出発して、イタリア/トルコ/イラン/パキスタン/インド/タイ/マレーシア経由シドニーまでの17,000キロで行われた「タクシー・ライド」(The Great Taxi Ride London to Sydney)を記念したモデルで、実際の走行にもオースチン・タクシー・キャブが使われたようです。ルートマップ付きのミニ解説書が同梱されています。

ブルーのウインドウ・ボックスの変化形で、「Superfast Lasers」というシリーズのためのもの。

4輪のホイルに、ホログラム調に光るプラスチックの「ディスク」を貼り付けたもので、これを「レーザー・ディスク」(?)に見立てているのでしょう。

このこと自体に「時代」を感じますが、パッケージ裏側の著作権表示は1986年になっています。

「LW」の品番記号が与えられており、ミニカーのボディ塗装もメタリック調です。
シリーズは24種も作られました。

パッケージの探索を始める前は、こんなシリーズのことは知りませんでした。

これもブルーのウインドウ・ボックスの変化形と判断されるもので、「マイ・ファースト・マッチボックス」というシリーズ用の専用箱。

3歳程度からのプレ・スクール(就学前)の子供にダイキャストミニカーを始めて持たせることを想定したシリーズで、ミニカー本体には原色の派手なカラーリングがされました。


いわば「低年齢層向けマッチボックス」で、数字/アルファベット/「タクシー」「消防車」などの言葉などを覚える助けにしてもらうとともに、その後、継続的なマッチボックスのリピーター顧客になってもらうことをねらった戦略というわけです。

シリーズ全体で36種があり、赤や黄色のホイルなど、通常のラインではちょっとお目にかかれないバリエーションが発生しています。黄色ホイルのフォードLTDポリスカーなども作られていますが、意外にネットオークションなどには出て来ません。子供たちが多くをツブしてしまった可能性もあります。

著作権表示が「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド・1990年」ですが、ミドルエセックス・エンフィールドの「マッチボックス・トイズ・リミテッド」のクレジットも入ります。


 Superfast Boxes ── Promotional Window Box
for American Edition (circa 1988)

ユニバーサル期のプロモーショナル・モデルで、箱裏の著作権表示は、「マッチボックス・インターナショナル・リミテッド」1988年。
ロンドン・ブルームズベリー地区にある、「グレート・オーモンド・ストリート・チルドレンズ・ホスピタル」(Great Ormond Street Children's Hospital/GOSH)の特注品で、「The Wishing Well Appeal」募金活動の協賛モデル。1987年から開始された募金活動で、1852年設立の同病院の再開発を意図したものだったようです。ミニカーの代金の一部は寄付に回されるようになっていました。

ブルームズベリー地区は、ロンドン都心部の一地区で、近くに大英博物館、ロンドン大学をはじめ、学術・文化機関が多く、19世紀には富裕な商人や地方の大地主の屋敷が集まる高級住宅地でした。20世紀に入ると多くの芸術家や文人、学者が集まって交流するようになり、その集団が「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれたほどでした。 それだけに古い街区の再開発は切実な課題だったのでしょう。

概してフォード・トランジットには、特製箱に入ったプロモーショナル・モデルがたくさんあります。


 Superfast Boxes ── Promotional Window Box
for Australian Edition (circa 1991)

これもオーストラリアでの限定モデルで、モデルA・フォード・バンのプロモーショナルズ。CODE-1、すなわちマッチボックス工場での生産モデル。

著作権表示は1991年になっていて、微妙な時期ですが、ユニバーサルのタイコへの統合は1992年10月なので、まだユニバーサル期のものと考えています。

中国製ですが、ユニバーサルは1990年に中国に新工場をオープンさせているので、以降はイェスター・イヤー・シリーズを中心に、マカオでなく中国生産モデルが存在します。

シドニー市内のキャンパーダウンの小児科病院(チルドレンズ・ホスピタル)に、1台につき1AUD(オーストラリアドル)が寄付される仕組みになっていました。

オーストラリア向けのモデルは、イレギュラーなパッケージの宝庫かもしれません。


 Superfast Boxes ──Yellow window box with red grid (circa 1991)
「タイプM」の黄色のグリッド箱を「窓付き」にした考え方のパッケージ。

 裏面のエンドースメント(出所表示)は、1990年・マッチボックス・インターナショナル・リミテッド/マッチボックス・トイズ(USA)リミテッド(ニュージャージー州・ムーナッシェ)になっており、これもアメリカ市場限定のものと考えられます。

 モデルは、マッチボックス・USAコンベンションの10周年(1982年〜1991年)を記念したプリントがあり、限定品と考えられますが、パッケージそのものには品番も車名も何もないので、限定品用のパッケージではなく、量産品のものをそのまま使用しているものと思われます。

 裏板/箱の表示とも「マカオ」ではなく、「チャイナ」なのが気になります。

前述のように、ユニバーサルは1990年に中国に新工場をオープンさせており、1990〜1991年の時期にイェスター・イヤー・シリーズの生産をマカオから中国新工場に移しました。この「フォードA」が、丁度その時期の中国工場での生産分に当たっているようです。
またユニバーサルは、1987年に「ディンキー」の商標を「ケナー・パーカー」から買い取りました。
1989年頃に「Dinky」ブランドでの再生産などを行っているようです。


 SF TYPE O ── Retro 1950's (1986-1996)

チャーリー・マックの「エンサイクロペディア」で、「タイプO」としての認定を受けているもの。
(順番として「タイプL」が飛んでいますが、「L」は「M」のバナー・ロゴの中が白になったもので、タイコ期のところでご紹介することになります。

ユニバーサルとしての量産品用のパッケージではなく、コレクターズ・クラブや、プライベートの企業〜施設の特注品用のもので、その名も「50年代レトロ」というネーミングです。

明らかにレズニー期の「タイプC」(〜1962年)までのパッケージ・スタイルを模したデサインです。これらの登場時点で、旧「タイプC」箱が登場してから既に四半世紀の時間が過ぎていました。



特注主体になっているのは、「MICA」(マッチボックス・インターナショナル・コレクターズ・アソシエーション)、「チェスター・トイ・ミュージアム」などで、これらはともに英国の団体・施設です。「MICA」は毎年のコンベンションのたびにこうした特注モデルを配布していたようです。

ミニカーはモデルAフォードのバンで、ミニカー自体にも昔のマッチボックスに対する郷愁を感じさせるカラーやプリントが施されました。
古くからのファンの側で、失われてしまった「古き良きマッチボックス」のテイストに対する郷愁があることは明らかです。「ファン」なんて勝手なもの、ある時は新しいものが欲しいと言い、周囲が新しいもので満たされてしまうと、「あの頃のものの方が良かった」などと言うものでもあるのでしょう。
スーパーファスト化によって、目の前の大きな市場を失うまいとした反面で、スーパーファスト化によって失ったファンや市場もあったはずです。

