レトロなイギリスの救急車




「マルサン製救急車」のトラウマ
Old British Ambulances


子供の頃に、2台のダイキャスト救急車を持っていました。
1台はモデルペットの初代マスターライン救急車(2-SA)。もう1台は、いやに角張った車体のもので、白塗装がポロポロと取れて、すぐに剥げチョロになりました。

これが後にわかったことですが、マルサンの「ダイムラー救急車」、ディンキーのコピーモデルだったのです。確かに「激しく」遊んだことは事実ですが、モデルペットの方はこれほどボロボロにはならなかったので、おそらくロクに下地塗装もせずにダイキャスト地の上に白塗料を吹いてあったのではないでしょうか。

しかし「ディンキーのコピー」などということが判明するのは、かなり後になってのことです。
昭和30年代の子供にとって、「ディンキー」も何もあったものではないからです。
マルサンの裏板は「AMBULANCE」(救急車)とだけ書かれていて、車名の表記はありませんし、そもそも子供には「AMBULANCE」も読めません。

この救急車の持っていた幾つかの「謎」を解明を中心に、少し古い英国製救急車のミニカーを見てみたいと思います。(2006.2.11)

Bibliography
-Dinky Toys, Revised 4th Edition with Price Guide by Dr.Edward Force, SchifferPublishing Ltd. 1999
-Miniature Emergency Vehicles by Dr.Edward Force, Schiffer Publishing Ltd., 1985
-The Encyclopedia of Matchbox Toys by Charlie Mack,Schiffer Publishing Ltd. 2002
-Lesney's Matchbox Toys,Regular Wheel Years 1947-1969 by Charlie Mack,SchifferPublishing Ltd. 1992
-Lledo Toys, A Collector's Guide with Values by Dr.Edward Force, Schiffer PublishingLtd. 1996

イギリスなのに何故「ダイムラー」


まず車名の「ダイムラー救急車」。
マルサン製のコピーモデルのミニカーには車種は書かれていないので、これは後になって、ディンキーの製品リストを見ることの出来る年齢になってからわかったことです。
しかし、「ダイムラー」というのは、ドイツのクルマではなかったでしたっけ??
どうしてイギリスの救急車が「ダイムラー」なんでしょう。まずはここから解明しなければなりません。

実はイギリスのディムラー(ディムラー・モーターカンパニー)は、ドイツのダイムラー社の子会社として1893年に設立され、後に独立した会社なのだそうです。設立当初はダイムラー車の輸入を目的としていたそうです。しかもドイツでダイムラー社とベンツ社が合併し、1926年に「ダイムラー・ベンツ」社となるので、それよりずっと以前に設立されていた「デイムラー」単独の名がイギリス側に残った、というわけです。

第一次大戦では、イギリスは世界で初めて「戦車」を運用したことで有名ですが、Mk.T/W/Xの「菱形重戦車」、「ホイペットMk.A中戦車」は「デイムラー」のエンジンを積んでいます。
1939年には、政府から軍需生産への協力を依頼され、ブリストル・ハーキュリーズ・エンジンの生産(他社製品を生産するシャドゥ・ファクトリー)、4輪駆動の偵察車(スカウトカー)、装甲車(アマードカー)の生産を行いました。タミヤやハセガワがプラモデル化したクルマたちです。
ドイツの航空機もダイムラー・ベンツ・エンジンを搭載して戦いましたが、英国デイムラーも、もともとの親会社の国であったドイツと、2度の大戦で戦うことになってしまったわけです。
もしかするとイギリス政府は、軍需生産や兵器開発に協力させることで、「デイムラー」を生粋のイギリス企業にしたかったのかもしれません。

という「いきさつ」ですので、ドイツの「ダイムラー」と区別するために、この後は「ディムラー・モーターカンパニー」にちなんで「ディムラー」と書くことにしましょう。

ディンキーの「デイムラー」救急車
Dinky 30h-G/253-G Daimler Ambulance


ディンキーの作った、かなり古風なたたずまいのこの救急車、どれぐらいの年代のものなんでしょうか。中島登著・保育社カラーブックス『世界のミニカーU』のリスト(昭和55年2月初版・146ページ)では、ディンキーの253番のモデルについて、「1948年式」・「発売年度1949年」の記述があります。またその他の資料を見て行くと、「Daimler DC27 Ambulance 1954」「1949 Daimler Ambulance/Hooper」といった表現に出会います。

どうも諸資料を総合すると、コベントリーのデイムラー社で車台製造され、ボディは「フーパー」製、救急車としての艤装は、ヴィッカース・アームストロング航空機工場で行われ、1948年から1950年代中葉まで生産されたもの。そのうち少なくとも1954年式の型式記号は「DC27」、ということになりそうです。北アイルランドなどでは1964年まで使われていた、としている記述もありました。

