CIJとJ.R.D.

Les jouets en zamac CIJ et J.R.D.





1950年代・60年代のフランスのエスプリ


1950年代から1960年代の半ばにかけて、フランスに「CIJ」というダイキャスト・ミニカーのブランドがありました。「シー・アイ・ジェイ」ではなく、フランス風に、「セ・イ・ジ」と読んでください。「CompagnieIndustrielle du Jouet」(コンパニー・アンデュストリエル・デュ・ジュエ)の略で、「玩具産業会社」といったほどの意味になります。

この「CIJ」が、近年日本でも人気が高いそうです。それも、シートも、ウインドも付いていないような、マイナーなフランス車のモデルに、相当の高値が付きます。
私も「ノスタルジック」なミニカーを求めている中で、少なからず「CIJ」に魅せられてしまった一人で、今回はこの「今は無きオールド・ブランド」の魅力の原因について、考えてみたいと思います。
(2006.9.16)

※フランス語は、「超初心者・独学・一夜漬け」なので、カタカナ表記の間違い、誤訳による事実誤認などがあるかもしれないことをご了解ください。特に人名や地名の表記は辞書で確かめようがないので、あんまり自信がありません。(私のフランス語は、何のことはない、CIJ/J.R.D.のミニカー欲しさにフランスの eBay に入札がしたくて、本を2冊ほど買って来ただけのものなのです。)

※フランス語には、「つづり字記号」(アクサン記号)というものがあるのですが、これが日本語html上では、ドイツ語のウムラウト同様に表示できません。また英文の資料から引用しているものについては、原典上で「つづり字記号」が脱落しているものもあります。例えば「Coupe」(クーペ)は、フランス語では語尾の「e」の上に右下下がりの「チョン」(ウ・アクサン・グラーヴ)が付きますが、ここでは表示できないのです。(HP作成ソフト上に入力しても「e」になってしまいます。)この点もお含みおきください。


参照資料:
-Les jouets en zamac CIJ/J.R.D. automobiles-utilitaires, Thierry Redempt-Pierre Ferrer, Lescarnets du collectionneur DRIVERS
-Collectoys, Vente aux Encheres Internationales de Jouets anciens, 20eme Edition, 2001
-Charge Utile Magazine Hors-Serie No.15, Les Utilitaires Renault 1945-1952, by Jean-FrancoirCOLOMBET, Histoire & Collections-Paris
-Classic Miniature Vehicles Made in France, by Dr. Edward Force, Schiffer Publishing 1991
-The Big Book of Tin Toy Cars, Passenger,Sports, and Concept Vehicles by Ron Smith & WilliamC.Gallagher, Schiffer Publishing 2004

-ワールド・カー・ガイド4『シトロエン』/ネコ・パブリッシング・2002年改訂2版
-ワールド・カー・ガイド21『ルノー』/ネコ・パブリッシング・1999年改訂1版
-フランス語が面白いほど身につく本/中野久夫/中経出版・2006年第1刷
-フラ語入門、わかりやすいにもホドがある!/清岡智比古/白水社・2006年第10刷

※CIJ社の歴史については、上記書籍以外に、フランスのコレクターサイトの記述を参考にしました。
また「フランス国家警察」「フランス共和国保安機動隊」などについては、「Wikipedia」の記述を参考にしています。



20世紀フランスとともに歩んだ、波乱万丈のCIJ社の歴史
冒頭で「1950年代から1960年代の半ばにかけて」と書きましたが、これはあくまで「CIJ」のダイキャスト製品の最盛期で、実は会社の歴史はもっと古く、1927年の創業、1920年代に既に大きなサイズのティンプレート・トイや、プラスター(焼き石膏)製のモデルを製造していました。

前史──「バザール玩具」(Des jouets de bazar/デ・ジュエ・ドゥ・バザール)
CIJ社の創業者であるアルベール・ミゴール(Albert Migault)は、1878年に既に懐中時計の玩具や、人形の洋服を製造していました。彼の会社(SA Ets Migault/ただしこれは1922年頃の社名で、創業当初の社名は違っているかもしれません。「SA」は「ソシエテ・アノニム」で株式会社の意味。)は、パリのロケトゥ通り(rue de la roquette)166番にありました。
そして1900年に、彼は機械式の玩具の製造に乗り出しました。これは、当時の競合の玩具メーカー、フランス国内では「フェルナン・マルタン」や「シャルル・ロシニョール」、海外ではドイツの「レーマン」などの製品に刺激されたものでした。1910年になると、アルベールは、当時フランスの大都市を巡業して大きな評判を得ていた「サーカス」を題材にした人形などをティンプレートで製造。これらはエレガントなコスチュームを着た玩具で、彼の会社に成長をもたらしました。


シトロエン車のモデルと排他的ライセンス契約
1919年には、アルベールの息子であるフェルナンが家業を統括する立場になりましたが、彼は会社にさらなる成長をもたらすため、自動車の玩具の製造を拡大しようと考えました。

フェルナンは1922年に、ケール・ドゥ・ジャベルのシトロエン工場内で販売される、シトロエン車のミニチュアの製造について、アンドレ・シトロエンにアプローチします。そしてフェルナンは、シトロエン社との間で、シトロエン車のミニチュア製造に関する、排他的ライセンス契約を結ぶことに成功しました。
アンドレ・シトロエンは、シトロエン車のミニチュアが、競合であるルノーに対してシトロエン・ブランドをPRする手段になる、と考えたのでした。シトロエンはこの頃、「奇抜」とも言える宣伝に非常に力を入れていて、1922年のパリ・オート・サロンの初日に、飛行機でパリの空に「Citroen」の文字を書かせたり、また同じ1922年には「シトロエン」の名前を入れ、車体を修理する際のスペアパネルとしても使えるスティール・パネル15万枚を配布。1925年にはエッフェル塔に25万個の電球を使って「Citroen」の文字を浮かび上がらせる、といった宣伝活動を行っていました。(フランス語では「Citroen」の「e」の上に点が2つ付きますが、これは「トレマ」と言って、前の母音と結合しないで「エ」をはっきり発音する、という印です。)
ネコ・パブリッシング刊・ワールド・カー・ガイド4『シトロエン』(2002年改訂2版)49ページには、1922年に『自らB2のミニチュアカーを作って販売』という記述がありますが、時期から言って、この「B2のミニチュアカー」がミゴールの会社(SA Ets Migault)が製作したものと考えていいでしょう。
フェルナンは、これらのミニチュア製造のために、技術的な知識を持っていた従兄弟のマルセル・グールドとジョルジュ・グールドの2人を会社に招きました。



現在の日本のミニカー雑誌は、広告出稿してくれる現役のメーカー以外への関心は
希薄と言うほかはなく、オールドブランドの調査をするには、洋書を頼る以外にありません。
左のドリヴェ社の書籍は、アマゾンでも発見できず、フランスから購入したものです。


最初のシトロエン・モデル
1923年にミゴール社は、最初のシトロエン・モデルである、シトロエンHAS・タクシーを市場に出します。この頃のモデルは、ティン・プレート製で、40cmほどの大きさがありました。
当初は動力なしでしたが、やがてゼンマイ動力が収められるようになり、そのリアリズムは、当時としては全く驚くべきものでした。事業の成功は全く突然に訪れ、ブリアール市の同社のティンプレート工場は活気付き、1923年には管理者以外に7名の従業員を雇用する規模になりました。

その後、ミゴール社は、5CV/C4/C6などのシトロエン・モデルを次々に製作しました。スケールは1/43から1/6の大きなモデルまであり、その中には子供が実際に乗ることのできるペダルカーまでが含まれます。子供たちが「シトロエン」のブランドに年少時から触れることは、シトロエン社の顧客の拡大に貢献して行くものと考えられました。またシトロエン社の従業員に対して、クリスマスに配られたモデルもありました。

フェルナン・ミゴールは、シトロエン・モデルの成功を受けて、さらに他社のクルマのモデルも製作することを考え、1925年にはアルファ・ロメオP2グランプリのモデルを送り出しました。シトロエンに気を使って、イタリア車を作っているところが流石ですね。このモデルは、当時の同社の品質と技術の象徴的レベルを示すモデルとなっているそうです。
このような背景の中で、1927年に「ミゴール」社は「CIJ」(Compagnie Industrielle du Jouet)社に改組されました。(ただしドクター・フォースは、CIJ社の設立年次を1928年としています。)
1/15スケールのB14G コンバーチブルなどの美しいモデルを製作する一方、カタログには、トラックやバンも加えられて行きました。CIJ社は、シトロエン社に対して、様々な領域での提案を行うことのできる立場を獲得していたのです。

さて、この頃の「ジュエ・シトロエン」(つまりシトロエン・トイ)が、どんなものだったか、を見たくなるのは人情ですよね。ところが、現存数・価格ともにヒヤカシで落札してお目にかけられるようなものではないんです。「CIJ」関連で出ている資料も、ダイキャストミニカーの領域をテーマとして書かれたものが多く、なかなか創業当初のモデルの写真にはお目にかかれません。そもそもこれらのモデルのブランドは、「ミゴール」や「CIJ」ではなくて、実車メーカーである「シトロエン」なんです。
それで、本当はやってはいけないんですが、フランスの会場オークションである「コレクトイ」の出品カタログ(第20回・2001年3月11日・於ブールジュのオテル・フランク・オーンビー)に掲載されているモデルの写真を貼り付けてしまうことにします。(遠慮がちに、少しだけ小さめ画像にしましょう。)