ジャック・オデルは、こんな箱に入ったマッチボックス・モデルを、どんな気持ちで見たでしょうか。
マッチボックスがスピードホイル化に走らず、長年のファン層を対象とした「ちょっとマニアックな」製品を作り続けていたら、果たしてレズニーは存続することができたでしょうか。



レズニー末期は、アメリカ市場向けの量産・量販が戦略の主眼になっていて、コレクター団体や特注品対応のキメ細かなサービスがされていた感が薄いのですが、皮肉なことにユニバーサル期になって、こうした長年のファンを顧みる余裕ができたようにも見受けられます。日本で吉瀬コレクションを公開するフェアなどが開かれたこともその一例でしょう。

トイとして量産・量販の宿命を負いながらも、メーカーとしてもファンの気持ちにも配慮した姿勢が少しずつ芽生えていくことになります。こうしたレトロ・ボックスは、タイコ期になっても作り続けられました。また、特注品やコンベンション限定品などの制作は、タイコ/マテル期でいっそう盛んになり、現在でも作られ続けているのはご承知のとおりです。

次回は「タイコ」期に進みたいと思います。ユニバーサルからタイコへの移行は、レズニーからユニバーサルへの移行とは違って、ユニバーサルが行き詰ったからではなく、タイコが積極的な成長戦略の中でマッチボックスの獲得を望んだ、ということだったようです。







 タイコの時代へ
「タイコ」という少し変わった名の玩具会社は、1926年にジョン・タイラーによって創業されました。
創業時の社名は「タイラー・カンパニー」(Tyler Company)で、これが後年「タイコ」(TyCo/Tyco)になった、というわけです。創業当初はトイ・トレイン(鉄道玩具。「鉄道模型」とまでは言えない時代のものと思われます。)の部品を製造し、やがて1930年代にトイ・トレインのキットの市場に参入しました。

1960年代には、これらのトイ・トレインの技術を活かして、HOスケールの電気式レーシングセットの生産に事業を拡張しますが、この時点では既に会社は「サラ・リー・コーポレーション」の傘下企業となっていました。1980年代には、依然としてタイコの売り上げは電気機関車セットやレーシングセットに依存していて、結局会社は「サラ・リー」からさらに投資ファンドである「サヴォイ・インダストリーズ」に売却されます。これを機に1984年から多角化計画に着手。1986年にはタイコは、本物のようにしゃべる電話機のオモチャ(real working telephon)や、ブロック玩具のセット(Super Blocks building set)などのベストセラー商品を生み出すメーカーとして、アメリカで広く知られるようになりました。

1980年代は、合衆国を本拠とするトイ・カンパニーにとっては非常に波乱の時代であったのですが、その中にあってニュージャージー州・マウント・ローレルの「タイコ・トイズ」は多角化計画を成功させ、8期連続で売上高を更新する記録的な成長を遂げ、1992年には7億6900万ドルの売り上げを記録して、全米第3位のオモチャ会社の地位を獲得していました。

こうした成長は、取締役会議長で社長兼最高経営責任者のリチャード・E・グレイのリーダーシップによるところが大きかったのです。彼はタイコ社の製品ラインを、伝統の電気式の鉄道玩具やレーシングセットから、電話機のオモチャや、ドール玩具/ラジコン自動車などの、時流を得た製品に大きくシフトして行きました。この結果タイコの製品領域は創業時とは大きく変わったものとなったのです。

1989年には、世界的な「恐竜ブーム」にあやかって、「ディーノ・ライダーズ」(Dino-Riders)という名の一連のアクション・フィギュアの商品ラインを発売。1987年には「ビュー・マスター・イデアル・グループ」を買収したことによって、「ビューマスター・ビュアー」(Viewmaster Viewer)、「マグナ・ドゥードル」(Magna Doodle)、「イデアル・ナースリー」(Ideal Nursery)といったドール玩具を製品ラインに加えて、さらに多角化の幅を増大させました。

1991年以降、攻撃的・国際的な拡大戦略の中で、イギリス/スペイン/フランス/ベネルクス/ドイツ/イタリア/オーストリア/スイス/メキシコ/カナダ/オーストラリアに100%出資の現地法人を持ち、合衆国と香港での製造・販売体制を確立しました。

そして1992年、こうした多角化戦略の継続の中で、プレスクール・トイ(就学前幼児のための玩具)メーカーである「イルコ」(Illco)と、世界的に著名なダイキャスト玩具メーカーである「ユニバーサル・マッチボックス」が、タイコによって買収されたのです。買収額は1億ドル超とされます。1992年10月には、ユニバーサルはタイコに統合されました。1992年末には、イェスターイヤー・シリーズを販売する目的で、「マッチボックス・コレクティブル・ディビジョン(事業部)」が設けられています。

「マッチボックス」は、単にタイコの製品ラインにダイキャスト・カーをもたらしただけでなく、タイコが持っていた様々の人気ブランドとのジョイントを実現しました。キャラクター系のドール玩具/プレスクール玩具/映像・音楽系の商品/ラジコン商品などです。「イルコ」社は、その後「タイコ・プレスクール・インク」に社名変更し、セサミ・ストリート関連商品のライセンス権を取得しました。



ここまで読んでいただくと、マッチボックスにとってユニバーサルからタイコへの譲渡は、レズニーからユニバーサルへの時とは少し様子が違うことに気が付かれるでしょう。
つまりタイコへの譲渡は、「ユニバーサルが破綻したから」ではなく、より大きな成長を欲したタイコが、高いブランド価値を持った「マッチボックス」を多角化戦略の中で求めたことで発生したのです。
マッチボックスが再び「売られた」(be sold)という表現に何度も遭遇しますが、この時点では「買われた」と表現する方が適切であるような気がします。

私はこれまで、「ユニバーサルもレズニーのように破産したから」あるいは「重荷になったマッチボックス・ブランドをユニバーサルが売却したから」だと思っていましたが、どうもそうではないようです。タイコは「マッチボックス」ブランドの使用許諾権や金型だけではなく、「ユニバーサル・マッチボックス・グループ」全体を1992年の時点で買収してしまっているようです。どうりで、ネット検索をかけても「ユニバーサル」という玩具系の企業グループが香港などに現存しないはずです。

このように、グローバル市場の中でのM&A(企業買収)は次第に様子が変わって行きます。タイコ社が創業家から「サラ・リー・コーポレーション」へ、さらに「サヴォイ・インダストリーズ」へ売却され、そこで多角化成長戦略が導入されたことは上で見て来た通りですが、潜在的な価値のあるブランド/技術/人材/顧客基盤などの経営資源を「安く買い」、成長させた上で「高く売る」、といったことが、企業経営や投資行為の中で日常的に行われるようになります。そしてひとつはっきりしていることは、「マッチボックス」の歴史と知名度は、依然として企業家や投資家たちにとって大きな価値と魅力を持っていた、ということでしょう。