ドクター・エドワード・フォース著の「ディンキートイズ」(Dinky Toys, Revised 4th Edition withPrice Guide by Dr.Edward Force, Schiffer Publishing Ltd. 1999 )によれば、「253-G」のデイムラー・アンビュランスは、1954年から1962年の生産、となっています。

30h-G   クリームボディで、裏板に品番刻印の無いもの(1950〜1953年の生産)
253-G-1 クリームボディで、裏板に品番刻印の無いもの(1954〜1959年の生産)
253-G-2 ホワイトボディで、裏板に「253」の品番刻印のあるもの(1960〜1962年の生産)
253-G-3 ホワイトボディで、ウインド付きのもの・その他は253-G-2と共通(1963〜1964年の生産)

としてあります。
赤ホイル、ボディ側面に赤十字のモールドと赤ペイント、バンパー/グリル/ヘッドライトに銀ペイントは各バリエーションに共通です。
この時代のものは、「裏板」と言ってもティンプレート(ブリキ板)を刻印文字ともどもプレスしてあるだけで、英文資料では「sheet metal base」と表現してあります。



実は1953年以前に、このモデルは「30h-G」として生産されていました。
「30h-G」というのは旧品番システムで、「253-G」の方は新品番システム、1954年にこのアンビュランスは「30h-G」から「253-G」に品番移行した、というわけなのです。
「30h-G」と「253-G」は、モデルとしては同一としてあり、つまり「クリームボディで、裏板に品番刻印の無いもの」ということになります(下の画像)。少なくとも資料の上ではそう読めます。



同一金型で、1950年から生産されている、と考えると、中島登著・『世界のミニカーU』の「1949年発売」というのは必ずしも間違っていないことになります。(さすが!!)

ディンキーのこのモデルは、海外オークションでも常時見かけます。結局1950年から1962年まで、12年間も生産され続けたことになりますから、生産数・残存数・市場流通数ともにかなり多い、ということになるのでしょう。最近は「リプロボックス」(本物の箱をスキャン/出力した複製箱)に入れたものも多く見かけます。

マルサンのモデル
Japanese Marusan 8503 Daimler ambulance, Dinky copy


同じく中島登著・保育社カラーブックスに『日本のミニカー』という本がありますが(昭和52年11月初版発行)、この本の巻末リスト(148ページ)に、8点のマルサン製品が掲載されており、1960年4月発売の「トヨエース」は品番なし、それに続く7点のディンキー・コピーは、1961年(昭和36年)4月の発売になっています。このデイムラーの品番は「8503」で、これはモデルの裏板にも刻印されています。

モデルペット2-SAマスターライン'60・救急車の発売は1963年7月なので、なるほど、といまさらながらに、一人うなずいています。もっと小さい時のような気がしていましたが、このデイムラー救急車の発売が1961年なら、私は小学校に行っていたことになります…。

さらに上記同書152ページには、「日本の主なミニカー年表」として、『昭和36年6月 マルサンがダイカモデルを発表』との記述があります。どうやらこのディンキー・コピー群を「ダイカ・モデルズ」と言うようであり、パッケージの写真にもその表現が読み取れます。新シリーズ全体をコピー・モデルで構成するとは、なかなか勇気のある会社ですね。…

「マルサン商店」は昭和25(1950)年に設立、昭和33(1958)年12月に国産初のプラモデルとされる「ノーチラス号」を発売していますが、プラモデル発売以前にはティン・トーイを作っていました。この「ノーチラス号」は、レベル製品のコピーですが、その時点でドイツ・「デッケル」社製のコピーマシン(パンタグラフミラー)が導入されていた、ということです。
このマシンは、原型(他社製品)から直接採った石膏製の雌型を、機械でトレースすることによって金型を切削する機械であったとのことです。

※企画室ネコ/カーマガジン1987年8月号増刊モデルカーズ『マルサンの残像』 92〜103P
※井田博著『日本プラモデル興亡史』(文春ネスコ・2003年12月第2刷)18〜33P



マルサンは、ディンキーのコピーにあたっても、当然この「デッケル」を活用したでしょう。
というよりも、「ダイカ・モデルズ」というシリーズ企画そのものが、「デッケル」があることを前提としたものだったのではないでしょうか。
以前に別のところで、『コピーを取るとモデルの大きが変わる』という趣旨の記述を見て、「インパラ」の話のところでご紹介したことがありますが、これは、硬化すると体積の縮小する合成樹脂で原型を複製する際に起きることで(むしろ小さくなるはず)、上記のように「石膏雌型を直接トレースする」という方法では、複製物の大きさが変わることはない、と私は思います。石膏は、硬化熱は出ますが、硬化しても体積は変わりません。

この点を証明するかのように、「デインキー」と「マルサン」のデイムラー救急車のサイズはほとんど同じで、実に良くコピーされています。(上の画像で左がマルサン、中央と右はディンキー。)リアゲートのハンドルのモールドまで再現されているのが、マルサンの技術の証明 !!

