トヨタパトロールFH/BH26






結局、順次プラキットを作ることになった私。


完成したパトカーモデルを紹介するコーナーを始めます。
と言っても、新製品キットを作って紹介するというわけではなくて、たまたま作ることになった古いキットや改造がほとんどになってしまうでしょう。その理由は、(フジミなどから発売されるパトカーのキットが増えているとは言え)古い旧車のパトカーのプラキットなどというものは、まずめったに発売されることはないからです。

当初ホームページをやろうと思った頃には、パトカーのプラモデルを作って載せよう、などという気は全くなかったのですが、皆さんの送って来る写真に触発されて作ってみると、これが意外に楽しい…。

トヨタパトロールBH/FH26・オフライン!!


エブロ製1/43やアリイ(旧エルエス)の1/32キットとして販売されている「クラウンRSパトロールカー」が本当は実在せず、実はトラックやランドクルーザー用のエンジンを載せた別のクルマである、ということを書いたのはもうずいぶん以前のことになります。

その後、単にエンジンが違うだけでなく、
◆前・後ともリーフ・サスペンションのH型シャシ(クラウンは前ダブル・ウィッシュボーン/
 後リーフリジッド)
◆エンジンルームは延長
◆エンジンルーム側面のルーバーは2個のものと3個のものあり
◆フロントウインドウ直前に方向指示器を別付け
◆B型エンジン(直6・OHV・3386CC・85HP)のBH26に対して、大型トラック用F型エンジン
 (直6・OHV・3878CC・110PS)搭載のFH26は1956年11月以降生産
◆BH26・FH26とも構造的にはBHR型パトロールカーと大差なく、変速機はランドクルーザーと 同一、ファイナルギア比4.11、FHはタイヤ6.00-16、車重1,715kg  といったことがわかって 来ました。

「ランドクルーザー」とは言っても、それは当初は「トヨタBJ型ジープ」と言っていたもので、初期BJはウイリスのMBよりもエンジンルームの高い、バンタムBRC40のような印象のスパルタンな車両です。1951年に警察予備隊からの大量発注を目的に開発スタートしたものの、入札前の試験で三菱ジープに敗れ、1953年にようやく警察からの発注を受けてBJ20型として生産開始されたものです。
型式記号「BJ」の頭の「B」は「B型エンジン搭載車」ということですから、トヨタパトロールBH26と兄弟であることがわかります。
「ランドクルーザー」を名乗るようになったのが、「ジープ・Jeep」がウイリス/三菱の専使用商標となって、トヨタでは使えなくなったためです。「ランドクルーザー」の名は意外に古く、1954年6月からです。

B型エンジンのスペックは、「1955年式トヨタBJ型ジープ」のものとして発見することができたので、以下に載せます。(GAZOO名車館・「名車列伝」より引用)
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=8160

種 類:ガソリン 4サイクル
冷却方式:水冷
シリンダー配置:直列
気筒数:6
バルブ形式:OHV
排気量(cc):3386
最高出力(PS/rpm):85/3200
最大トルク(kgm/rpm):27.0/2000
燃料供給装置:キャブレター
キャブレター数:1
過給装置:─

BH型パトロールとBJ型ジープではシャシは異なりますが、前期のように変速機(4速MT・フロア)と6.00-16のタイヤは一致しているようです。
つまるところ、当時のパトカーは、「乗用車」よりも「軍用車両」に近かった、ということが言えるのかもしれません。
私もそうでしたが、BH26/FH26はエンジンは違うものの、シャシとボディはクラウンだと思っている方は多いと思うので、シャシも違うというのは大きなポイントかと思います。
エンジンルームの延長


ベースとなったキットは、アリイの1/32・トヨペットクラウンRS(1955)です。
一応、せっかく発売されているパトカー仕様を買って来ました。
最大のポイントはエンジンルームの延長。どこで切断するか、と思っていたのですが、結局フロントのホイルアーチが終わったところしか切るところはありませんでした。シャシがBHR型から継承されているということは、ホイルベースをクラウンのRS型シャシと比較しても仕方がないのですが、結果的にホイルベースはRSクラウンとほぼ同じと考え、フロントオーバーハングだけを延長しています。