そしてユニバーサルを呑み込んで「全米第3位の玩具グループ」にまで成長した「タイコ」は、1997年にマテルが取得することになるのです。もちろんこれもタイコが破綻したからではなく、マテルは「伸び盛り」のタイコの全体が欲しかったからなのです。マテルによるタイコの買収価額は7億5500万ドルでした。
「タイコ」は現在でもマテル傘下のディビジョン(事業部門)として存続していて、伝統的に強かったラジコンなどに特長を残しており、スタートレックのラジコン玩具(発泡スチロール製で実際に飛行できるUSSエンタープライズ号!)などを作っています。



※これまで、「マッチボックスのアメリカンポリス」のページで、マテルの買収を「1994年」と書いていましたが、「1997年」に訂正してお詫びいたします。チャーリーマックの「Matchbox Toys the tyco years」のタイトルに、「1993-1994」の表記があるための誤りでした。これはタイコ期が1994年で終わったという意味ではなく、この本の出版が1995年であるために、1994年までのモデルしか収録していない、という意味だったのです。

いずれにしても、「マッチボックスのアメリカンポリス」には、明らかにタイコ期のブリスターや箱に入ったものを「マテル」だと書いていたようなものがあり、気づいたものは訂正していきます。
ただし、明らかに近年の「マテル」製、古い「レズニー製」は別として、同じシリーズが「タイコ→マテル」にまたがっている可能性もあるようで、発売年次の不明確なものは断定的な表記は避けるなどの処置もしたいと思います。これらは、パッケージのスタディをやってみて、初めて気付かされたことでした。


 SF TYPE M ── Yellow with red grid / Yellow Logo (1983-1993)

ところで、マッチボックスが「タイコ」に移ったことによって、劇的に変わったことがあります。それはマッチボックスが「アメリカのブランド」になった、ということです。
これまでマッチボックスは、イギリスや香港から「アメリカ市場」を見る立場にあって、それはあくまでも「海外市場」の位置付けだったわけですが、タイコ以降は国内市場であるアメリカ(北米)マーケットを基本にアジアや欧州市場を見るという、いわば180°逆転した立場となったわけです。

ユニバーサル期から使われた黄色ベースに赤いグリッド、「マッチボックス」バナーの地が黄色の米国市場向け「タイプM」箱は、タイコ期になってもそのまま使われました。


ただし裏面の出所表示にある「マッチボックス・トイズ(USA)リミテッド」の住所は、ニュージャージー州・ムーナッシェから、同じニュージャージー州・マウント・ローレルに変更になりました。これは「タイコ」社の本拠地です。

英文では「Matchbox Toys (USA) Ltd., a subsidiary of TYCO TOYS, INC.,Mt.Laurel, NJ 08054」
になっていますが、「a subsidiary of」は「〜の傘下にある」という時に使う表現です。「マウント・ローレル」の住所が「タイコ」にも、「マッチボックス・トイズ」にもかかっているようにも読めるのですが、いずれにしてもムーナッシェが重要性を失ったことには変わりがありません。

マウント・ローレル・タウンシップは、フィラデルフィア都市圏(州中央部)のバーリントン・カウンティ(Burlington County)にある住民42,000人の街です。ユニバーサル期の「マッチボックス・トイズ(USA)リミテッド」の住所になっているムーナッシェは州北東部の「バーゲン・カウンティ」(Bergen County)にあって、少し離れているようです。
この時期から、ミニカーの生産はタイ製のものが発生しており、箱にも「Made in Thailand」「Printed in Hong Kong」(製造はタイ製、箱の印刷は香港)の表示があります。
箱の妻面のエンドフラップだけに車名・品番が黒文字で入るジェネリック箱です。


 SF TYPE N ── Yellow with red grid / White Logo (1994-1996)


同じ黄色に赤グリッドのジェネリックBOXですが、「マッチボックス」のバナー・ロゴの地色の部分が黄色から白に、「MATCHBOX」ロゴも黒に変えられました。


確かにこの方がロゴタイプとしての視認性が上がり、ちょっとスマートな印象になりますが、それほど大きな変更ではありません。やはり「経営体が変わった」ことをアピールする意味が大きいのではないでしょうか。こうした微細な変更に、コレクターがすぐに気付いたとも思えません。

店頭在庫などでは、仕入れ時期を確認できるという機能面での利点もあるでしょう。



ニュージャージー州マウント・ローレルの出所表示にも変更はありません。


 Superfast Boxes ── Generic Orange/Yellow Window Box
(1993-1997)


タイコ期に入ると、米国市場以外のグローバル向けパッケージは、ユニバーサル期のブルーのウインドゥ箱から一転して、鮮やかなオレンジと黄色のグラデーションの入った窓付き箱に変えられました。

このオレンジと黄色のデザインは、ブリスター・カードにも共通に使われていて、タイコ期のマッチボックスのパッケージの特徴になっています。
「ブルガリアとハンガリーのマッチボックス」で取り上げたように、ブルガリアでの模倣版マッチボックスにもこのタイコ・カラーを拝借したブリスターカードがあります。

イラストレーションは全車種共通のジェネリック箱ですが、正面上と妻面に品番/車名が入ります。
日本にも入って来ているようですが、日本ではブリスターパックの方が多く見かけるようです。

アメリカ市場向けのグリッドBOXには見られない、英国「マッチボックス・トイズ・リミテッド」の住所が入ります。欧州〜グローバルでの販売担当会社ということでしょうか。余談になりますが、「リミテッド」という表記は基本的に英国式、「インク」(インコーポレーテッド)や「コーポレーション」は米国式です。共に株式会社で、法律的に厳密な違いはありません。


 SF TYPE O ── Retro 1950's (1986-1996)


ユニバーサル期から登場した「50年代レトロ」ボックスは、タイコ期にも継続して作られています。


明らかにレズニー期の62A・ジェネラル・サービス・ローリー(グリーンの軍用トラック)の「タイプC」箱を模したデサインは、コネチカット州ダーラムの「マッチボックス&レズニー・トイ・ミュージアム」の限定品。


このミュージアムは、本稿でたびたび登場している「マッチボックス・エンサイクロペディア」本の著者であるチャーリー・マックが所有・運営しているもので、16,000点以上が展示されているということです。


 SF TYPE P ── Generic White and Yellow Promo Box(1994-1996)


タイコは1994年から、マッチボックスを使ったプロモーショナル・ビジネスを本格的にスタートさせました。マッチボックスの車体に特別なカラーリングやマーキングを施して、企業・団体・施設・個人などの販促品として使ってもらうビジネスです。

ユニバーサル期にもコレクター・コンベンションやトイ・ミュージアムなどの特注品が作られましたが、この考え方をビジネスとして本格化させたのです。

クライアント(発注主)となる企業にとっては、自社ブランドの宣伝になり、コレクターにとっては収集対象となる限定品などのバリエーションが増え、マッチボックスとしてはコレクター団体や一般の顧客との接点が増えるという「一石三鳥」で、以降現在も継続するビジネスモデルになりました。