レベルの「ノーチラス」も、ディンキーのミニカーも、レベルやディンキーには何の断りもない「無断コピー」だったと考えられます。ただしレベルの方は後に正規の業務提携関係に発展しました。
マルサンは、ダイキャストミニカー第1号の「トヨエース」をオリジナル原型でスタートさせながら、何故その後ディンキーコピーに走ってしまったのでしょうか。
考えられる理由のひとつは、開発力・開発コストの点から、「安易な道」に走ったということ、もうひとつは、ティン・トーイで既に販路のあった海外市場をねらったものではないか、と考えられます。「トヨエース」では海外で売れないですし、北米などで「ディンキーより安く売ってしまう」という戦略だったのではないでしょうか。「ダイカ・モデルズ」のパッケージは英文で、「マッチボックス」を連想させるようなものになっています。

ドクター・エドワード・フォース著の「ディンキートイズ」では、このマルサンのシリーズを「ディンキー・コピー」として取り上げ、自分のコレクションに加えています。(同書135/202P)

このマルサンのデイムラー、実は子供の時に買ってもらったモデルの現物です…。
塗料剥離剤の実験台として、早々にハゲチョロになった塗装を剥がされ、ダイキャス地のままで20年以上も引き出しの中に放置されていたのですが、このたびリペイントされて、何と40数年ぶりに「復活」したのです。裏板とホイル/タイヤ/車軸はオリジナルのままです。
マルサンの裏板もディンキー同様のティンプレート(ブリキ板のプレス)で、マルサンがティンプレート・モデルを作っていたことを思い起こさせてくれます。



こういう時には「真っ白」なペイントを塗らないのがコツですが、もっと「黄ばみ」を入れても良かったかもしれないですね。屋根上の赤十字はディンキーには見られないもので、マルサンの特徴ですが、シート状の赤のデカールを赤十字型に切り抜いて貼り付けました。
コレクターの間では「リペイント」はあまり好まれませんが、そんなことを言ってはいられないモデルもあるのです。可愛そうなモデルを救済してあげるためには、「リペイント」も肯定されて良いのではないでしょうか。英語では「レストア」「レストレーション」と言っているようです。
ただしもしオークションなどで売却する時には、「リペイントモデル」であることを明記してくださいね。

レズニー製のデイムラー救急車
Lesney Matchbox 14A/14B Daimler Ambulance


同じカタチの「デイムラー」救急車は、ディンキーだけでなく、他のメーカーでもたくさんモデル化されています。きっとこの時代のイギリスでは、最もポピュラーで成功した救急車だったのでしょう。

まずレズニー・マッチボックス。
1956年発売の「14A」で、
-14A-1 クリームボディ/屋根上に赤十字デカールあり/金属ホイル
-14A-2 クリームボディ/屋根上に赤十字デカールなし/金属ホイル

次に1958年発売の「14B」で、
-14B-1 クリームボディ/金属ホイル
-14B-2 オフホワイトボディ/金属ホイル
-14B-3 クリームボディ/グレイプラスチック・ホイル
-14B-4 オフホワイトボディ/グレイプラスチック・ホイル
-14B-5 オフホワイトボディ/シルバープラスチック・ホイル
のバリエーションがあります。

「14A」の方が小さく、「14B」は一回り大きくなりました(上の画像で箱の上のモデル)。
「14A」「14B」は、ほとんど同じカタチをしているので、オークションの画像などでは見分けにくいですが、「14A」は車体右側の車軸先端が平らにツブして止めてあります。また運転席・助手席ドアの下端のエッジが「14B」の方が丸くなっています。

画像のモデルは「オフホワイトボディ/グレイプラスチック・ホイル」の「14B-4」。
「14B-5」(銀ホイル)は、プライスガイドでの評価が250〜325ドルの「レア品」で、たまに市場に出て来ることもあるようですが、無視した方が賢明。


レズニーのコピーモデル「バンダイベビー」
Japanese Bandai Baby, Lesney Copy, Same modells had been destributedby AHI brand,Azrak-Hamway International. New York