-602・シトロエン・トラクシォン・アヴァン/42cm/1936年〜1939年頃(落札価格・6300フランスフラン)
-603・シトロエン5HP/31cm/1925年〜1926年頃(落札価格・5500フランスフラン)
-604・シトロエンB2/37cm/1926年頃(落札価格・9000フランスフラン)
-605・シトロエンC4・カミオネットゥ/42cm/1933〜1934年頃(落札価格表示なし)

通貨のユーロへの切替は2002年1月1日だったので、このオークションの開催された2001年3月11日では、通貨はまだフランスフランでした。1フランは20円〜22円ぐらいでした。タクシーに乗るときなど、円換算上は、大体20円と思っていたものです。なので、落札価格は15万〜20万円弱ぐらいです。
後述しますが、602番(メーカー品番ではなく、オークションのロットナンバー)のトラクシォン・アヴァンだけは、1936年〜1939年頃という年代から言って、製造はCIJ社ではなく、J.R.D.社と考えられます。
今から70〜80年前に、実車メーカーのブランドで売られていた、これらの金属製モデルカーのクォリティが偲んでいただけるでしょうか。


Collectoys, Vente aux Encheres Internationales de Jouets anciens, 20eme Edition, 2001


ジュエ・シトロエンの中には、「キット形式」で売られたものもありました。下のセットはパッケージ入り完品です。フランスのeBayに、もう少し状態の悪いもの、また箱だけの出品も見られました。

-607・シトロエンC6のシャシ/1929年頃(落札価格・2500フランスフラン)
-608・シトロエンC6のボディ/1929年頃(落札価格・3500フランスフラン)

箱には、「ル・シャーシーC6(セ・スィス)・デモンターブル」とありますが、「デモンターブル」は「分解可能」という形容詞です。落札価格は完成品に比べると低く感じますが、でもシャシとボディを両方入手しないといけないですね。世界大恐慌の嵐吹きすさぶ1929年に、この豪華セットを買ってもらえた子供は本当のお金持ちの家の子でしょう…。けれどシトロエンのネライは実車購入に結びつけることなんですから、当時の実車を買う財力の無い家に、オモチャを売る必要もまた無い、というわけなのです。

Si j'avais de L'argent, J'acheterais les jouets Citroen.
お金があれば、シトロエンのオモチャを買うのに…。 (「条件法現在」の例文)


Collectoys, Vente aux Encheres Internationales de Jouets anciens, 20eme Edition, 2001


プラスター製モデル
この頃製作されていたクルマのミニチュアには、「プラスター製」のモデルもありました。

「プラスター製モデル」というのは、ある種類の「plaster」(フランス語では「platre・プラートル」、石膏/しっくい/焼き石膏)または(「and」と「or」の両方の表現あり)「flour」(フランス語では「farine・ファリーヌ」、小麦粉/粉末)を、型に入れて固めて作られたモデルで、自動車モデル以前のトイ・ソルジャー(コンポジション・フイギュア)の時代からあった伝統的な製法のようです。「plaster」の「焼き石膏」という意味から考えると、加熱して焼成されているものと思われます。「コンポジション」という製法は、ビスク・ヘッド・ドールの手足やボディなどを作るために使われた技術と同じものと思われます。アルベール・ミゴールが、19世紀末に「人形の洋服」を製造していたことを思い出してください。フランスは、19世紀末から、ビスク・ヘッド・ドールの世界的生産国でした。

ミゴール社の「プラスター製自動車モデル」は、完全に「plaster」と「flour」だけで出来ており、ティンプレート製のシャシ(裏板)を持ち、金属製のホイル、または金属製のハブとゴムタイヤのコンビネーションによるホイルを付けたモデルで、この方法でトラックなども作られたようです。
素材から言って、大変に壊れやすいモデルのようで、ドクター・エドワード・フォースが「ClassicMiniature Vehicles Made in France」を著した1991年の時点で、掲載しているのは1933年以降の製品のリストのみで、現物も写真も入手できていなかったようです。
(ただし当時のシトロエン・モデルは「CIJ」のブランドではなく、「シトロエン」のブランドで売られたことに注意をする必要があります。フォースの著書中で「シトロエン」や「JP」製のモデルとして紹介されているものの中には、CIJ製の石膏製モデル(プラートル・エ・ファリーヌ)と極めて似たものが見られます。
ジュエ・シトロエンが、「JP」などCIJ以外の複数の工場でも製造されたと考えるのは、シトロエンとCIJの契約が排他的契約(un contrat d'exclusivite)となっていることと矛盾するので、この時期の「シトロエン」ブランドのモデルは、全てCIJ社が作ったものと考えられるからです。)

「石膏と小麦粉を焼いたクルマのオモチャ」なんて言うのは、何のことか想像もつかないでいたのですが、そこは流石フランス!! 会場オークション・カタログには、この「プラートル・エ・ファリーヌ」のモデルがちゃんと載っているのです。 「ミニカーのはじまり」は鉄や鉛だと思っていた私としては、全く意外な発見でした。言われてみなければ、金属製に見えるデキの良さと言えるでしょう。

-220・シトロエンC6E/1929年式(落札価格・1300フランスフラン)
-222・CIJ・ルノーT/1935年頃(落札価格・1300フランスフラン)

左の220番は「シトロエン」ブランドで売られたものですが、右の222番は、「CIJ」ブランドで売られたもので、車種もシトロエンではなく、「ルノー」です。これには次のようないきさつがありました。


Collectoys, Vente aux Encheres Internationales de Jouets anciens, 20eme Edition, 2001


シトロエンの経営破綻とミニチュアモデルの製造中止
1927年に設立された「CIJ」社ですが、しかし1929年に世界大恐慌がやって来ます。
アンドレ・シトロエンはアイデアマンだった半面で、あまりにも矢継ぎ早に新技術を採用した新型車を市場に投入していたため、それに必要な技術開発費や設備投資は莫大で、経営状態は日増しに悪化していました。
シトロエン車のミニチュアモデル製造についてもコスト削減が要求され、モデルの「小型化」が行われました。そしてこれが、CIJ社が作った最初の「1/43」モデルになったのです。まさにCIJの1/43モデルの誕生は、最初から皮肉な状況で生まれたものでした。

1934年、シトロエンは「トラクシォン・アバン」を発表しますが、ついに経営破綻してしまい、アンドレ・シトロエンも1935年7月に失意と疲労からこの世を去ってしまいます。
フランス政府の仲介でシトロエン社の経営権はミシュランに渡りましたが、ミシュランの新経営陣は、リストラ策の一環として、コストの高くつく「ミニチュアモデル」の製造停止を1935年に命じました。シトロエン社にとっては宣伝戦略の一環だったミニチュアモデルの製作には、以外に大きな経費がかかっていたようです。


ルノーへの接近
しかし、CIJ社は不屈でした。シトロエンがミニチュア製造を含む積極的宣伝策に熱心だった、まさにその理由となった競争相手の「ルノー」に、今度は接近したのです。アンドレ・シトロエンの亡くなった1935年のことでした。フェルナン・ミゴールにとっては契約の当事者だったアンドレが既にこの世の人でなくなったことで、ミシュランの手に渡ったシトロエンへの義理立てはこれ以上必要ない、と考えたのでしょう。こうして、ルイ・ルノーにとっては競争相手・シトロエンの宣伝手段でしかなかった「シトロエン・ミニチュア」(ジュエ・シトロエン)が、思いがけずルノー社のものとなり、「ルノー・ミニチュア」として継承されることになったのです。

ヌバスポール・28CV・レコードカー(La Nervasport 28 CV des records)がプラスター製モデルとして製作されました。この時期のプラスター製モデルは、その美しさにおいて絶頂期を迎えます。
1938年には、1/43の「ルノー・ヴィヴァグラン・スポール・クーペ」(Renault Vivagrand Sports Coupe)が製作されました。「cast lead model」とあるので、こちらは鉛のキャスティングによるものでしょう。CIJ社によるルノー・モデルの製造は、1935年〜1940年の時期を通じて拡大して行きました。


ルイ・ルノーの死
ルノーは、第1次大戦ではトラックや乗用車型のスタッフカーは言うに及ばず、戦車までを量産したメーカーでしたが、第1次大戦後は自動車生産台数ではシトロエン/プジョーに1位・2位を奪われ、3位に甘んじていました。これは、ルイ・ルノーのワンマン経営体制が、近代化を遅らせたためだと言われています。そんな中で1941年にドイツ軍が侵入し、フランスはあっけなく降伏してしまいます。

「3位メーカー」という危機感からか、ルイ・ルノーは自社工場を守ろうとし、ペタン元帥のビシー政権に協力しました。しかし結果的にビヤンクールのルノー工場は空襲で設備の30%を失い、1944年の解放後にはルイ・ルノーは対独協力者として逮捕され、獄中で病死してしまいます。
そしてルノーは、1945年に「国営・ルノー公団」として再出発することになりました。幸いなことにCIJ社とルノーとの密接な関係は、この苦難の状況を超えて戦後まで継続して行くことになります。

大戦中、CIJ社のブリアールの工場は、ガスマスクの生産をさせられていました。
ドイツの占領(当初は北フランスに限定、後に全土に拡大)、フランス国内での戦闘、国内でのレジスタンス勢力と、ロンドンに渡ったド・ゴールの「自由フランス」との目に見えない対立など、フランス全土が大きな混乱の中にありましたが、CIJ社は1945年に早くも玩具の製造を再開しました。