これらの特注品は、通常品とは異なる白箱に入れられ、タイコ期にはイベント名などが丁寧にプリントされています。



また特にハーシーパーク・コンベンション用のモデルでは、同じデザインながら、黄色箱に入れられたものもあります。「ハーシーパーク・コンベンション」(Hershey Park Convention and Toy Show)というのは、ペンシルヴェニア州・ハーシーの「ハーシー・コンベンション・センター」で年に1度開かれたトイ・ショウで、確認できる範囲では1994〜1997年(第1回〜第4回)はタイコがスポンサーになっていたようです。ボディそのものをオレンジと黄色のタイコ・カラーに塗った限定品が作られていて、10年以上経った現在でも、コレクターが手放したものが市場に流通しています。

ディナーパーティーやMICA(The Matchbox International Collectors’ Association)との連動企画、チャーリー・マックの新刊書ブース出展など、コレクター間の交流の場ともなったようで、下の項目でご紹介する「ホワイト・ローズ・コレクティブルズ」は、オリジナル・マッチボックスを会場で一部無料配布したりしていたようです。


 Superfast Boxes ── Promotional Window Box (1994-1995)


ペンシルヴェニア州ヨークの「ホワイト・ローズ・コレクティブルズ」というショップが作らせた「コレクターズ・チョイス」というシリーズのための特製ウインドゥBOX。
1994年のリリースで、各車10,000台の限定、となっています。

ショップ特注品が単発ではなくてシリーズ化し、専用パッケージまで持った、ということでしょう。

『コレクターズ・チョイス・シリーズは、1995年にも継続し、48台のユニークでエキサイティングなモデルをお届けする予定です。お近くの専門店(ローカル・スペシャルティ・ショツプ)で探してみてください。』という記述がパッケージ裏面にあります。
しかし「The Big Book」(Volume 2, p37-38)に同シリーズとして掲載されているのは半数の24台で、何らかの理由で予告された48台全ては発売されなかったようです。

マッチボックスがタイコ/マテルという形でアメリカのブランドになったことで、アメリカのショップにとっても特注モデルなどを作りやすい環境が生まれて来たということなのでしょう。「ホワイト・ローズ・コレクティブルズ」は、この後、膨大な数の「NASCAR」や「DIRT」、ボトル入りNASCARのシリーズ、トラックやバンのプロモーショナル・モデルなどをマッチボックスで特注制作することになります。

チャーリーマックの「エンサイクロペディア」では、「タイプQ」として、「他のパッケージ・タイプに該当しない、プロモーショナル・モデル用に単発でデザインされたもの」という分類を設けており、これを「スペシャルティ・ボックスィズ」(1985-1996)としています。
例として、「Silvo」「Lion」「Continental Aero」「Chubbies」「Matchbox Collectors Club」その他、としています。ただしいずれも窓付き箱ではなく、紙製のいわゆるキャラメル箱形式のもののことを言っているようです。該当するものを持っていないので、画像紹介では「TYPE Q」を割愛させていただきます。


 Superfast Boxes ── Generic Gold Window Box
for Australian Collectors Model

ユニバーサル最初期の、ブルーに黄色と赤のストライプのデザインに酷似していて、当然ユニバーサル期のものと思いきや、裏面の著作権表示は「1993 TYCOTOYS INC.」になっており、タイコ期のモデル。

ミニカーやパッケージは、実際に手にとって諸情報を確認するまでは、迂闊な判断はできないという典型でしょう。

オーストラリア向け限定モデルのシリーズのためのパッケージで、左の画像ではオーストラリア・ポストの郵便車が入っています。

オーストラリアのコレクターにとっては、ユニバーサル期の斜めストライプのBOXに馴染みがあったということなのでしょうか。


 SF TYPE R ── Plemiere Collection Box (1996-1998)

通常品よりも繊細なマーキングや色差しを施し、特別なゴム・タイヤやホワイト・リボン・タイヤを履いた「プレミア・コレクション」のモデルのために用意されたスペシャル・パッケージ。これもブリスターカードの中にミニカーと紙箱が同封パックされる形式で売られました。

マテル期のものと錯覚していましたが、シリーズのスタートは1996年のタイコ期でした。シリーズの「1」〜「6」までは全てこの黒ベースのジェネリック箱を用いているようで、マテル期に入ってからは、さらに細分化されたシリーズごとに、異なるパッケージとなったようです。


 SF TYPE S ── 75 Challenge Box (1996-1997)


「マッチボックス75チャレンジ」のシリーズのための特製箱。ミニカーは箱入りではなく、箱とミニカーがブリスター・パックに同梱される形式で売られました。この後この方法は、マッチボックスにとってポピュラーな方法になって行きます。販売側にとっては店頭での展示が容易、コレクターにとってはブリスターを開封しても、箱が手元に残る、というわけです。


「マッチボックス75チャレンジ」は、1996〜97年に、全面ゴールドに塗られた、
各10,000台限定モデルが75種作られたシリーズでした。「75種を全部集めよう!」という、マッチボックスの原点に立ち返ったような企画と言えるでしょう。バリエーション追求をするコレクター以外に、75種のゴールド・モデル全部を集めた人がどれぐらいいたかはわからないですが…。


1997年という年は、再びタイコからマテルへの移行期にあたりますが、「75チャレンジ」シリーズのモデルのリリースがタイコ期で終了しているのか、マテルまで繰り越しているかは未確認です。

出所表示などの情報は、箱ではなくてブリスターカードの方にプリントされているので、箱が付いているのをいいことにブリスターをバリバリと破いて捨ててしまうと、わからなくなってしまう情報もあることに、今ごろ気が付きました。この紙箱同封型ブリスターは、いかにもカサばるのです。


 SF TYPE T ── Orange Generic Box(1997)


1997年の1月から、アメリカ市場向けの黄色のグリッド・ボックスは、オレンジと黄色のグラデーションのタイコ・デザインに置き換えられました。つまり、グローバル市場向けの窓付き箱やブリスターと共通のデザインになったことになります。


妻面のエンドフラップにのみ、品番/車名が入ります。

エンドースメントはニュージャージーの「マッチボックス(USA)」のみで、英国「マッチボックス・トイズ・リミテッド」は表記されません。(つまり基本的にアメリカ市場向けであることが知れます。)


レズニー期のスーパーファストBOXと同じサイズで、大き過ぎず、なかなかな良い感じですが、この年1997年にはタイコはマテルに買収されるため、短期間で廃されたパッケージで、現在マーケットに出ている数は限定されているようです。

チャーリーマックの「エンサイクロペディア」153pでは、アルファベットの形式分類を与えられたパッケージはこの「タイプT」が最後で、このあと「マテル・ホィールズ」のプリントの入った「アンリリースド・1998」
スタイル」の写真を載せて終わっています。つまりマテルで検討されながら、導入されなかった紙箱です。解説文(314p)の方では、この後、プレミアム・コレクション用のマテル版(タイプU)と、スターコレクション(TVキャラ車)用「タイプV」を紹介して終わっています。