ディンキーにマルサンのコピーがあったように、レズニーのデイムラー救急車(画像右)にもコピー・モデルがあります。そのひとつが「バンダイ」製のものです(画像左)。
「14A」の小さい方のモデルとほぼ同じサイズ、画像のプラケースに入れられていて、「REDCROSS AMBULANCE」のタイトルと、裏に「BANDAY BABY どうぞよろしく」のシールが貼られています。

マルサンのモデルがかなり忠実にディンキーをコピーしているのに対して、こちらはもう少し「稚拙」で、フロント・ウインドが抜けていません。
私はもちろんキャスティングの専門家ではありませんが、レズニー製品は屋根上にパーティング・ラインがあり、左右で型を合わせているような気がするのですが、バンダイ製品にはそれがありません。もしかして、アンチモニーかもしれないですね。



「どうぞよろしく」という日本語メッセージがあるので、国内向け製品とも思えますが、実際はアメリカから購入しました。
画像のモデルは、プラケース裏に明らかに「BANDAI」のラベルがありますが、ほとんど同一と思われるモデルで、「AHI」ロゴ入りの緑の紙箱に入ったものも見かけたことがあります。
「AHI」とは、「Azrak-Hamway International. New York, USA」の略で、どうやら製造は日本のバンダイで、BANDAIブランドでそのまま出たものと、アメリカの会社である「AHI」ブランドで出た(OEM)ものの両方があるのではないかと想像しています。
(「AHI」ブランドのものには、車体側面に手描きで「赤十字」が描かれていました。これも手に入れたかったのですが、何と8,000円超になってしまい、見送りました。)

「AHI」製品については、箱に表示してあるブランドは「AHI」であるものの、キャスティングそのものは「JAPAN」ですから、「AHI」は日本のメーカーという誤解も発生しているようです。
「AHI」は、バンダイ以外にも「アオシン」製の電動ティン・トイなども販売していたようです。
(「AHI」について、「Azrak-Hamway Inc.」としている資料もあります。)



もう1台はデンマークのテクノ/フィルマーの「ダッジ・アンビュランス・トラック」のコピーと思われるモデルで、バンダイベビーと同じプラケースに入っていますが、出品者はこれを「AHI・JAPAN」だと言っていました。少なくとも彼は「AHI」を日本の会社と思っているようでした。
とすると、バンダイがプラケース入りで「AHI」に提供した製品、ということになりますが…。

もう1種・メーカー不明の謎のコピー
Japanese unknwon farm, Lesney copy


もう1種、明らかにデイムラー救急車と思われるコピーモデルがアメリカのネットオークションで出ました。全長はレズニーの初代「14A」とほぼ同じ、塗色も、クリームがかっていて「14A」とほぼ同じ。屋根上に赤十字デカルを付けますが、裏板も無く(この時代の製品はマッチボックスにも裏板は無いのですが)、緑色の紙箱には「JAPAN」とあるだけで、ブランド名は何もありません。

レズニー、そしてそれをコピーしたバンダイのものに比べても明らかに稚拙なデキで、左右で金型を合わせて作られているようです。カタチはマネしていますが、原型を再現出来ていません。ということは、少なくとも型は自分で起こしたことになるのでしょうか。
ただしボディの肉は大変に薄くシャープで、運転席周りの窓も抜けており、(アンチモニーではなく)ダイキャスト製と思われます。

現在私たちは、中国を「コピー製造国家」呼ばわりしていますが、日本にもこうしたものを作っていた時代があったこと、コピーしようとしてもコピーさえ、ちゃんと出来る技術が無い時代があったことを想うと、感慨深いものがあります。
このモデル、私たちが名前を知っている会社の初期製品なのでしょうか。それとも私たちは名前すら知らずに消えていった会社のものなのでしょうか。ただはっきりしているのは、相当数がアメリカに渡っていて、現存しているらしい、ということです。「AHI」のようなアメリカの販売会社の注文で生産された、または買い付けられたものかもしれません。

「バンダイベビー」のシリーズもそうですが、産業史的にも興味のあるところで、もし何か御存知の方がありましたら、お知らせいただければ、と思います。

バッジートイ・258番
Morestone/Budgy 258 Daimler Ambulance


ディンキー/レズニー以外にも、このデイムラー・アンビュランスはモデル化されました。
画像は「バッジー・トイ」ですが、実は「バッジー」というのは後期に採用されたブランド名で、
当初のブランドは「モアストーン」(Morestone)と言います。この名前は「モリス」と「ストーン」という2人によって創業されたファーム(製造メーカー)であることに由来します。