しかし、戦争とは別の課題が明らかになったのです。既にトイ・カーの素材や製作技術は大きく多様化し始めていました。ティン・プレート、プラスター、鉛(le plomb)、さらにセルロイドなどが加わっていました。CIJ社にとっては、戦争中の同社の玩具製造の空白期間に、技術や市場環境が大きく変わってしまい、自分たちには戦前の技術しかなく、激化する競争の前では既に「時代遅れ」になっていることに気が付くのに、多くの時間は必要ありませんでした。



1950年代、ティンプレート製のルノー・フレガット。CIJは、ダイキャスト・ミニカーの発売後も、
ティンプレート製モデルの製造を続けています。
The Big Book of Tin Toy Cars, Passenger,Sports, and Concept Vehicles
by Ron Smith & William C.Gallagher, Schiffer Publishing 2004, p.184



CIJのブランドマークの変遷。1950年に初のダイキャスト・ミニカーを発売して以降も、
CIJは頻繁にブランドマークを変更しています。
何らかの「不安」の現れだったのでしょうか。


そして、1949年になって、ダイキャスト製ミニカーの試作を開始。
「ダイキャスト」と置き換えている言葉は、フランス語では「Zamac」です。私の小さなフランス語の辞書には載っていない言葉ですが、亜鉛/アルミニゥム/マグネシゥム/アンチモニー/銅 の頭文字から作られているようで、そのまま合金の成分を表しているようです。(Le Zamac est un alliage de zinc, d'aluminium, de magnesium, d'antimoine et de cuivre. )


Collectoys, Vente aux Encheres Internationales de Jouets anciens, 20eme Edition, 2001
Les jouets en zamac CIJ/J.R.D. automobiles-utilitaires, Thierry Redempt-Pierre Ferrer, Lescarnets du collectionneur DRIVERS, p.76-77

CIJは、素材は変わっても、一貫したコンセプトでクルマのミニチュアを作り続けています。
-左:CIJ:「プラートル・エ・ファリーヌ」(石膏)製のルノーT消防車/1938年頃
(落札価格600フランスフラン)ただし梯子が失われている可能性があります。
-中:シトロエン:ティンプレートのシトロエン・C4消防車/1933〜1934年頃
(落札価格6000フランスフラン)
-右:CIJ:ダイキャスト製の消防車/1953〜1959年発売(ゼンマイ動力付きと無しあり)


ダイキャスト製品にシフトした後は、CIJ社はモデルのスケールを1/43クラス(実際には1/40〜1/45程度)に統一することになります。そして最初の1/43・ダイキャスト・モデルの発売は1950年でした。

ダイキャスト製品発表後も、ルノーとの密接な関係の歴史を反映して「ルノー」車が多いこと、またシトロエン・ミニチュア時代から製作していたトラック/バンなどの製品が多いことが、CIJ社の特徴になって行きます。しかしダイキャストの分野では、フランス国内だけでもディンキーやソリドなどの強力な競争相手がありました…。



シトロエンとの断絶後のCIJは、戦後さらにダイキャスト・ミニカー生産に事業をシフトした後も、
ルノーとの強い関係を保ち続けました。



3/49 ルノー 4CV ポリス 1956年式
3/49 Renault 4CV 1956 Police, 1/45


さて、ここから先は、実際のダイキャストモデルを見ながら話を進めましょう。
私の「CIJ」集めの「きっかけ」になった、ルーノの4CV(カトル・セ・ヴェ)。1957〜58年の発売なので、「CIJ」がダイキャスト製ミニカーに参入した、ごく初期のモデルということになります。初期モデルではドアに「切り欠き」があり、セカンド・モデルではドアの「切り欠き「」がなくなります。1950年代の両バリエーションを、それも箱付きで入手できたのはラッキーでした。
CIJには、1950年発売の、1949年式4CVのモデルがありますが、「ポリス」に関しては1956年式、ミニカー発売は1957〜58年です。



エドワード・フォースの前掲書「Made in France」では、この4CVのポリスを1950年発売、ファーストモデルではドアに「切り欠き」あり、セカンド・モデルではドアの「切り欠き」なしとしています。
ところが、ティエリ・ルダン/ピエール・フレール共著による、「CIJとJ.R.D.による亜鉛ダイキャスト・トーイ」(Les jouets en zanac CIJ/J.R.D. automobiles-utilitaires, Thierry Redempt-Pierre Ferrer, Lescarnets du collectionneur DRIVERS)によると、ポリスになっている4CVは1956年式、ファーストモデルは1957年発売で「ドア切り欠きなし」、セカンドモデルは1958年発売で「ドア切り欠きあり」(portiere echancrees)、ラジエータ・グリルは、ファーストモデル/セカンドモデルとも「3本線」となっています。



私の入手したモデルは、「ドア切り欠きあり」タイプが、「切り欠きあり」のイラストレーションの付いた古い黄色箱に、「ドア切り欠きなし」タイプが、「切り欠きなし」のイラストレーションの付いた新しい「ウーロパルク」箱に入っていました。なので、私としては、ドアに関してはファーストモデルでは「切り欠きあり」、セカンド・モデルでは「切り欠きなし」のフォース説を、発売年次についてはフォースのいう1950年ではなく、フランス書の言う1957/58年説を採りたいと思います。(スケールの1/45も、フランス書によります。)

「CIJ」のカタログ品番は、多くの乗用車およびトラック・モデルで、「3/ 」というナンバーが付されます。(フランスの書籍では、これをスラッシュではなく、「3. 」というようにコンマで表現しています。)
乗用車およびトラック・モデルの中には、「4/ 」で始まるものも含まれますが、これはゼンマイ動力を内蔵したシリーズです。また「3/ 」で始まるモデルの中には、電池点灯式のものなど、「3/ 」のモデルから派生した、いくつかのバリエーションも含まれます。航空機モデル、その他若干のアクセサリー製品は「1/ 」で始まる番号が付されました。また小スケール・モデルは、「M」の記号が付されました。

最近、ミニカーのコンディションの「経年変化」についてのメールをいくつかいただきました。かなり新しいブランドの製品でも、「塗装面のニキビ」といった変化が現れている、というのですね。
しかしそういう目で、既に50年を経過しているであろうこの小さなルノーを見ると、驚くほどに綺麗なのです。

まず、塗装面が堅牢。裏板にも顕著なサビは出ていません。これは、「CIJ」社がティンプレート・トイの製造から継承した技術なのではないか、と推測しているのです。つまりブリキの表面に堅牢な塗装面を作るのは、ティンプレートの「十八番」ですから、おそらくスプレー吹きしただけではなくて、乾燥炉で焼いて、焼付け塗装をしているのではないでしょうか。裏板に関しては、ティンプレートそのものです。「焼く」こととティンプレートで裏板を付けることは、焼石膏製の「プラスター」モデルを作っていた頃からの得意技でしょう。



シートもウインドもありません。
つまり化学変化で接触している隣の樹脂を溶かしたり、合成樹脂系の接着剤を使ったりというリスクを全く負っていないのです。ルーフ上のアンテナは、ただの「虫ピン」ですが、上下可動して車内に収容できるため、折れることもありません。(コーギー/ディンキーのパトカーのアンテナ折損にどんなに苦労させられたことか!)

塗装に水貼りデカール。
白塗装を先に、その上にマスクをして黒を吹き、ラジエータグリルの3本線を銀で吹き、「POLICE」のデカールを貼っています。糊が劣化してベトベトになる紙シールや、時間が経つだけでハゲチョロになる真空蒸着メッキなどを使っていません。

ホイルは、ゴム/金属ではなく、ホイル/タイヤともにプラスチックのようですが、これがかえってゴムのひび割れなどの事態を回避させました。「CIJ」の技術、恐るべし!



「ドア切り欠きあり」「なし」ともに、フロントマスクは同じで、ラジエータグリル3本ヒゲの1956年式
(初期の1949年式はヒゲ6本で日本へは当時未輸入、「ポリス」は存在しません。)


3/69 ルノー・ドーファノワーズ・ブレク・1956年式・ジャンダムリー(フランス国家憲兵)
3/69 Renault Dauphinoise break 1956, Gendarmerie, 1/44


3/66のルノー・ドーファノワーズ・ブレク(1956年式)を濃紺に塗装し、ジャンダムリー(フランス国家憲兵隊)仕様としたもの。スケール1/44、1957年の発売。「ルノー300kgバン・1956」として日本に輸入されたようです。
「EUROPARC」化(後ほどご説明します。)される以前の世代のモデルで、「EUROPARC」箱に入れて売られたものは無いと思われます。これまた、ウインドもシートも何もありませんが、肉の薄いボディのプロポーションと「切れ味」は、ディンキーを上回るものではないか、と私は思います。

画像のモデルはホイルが赤プラスチックですが、グレー・ホイルのものもあります。
ラジエータ・グリルの頂部にフックがあって、何かと思いますが、これは金属製のアンテナ先端を引っ掛けるためのものです。「break」は英語の「大型無蓋四輪馬車」を起源としていて、転じて「ステーションワゴン」のこと、フランス語での発音は「ブレク」。