 Superfast Boxes ── Promotional Box (Matchbox Collectors Club)

ちょっと赤が強過ぎて画像はハレーションを起こしていますが、マッチボックス・コレクター・クラブが、配布したクリスマス・モデルのための特製箱。

「マッチボックス・コレクターズ・クラブ」は、ニュージャージーのエヴェレット・マーシャル氏によって1993年に再結成されたクラブで、少なくとも1994・1995年にクリスマス・モデルを作りました。

著作権表示は1994年。







 マッチボックスは、かつてのライバル・マテルの持つブランドに
1997年、マテルは全米第3位の玩具グループにまで成長した「タイコ」を7億5500万ドルで買収しました。タイコが「マッチボックス」ブランドと製品ラインを売却したのではなく、「タイコ」の全体をマテルが買収したのです。

「マテル」は、1945年にハロルド・マトソン(Harold Matson)と、エリオット・ハンドラー(Elliot Handler)によって設立されました。その際、マトソンのニックネームだった 「MATT」 と、ハンドラーのファーストネーム の「EL」liot を組み合わせて、 「matt-el」の社名が生まれたのです。
1959年に、エリオットの妻で、マテル社の共同創設者、後に社長にもなったルース・ハンドラー(Ruth Handler/2002年に85歳で死去)が中心となって考案した「バービー」を発表し、世界で最も有名な人形のひとつになりました。紙を切り抜いて遊ぶタイプの着せ替え人形に夢中の娘をヒントに、立体化を発案。「バービー」のネーミングは、エリオットとルースの娘の名前である「バーバラ」に由来します。

言うまでもなく、マテルと言えば、1968年に「ホットホィール」(ホットウィール)をスタートさせた会社です。「マッチボックス」のライバルであり、いわば成長をアメリカ市場に頼っていたレズニーを苦境に追い込んだ張本人とも言える存在です。

そのため、マテルが「タイコ・マッチボックス」を取得したことで、マッチボックス・コレクターのコミュニティにある種の戦慄が走りました。それは、『マッチボックスがホットホィールになってしまうのではないか』ということでした。ユニバーサル期に作られた「マッチボックス・インターナショナル」という法人も、マテル傘下では消滅しています。

実際『ホットホィール的』なコンセプトやスタイルがマッチボックスに入り込んだように見える場面もありました。「マテル」でなければ作らなかったであろうモデルが、マッチボックスのシリーズ中に加えられたことも事実でしょう。

マテル・カナダ、ミシソーガ・オフィスのプロダクション・マネージャーであるアリソン・ダフィが、次のようなことを言っています。(http://www.geocities.com/jeeptoys/mattel.htm)
『マッチボックスは、我々が実際に街で見ることのできるクルマや、建設車輌などの、精密で、ディテールまで再現された精密な(オーセンティックな)レプリカでありたい。これに対して、ホットホィールが重視するのは、スピード/スタイル(attitud)/パフォーマンスだ。』
『そして、ホットホィールは、コレクションしやすいような、低価格を維持しなければならない。1969年には59セント、そして今日でも1台・1ドル前後で売られている。ホットホィールのそもそもの商品化意図は、子供向けの玩具(トイ)だった。子供たちはやがて成長してコレクターになる。コレクターの大半は、収集歴は4〜5年だと答えていて、コレクション再開の動機は子供の頃のオモチャへのノスタルジアなのだ。』

これは、必ずしもマテル自身の「公式見解」ではありませんが(ブランドのコア・コンセプトを規定したようなステートメントやドキュメントは、実はあまり社外には出ないものなのです)、非常に重要な視点を提示していると思います。

「ホットホィール」からも実車系のモデルは出ますし、マッチボックスでも架空系のクルマが作られますから、単純に「マッチボックス」=実車系、「ホットホィール」=カスタム系、とも言えないのですが、なんとなくの線引きとしては、

マッチボックス
-アメリカ車のみならず、グローバル市場を意識した、欧州車・日本車などの実車系モデル
-トラック/バス/建設車輌/緊急車/4WDなどの実車系モデル
-年少者向けのキャラクターやグラフィックを施したモデル
-スーパーマン
-企業のプロモーショナルモデル

ホットホィール(ホットウィール)
-ローライダー/ホットロッドなどのカスタムカー
-アメリカ車/スポーツカーの実車系モデル
-専属デザイン・チームによるオリジナル・デザイン(を売り物とした)カスタム
-専属デザイン・チームによるオリジナル・グラフィックを施したモデル
-デフォルメ/カリカチュア・モデル
-フェラーリ
-バットマン
-コレクター・コンベンション配布の限定モデル

といったところでしょうか。一時はマッチボックスでもデフォルメ/カリカチュア系のモデルが作られましたが、最近ではマッチボックスは極めて真面目な路線に戻っており、クルマそのもののオリジナル・デザイン売り物としたホットホィールとの違いはより明確になっているような気がします。



日本のコレクター(つまりトイ・ユーザーではない)の印象では、マッチボックスの方が低年齢向けのギフトセットなどを作り、ホットホィールの方がもう少し上の年代のコレクターを意識しているような感じがあるのですが、注目すべきはマテル・サイドの人間が「ホットホィールはもともと玩具」と言い切っているところでしょう。(ただし「もともとの意図は玩具だった」というように過去形になっているのですが。)

いきなり大人のコレクターを増やそうとするのではなく、また子供の時からの収集をずっと続けて欲しいということでもなく、「ある日子供の頃の記憶がフラッシュバックして、また収集をはじめる」というシナリオが描かれているところが大変に面白いと思います。
既に日本には「マッチボックス」「ホットホィール」ともに「玩具」としては輸入・販売されていない状況なので、アメリカの子供たちにとって「マッチボックス」「ホットホィール」がどういう魅力やマーケットを構成しているのかは興味深いところです。親がどちらのミニカーで育った世代かも大いに関係するところでしょう。

「マッチボックス」と「ホットホィール」は売り上げや利益でどのぐらいの差があるのか、顧客層や販売地域にはどのような差があるのか興味のあるところですが、残念ながらマテル社の2008年版アニュアル・レポートにも、そこまでブレイク・ダウンされたデータは掲載されていませんでした。

マテルの沿革や事業紹介を見ると、「バービー」「ホットホィール」「フィッシャープライス」などは登場しますが、「マッチボックス」はこれらと同列の基幹ブランドとしては語られません。せいぜいダイキャスカー事業の中で、「ホットホィール」と補完関係にあるブランドとして登場する程度です。
しかしマテルは、「マッチボックス」を「ホットホィール」色に染めることをせず、「マッチボックスらしさ」を再構築する道を選んだと思います。