デイムラー・アンビュランスは、モアストーン時代の製品で、資料(Miniature EmergencyVehicles by Dr.Edward Force, Schiffer Publishing Ltd., 1985)によれば1958年製としてあります。これが「バッジー」ブランドになって、1962年に「258番」になりました。
ディンキーよりひと回り大きく、リアゲートが開閉するアクションを持ちます。室内には一応、寝台が2つあります。上掲書では「スケール1/42」としていますが、これはたぶん同車の乗用車シリーズが採用していたスケールを言っているだけで、このデイムラーはもっと小さいでしょう。画像はバッジートイズの裏板刻印がありますが、リペイント・モデルです。

ディンキーは生産量が多かったと見えて非常にたくさん出ますが、「バッジー」はなかなか見かけません。前掲の中島登著・保育社カラーブックス『世界のミニカーU』のリストでは、車体年式1948年、ミニカー発売は1962年、専門店に少量入荷、となっています。

60年代の日本では、「コーギー」「ディンキー」がもてはやされていたので、「モアストーン」も、「バッジー」も、私としては入手したのは初めてのブランドとなりました。



こちらは、「モアストーン」時代の製品ということで入手したもの。しかし裏板の表示は「MADEIN ENGLAND」のみ、箱に表示されているシリーズ名も「A MODERN PRODUCT」で、「モアストーン」の名前はどこにも見当たりません。ただ金型は明らかに「バッジー」と同一です。
下の画像では、左が「バッジー」のリペイント、右が「モアストーン」。


リペイント
Restored models...


バッジーのモデルは、赤ホイル、デカールの処理、赤い運転士など、一目見て「リペイント」とわかる仕上げになっています。カシメは一度はずされており、ハンダで止めてあります。ディンキーも、オリジナルの「クリーム」と「ホワイト」の中間のようなペイントで、テールランプなどに色差しがされていることから、これも「リペイント」とわかる仕上げになっています。カシメははずされておらず、良く見ると室内にはリペイント色よりも濃い、クリームの塗料が残っているように見えます。

『モデル・カーズ』誌に連載をしているブライアン・ハーベイ氏は、要レストア品を安く入手することを好しとしているようですが、状態の良いものがあまりにも高額な場合、自分でのレストア、またはレストア品の入手も重要な選択肢のひとつだと思います。より状態の良いものを入手するまでの「つなぎ」という考え方もあるかと思います。
ただし、リペント品であることを出品者自身がわからず、「good condition」などと言っていることがあるので、画像から判断できる力を持つことは必要と思われます。それと前述した「リプロボックス」と称する、パソコン出力のコピには注意が必要です。


マッチボックス・「ロマス救急車」
Lesney Matchbos 14C Lomas B type Ambulance (Bedford J1)


レズニー・マッチボックスの14番の救急車は、2代続いた「デイムラー」を卒業し、1962年に「ロマス救急車」(14C)となりました。

「ロマス」というのは車種名ではなく、「Herbert Lomas Ltd.」という会社で、救急車/霊柩車/リムジンなどの艤装を専門とするメーカーだったようです。
シャシは「ベドフォードJ1」ですが、同じ車台を使いつつも「ロマスBタイプ」「ロマスJタイプ」といったボディの違いがあり、レズニーがモデル化しているのは「ロマスBタイプ」のようです。
1953年式でイギリス空軍・ファーンボローで使われていた、という救急車の写真が、一部グリルなどを除いて、極めて似たカタチをしており、「ロマスBタイプ」は、少なくとも1953年〜1969年ぐらいまでの間、生産され続けているようです。

「ハーバート・ロマス」社についてはイギリスでweb検索をかけても、残念ながら発見できませんでした。ドイツのビンツやミーゼンと違って、現在まで事業が存続していないのかもしれないですね。1969年頃の住所は「Hardforth, Wilmslow, Cheshire」。
ドイツとアメリカに関しては救急車の資料書籍を手に入れたのですが、イギリスに関しては未入手です。アメリカの資料には、救急車艤装メーカーの一覧リストが載っていました。
もちろん日本のものはおそらく出版さえされていないでしょう…。

車体側面のデカールにある「LCC」もずっと何のことかわからずに来ましたが、「LondonCounty Council Ambulance」の略であることが判明しました。

車体後部を見ると、2つの窓のレイアウトなどはつくづく「デイムラー」に酷似していることがわかります。バリエーションはホイル違いのみとされ、画像は最も「月並み」な黒ホイルの14C-3。他にグレイ・ホイル(14C-1)とシルバー・ホイル(14C-2)があり、これらは共に300〜350ドルの評価という、とんでもないレア・バリエーション。