フランス国家憲兵隊(Gendarmerie nationale/ジャンダルムリー・ナシォナル)は、国防省に属する、基本的には治安部隊で、陸・海・空に次ぐ第4の軍隊。軍内の憲兵業務のほか、、警備公安警察活動、地方における通常警察業務が主要任務です。
オーストリアでは「国家憲兵隊」が廃止される中、フランスでは健在でも約10万人を維持しており、犯罪捜査、暴動の鎮圧、海上治安維持、テロ対策、政府庁舎等の警備、外国要人に対する儀杖業務などにあたっています。警察業務は人口1万人以下の地方部が中心で、大都市部は「フランス国家警察」(ポリス・ナシォナル)が担当します。
もともと「ジャンダルムリー」には騎兵という意味もあって、ナポレオン時代の騎兵中隊の一部が「ジャンダルムリー」と呼ばれるようになり、主に脱走兵の捜索等の軍隊内の規律維持にあたっていた部隊が、平時には警察力が弱い、地方における治安維持も扱うようになったようです。

現在のジャンダルムリーは機動憲兵隊と県憲兵隊とに分かれており、ともに組織管理と有事の際の運用については国防大臣の指揮を受けます。平時は機動憲兵隊は内務大臣の指揮を、県憲兵隊は県知事の指揮を受けます。犯罪捜査の場合は裁判官の指示を受ける場合もあるそうです。ジャンダルムリー司令部はパリにあり、憲兵隊大将を司令官とします。
ジャンダルムリー隊員は、「男女を問わず身長170センチ以上のフランス国籍を有する者」でなければ採用されません。各県憲兵隊の司令官は憲兵隊大佐で、各県を管轄範囲とします。また、憲兵中隊が各郡を管轄します。県憲兵隊の任務は犯罪捜査のほか、交通取締り、自動車免許の管理、地域のパトロール、環境の保護などで、このCIJのドーファノワーズも県憲兵隊の交通取締りパトロールカーをモデル化しているようです。

1940年代・50年代のジャンダルムリー車輌には、「GENDARMERIE」表示などの目立ったマーキングがなく、このドーファノワーズもリアに小さな三色旗を付けているだけですが、でも「ポリスカー」なんです。


3/65 ルノー・コロラール・駐車違反牽引車
3/65 Renault Colorale 1951 Police, 1/45


1951年式・ルノー・コロラールのポリス、日本では「駐車違反牽引車」という商品名で知られており、駐車違反車輌牽引用のトレーラーが付属しますが、画像のモデルではこのトレーラーは失われています。スケール1/45、本国では1964年の発売で、日本にも輸入されました。単なる「パトロールカー」ではない車種選択ということもあって、日本のポリスカー・コレクターの間でも有名なモデルです。
(中島登・『世界のミニカーU』137ページのリストでは、1962年発売になっています。)

シートと、荷台の「幌」は、ティンプレート(シート・メタル)になっていて、CIJ社がティンプレート出身の会社であることを思い出させてくれます。

一緒に写っている交通警官3人は、このモデルに付属するものではありません。CIJ社の製品でもないでしょう。プラスチック製です。でも雰囲気抜群なので、気に入っています。
ドクターフォースの前掲書「Made in France」17ページの写真では、このコロラールの屋根に立派なホイップ・アンテナが立ち、車体後部にはフィギュアが乗っているので、てっきりトレーラーだけでなくてこのフィギュアも失われているのかと思ったのですが、この人形は明らかにCIJ・3/95番のルノー2.5トン消防車に付属しているもので、アンテナも誰かの改造でしょう。(オリジナルのアンテナは、ルノー4CVと同じ「虫ピン」です。画像を撮る時に、上に伸ばすのを忘れました。)
1960年代のフランスの子供が、このコロラールで遊ぶ時には、必ずもう1台持っていたルノー消防車の人形をここに座らせることにしていて、それがそのままフォースの手に渡ったものと想像されます…。



失われたトレーラーだけを、いつか安価で手に入れようという、私の望みは果たしてかなえられるでしょうか。でもきっと探している人か多くて、高くなってしまうかも。


3/63 ルノー・1000kg バン・ポリス 1950年式
3/63 Renault 1000kg 1956, Police, 1/45


CIJの大きな特長は、乗用車モデルだけではなく、バン/トラック/トレーラーなどの商用車の製品化に大変に力を入れたことでしょう。1960年代にCIJ製品は日本の百貨店で売られましたが、乗用車モデルよりも、ギミックの詰まった商用車モデルの方が注目されていたような記憶があります。

CIJのルノー1000kgは、3/60の1950年式・後部キャビンに窓の無い金型を基本に、この金型を使ったコマーシャルバン、郵便車、軍用救急車、後部キャビンに窓を抜いた金型で救急車とポリス、後部キャビンをマイクロバス型の3列窓に抜いた、SNCF(フランス国鉄)の人員輸送車など、数多くのバリエーションがあります。
ルノー1000kgバンの1950年式というと、「R2060」「R2062」といった型式番号が与えられているようです。(Charge Utile Magazine Hors-Serie No.15, Les Utilitaires Renault 1945-1952, by Jean-Francoir COLOMBET, Histoire & Collections-Paris, p.36)


CIJミニカーの「ポリス」では、後部屋根上にリアナンバープレートの張り出しの有るものと無いもの、ホイルのプラスチックに赤とグレー、さらにフロントの「POLICE」デカールにも3種類ぐらいの書体違いがあるようです。スケールは1/45。後部屋根上にリアナンバープレートの張り出し有るものが初期生産分で、1955年の発売。リアナンバープレートの張り出しが無く、赤ホイルが1957年、グレーホイルが1959年の発売になります。したがって画像のモデルは最後期生産分ですね。
金型は肉厚・重厚で、戦前ディンキーを思わせる風格があります。リアゲートは開閉しますが、リアのステップともどもブリキで作られていて、これも「ティンプレート」の会社であったCIJの面目躍如です。


ルノー・1000kg バン・ジャンダルムリー 1950年式
Renault 1000kg 1950, Gendarmerie, 1/45


この「バリエーション」モデルを見つけた時、そして落札した時、手元に届いた時には大変に喜んだのですけれど、エドワード・フォースの「Classic Miniature Vehicles Made in France」にも、フランスの「Les jouets en zanac CIJ/J.R.D.」にも、このバリエーションは載っていないのですね…。

最初はCIJによる正規バリエーションだと思ったのですが、その理由としては、

何か所にもわたって貼られているデカールが、あまりにもピッタリの大きさに納まっていること。車幅などに正確に合わせてあって、これほどピッタリのデカールが流用で調達できるとは信じられなかったからです。

裏板のカシメははずされておらず、ボディ内を覗くと、ブルーのボディ色がスプレーされて内部に塗料が回りこんでおり、他の色が吹かれたり、剥がされたりした痕跡が無いこと。それに、リペイントと考えるにしては、ほどほどに傷んでいるのです。



しかし、いくつか不審な点もあり、
屋根の白ペイントが、筆で塗られたようなムラがあること…。
何よりも、資料やカタログの写真やリストの中に、該当するカラーのものがないこと…。
テールランプ回りなどの色差しが、工場生産工程としては繊細すぎること…。

それで、リペイントというよりは、海外のモデラーによるコンバージョン(改造)作品ではないか、と考えるようになりました。海外では、コンバージョン用の専用デカール・セットが売られていたりすることあるので、そういうものを利用しているのかもしれません。これはこれで、謎解きの楽しみが増えました。



側面窓の配列からわかるように、3/62 の「S.N.C.F.」(Societe nationale des chemins de fer
francais/ソシエテ・ナシォナル・デ・シュマン・ドゥ・フェール・フランセ/フランス国有鉄道)の人員輸送車仕様のボディを使っています。(3/62 のモデルは一見救急車/ポリスのように見えますが、フランス国鉄の人員輸送車です。)


3/61 ルノー・1000kg バン 救急車
3/61 Renault 1000kg ambulance municipale, 1/45


こちらはCIJの正規カタログ・モデルに間違いが無く、ルノー・1000kg バンの救急車です。金型は「ポリス」と同じ、後部キャビンに窓を持つタイプです。
ポリス同様、ホイルに赤プラスチックのものとグレイプラスチックのもの、リアナンバープレート張り出しの有無、ボディの塗色にクリーム味の強いものと、白っぽいもの、「AMBULANCE MUNICIPALE」(アンビュランス・ミュニシパル」のデカールの書体違い・色違いなどがあるようです。

クリームで赤ホイル、リアナンバープレート張り出し有が1957年発売、明るい白でグレーホイル、
リアナンバープレート張り出しなしが1960年、「AMBULANCE MUNICIPALE」のデカールが青文字になるものが1962年の発売です。「municipale」(ミュニシパル)というのは「都市の/市町村の/自治市の」という形容詞で、「市・救急隊」という表示だと解釈しておきたいと思います。

後に発売される3/61番の軍用救急車は、後部キャビンに窓が無く、室内に2本のストレッチャーを収
容しますが、この3/61のモデルの室内は、ストレッチャーはおろか運転席すらない全くのガランドウ
です。



ポリス/救急車ともにリアゲート開閉、ステップも可動します。左のポリスがステップを降ろした状態。右の救急車がステップを上げた状態。リアゲートも、ステップもティンプレート製です。



裏板の刻印は、「1000kg ルノー」だけで、ポリスも救急車も全く同じ。
ということは、ノーマルも、郵便車も、シェルなどのコマーシャルバンも、みんな同じなのでしょう。