既に「マテル・マッチボックス」が生まれてから12年、「ホットホィール」と「マッチボックス」は、お互いに意識し、影響し合う中から、かえってそれぞれのアイデンティティを自覚し、良い形で発展して来ているのではないでしょうか。逆に「マッチボックス」と「マッチボックス・コレクター」は、もはや経営的な不安定に怯えることなく、将来を考えることの出来る環境を獲得したと言えるのではないかと思います。

プラモデルの「モノグラム」と「レベル」が合併し、実車メーカーのクライスラーやGMが「破綻」してしまうような世の中にあって、決して「マッチボックス」は「不幸な結末」を迎えていないように思います。


 Super Fast Boxes ── Generic Orange Window Box (1997-2000)

マテル・マッチボックスになってから「モデルチェンジ」した最初の基本パッケージ。
この箱を「Type P」としている資料もあります(ただし英国のコレクターによるWebサイトのため、アメリカ市場向けパッケージを割愛しているようです)。

1997年登場の最初期のものは、オレンジから白のグラデーションの付いたウインドウBOXでした。このオレンジは、マテルのコーポレート・カラーの赤とは違うもので、「タイコ」からの継承性を重んじたものと言えるかもしれません。

タイコから受け継いだ「MATCHBOX」のバナー・ロゴに、4WD車のイラストレーションが付きますが、この4WD車は、箱の中のミニカーとは関係がなく、箱そのものは共通のジェネリック箱です。裏面の著作権表示は、「Matchbox Toys, Ltd.,」 1997年。

「MATCHBOX」のブランドとは別に、「MATTEL WHEELS」という表記が登場。
これは「MATCHBOX」と「HOT WHEELS」の両方を束ねたアンブレラ・ブランドで、ホットホィールのパッケージ(ブリスターカード)にも表示されるようになります。
翌年の1998年には、グラデーションが消滅してオレンジ1色になりました。


裏面の著作権表示は、「Matchbox Toys,Ltd.,」ではなく「Mattel, Inc.」になり、1998年。


正面左下の車名には、シンボル・アイコンが登場。このアイコンは各車ごとに異なるわけではなく、いくつかのカテゴリーに分けられていました。

オレンジ・ウインドウBOXの3つ目のバリエーション。基本的なデザインはそれまでの2つと良く似ていますが、「MATCHBOX」のバナー・ロゴの横にあった4WD車のイラストレーションがなくなりました。裏面の著作権表示は、「Mattel, Inc.」1999年。

正面左下の車名の横には、カテゴリー別のアイコンが継承されています。しかし「#9」だった同じロンドン・タクシーが「#11」になり、アイコンも変更されています。裏面では、「ジャガーXJ220」「ジャガーXJ6」「フォード・トランジット」「エスコート・コスウァース」を紹介しており、アイコンが「イギリス」カテゴリーを示していることは明らかです。

頻繁にパッケージのフォーマットが変わるのは、マッチボックスを取得したばかりのマテルが試行錯誤期にあったからなのか、または販売地域による差であるとも考えられます。

箱の内張りが、紙ではなくバキュームフォームされた透明プラになりました。(画像のパッケージではこれが失われています。) このタイプのパッケージは、2000年まで継続されました。


 SF TYPE R ── Plemiere Collection Box (1996-1998)

ゴム(軟質樹脂)タイヤのホイルを履いた特別仕様の「プレミア・ワールド・クラス」シリーズは、1996年のシリーズ1(スポーツカー6点)から始まり、従ってタイコ期→マテル期にまたがっています。

したがって、タイコ期にデザインされたパッケージを、マテル期にもそのまま継続使用したということになるでしょう。

「ポリス・コレクション」は「シリーズ8」として1997年に6点が、「ステート・ポリスUコレクション」は「シリーズ18」として1998年に6点が、それぞれリリースされました。

左の画像では、下のニュージャージー州警察・フォードLTDが1997年の「シリーズ8」、上のユタ州警察・カマロZ28が1998年の「シリーズ18」のもので、ブルーの色調が若干異なっています。

 Superfast Boxes ── Box for Matchbox Collectibles Coca-Cola
Series

「コレクティブル」レンジのコカ・コーラ・シリーズ用のもので、これもミニカーと紙箱がブリスター内にパックされる形式のもの。

1998年のリリース。箱が長方形でなく、変形の八面体であることが大きな特徴。


この形式のパッケージでは、著作件表示などは紙箱にはなく、ブリスターカード側にあるため、ブリスターを開封すると情報がなくなってしまう難点があります。

 Superfast Boxes ── Box for Star Car Collection

「スター・カー」というのは、TVや映画のタイトルを拝借した「キャラ」車のシリーズで、1998年・1999年に5シリーズが発売されました。


画像の「サンシャイン・キャブ#804・フォードLTD・タクシー」「ミッション・インポシブル・バン」はいずれも1998年の「シリーズ1」のもの。

言うまでもなく、トム・クルーズ主演の「ミッション・インポシブル」の劇中に登場する車輌を再現しているわけではなく、「ミニカーに映画のタイトルがプリントしてある」という商品です。

 Superfast Boxes ── Generic Red/White with New Logotype
Window Box (2001-)

2001年には、マテル・オーナーシップのもとで、「MATCHBOX」のロゴタイプが、楕円の中に組み入れられたものに一新されました。

やはり、「経営が変わるとロゴを変えたがる」という、私の個人的邪推を裏付けるような対応です。

この箱を「Type Q」としている資料もあります。

オレンジの基調色は赤になり、黒のカーブド・ストライプが加わって、かなり雰囲気の違ったものになりました。

裏面の著作権表示は、「Mattel, Inc.」2000年。

同じく裏面の著作権表示は、「Mattel,Inc.」2000年で、同時期のものながら、正面下の立ち上がりが高くなり、その部分にも車名と品番が入ったタイプ。


マテルのコーポレートカラーは、もともとこういう赤なので、「MATCHBOX」ブランド取得後3年にして、ようやく「マテル」色を強めた、ということなのでしょうか。


 Superfast Boxes ── Generic Red/White with the 50th  
Anniversary Symbol Window Box (2002)

2002年の「マッチボックス50周年」にあたり、「50周年」のアニバーサリー・シンボルを入れたもの。

レズニーによる「1-75」シリーズの発売開始は1953年とされていますが、50周年のアニバーサリー・シンボルは、はっきりと「1952-2002」をうたっています。
1952年というと、エリザベスU世の即位の年にあたっており、レズニーはその後の成長のスタートとなった「ラージ・コロネーション・コーチ」(戴冠式の馬車)を発売しました。1952年から周年を数えているのには、そんな意味もあるのでしょう。

当然ながら、2002年限定のパッケージということになり、、この箱を「Type R」としている資料もあります。
裏面の著作権表示は、「Mattel, Inc.」2001年。