レド・1950年・ベドフォード救急車
Lledo Daysgone, Bedford 1950 Ambulance


マッチボックスの「デイムラー」と「ベドフォード/ロマス」の間を埋める、1950年式のベドフォードを「レド」(デイズゴーン)が作りました。

「マッチボックス・タウン」のところでご紹介したように、「レド」社は一時期レズニーのエクゼクティブであったジャック・オデル(Lledo は Odell を逆に綴ったもの)が立ち上げた会社です。
オデルは、本名ジョン・W・オデルで、鋳造と工作機械のエキスパートとして、レズニー社の創業期から参加していました。1983年に「レド」ブランドのモデルを世に出すことになりますが、この時点で既に「マッチボックス」ブランドは香港のユニバーサル・グループのものになっていました。

レドの「デイズゴーン」シリーズには、レズニーの初期モデルと同じモチーフのものがたくさんありますし、それ以上に『レズニー時代に作れなかったモデル』を、オデルは作ろうとしたのだと思います。「デイムラー」と「ベドフォード」の間を埋めるこの救急車も、おそらくそうしたモデルのひとつなのでしょう。レズニーで「デイムラー」が2代続いたために、丁度この時期の「ベドフォード」がとばされてしまったのです。

品番は「64」、1994年の発売。
画像左:6400 Kent County Council Ambulance(1994年の発売)
画像右:6402 London County Council Ambulance(1995年の発売) 

右の「ロンドン」のモデルは、つまりマッチボックスの「ロマス」と同じ「LCC」の所属ということになります。「ロンドン・カウンティ・カウンスル」は、1889年から1965年まで存在した自治体名で、1965年には「グレーター・ロンドン・カウンスル」(GLC)に再編されたということです。
つまり「東京市」「東京府」と同じで、イギリス人は「LCC」という表記を見るだけで、ある種の郷愁(まさに「デイズゴーン」)を感じる、というわけです。「LCC」のエンブレムは、現在でも役所関係の建物なだ、ほうぼうに残っているのだそうです。


レド・プロモーショナル・ポーツマス病院特注品
Lledo Promotional, 18-90-8 Packard Ambulance, Portsmouth HospitalsLithotripter Appeal


レドからもう1台。車種はイギリス車ではなく、「パッカード」ですが、「プロモーショナル」のシリーズで、ポーツマス病院の「リソトリプター」(体外衝撃波結石破砕装置)のプロモーション用に制作されたもの。
姿はレトロ、プロモーション内容はハイテク。品番は「18-90-8」で1990年のリリース。
このように救急車モデルには、病院や赤十字/救助団体の特注品があるのですね。
レドに関してはこれを少し追いかけても面白いかもしれません。デイズゴーンの発売当初は、コマーシャル違いのバリエーションを何となく集めるしかなかったものですが、現在ではもう少しテーマを絞ったコレクションも可能になりました。この雰囲気はなかなかいいでしょう??
レドはサイズ的にも大き過ぎないのが良いです。

体外衝撃波結石破砕装置のプロモーションでは、Siku のところでスイスの「シュトルツ・メディカル」社の販促品をご紹介しましたが、何故か「リソトリプター」の世界ではミニカーを使ったプロモーションが流行したようです…。


戦前ディンキー
Dinky Ambulance 1934-1940/1946-1948


私が「パトカー」にコレクション対象を絞った時の理由のひとつに、「パトカーだったら、戦前ディンキーや戦前メルクリンを探さなくてもいいから」という、妙な「屁理屈」があったのです。

救急車というのは、「自動車」という機能を発揮できる、最適な用途のひとつなのですね。つまりそれ以前は馬車や人力で輸送していた患者を、動力で輸送することができるからです。ですから、自動車の発生直後から、もっと言えば自動車の発明以前から、「アンビュランス」はあったのです。なので、戦前に既にディンキーは「救急車」のミニカーを発売していました。

ところが、「ポリスカー」は無いのですね。何故だと思われますか??
占領下のドイツで「無線警邏車」を「ペーターヴァーゲン」と呼んだ、という話をご紹介しましたが、「パトロールカー」が有効な警邏機能を発揮するためには、全車輌に無線を搭載する、ということが重要な要素だったからです。指令者との間、または車輌間での有効な通信のできる通信機材が全車輌に搭載されるには、戦後を待たなければならなかったのです。ですから「護送車」のような用途を別にすれば、今日言われる「パトロールカー」は戦前には無く、したがって戦前ディンキーのモデルの中にも無い、というわけです。

ところが、デイムラーの色違いバリエーションなどを探していると、戦前ディンキーの「ベントレー・アンビュランス」が気になるのですね。それで思い切って入手してみることにしました。救急車といっても、どうせこれ1種だけですから。