3/61M ルノー・1000kg バン 軍用救急車
3/61M Renault 1000kg ambulance militaire, 1/45


ルノー1000kgバンで、こちらはアーミーグリーンに塗った軍用救急車。品番は「3/61」で白の民間型救急車と同じですが、「M」の字がつきます。ミリテール(軍用)の「M」でしょう。1962年の発売。
白の民間型「アンビュランス・ミュニシパル」が、インテリアが何もなくガランドウだったのに対して、軍用型には運転席を含めたインテリアが入りました。
本来はストレッチャー(担架)2本がキャビン左側上下に収容できし、取り外しも可能だったようですが、画像のモデルではこれが2本とも失われています。



リアゲートはティンプレートのままですが、赤十字デカールと一緒に「窓」がプリントされています。



民間型「アンビュランス・ミュニシパル」は、側面窓の開口している金型ですが、軍用型は側面が開口していない「カミオネットゥ」の金型を使っています。一連のコマーシャル・バンのシリーズと同じ金型です。おそらく大きな赤十字デカールを貼らなければならなかった関係からでしょう。
このルノー1000kgは結構たくさんのバリエーションがあって、前掲書「Les jouets en zamac CIJ/J.R.D.」でも特に1章を割いているほどです。



EUROPARC (ウーロパルク)


CIJ製品は、途中からパッケージが変わり、「EUROPARC」(ウーロパルク)のブランド名を入れた、赤/青/白の箱に入れられるようになりました。

中島登著・『世界のミニカーU』(保育社カラーブックス・1980年初版)では、『CIJ by EUROPARC』という書き方をしていますが、実はこれは会社とブランドの関係が逆で、本当は『EUROPARC(ブランド)byCIJ(企業)』だったことになります。
中島登氏は、「ジャパン・ミニチュア・コレクター・クラブ」機関誌『コレクター』第67号(昭和40(1965)年9月1日)5ページでもCIJミニカーに触れて「ヨーローパック社」と記していますが、日本のコレクターがCIJのモデルに触れたのは、「ウーロパルク」化された1960年以降だったのですから、全く無理からぬことでした。
「EUROPARC」というブランド名の由来を明記した資料を見つけるには至っていないのですが、エドワード・フォースは、「Classic Miniature Vehicles Made in France」の中で(p.114)、『確証は何も無いのだけれど、「ウーロパルク」と呼ばれた新しい工業団地(インダストリアル・パーク)に工場を移転したことを記念するものなのではないか』ということを書いています。

「ユーロパルク」ではなくて「ウーロパルク」であることを意外に思われるかもしれませんが、フランス語ではアクサン(つづり字記号)の付かない「e」は「ウ」なので、「ウーロープ」「ウーロペアン」というように発音されます。

1959/60年版のカタログには「EUROPARC」の表示は無く、1960/61年版のカタログにはじめて登場。「EUROPARC」という新ブランドのシリーズが新しく立ち上がったわけではなく、既存の全ての製品群に「EUROPARC」という「シリーズ」名称をかぶせた形になっています。
したがって、ルノー4CVのポリスには、「EUROPARC」以前の黄箱のものと、「EUROPARC」の青/赤/
白の箱のものとの両方が存在する、というわけです。1962年以降は、カタログそのものも青/赤/白
のEUROPARCカラーを基調としたものになって行きます。

「EUROPARC」ブランドの立ち上げそのものが、既にディンキーに押されつつあったCIJの起死回生策であったようです。実際には製品ラインには何も変わりはなく、製品群全体に新ブランドを冠して「新しさ」を演出しようとした苦肉の策でした…。


3/91 ルノー・エスタフェットゥ・フールゴン・ポリス
3/91 Renault Estafette fourgon 1957, Police, 1/45


「EUROPARC」ブランドの立ち上げだけではまだ足りず、CIJの経営陣は「電気仕掛け」にも活路を見
出そうとしました。
3/90の1957年式・ルノー・エスタフェットの金型を改修し、電池で屋根上回転灯を点灯可能としたもの。パッケージには「super miniature electrique」(シュペール・ミニアトゥール・エレクトリク)と大書きされています。スケールは1/45、屋根上回転灯の背が高い1次モデルが1962年の発売、少し低くなる2次モデルが1964年の発売です。当時日本に輸入されました。丁度ギミックのあるミニカーばかりがチヤホヤされた時代なので、話題の1点だったことでしょう。
カナダの人から入手したもので、60年代にスイスで購入したとのことでした。きっとフランス語ができるんでしょう。

3/90の電池を積まないモデルの中には「ポリス」のバリエーションはありません。3/90に、非電池式
のジャンダルムリーがありますが、こちらは同じエスタフェットでも1960年式のマイクロバスになります。『Les jouets en zamac CIJ/J.R.D』94ページでは、この電池式エスタフェットを1960年式としていますが、流用金型から言ってこれは矛盾しており、1957年式と考えるのが自然です。3/92のマイクロバスではじめて1960年式になっているはずなのですが、この3/91は、電池式製品にするにあたって、「1960年式」にするために、どこか金型改修されているのでしょうか。中島登著・『世界のミニカーU』136〜137ページのリストでも、このモデルを1960年式としています。

このクルマのことを「エスタフェ」と書いてある資料があり、確かにフランス語は語尾を読まないことも多いのですが、この場合は「エスタフェットゥ」と読み、「電報配達人」「急使・伝令」といった意味の普通名詞です。「エスタフェッテ」ではありません。「fourgon」(フールゴン)は「有蓋運搬車・有蓋貨車」の意味です。

「ウインドもシートも無く、ティンプレート以来のプロポーションの良さとシャープな彫刻」にアドバンテージがあったはずのCIJ製品も、不釣合いに大きな電球を背負って、ギミック全盛のマーケットで戦うことになったわけです。そろそろ「危機」が近づいています。この「電池式」製品を新発売した頃、果たしてCIJの技術者や経営陣は、このことに気が付いていたのでしょうか…。



どなたか、1960年代半ばのフランス製の単3乾電池をお持ちでないですか?


3/46E プジョー403・プレク・1956年式・共和国保安機動隊
3/46E Peugeot 403 break 1956, Secour Routier Francais, 1/45


これが「何のクルマ」か、ということについては、たぶん長年にわたって(フランス以外の)コレクターを悩ませたことでしょう。「Secour Routier Francais」(スクール・ルーティエ・フランセ)というデカールが側面にあることから、「道路救助」というような任務が推察できるからで、日本で言うと「JAF」とか、道路公団(現在は民営化されましたが)のような機関のクルマだと考えられるのもムリからぬことと思われます。ドクター・フォースは、「Miniature Energency Vehicles」の64ページで、この車輌を「救急車」として掲載しています。「secour」を辞書で引くと「救急」という意味があることから来る誤解でしょう。

ところが、フロントに「CRS」という別のデカールがあるのですね。「CRS」とは「Compagniesrepublicaines de securite」(コンパニー・レピュブリケーヌ・ドゥ・セキュリテ)の略で、これを「フランス共和国保安機動隊」と訳します。「コンパニー」が複数形なので、「保安部隊群」とか「保安中隊群」というようなニュアンスになるでしょう。
フランス国家警察(ポリス・ナシォナル)内の治安対策部隊で、1944年に創設され、1948年に暴動対策部隊として再編制されたそうです。 主要任務は、雑踏警備と暴動の鎮圧、治安の回復、交通取締りや水難救助など。
ジャンダルムリー(フランス国家憲兵隊)だけでなく、「フランス共和国保安機動隊」などという組織まであるのですね。フランスというと、日本人は「オシャレ」などというキーワードを連想しがちですが、フランスという国は、こういう側面を結構持っているのです。ジャンダルムリーの中には大統領の警護やパリの政府庁舎の警備のための「共和国親衛隊」などという組織まであります。
実際、ジャンダルムリーの機動憲兵と似た任務であるため、間違われやすいそうで、「CRS」の制服は紺色で、赤のCRSの文字が入ったパッチを付けています。これに対してジャンダルムリーの機動憲兵のユニフォームは黒です。

ということで、このプジョー403は、交通取締り用の、れっきとしたポリスカーということになります。なんだか交通取締りをする機関ばかりたくさんありますね。
エスタフェット同様に、屋根上灯が電池で点灯します。品番の「3/46E」に付く「E」は、電池式製品(エレクトリク)の略でしょう。



エスタフェットでは、通常品とは別扱いの立派な箱に入っていましたが、このプジョー403では、一般製品と変わらないサイズの箱に入れられるようになりました。つまり「電池で点灯」が、「驚きのギミック」から既に「当たり前」になって来ていることがうかがえます。


3/8 シムカ 1000 ポリス
3/8 Simca 1000 Police, 1/44


かくして、CIJの乗用車にもウインドとシートが付きました。ウインドと射出成型時のランナーを共用しているため、ステアリング・ホィールが透明プラスチックになっています。
(このポリスマン人形も、シムカに付属するものではありません。)

ドクター・フォースの「DINKY TOYS」(revised 4th edition with price guide, Shiffer publishing 1999 )7ページによれば、ディンキーが透明プラスチックのウインドを最初に付けたのが1958年、サスペンションが1959年でした。同様にコ-ギーも1959年にウインドとサスペンションを導入しました。コーギーが最初にインテリア(シート)を付けたのは、222番のルノー・フロリード(1959年10月発売)とされています。(Corgi Toys, revised 3rd edition with updated value guide, by Dr.Eswars Force, revised by BillManzke, Shiffer publishing 1999, P11)コーギーが最初にシートを付けたのが「ルノー」車だというのは、何かの因縁でしょうか。