マッチボックス50周年×コカ・コーラのシリーズのための特別パッケージ。

正面左下の、「MATCHBOX」ロゴが入るべき位置に、コカ・コーラ・ロゴタイプが入ります。


コカ・コーラとマッチボックスのコラボレーション商品は、相当の数にのぼり、パッケージにもブリスターはもちろん、プラケース入りのディオラマ仕立てのものなど、この他にも色々な種類があります。


 Superfast Boxes ── 50th Anniversary Collection Window Box(2002)

マッチボックス50周年を記念して、イギリスで売られた4台の特別記念モデル(トレジャーハント・コレクション)のためのもの。赤1色で、シンボルも「MATCHBOX 50th Anniversary Collection」の特別なものが使われました。この箱に入れられたのは、「ファイア・セイバー」「1962・VW」「ロンドン・タクシー」「フォード・モデルA」の4点。

「トレジャーハント」というのは、もともとは「ホットウィール」のためのもので、特注品ではないながら特別仕様で少量が生産され、通常品に混じって出荷・流通されるモデルのことです。

「ホットホイール」のコンセプトがマッチボックスにまで波及した一例でしょうか。
裏面の著作権表示は、「Mattel, Inc.」2001年。

正面右上の黄色い星の中に、「1952-2002」の表示がご覧いただけると思います。


 Super Fast Boxes ── Hiro City Window Box (2003-2004)

「ヒーロー・シティ」は、2003年・2004年に限っての、グローバル向けの「1-75シリーズ」のタイトル。基本的にはブリスターカードだと思っていたのですが、ウィンドウBOXも存在しました。ただしアメリカ市場にはあまり出ていないようで、このモデルもイギリスから購入しています。

この箱を「Type S」としている資料もあります。
裏面の著作権表示は、「Mattel, Inc.」2002年。やはり箱に印刷された著作権表示は、実際の発売年次より1年ズレているようです。

正面のアイコンは、スイス国旗ではなくて赤十字です。実際の赤十字シンボルを使うのが、ライセンシーの関係で面倒だったのかもしれません。


 Super Fast Boxes ── Stars of Germany Window Box (2003)

「スター・カー」は、TVや映画のタイトルを拝借した「キャラ」車のシリーズでしたが、「スターズ・オブ・ジャーマニー」は、ドイツ市場向けのドイツ車を中心としたシリーズ。


他の地域向けとは一味違う、重厚な雰囲気のシリーズに仕上がっています。


裏面の著作権表示は、「Mattel, Inc.」2003年。

 Superfast Boxes ── BMW Promotional Window Box

BMW特注品の入れられたもの。


「製造マッチボックス」、著作権表示はミュンヘンの「BMW株式会社(BMW AG)」になっており、パッケージの上ではマテルの「マ」の字もありません。


裏面には、「セット1」4点、「セット2」4点のリストがあります。


 Superfast Boxes ── Box for Superfast 35 years collection
(2005-2006)

2005年の、スーパーファスト35周年を記念した限定品のためのもの。
ブリスター内にミニカーと紙箱が同梱される形式のパッケージで販売されました。

スーパーファスト化が始まったのは1969年なので、35周年自体は2004年ですが、このシリーズの発売がスタートしたのは2005年で、2006年にも継続されました。

数量限定表示の無いものでシリーズC〜G、15500台の限定のものでシリーズAからKまであり、シリーズGの中には8000台限定のものもありました。

左の画像の「キャデラック・フリートウッド1955」は2005年発売の「リリースC」で、楕円片のマテル「MATCHBOX」ロゴが入ります。


ところが、驚くべきことに、同じ2005年発売の「リリースD」からは、「MATCHBOX」ロゴがタイコ時代のバナー・ロゴに戻されたのですね。
せっかく2001年に一新されたマテル「MATCHBOX」の楕円ロゴは、わずかに4年で元に戻されたことになります。
これは「スーパーファスト35周年」シリーズに限ったことではなく、マッチボックス・ブランドの全体に及び、現在に至るまで継続しています。

パッケージとして重要な点は、紙箱のひとつひとつに、バリエーションに適合したイラストレーションが描かれていることでしょう。つまり、グリーン/白ペイントのモデルは、グリーン/白の絵の付いた箱が、クリームのモデルはクリーム車体の絵の箱が付いているのです。こんなことは、レズニー時代にもありませんでした。

レズニー最末期に始まった、パッケージの「ジェネリック化」の流れは、35年後にライバルだったマテルの手で、品番ごとの独自パッケージに引き戻されたことになるわけです。

総じてマッチボックスは、古き良き時代を懐かしむ「リバイバル」調が強くなって来ます。


 Superfast Boxes ── Box for Super Fast America Series (2007)

2007年は、2つのサブシリーズがリリースされています。この「スーパーファスト・アメリカ」と、「ストリーカーズ」のシリーズです。
これもブリスター同梱型のパッケージ。

「スーパーファスト・アメリカ」は、50年・60年・70年代のアメリカ車に、アメリカ人好みのカラーリングを施したもので、中にはホワイト・リボン・タイヤを履いたものもあります。
かつてのモデルよりはだいぶん大きいとは言え、マッチボックス・サイズで、ホワイト・リボン・タイヤのアメリカ車が収集できることには隔世の感があります。


 Superfast Boxes ── Box for Super Fast Streakers Series (2007)

同じく2007年リリースのサブシリーズで、「スーパーファスト・アメリカ」よりは派手めのグラフィックを施した「ストリーカーズ」のシリーズ。これもブリスター同梱型。

言うまでもなく、レズニー・スーパーファスト期に存在した同名のシリーズのリバイバルです。

レズニー期の「ストリーカーズ」がランボルギーニ/ボクソールなどの欧州車だったことにちなみ、2007年の新シリーズにもアメリカ車だけでなく、BMWが入ります。

 1970年代にタイム・トラベルをして、マッチボックス・コレクターにこの箱を見せたら、『レズニー・スーパーファストは、結局21世紀まで生き残ったんだね!』 と言って、笑顔を見せるに違いありません。




 Superfast Boxes ── Box for Best of British Series (2007-)

2007年にスタートした「ベスト・オブ・ブリティッシュ」シリーズのためのもの。これもブリスター同梱型で、側面に大きなユニオン・ジャックが付きます。

シリーズは、2008年・2009年も継続して発売されています。

マテル・マッチボックスがアメリカのブランドになったからこそ、「イギリス」を意識したモデルをラインアップする、という逆転の発想の企画でしょう。


 Superfast Boxes ── Generic White and Blue Promo Box

白塗装のマッチボックス・モデルに、発注主の企業・団体・個人のロゴなどをプリントし、宣伝・販促や記念品として使うためのプロモーション用特注モデル用の紙箱。

上は、バナー・ロゴの囲みが三重になっていて、マテル・マッチボックスがタイコ期のロゴを継続使用中の時期のもので、ニュージャージー州・ペンソーケン(後にウイリアムズタウンに移転)の「カラー・コンプ・インク」(CCI)のもの。(著作権表示は、1997 Matchbox Toys(USA)Ltd., a subsidiary of MATTEL INC.)「a subsidiary of〜」は「〜の傘下の」という意味です。