延長したのは10mmで、スケール寸法では32cmにもなります。
実際にはこれほど長くないのかもしれませんが、写真で見る限りノーズの長大感が大変にインパクトがあるので、これを少々オーバーに表現することにしました。
アリイ/エブロともに、RSはキャビン部分を含めて随分と寸詰まりに表現されているように感じるのですが、気のせいでしょうか。この寸詰まりRSの「ダルマクラウン」のような印象から脱皮させるには、思い切ってノーズを長くする必要があるような気がしたのです。

車高を上げる


エンジンルームとシャシをともに延長して、シャシ上にボディを載せてみると、どうもプロポーションがおかしい。車高が低すぎて、タイヤがホイルアーチに潜り込んでしまいます。
どうも旧エルエスのこのキットは、最初ゼンマイかプルバック動力付きか何かで設計されているようで、動力をオミットした後のプラ製後車軸が裏板の中側(ボディ側)を通るようになっています。これでは、裏板の厚み+車軸の太さの分だけ、車高が低くなってしまうのは当然。
本来はシャシフレーム下にリーフリジッドがあり、さらにその下にアクスルがあるわけですから。
スクラップになっていた、3.7cm対空機関砲(FLAK37)のリンバー(台車)のリーフリジッドを移植して、そこに金属車軸を通しました。前車軸も同様です。
本当はH型・S型シャシの半楕円リーフリジッドはもっと長さ(スパン)があって、ダッジ・スリークォーター(3/4トン・ウエポンズキャリア)からでも借りてくればいのですが、さすがにこんなことのために別キットをツブせないので、ごまかしました。

※全く話は脱線しますが、「神奈川県警察史」下巻・1184ページ「警察車両並びに舟艇数比較表」中の「昭和34年12月31日現在」の項に、「ウエボンキャリア22輌」という記述があるのです。明らかに米軍貸与(または払い下げ)のダッジ・スリークォーター(3/4トン・トラック)WC51だと思うのですが、この場合塗色は@オリーブドラブのまま A警察グレー B白黒 C白一色 のどれだったのでしょうか。

細部とマーキング


エンジンルーム延長と車高調整を済ませたものの、それでもまだ何か印象が違う。
きっとエンジンフードのふくらみが足りないのでしょう。
最初は、B型エンジン、F型エンジンともにクラウンのR型エンジンよりも高さがあって、それを収容するためにエンジンフードを盛り上げたのかと思ったのですが、どうやら単にクラウンとしてもアリイのキットのふくらみが足りないのではないかと思い至りました。(それと、ヒゲ塗装を高く塗りすぎたようです。)

ラジエータ・グリルは、プラ板を積層してアンコを作り、その上にエバーグリーン・スケールモデルズのプラ棒(ストリップ・スチレン)を並べて接着してあります。
ボディサイドのルーバーは実際にピンバイスとモーターツールで開口しました。写真では2個のものと3個のものがありますが、この理由は不明。2個がBH26で、3個がFH26だったりするとわかりやすいのですが、おそらくそれほど単純なことではないでしょう。この側面ルーバーとラジエータグリルの意匠は、1949年式ぐらいのビュィックに酷似しています。「クラウン」には無い要素です。(側面ルーバーは、B/F型エンジンのための放熱孔かと思うのですが、ビュィックでは1952年ぐらいからはただの飾りになっているようで、トヨタパトロールで実際に開口されていたかどうかは良くわかりません。)