当時の市場の雰囲気は、『ウインドやシートを付けた製品も、付けないでプロポーションを楽しむモデルもある』、というものではなく、ウインドやシートを付けた製品=品質の高い製品、という短絡的なものでした。日本のモデルペットやミクロペットは、当初からウインド付き・シート無しでしたが、コーギーなどが入って来るや否や、同じ金型でシートとサスペンションを付けたことでも、それはわかります。

CIJもウインドとシートを付けましたが、でも本当にこれが「品質の向上」だったのでしょうか。
もちろん車種選択やプロポーションにCIJの良さは残っているものの、「ディンキーやコーギーのような」ミニカーを作る会社がもうひとつ増えただけ、のように私には思えて仕方がありません。
この後、コーギーはボンネットやトランクを開ける、開けるとエンジンやスーツケース/スペアタイヤが入っている、前輪がステアリングする、などという手を次々に打って来ます…。



このシムカでは、裏板のブランド刻印は「ウーロパルク」の表示がメインになり、
「CIJ FRANCE」は小さく入ります。(箱はルノー4CVのもので、シムカのものではありません)

CIJと日本市場
CIJ製品は、「国際貿易」によってかなり早い段階から日本に輸入されていました。私が持っている『コレクター』誌で最も号数が若いのは第37号(昭和38(1963)年3月)ですが、奥付ページに、国際貿易の取り扱いブランドとしてCIJがあげられています。

私は昭和40年9月の第67号から41年12月の第82号まで、『コレクター』誌を定期購読していて、これだけは現在でも失わずに持っているのですが、これらの号では、面白いことに『話題の製品』(新製品紹介コーナー)や、『特別あっせんコーナー』(通販コーナー)の中に、CIJの製品はひとつとして登場しないのです。私の持っている号の中では、唯一第90号(昭和42年8月)の28-29ページに、他のブランドに混じった紹介広告として登場するだけです。

JMAC関西の吉瀬拓雄支部長が、『ミニカーマガジン』143号(2006年8月)4-5ページに、『コレクター』誌に登場した「先生」が、マッチボックスはオモチャなので買い与えてはダメだ、という主張をした、ということを書かれていますけれども、「PR誌」では往々にしてこういうことはあるもので、『コレクター』誌の関与企業が売りたかったのはコーギー/ディンキー/ソリド/モデルペットなどで、「CIJ」というのは明らかにここからはハジかれたブランドだったということなのでしょう。
業界PR誌の役割というのは、中長期的にミニカーをコレクションしてくれるコレクターを育てることにあるはずなのですが、つい目先の売上げづくりだけに走るのは、いつの時代でも同じのようです。

1960年代の前半で、玩具輸入が自由化され、ドっと入って来たのは、丁度ギミック全盛に突入しつつあったコーギーで、ボンネット開閉やサスペンションはおろか、シートすら付いていなかったモデルペットと比較され、ギミック=精密モデル・高品質というように、もてはやされました。

CIJも百貨店で売られていましたが、こうした背景の中ては、地味な乗用車モデルよりも、ギミックやアクセサリーに凝ったトラック/特装車などの方が評価が高かったように記憶しています。
私が当時買ってもらった唯一のCIJミニカーは、エヴィアンのルノー・トラック(3/94)でした。



J.R.D.のシトロエン
経営がミシュランの手に渡ったシトロエンは、自らの再建を期した経費削減のために、CIJに依頼していたシトロエンのミニチュアモデルの製造を1935年に打ち切ったのでしたが、ミニチュアモデルの担っていた宣伝効果にあらためて気が付くこととなり、1937年には早くもその製造の再開を決意しました。そしてそのために、「J.R.D.」(ジ・エル・デ)社がシトロエンに呼ばれたのです。
何故と言うならば、CIJはその時既にシトロエンとの関係に見切りを付けて、ルノーのミニチュアを製造していたからでした。なんとも皮肉という他はありません。

J.R.D.は、CIJの従業員であったジャン・ラビエによって1935年に創業された会社で、パリの近く、フォントゥネー・スー・ボア(Fontenay-sous-bois)から1kmのモン・リュイユ(Montreuil)に新しい工場をかまえました。(地名の発音には、あまり自信がありません。)
1930年代の後半までは、CIJと同じようなプラスター製モデルを作っており、1958年にダイキャスト・ミニカーの製造をはじめました。

ドクター・エドワード・フォースは、著書の「Classic Miniature Vehicles Made in France」の144ページで、『「J.R.D.」は何の略なのか、よくわからない。しかしたぶん、「J」は玩具の意味のフランス語である「ジュエ」(jouets)の「J」、「R」は創業者の「ラビエ」の頭文字だろう』と書いています。それ以外の資料にも、なかなか「J.R.D.」が何の略なのか、明記されていません。

それならば、ということで、フランス人に聞きました。「J.R.D.」は、2人の創業者の名前にちなんでおり、「Jean Rabier et Donnot」(ジャン・ラビエ・エ・ドノ)の略だそうです。「et」は英語の「and」です。頭の「J」は、ドクター・フォースの言うオモチャの「ジュエ」ではなく、ラビエのファーストネームである「ジャン」だったことになります。また、「CIJ」はピリオドなしで書かれますが、「J.R.D.」はピリオドを3つつけて表記するのが正確なようです。

J.R.D. 106 シトロエン・1200kgバン・ポリス
J.R.D. 106 Citroen type H 1200kg fourgon 1954 Police, 1/43


これで、1950年代以降のダイキャスト・モデルの時代になってからも、「CIJ」にルノー車が多く、「J.R.D.」にシトロエン車が多い理由がわかっていただけたかと思います。

これは1961年発売のシトロエン・1200kgバン・ポリスで、スケールは1/43。107番で同じシトロエン
1200kgのアンビュランスもあります。

1935年にジャン・ラビエがCIJから独立して創業されたJ.R.D.でしたが、実は経営の行き詰まりはCIJ
よりも早く、1963年にJ.R.D.はCIJに吸収されてしまいます。
その結果、CIJは、J.R.D.の金型を利用して、いくつかの製品を(全てではありません)再生産し、自社の商品ラインに加えることになりました。これが「serie CIJ-J.R.D.」と言われるシリーズです。

このシトロエンHもCIJによって「3/89」として再生産されましたが、CIJの再生産版には、屋根上の回転灯の前に「POLICE」サインのあるプラ部品が付きます。写真で見る限り、ルノー・コロラールの「駐車違反牽引車」に付いているパーツと良く似ています。したがって、この画像のモデルは、2台とも再版ではなく、「J.R.D.」時代のものです。

この屋根上の回転灯をフランス語でジロファール(gyrophare)というのですが、状態の良い方のモデルはジロファールが失われていて、状態の悪い方のモデルにはジロファールが残っていたのです。それが、こうして2台並んでいる理由です。『私のフランス語がわかりますか? 日本から入札してもいいですか?』というメールを打ったら、『ジロファールが失われていますがそれでもいいですか?』という返事が来て、『フランス人もなかなか親切!』と思わせてくれた1台です。いつか、状態の悪い方のモデルも修復してあげたいと思っています。部品取りに使っただけではあまりに可哀想なので…。


J.R.D.(1980年代復刻生産品) シトロエン・1200kgバン・ジャンダルムリー
J.R.D. Citroen type H 1200kg fourgon Gendarmerie, 1/43


ドクター・フォースの記述によれば、CIJに吸収された後のJ.R.D.製品は、ボディカラーの変更などの他は、ほとんどの場合金型の変更などは行われず、裏板にも「J.R.D.」のモールドがそのまま残っていて、「CIJ」と書かれたブルーのテープを貼り付けただけで出荷されたのだそうです。
そのため、40年も経過した現存品では、「CIJ」のテープは失われてしまい、「J.R.D.」時代のものか、「CIJ」吸収後のものかが、極めてわかりにくくなっています。

加えて、1985年頃に、一部の「J.R.D.」モデルが復刻生産されて、「J.R.D.」の箱に入れて売られました。CIJ社は1963年にJ.R.D.を吸収後、1967年に経営破綻してしまいますので、1985年に復刻生産
した事業主体は、CIJ社ではありません。
この、1985年の復刻生産は誰がしたものなのか、また調べたいと思っています。
丁度日本で1980年代前半に、大盛屋ミクロペット・フリクションシリーズの金型が「偶然」発見されて、可堂玩具がプリンス・スカイラインといすゞ・ベレルを復刻したのを思い出します。

このジャンダルムリー仕様のシトロエンHも、1980年代の復刻品です。1960年代のJ.R.D.オリジナル、またCIJによる生産品の中にも、「シトロエンH・ジャンダルムリー」のバリエーションはありません。



右がJ.R.D.時代のオリジナル、左が80年代の復刻生産品です。
 裏板は左に「85」の番号が付加されている以外は同じで、J.R.D.の一部の金型が、CIJを経て、80年代まで現存していたようです。ティンプレート製の裏板をプレスするにも、型が必要だからです。そしてJ.R.D.の金型を取得したCIJも、金型を一切いじらなかったことがわかります。
 推測ですが、左のモデル、リアアクスル直後の「85」の刻印は、「1985年製リプロダクション」の目印として付加されたものでしょうか。(ただし下でご紹介する「11CV」には「85」の刻印はありません…。)