 下は「カラー・コンプ」とは別の会社である「ASAP」(Advertising Specialty & Promo Model)製のもので、ロゴの囲みがシングルで、2005年に旧ロゴに戻して以降のもの。著作権表示は同じく2003年。
「Produced By ColorComp, Inc.」のプリントが無く、代わりに「ASI#33000」といった表示があるのが「ASAP」製です。

こちらは、2つとも「カラー・コンプ」で、2001年に「MATCHBOX」が楕円のロゴに改訂された時期のもの2種。


著作権表示は同じく「Matchbox Toys(USA)Ltd., a subsidiary of MATTEL INC.」で、ブルー箱が1997年、白箱が2003年になっています。製造年ではなく、権利関係の取得年次を表示しているのでしょう。
どのみち、この種のものは、一回にたくさん印刷・加工してストックしておくはずです。

白箱とブルー箱には、意味的な違いは無いように思いますが、上記の著作権表示年次を考えると、ブルー箱の方が古く、現在は白箱のみになっている可能性もあります。


 Superfast Boxes ── Blue Promo Box for D.A.R.E. car

「D.A.R.E.」(Drug Abuse Resistance Education program/薬物乱用防止教育プログラム)のキャンペーン用に制作された、プロモーション「D.A.R.E.」カーが入っていたもの。

シリーズ化された「DARE Collection」はブリスターにプラスチック製のベースが付いた状態で販売され、紙箱は付属しなかったので、これは単品で特注制作されたものです。
裏面の著作権表示は、「Mattel, Inc.」2000年。レズニー時代と同じ小さなサイズの箱になっているのがお洒落。


 Superfast Boxes ── Promo Box for Special Limited Edition


イベントで配布・販売された、コレクター向けの限定品のためのスペシャル・パッケージ。

上は2003年・ハリウッドの「プレ・トイ・フェア」のためのもので、ハリウッドの「スタジオ・ポリス」。

下は同じく2003年の、「ニューヨーク・トイ・ショウ」のためのもの。
この「タクシー」金型は、どちらかというと年少者向けの架空系マーキングが多く、「この金型に本格的タクシー・マーキングをプリントすればココまでやれる」ということを実験したようなモデルになっています。
時期的に「ヒーローシティ」のロゴを付けているのが面白いところ。

軟質プラケースに紙製のデコレーションというのは、マッチボックスのパッケージでは極めて珍しいスタイルでしょう。

いずれにしても、既成のミニカーにイベント日時などを安直にプリントして終わらせるのではなく、ミニカーのカラーリングやグラフィック、パッケージを最初からキチンとプランニングしているところが、スペシャル・モデルとしての面目躍如というところでしょうか。

プロモーション用として特製されたパッケージは、ユニバーサル/タイコ/マテル期を通じて、このほかにも相当数が存在するはずです。


 Superfast Boxes ── Promo Box for Dream Halloween
and MEA Dinner Dance

「コラム」欄で既にご紹介している、「ドリーム・ハロウィーン」のチャリティ・イベントでの配布品と、マテル従業員向けの社内イベントである「ディナー・ダンス」での配布品のパッケージ。

もともと、このプラスチック・ケースは明らかにホットホィール用のもので、「ドリーム・ハロウィーン」「ディナー・ダンス」での配布品も例年ホットホィール・キャスティングのものと相場が決まっていました。
それが、「ドリーム・ハロウィーン」では2007年・2008年はホットホィールとマッチボックスの両方の金型が、そして「ディナー・ダンス」ではそれより前の2005年にマッチボックス金型が使われていたのです。マテル従業員配布品については全容を把握していないので、2005年以前にもマッチボックス金型が使われたことがあるかもしれません。

いずれにしても、マテルにとって「マッチボックス」が、ホットホィールと比肩し得る誇りあるポジションを獲得したことの現れと見ることができるのではないでしょうか。

2008年「ドリーム・ハロウィーン」のロンドンバスは、通常のホットホィール用のプラケースでは高さが収まりきれず、背の高いものを特製せざるを得なかったものと思われます。






レズニー期から始めたマッチボックスの「箱」をめぐるストーリーも、今回の「マテル」編で一応の「完結」
となります。キングサイズやイェスターイヤーのシリーズは体系的なコレクションを持っていないので、
勝手ながら割愛させていただくことにします。

「箱」そのもののバリエーション確認のつもりでしたが、結果的に「マッチボックス史」に近いものにな
り、私としても普段やらない情報収集を試みた結果、新しく知った事実がたくさんありました。

当初は「ブリスター編」も考えていたのですが、当面はやめておこうと思います。
基本的な流れは「箱」の変遷で構成できていると思うので、この流れにブリスターを混ぜると混乱する
ような気がしますし、コレクションのカサを減らすためにブリスターは結構破ってしまっているので、体系
的な手持ちに乏しいのです。箱とミニカーが同梱されているタイプのブリスターは、そのままで保存して
いるとかなりのカサになるからです。箱は1度ミニカーを出してもまた元に戻せますが(実際には、どの
箱にどのバリエーションが入っていたのかがわからなくなって慌てました)、ブリスターは一度破ってし
まうと後がなく、古いものは価格的にも(ルース品より)高くなってしまいます。
ブリスターでは特定国市場向けのレアなものや、レズニー期の初期のものなど、追いきれる自信があ
まりありません。

ブリスターの基本的なデザインは、その時々の箱の基本デザインとシンクロしていますので、概ねの生
産時期を判断していただけると思います。ブリスターの場合には、裏面の著作権表示や、著作権の権
利者などが時期判断の目安になります。ただし一部はブルガリア製後期のように、マッチボックス・ブ
ランドとしての正式な承認の無い状態で、勝手に生産されたものもあります。

「マッチボックスによるヨーロッパのポリスカーと救急車」では、なるべく破る前のブリスターの状態を画
像として記録するようにしていきたいと思います。

日本市場をはじめ、英・米などでもレギュラーホイル時代のモデルが珍重される傾向にありますが、個
人的には、「スーパーファスト」を見直すきっかけになったようにも思います。レズニー末期の少なからず
混乱した企画によるモデルたちも、いまとなっては貴重な、時代の証言者です。

既にマッチボックスの全てを収集することはバリエーションの分量的に見ても困難ですから、範囲やテ
ーマを絞った集合(コレクション)形成を目指すことが現実的でしょう。この中には、「パッケージ違いを
収集する」といったテーマも当然考えられるわけです。実はいくつかの特徴的なパッケージ違いを物色
する過程では、明らかに「箱」を収集対象にしていると考えられる入札者(特に英・米)との争いになっ
たこともありました。現在は日本に体系的に入荷していないマッチボックスですが、興味を持っていた
だける方が少しでも増えれば幸いです。




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