ヘッドライトレンズの裏にボディ取り付け用のピンがあるのですが、完成後にこれが変に目立っています。削り取っておけば良かった。

モーターサイレンと、屋根上の点滅灯(回転灯ではありません)は、キットのものが使える!! 特にモーターサイレンは実車写真のものと良く似ていて、キットの企画者は少なくとも「トヨタパトロール」の実車写真に接しているのではないか、と思わせます。
キットにはこの点滅灯の他に回転式レッドビーコンも、赤クリアパーツで入っています。ただしインストラクション上で回転灯を屋根の中心に付けるように指示しているのは全くいい加減。この後のFS20型でもかなりフロントウインドウ寄りに付きます。どっちみちフィクション・モデルなので仕方がないですか。
(アリイ1/32には、この他にもS40系プリンスグロリアと、P311系ブルーバードのパトカー・キットがあります。グロリアPCは実在したらしいとのことですが、さすがに55馬力エンジン(110馬力F型の半分)のブルーバードPCは実在しないでしょう。)
 


フロントウインド直前のエンジンルーム上左右の縦長の物体は、当初バックミラーかと思いましたが、どうやら方向指示器のようで、クラウンではピラーに内蔵されているものをわざわざ移設して来ているようです。
「関東自動車工業」のサイト内にあったBFR型パトロールカーが、方向指示器をフロントウインドウ横に付けていることから見ても、これは方向指示器だと判断しました。
完成して写真に取って見ると方向指示器がこれまた長すぎる!! 人間の目というのはおかしなもので、印象の強いものを大きく感じるのかもしれません。

バックミラーはフェンダー上には見当たらず、運転席横のドアミラー位置(三角窓の直前)に付いているように見えるので、キットのフェンダーミラーのパーツを利用し、助手席側も含めて取り付けました。

ボディ側面のエンブレムは「Toyota Patrol」と書いてあるようなので、アルミテープの細切りの上に筆でチョコチョコ書きをしました。

無線アンテナを付けているように見える写真があったので(例えば三推社・講談社『パトカーデラックス』(2002年旧版)68P下の写真)、ルーフ上のFS20型に準じた位置に付けました。
金型が荒れていて、ウインドウ・パーツの透明度が落ちて来ています。サボらずに少し磨くべきでした。

マーキングはやっぱり「警視廳」に


写真の中には、リアに「2号」という表示をつけた愛知県警らしき車両もありますが、やはりここは旧字体の「警視廳」を選びました。このマーキングのパトカーを1台は作りたかったのです。

少し時代が下った時期の「警視庁」ロゴタイプに「廳」の字だけを差し替え、若干調整しました。一応画像として以下にアップしておきますので、もし作られる、という方はご利用ください。ただしこの時代の正確なロゴタイプ再現、というわけではありませんので念のため。そもそも統一されたロゴタイプが存在したかどうかもわかりません。

フロントナンバープレートは、「警視廳」の車両ではバンパー上ではなくてラジエータグリル上に付けているようですが、せっかく作ったグリルを隠すのがもったいなくて、バンパー上に付けてしまいました。キットのパーツのままでは厚さが目立ってしまい、薄く削れば良かったと反省。この頃は「品川」「足立」などの登録地の表記がなく、ただ「8」ナンバーになっています。「た0023」は実在しますが、この車両はサイドのルーバーが3個ではなくて2個です。

パトカーが日本にはじめて登場した当時は白一色で、昭和30年に白と黒の2色で全国統一されたとのことで、このBH26〜FH26が「統一」後初めてと言える導入車種なのではないでしょうか。既にボンネット上に「ヒゲ」塗装が確立されているのが面白いところです。

出来上がった姿を見ていても、やはりこの顔の実車を見た、という明確な記憶はありません。FS20型の導入後にも使われ続けているので、見ている機会もあるはずなのですが…。
それとあらためて思い至ったのですが、この頃の劇中車(映画・TV)には何が使われていたのでしょう。「トヨタパトロール」は警察仕様ですから、撮影用に調達できるとも思えず、劇中車としてクラウンRSのパトカーがあったりするのではないか、と考えるわけなのです。(昭和34(1959)年4月の「皇太子御成婚」から、TVの普及が進んで行きました。)