 可堂玩具によるミクロペット復刻品では、裏板の型は失われていたらしく、厚みのあるキャスティングに置き換えられていました。


J.R.D.(1980年代復刻生産品) シトロエン・トラクシォン・アヴァン 11CV.N 1953年式
J.R.D. Citroen Traction Avant 11CV.N, 1/45


これも(おそらく)1985年頃の復刻生産品です。
ポリスカーとして作られたものではありませんが、1950年代のジャンダルムリーは、小さな三色旗を付けただけの黒いトラクシオン・アヴァンを使っていたりするので、仲間に加えることにしました。

出品者は「タイヤが綺麗すぎるので、取替えられているかもしれない」と書いていましたが、キャスティングそのものを1950年代のものと考えてのことだったのでしょう。
特に箱が無い場合、(最悪J.R.D.時代の箱に入れられていたりする場合)、どの時期のものかで価格
も変わってきますから、オークション入札などの場合にはご注意ください。

J.R.D.時代の品番は「112」番で、1958年からの生産。黒・ブルーグレーなどで、バンパーに銀が吹かれています。CIJになってからは「ウーロパルク」の箱に入れられ、黒とライトグレー。
ライトグレーは「ベリー・レア」で、CIJ生産版は、ホイル中心部が円錐型、バンパーがボディと同色です。この80年代復刻品は、ホイルもJ.R.D.時代のものを再現しているようです。

CIJも、ウーロパルク強化策としてJ.R.D.製品が加わることを心強く感じたのでしょうか。しかし結局数年で、その長い歴史を閉じることになりました。

CIJ/J.R.D.モデルの価格
競合に押され、シートや電球を付けるなどの苦労をしながら歴史を閉じたCIJ/J.R.D.ですが、近年になってその価値は見直されているようです。
特にシートもウインドもない、初期のマイナーなルノー車などの評価が高いのは、歴史の皮肉としか言いようがありません。
ディンキーやコーギーと戦うために、ウインドやシートを付けようとしていた時期の彼らに、「シートも付いていないこれらのモデルは、将来300ドルや500ドルの価値を持つようになるのだから、そんなことはやめなさい」とタイムマシンに乗って言いに行っても、きっと聞き届けてはくれないことでしょう。

この間の私の印象では、おおまかに言って、日本市場が最も高価、その次が英・米、そしてフランスがやはり割安感はあります。ただし背景として、以下の点があることには留意する必要があります。

日本で玩具輸入が本格化するのは、1960年代の半ばからです。したがって、それ以前に生産されていた、1950年代末から60年代前半のCIJモデルは、当然「日本未輸入」ということになります。
つまりこの時期のモデルは、日本市場に出る場合でも、当時日本国内で販売された商品のうちの現
存品ではなく、比較的近年にフランスなどの海外から買い付けられたもの、ということになります。
買い付け価格がそもそもある程度高価で、かつ送料や販売店のマージンなどが乗るわけですから、割高になるのは当然の成り行きと言わなければなりません。特に日本のコレクターは、状態の良いもの、箱付きなどを珍重する傾向が強いので、いきおい価格も高いものになります。

これに対して、英米で出ているものは、1950〜60年代当時に英米に輸入されたもの、英米人がフランスやスイスなどで購入したものなどです。どうやら英・米人での評価が高いのはディンキーのようで、CIJはそれより評価が落ちる感じはします。

フランス国内には、当時販売されたコレクション品、子供の遊んだモデルなどが豊富にあります。したがって、状態の悪いものを安く手に入れることのできるチャンスは大きいと言えます。
ただしオークション(eBay)上では、やはり英語を書いている出品者の方が少なく、フランス国内にしか発送しない(フランス海外領土も不可)といったものもあり、支払いについてもPayPalの付いていない出品の方が多いです。
プロのショップ系の出品で、箱付き・状態の良いものは、100〜300ユーロといった値が付けられています。CIJの本格的なコレクターは当然フランス国内に多いですから、そういう人たちと競り合ってしまえば、安価入手の望みはなくなる、と言えるでしょう。やはりどこの国でも、ショップの付けている価格は高いです。ただし、ヨーロッパ人の普通の感覚では、「100ユーロ」は十分に高価だと言えるでしょう。




2007年10月13日追補

この「CIJとJRD」のページを作ったのが、2006年9月16日で、なんとそれから1年が経ってしまいました。『信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ』という竹内まりやの歌(人生の扉)が思い出されます。

「年をとると、ますます1年が過ぎるのが早くなる」と言う人がいて、私はその意見に心から賛同したことは無かったのですが、フランスのネットオークションを漁っていた頃から1年が経ってしまったとは、にわかには信じられません。そう言えば昨年はETVの「フランス語会話」を視ていたのですが、結局あまり身につきませんでした。動詞の活用が試験に出る、というような環境に置かれない限り、やっぱり人間は勉強しようとしない生き物のようです。

CIJで探していたモデルを、その後何点か入手しましたので、1年振りにご紹介してみることにしましょう。
3/41 シトロエンID-19 ブレク・アンビュランス(フランス赤十字)
3/41 Citroen ID-19 break 1960 ambulance


「ウーロパルク」になって後の、シトロエンID-19・ブレクのアンビュランス。
CIJのポリス/アンビュランス・モデルの中でも大変に魅力的な1台で、永らく探していたモデルでした。
屋根上の電球が失われていたり、一方で箱付きの状態の良いものは大変に高価だったりで、なかなか入手の機会に恵まれていなかったものです。(箱と紙製の赤十字テント/赤十字サイン、それに1960年代のフランスの乾電池が揃った完品も見ましたが、終了価格は全く歯が立たないものでした…。)1962年の発売で、1/44スケール。



「クロワ・ルージュ・フランセーズ」(フランス赤十字)仕様の鮮やかなブルーに白ルーフの塗装ですが、リオがその後に同じカラーリングのモデルを作っているので、フランス赤十字に実在した仕様なのでしょう。CIJでは、同じ「クロワ・ルージュ・フランセーズ」のデカールで、ブルー部分を茶褐色に置き換えたモデルも存在するようです。患者搬送部は、車内の電池メカの目隠しも兼ねて、ウインド内側からブラインド状のモールドが施されています。



裏板は「CIJ」シンボルではなく、大きな「ウーロパルク」のブランドシンボルのみ。
後輪を回転させると、車軸中央にあるプラ製のカムがその上にある金属接点を断続的に押し上げ、屋根上回転灯が点・滅する仕組みになっています。

電池交換は裏板側のビスをはずして行うようで、興味本位で中を覗いてみることにしました。
点滅メカは、車体と同じブルーで塗装された金属部品によるシンプルにして堅実な作り。ボディ内側は下塗り色の白が残されています。電池は単3使用。クリアブルーの塗料が塗られているいる電球も交換可能になっています。



電池を入れてみてもさすがに点灯はしませんでしたが、電球を替え、接点部を少し磨けば、点灯させることも夢ではないでしょう。「電子的」ではない、「電気的」なオモチャの全盛時代を思い出させてくれます。

3/53A ルノー・ドメーヌ・私立病院患者搬送車
3/53A Renault Domaine 1959 ambulance



1960年の発売で、1/45スケール。
フランスの資料本(Les jouets en zamac CIJ/J.R.D. automobiles-utilitaires, Thierry Redempt-Pierre Ferrer, Les carnets du collectionneur, Editions DRIVERS 2006)では、車名が本文では「マノワール」(Manoir)1959年式、巻末リストでは「ドメーヌ・ブレク」(Domaine Break)となっていて当惑しますが、大変におおらかで、よろしいでしょうか。巻末リストについては、他資料から転記している可能性もあり、それが原因かもしれません。
資料本の記述はおしなべて、こんな按配なので、実車年式などはあまり信用しないで見ていただきたいと思います。
ドクター・エドワード・フォースは、車名をドメーヌとしていますが、こちらはミススペルで「i」が脱落し、「Domane」(ドマーヌ)と書いています。(Classic Miniature Vehicles Made in France, by Dr. EdwardForce, Schiffer Publishing 1991, p17, p121)



困ったことにモデルの裏板は「アンビュランス・ルノー」のみ。ウーロパルク箱の側面の表記も「アンビュランス・プリヴェ」だけで、車名の表記が無いことが混乱の原因でしょうか。

フランス語資料本はティエリ・ルダンとピエール・フルールの共著ですが、少なくとも「1959年式マノワール」と特定する何らかの理由があると考えるべきでしょう。
少し調べた限りでは、「マノワール」も「ドメーヌ・ブレク」も、ともにブレク(ステーションワゴン)形式で、どちらも良く似ており、CIJのモデルのプロトタイプの特定には至りませんでした。実車では「ドメーヌ・ブレク」が1956〜1960年の生産、「マノワール」は1959〜1960年の生産とのことです。



青/白の塗り分けに、ボンネットからボディサイドに回る「V」字型のストライプ、「赤」十字でなく「青」十字という珍しい塗装ですが、ウーロパルク箱の側面の「アンビュランス・プリヴェ」の「プリヴェ」は、英語の「プライベート」、「私用に供される」ということです。
つまり、消防隊やフランス赤十字などの公的救助組織に属する車両ではなく、私立病院の患者搬送車ということになるでしょうか。そういう意味では、救急車モデルの中でも異色の存在と言えるでしょう。