以下、戦前ディンキーの「アンビュランス」モデルにつき、少なくともグレー/赤シャシ/X型シャシのモデルは、「30f-G」ではなく、「24a-G」ではないか、とのご指摘をいただきました。

そのためこの項は全面改訂し、あらためて資料上(Dinky Toys, Revised 4th Edition with Price Guide by Dr.Edward Force,Schiffer Publishing Ltd. 1999)に見られるバリエーションの記述を整理するとともに、モデル解説を訂正させていただくことにします。(2011/1/16)

24a-G
生産期間:1934-1940
側面および後面窓:開
盛り上がったX型シャシ
グリルにエンブレム無し
タイヤは白、または黒(?)
24a-G1 ライトグレー・ボディ/赤シャシ
24a-G2 ライトグレー・ボディ/ダークグレー・シャシ
24a-G3 クリーム・ボディ/赤シャシ
24a-G4 クリーム・ボディ/茶色シャシ/「平らなX型シャシ」「グリルにエンブレムあり」 
      (1938-1940)
24a-G5 クリーム・ボディ/赤シャシ
24a-G6 ライトグレー・ボディ/赤シャシ

30f-G
生産期間:1935-1940/1946-1948
側面および後面窓:開
オープン・シャシ
ベントレー・エンブレム
30f-G1 グレー・ボディ/赤シャシ/エンブレムなし(1935-1938)
30f-G2 グレー・ボディ/赤シャシ/エンブレムあり/(1938-1940)
      ソリッドシャシ/側面および後面窓開(1946-1947)
30f-G3 グレー・ボディ/黒シャシ
30f-G4 クリーム・ボディ/黒シャシ/ソリッドシャシ/側面窓閉(運転席のみ開)
      (1947-1948)
30f-G5 クリーム・ボディ/黒シャシ
30f-G6 ダルグリーン・ボディ/同色シャシ(南アフリカ向け・軍用色)


「24a-G6」は、カラーとしては「24a-G1」に、「24a-G5」は、カラーとしては「24a-G3」と重複していますが、「平らなX型シャシ」「グリルにエンブレムあり」が「24a-G4」だけのものか、「24a-G4〜6」に共通するものなのかが判然としません。(どうやら前者のような気もしますが、そうすると「24a-G1」と「24a-G6」の違いがなくなってしまいます。)

一方で「30f-G」は少なくとも「X型シャシ」はなく、「オープンシャシ」(open chassis・ボディ裏側が見えている)、「ソリッドシャシ」(裏板状に塞がれている)のどちらかということになります。
「30f-G6」のグリーンのモデルは、少なくとも写真で見る限り側面窓は閉じています。
この他にホイル形状によって、「smooth black hubs」「ridged hubs」という相違点を挙げている資料もあります。「ridged hubs」というのは、段差があるホイルということです。

そもそも同じ金型で「24a-G」と「30f-G」の2つがあることが奇異な印象があります。
「24a-G」が側面窓開、「30f-G」が側面窓閉とも単純化できませんし、「24a-G」が戦前、「30f-G」が戦後ということでもありません。

「24a-G」の生産が終了してから「30f-G」に移行したわけではなく、少なくとも1935年から1940年の期間は両者が並行生産されていることになります。部品の調達などの都合によるものとも考えられ、少なくとも戦争の激しくなる1941年から終戦直後の1946までは生産そのものができなかったことになりますから、生産状況にはかなりの混乱もあるでしょうし、生産記録の裏づけもとれないのかもしれません。

また、エンブレムがあるものも、無いものもあることを考えると、そもそも車名を「ベントレー」することは適切ではないかもしれず、海外資料では単に「Ambulance」とされています。




これらを総合すると、グレーのモデルは、

「X型シャシ」については「盛り上がった」(raised X shassis)「平らな」(flat X shassis)の言葉
の解釈になりますが、どう贔屓目に見ても「フラット」に見えるため、最も後期の「24a-G6」でしょうか。グリルのエンブレムはあり、ホイルは段差の無い「smooth black hubs」です。




クリームボディ/黒シャシのモデルは両方とも「ソリッドシャシ」(solid chassis)を付けているため、

「側面窓開」が「30f-G4」
「側面窓閉」が「30f-G5」(?)