ニチモ1/22.5の古いパトカーのキットがあって、15,000円ぐらいまでなら買ってもいいか、なんて思っていたのですが、このアリイのキットを作ったら、これで満足してしまいました。
今回の製作費用は、アリイキットの定価600円のみ。本来なら資料収集にお金がかかるはずなのですが、かからずにすんでしまいました。
不思議なことに昭和30年代のキットを作っているような錯覚に襲われます。次はなんとかアリイキットをFS20型に改造できないか、考えています。
 


※写真出典(私のところへの到着順・ご提供に感謝いたします。)

◆尼崎市政要覧・1960年(「inomamo」さんご提供)
◆別冊一億人の昭和史『昭和自動車史』毎日新聞社・昭和54年(1979年)発行(「inomamo」さん/「だっと」さんご提供)
◆二玄社・CAR GRAPHIC LIBRARY『世界の自動車−33「トヨタ」』五十嵐平達著
1972年初版(「だっと」さんご提供)
◆企画室ネコ(現ネコ・パブリッシング)『月刊スクランブルカーマガジン』
(現カーマガジン)1987年6月号(「だっと」さんご提供)


※愛知県警のサイト上に面白い記述があったので引用します。
◆警察なるほどQ&A警察の乗り物
 http://www.pref.aichi.jp/police/comm-m/qa-m/qa07.html

『Q62 パトカーのはじまりはいつですか。
A パトカーは、昭和25年6月にアメリカ軍からオープンカーをゆずり受けて初めて登場しました。(以下略)』

『Q63 パトカーは、なぜ白と黒なのですか。
A パトカーが日本に初めて登場した当時は、日本で生産される自動車の色は白色がほとんどで、パトカーも白一色だとちょっと見ただけではパトカーと一般の自動車との見分けがつきませんでした。
そこで、パトカーであることが一目で分かるようにするために、白色ボディの下半分をその反対色の黒色にぬりました。これが、パトカーを白と黒の二色にしたはじまりで、昭和30年には全国的に統一されました。』
 


昭和29(1954)年7月1日の新警察法の施行により、警視庁が新発足。三多摩地区が併合されたことによって「第八方面本部」が設けられ、新しい看板をかけているところ。(『警視庁百年の歩み』325ページ。)「庁」が「廳」になっています。
ただしFS20系トヨタパトロールの時代にはもう「廳」ではなく「庁が使われているようで、「廳」の字がパトカーに使われている期間はそれほど長くないことになります。(1950年のパトカー導入から約9年、1955年の白黒全国統一後は約4年程度でしょうか。)


「民主警察」「自治体警察」を指向した昭和23(1948)年3月7日の警察法(戦後・旧警察法)では、市および人口5,000人以上の町村には自治体警察を置くことになったため、八王子市ほか4市警察と、東京都国家地方警察立川地区署ほか15署は「警視廳」とは別組織で、「警視廳」は東京都の警察機構のうち、自治体警察として23区部を管轄しており、昭和29(1954)年7月1日にこれが統合されて、新警視庁になった、というわけなのです。
自治体警察時代には「横浜市警」「横須賀市警」などというものが実際にあり、神奈川県警の場合、統合直後には無線の周波数帯域が県警と旧市警で違う、といった現象もあったようです。

翌年昭和30年での「パトカーの白黒への統一」は、こうした新警察制度との関連もあるかもしれません。
愛知県警のサイト中の記述にある、『パトカーは、昭和25年6月にアメリカ軍からオープンカーをゆずり受けて初めて登場』は、当初「愛知県警でのはじめて」かとも思ったのですが、『警視庁百年の歩み』にも『昭和25年6月1日警ら課に初めてパトカー3台が配置され警ら活動にあたった』との記述があり(ただしこの説明横の写真に写っているのは米軍供与車ではなくニッサン180改)、「日本で初」が昭和25年6月のようです。


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