 ボディ前部の旗は、オリジナルは失われており、フランスのコレクターの「誰か」がボールペンで書いて自作したものです。ほほえましいですね。ディンキーなども含めて、白のゴムタイヤは黒のものより経年劣化が激しいですが、このモデルもご他聞に漏れず、亀裂が入っています。車体が比較的軽いために、自重変形を免れているのでしょう。

3/93 ルノー・エスタフェットゥ・ミクロカール・ジャンダルムリー(フランス国家警察)
3/93 Renault Estafette microcar 1960 Gendarmerie


ルノー・エスタフェットゥでは、「シュペール・ミニアトゥール・エレクトリク」シリーズの屋根上灯が点灯するモデルを既にご紹介していますが、このモデルには点灯ギミックは無く、塗装も紺1色のジャンダルムリー・ナシオナル(国家憲兵)仕様となっています。1963年の発売で、1/45スケール。

点灯版の1次モデルの発売は1962年のようなので、むしろこのジャンダルムリー仕様の発売の方が後ということになり、どうやら通常品を後に電池式に換えた、ということではないようです。電池式製品は高価だったでしょうから、商品ライン上では電池を載せない安価版モデルも必要だったのでしょうか。



CIJのエスタフェットゥにはそもそも金型が2つあり、荷台部の窓が塞がれているバンである1957年式「フールゴネットゥ」(fourgonnette)と、窓があって3列シートを持つ1960年式マイクロバスの「ミクロカール」(microcar)に分かれていました。青/白ポリスの電池点灯仕様は、このうち「フールゴネットゥ」の金型を、非電池式のジャンダルムリー仕様は「ミクロカール」の金型を使っています。「フールゴネットゥ」金型は運転席ドアもスライドしますが、「ミクロカール」の金型では開きません。

資料写真(Les jouets en zamac CIJ/J.R.D.)によれば、車体後部に針金製のホイップ・アンテナが付くようです。(子供の安全を考えて、先端はループ状に丸められています。)このモデルでは失われています。

ボロボロとも言えず、かつコレクター保管品とも言えない微妙なコンディションですが、きっとこのミニカーで遊んだ子供は、かなり大切に扱った、ということになるでしょうか。

3/57 ルノー・ドーフィーヌ ポリス
3/57 Renault Dauphine 1956 Police


年式は1956年とされていますが、発売は1960年で、1/46スケール。ルノー4CVのポリスと同様に、黄色の「CIJ」箱のものと、赤・白・青の「ウーロパルク」箱に入れられたものの両方が存在するようです。

このあたりになって来ると、かなり状態が怪しいですが、承知の上で購入しました。
フランスのネットオークション上でも、そもそも出品が少ない上に、(1)少なくとも屋根上回転灯やデカール/タイヤが失われているようなものは避けたい (2)箱付き美麗であまりにも高価なもの(主としてプロのショップによる出品)も避けたい (3)まずまずのモデルを見つけると、発送や決済手段の条件が合わない と言った具合で、総合条件良好で入手したのがこのモデルというわけです。フランス/ドイツでは、PayPal決済を受け入れてくれる出品がまだまだ少ないのです。

白塗装の上にマスキングをして黒塗装をしいるため、黒塗装にはスクラッチ状のキズがたくさんありますが、ホイルは綺麗、ペイントは剥げているものの回転灯も健在、「POLICE」のデカールも残っているので、私としては十分に及第点です。ここまでペイント・ロス(塗装剥げ)と汚れがあるとうことは、逆にリペイントである危険はないとも言えるからです。ヨーロッパでは、レストアや改造のニーズがあるので、タイヤや車軸そのものも失われたようなモデルまで出品されますし、一方で何代かのオーナーを経るうちに、リペイントがどうか判然としなくなってしまったような出品も存在します。

一度、こんな説明を見ました。『状態はオリジナルである。ただし、いくつかのペイント・ロスについて、補正してあるかもしれない。内部が汚れていたので、それを清掃するめたにいったん裏板をはずして清掃した。その際、欠落していたいくつかの部品をリペアパーツに置き換えて、完全な状態に戻している』 ……。 世間ではこれを「レストア」というのであって、どこも「オリジナルな状態」ではありません。

ルノー4CV同様に、虫ピン利用のアンテナも健在です。回転灯もアンテナも、もしプラスチック・パーツだったら、とっくに失われていたことでしょう。ミニカーの「耐久性」というものを考えさせてくれる1台です。しかしCIJの設計者は、「50年後に残る玩具」を作ろうとしたわけではなくて、「子供の遊びに耐える安全な玩具」を作ろうとしただけだったのだろうと思いますが。

「子供の遊びに耐える」という条件設定をはずされた「大人のためのミニカー」が、プラケースの中に居て何者にも耐える必要が無いために、かえって耐久性を失いつつあるのは、全く皮肉としか言いようがないでしょう。



1950年式ルノー・サヴァーヌ救急車
Renault Savane 1950 Ambulance, 1/45


さて、CIJ/J.R.D.の歴史のご紹介が終わったところで最後にご紹介するモデル、何だと思われますか。「レトロ」なムードを全身から漂わせる、1950年式ルノー・サヴァーヌの救急車です。CIJの極めてレアなバリエーション、というのはウソで、実は最近のリペイント・改造モデルなのです。

フランス人の作品で、彼はこれを「Transformation」(トランスフォルマシォン)と言っています。自分のサイトで作品紹介をしていて、一品制作ではなく、サイトを作品カタログにし、希望のものを作ってくれるようで、手持ち以外のモデルの注文には4週間ほどかかる、と言っています。

おそらく、オリジナルとしてはもはや流通できないようなペイント・ロス(塗装剥げ)やブロークン(破損やパーツ欠品)のモデルを入手した上で、レストアするにあたってオリジナルのCIJ製品に敢えて似せようとはせず、大胆な改造をしてしまうというわけです。



真っ白でない、ちょっとアメ色のペイント、テクノを思わせる三角の旗、大きすぎない赤十字(クロワ・ルージュ)など、そのセンスは抜群で、コンバージョンだとわかっていても、思わず欲しくなってしまった、というわけです。
箱も、彼のオリジナル・デザインです。まるでCIJ製であるかのように「偽装」していますけれど、これをCIJオリジナルと勘違いするようでは、まだまだコレクターとしては未熟で、一目見て「ニヤリ」としなければいけないというわけです。「Marque Deposee」(マルク・デポゼ=Registered Trade Mark)の表記に、自国のオールドブランドに対する誇りのようなものさえ感じてしまいます。

CIJのオリジナル製品には3/55で1950年式ルノーのアンビュランス(1958年発売)がありますが、これは車体後部の側面窓がパネルで塞がれている「コロラール」です。また3/45のタクシーは、側面窓が2つ(ピラーが2本)で、車種は「プレイリー」です。これに対して3/43は側面窓が2つの「サヴァーヌ」で、この改造救急車は、車体後部(患者搬送部)を擦りガラスの表現にするために、わざわざ「サヴァーヌ」のボディを選んでいるものと思われます。ご覧のように、裏板は「プレイリー・タクシー」のもので、「TAXI」のモールドを削っています。



日本からわざわざアクセスして来た物好きに彼も興味を示したのか、あれこれ言って来るので(救急
車作品の画像ばかり6点も送って来ました。イタいところをついて来ます)、同じくCIJベースのルノー300kg(ジュヴァ・カトル)のアンビュランスを、制作依頼しました。「ミニカーにこういう楽しみ方があるのか」ということを教えてくれる1台です。
(先にご紹介したルノー1000Kgのジャンダルムリーも、こういう作品のひとつなのかもしれません。)

それともうひとつ、実はご紹介して来た中で、ルノー1000kgのポリスと救急車、それに300kg(ドーファノワーズ・ブレク)の箱は、実は「リプロボックス」なんです。つまり、オリジナルをスキャンでとって、プリントアウトしたものです。裏紙と二重貼りになっています。



これもフランスから買いました。オリジナル箱は、付いているだけで価格がポンと上がりますし、箱なしでやって来たミニカーたちに、せめて「住まい」を与えてあげるためには、コレはコレでなかなか面白いと思うのです。オリジナルの箱だけがオークションに出ることもありますが、このぐらい古いモデルになるとなかなか出にくいてすし、空箱とは思えない価格になってしまうので、なかなか侮れません。

リペイント改造作品と言い、リプロボックスといい、フランス人はミニカーを楽しんでいるなぁ、というのが私の印象です。ちょっと羨ましいです。
エブロやミニチャンプスのプラケースに擦り傷があった、なんて言って顔をしかめるのはやめましょうね。私たちはミニカーを集めているのであって、プラケースを集めているわけではないんですから。


ルノー・ジュヴァカトル救急車・フランス赤十字(CIJからのコンバージョン)
Renault Dauphinoise break 1956, hand painted transformation from CIJ casting


ウクライナとフランスのハンドメイド救急車』のページでご紹介したことのある、フランス人作家・クリストフ・ユベール氏の手になるコンバージョン。本来の「居場所」である「CIJ」のページにも追補しておくことにします。

その後も1度、『何かリクエストがあったら作りますよ』というメールをもらったのですが、今のところ
不義理をさせてもらっています。私はつい、「自分も模型を作る」という視点で他の方の作品を見てしまう面があるのですが、実はこういうオリジナル作品を集めて行く、という選択肢もあるのではないか、と思う今日この頃です。



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