で、両方とも戦後のモデル ではないかと考えています。
2つとも、エンブレムあり、ホイルは段差のある「ridged hubs」です。案外、段差のある「ridged hubs」が戦後生産分の特徴かもしれません。

「raised X shassis」「open chassis」なるものを入手してみれば、比較対照の上ではっきりする点もあるかと思いますが、ネットオークションで裏側の画像がきちんと撮られているとは限りませんし、バリーション追及をするには値段も高いので、結論を出すのは保留させていただくことにします。

特にリペイントものが介入してくると、余計に混乱が発生するようです。修復・リペイントの際にボディ/フェンダー/シャシの組み合わせが変わってしまうようなこともあり得るからです。







さらに戦前ディンキーについては、キット形式の複製品も販売されています。
以前私はこのレプリカモデルを入手したところが、ホワイト・ゴムのタイヤがへたってツブれてしまったのですが、おそらく複製品はホワイトメタルを使用しているために、重量があることが理由なのでしょう。オリジナル品はダイキャストであるために、ボディの肉も薄い上に重量もそれほどなく、65年を経過してもなお、ゴムタイヤが健在であることに驚きました。

コピーキットを塗装して、「Good Condition」だと言って売る人もないとは思いますが(それはもう詐欺なので)、一応レプリカもある、ということを頭の片隅に置いておいてください。
ここまで古いモデルになると、あまりにもピカピカに美しいモデルはかえって不自然で(もちろんそういう状態のものもあるとは思いますが)、適度に状態が悪い方がリペイントを受けているリスクが少ないのではないか、と私は考えています。

さて、この戦前ディンキー(グレイ/赤シャシのモデル)、いくらぐらいするものか、という点に皆さんもご興味があるでしょう。
実はこのモデル、リザープ(最低落札価格)の設定がされていて、175ポンドを入札しても有効な入札にならなかったのです。そのため一旦は諦めたところが、結局誰も落札せず、私が最高額入札者だったために、出品者から「いくらだったら出すか」というメールが来たのです。

それで、『昨晩は175ポンド入札した。200ポンドなら出してもいい。リザープ・プライスをいくらに設定したのか??』と聞きました。そうしましたら、『リザーブは260ポンドだった。日本への送料込みで、240ポンドで譲ってもいい』と言って来ましたので、ここはまぁ、滅多に出ないモデルの買い物と思い、OKしたというわけです。お互いの「評価」の数字やコメントだけが「信頼のよすが」です。最初は「Buy It Now Offer」を送る、と言っていたのですが、結局はオークションサイトを経由しないでの取引となりました。その方が、彼としても落札手数料などを節約できたのでしょう。

現在、1ポンドは約200円です。「1Aホイル」を履いたトミカに平気で5万円の値が付き、チェリカフェニックスやダイヤペットの初期アンチモニーの店頭価格は10万とか15万、最近のミニチャンプスやシュコー、ノレブあたりの1/43新製品が5千〜6千円していますから、オリジナル戦前ディンキー(初期赤シャシ)の240ポンドは、私としては納得できる価格と思えるのですが、いかがでしょう。小さな箱の「レターポスト」で発送料されたこともあって、幸いに通関時の関税はかかりませんでした。

クリームのモデルはぐっと安くなり、ヘッドライトが折れていることもあってオープン・ウインドウが46.5ドル、クローズド・ウインドウが37.75ドルでした。(アメリカで出ていたもので、通貨がポンドではありません。)


トライアング・ミニック・ティンプレート救急車
Tri-ang Minic LCC Ambulance


「戦前ディンキー」と「LCC」(London County Council)の勢いで買ってしまった、「トライアング・ミニック」のティンプレート/ゼンマイ内蔵モデル。
「Miniature Emergency Vehicles by Dr.Edward Force, Schiffer Publishing Ltd., 1985」によれば、「30年代製」としてあるのですが、本当にそんなに古いものでしょうか。ゼンマイ巻きのカギは失われています。

トライアング(Tri-ang)というのは、後にスポット・オンを市場に出すことになるメーカーですが、「ラインブラザーズ」という企業グループに属し、鉄道のシリーズ(Tri-ang Railways)や、船のモデルなども多く手がけていたようです。自社の「Tri-ang Railways」にアソートするために「Tri-ang Minic Motorways」というシリーズも発売しています。ゼンマイ・モデルはそれらの前身ということになりそうです。

現存数が多いらしく、オークション上で結構よく見かけるモデル。
車種は手元資料のリストでは特定されていませんが、「コマーQ-25」系のトラックが、大変に良く似たフロントマスクを持っているようです。

リアゲートは開閉式になっており、木製ながらちゃんとツーベッドの寝台が再現されています。ゼンマイで走るモデルですから、リアゲートは走行時に開かないようにロックできます。



さて、これ以上古いモデルを追求すると、ティンやアイアンなど、コレクションの方向が変わってしまうので、1950年代以前のモデルを買うのはこのぐらいでやめておきましょうか。
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