インパラへの郷愁─Chevrolet Impala 1959






手元に残った「インパラ」と「オールズ」


わが国で最初に発売されたダイキャスト・ミニカーは、1959年10月発売の、「モデルペットNo.1・トヨペットクラウン・デラックス」(RS21型)ということになっています。
1961年11月にはNo.12のRS31型クラウンに金型変更されましたから、生産・販売期間は約2年間でした。私はこのモデルを買ってもらって持っていましたので、最低でもそれから43年経っていることになります。

もちろん、43年間、ミニカーを集め続けていたわけではなくて、いくつかの波があります。中学生ぐらいからミニカーには疎遠になり、次にダイキャストミニカーに再会したのは、既にクルマの免許を持つ年齢になってからでした。ご多分にもれず、戦車模型など作っていましたので、「シンセイ・ミニパワー」の、精密感と重量感に溢れるダイキャスト・モデル(建設機械)にびっくり仰天したのです。

この時点で私は、小学生の頃に買ってもらった、国産と一部輸入品のミニカーを専門店に売却して、新しいミニカーを買う資金にしようと考えたのです。いまにしてみれば、惜しいモデルも含まれていました。大盛屋のクラウン/セドリック/グロリア、フリクションシリーズのノーマルのシボレー・インパラ(赤白)/フォード・ファルコン(緑)など。しかし初期ミクロペット・フリクションシリーズは既にハゲチョロでしたし、当時の小学生が箱なんてとっておくわけがありませんから、まぁ一生の不覚、というほどのことはありません。しかし不思議なもので、売却したのは乗用車系統のみ、緊急車/商用車/特装車などはほぼ手元に残ったのです。この中には、モデルペットのマスターライン救急車、これからご紹介するコーギーのシボレー・インパラ・ファイアチーフ、オールズモビル・スーパー88のシェリフカーなどが含まれます。

コーギーの「インパラ」は1959年式で、大盛屋ミクロペットにも同じモデルがあります。このフルサイズ・アメリカ車の「権化」のようなクルマは、そそり立ったテールフィンや、「インパラ」という変わった、それでいて一度聞いたら忘れない名前とフロントマスクとともに、強烈な印象となって私の脳裏に刻まれました。

この頃の「インパラ」はシボレーの最上級車種で、毎年モデルチェンジをしていたようです。レベルの1/64ダイキャスト・シリーズで、58年・59年・61年・63年・64年式が揃います。そして私にとっての「インパラ」はあくまで「1959年式」なのです。それはもちろん、コーギーとミクロペットがモデル化したのが59年式だったからです。私にとっての外国車ノスタルジーの原点である、この「1959年式シボレー・インパラ」と、「オールズモビル」について少しお話ししましょう。

インパラたち


現在わが家に集うインパラたち。

◆大盛屋ミクロペット・フリクションシリーズ・F-10「ハイウェイパトロール」
◆コーギー・439-A3「ファイアチーフ」(シールが丸型になる3rdモデル)

そして、「アメリカン・ポリス」のページでもご紹介している
◆コーギー・223-A2「ハイウェイ・パトロール」
◆コーギー・481-A1「ステート・パトロール」(箱の上の白/黒塗り分けのモデル)

この他にもコーギーにはノーマルのセダン(新・旧金型の2種)、タクシー(2種)、それに新金型のファイアチーフがありますが、とりあえず「ポリス」についてはコンプリートしているはずです。

この4台が集うには、実は40年かかっています。ファイアチーフは子供の頃から持っているもの、223番のポリスは20年以上前に横浜・元町「サンセット」さんの旧店舗時代に買ったもの、481番とミクロペットは最近入手したものです。私にとっての「インパラ・トラウマ」の根の深さが知れようというものです。どうやら別のジャンルに興味が移っていったん忘れかけても、また関心が戻って来てしまうようです。

本物のインパラとの出会い


そして先日、思いがけず、59年式インパラの実車に出会ったのです。「クラウンとの再会」のページで書きましたが、東京臨海副都心「ビーナス・フォート」2階の「ヒストリー・ガレージ」の少し暗い空間に、「彼女」は静かにたたずんでいました。別に長い間探していた、というわけではないのですが、「何だ、こんなところにいたのか。」と思ってしまったのは言うまでもありません。

2ドアのハードトップですが、その大きいことといったらこの上ないのです。こんなものを入れられる駐車スペースはわが国では確保できないでしょう。
それでいて、前後のベンチシートの間のピッチは恐ろしく狭いのです。長い長い間、コーギーとミクロペットの小さなミニカーによって形作られていた印象は、一挙に「原寸大」に膨らみました。そういえば、以前にグンゼ(現GSIクレオス)から出たプラモデルを作った時は、1/32とは信じられないぐらい大きかったのを思い出します。

再会のミクロペット


ミクロペット初期のフリクションシリーズ、品番「F-10」、発売は1961年10月です。「F-9」番のノーマルの59年式インパラをポリスカー仕様にしたものです。4ドア車になっています。白/黒塗り分けですが、なかなか面白い塗り分け方です。43年の歳月で、白塗装部分はかなりアメ色になってきています。

ドアサイドのシールのポリス・エンブレムは明らかに架空のものです。16芒星の中にハイウェイの頭文字である「H」型の盾、その中に「HIGHWAY PATROL」、盾の上に「鷲」のような鳥が乗っています。これはこれでデザインに苦労しているようです。ハイウェイ・パトロールはつまり州警察ですから、特定の州のものに似ないように敢えて作ったデザインなのでしょう。

箱は、ティントーイのものを彷彿とさせます。箱の上には日本語がひとつもありません。そして「フレンド・エンゼル」のシンボルマークの周囲に「TAISEIYA TOKYO」とあるだけで、「JAPAN」の文字もありません。

車体後部のアンテナは極めて柔らかい樹脂で、現在でも弾性を保っています。コーギーやディンキーのポリスカーのアンテナは折れてしまっているものが多いですが、それらよりも柔らかい樹脂を使ったために、現在でも残っているのだと思います。

インパラのポリスカーが実在するか、という点ですが、1959年式に限定しなければ、(少ないとは言え)使われた実績はあるようです。ただし、もともとインパラは、GMのシボレー・デイビジョンの「ベルエア」をベースに上級クラスを狙ったもので、基本装備はベルエアと共通のところから出発しました。59年式については、「フィンド・B-ボディ」という、シボレー・ディビジョンの共通ボディ・共通プラットフォームを使っているため、下級グレードの「ビスケイン」などと驚くほどスタイルが似ています。ポリスカー用は、エンジン/トランスミッションについて市販車とは別のものが装備される「ポリス・パッケージ」という仕様で、それも「ハイウェイ・パースート」「アーバン・パースート/クルージング/パトロール」など59年パッケージで7段階に分けられています。「パースート・pursuit」というのは「追跡・追撃」です。「ビスケイン」市販車では、ハイウェイで追跡しきれないわけです。一見59年式インパラのポリスに見えるクルマが、実は下級グレードのビスケイン、内容はポリスパッケージ、ということがあり得るわけです。これは「クラウン」と「トヨタ・パトロール」の関係に似ています。

ミクロペット、コーギーともに屋根上の警光灯がありませんが、これは現在でもハイウェイ・パトロールのパースートにはあり得ることなのです。2ドア車も使われます。これは4ドア車よりもボディ剛性が強いためです。

1/52スケールの謎


フリクションシリーズのインパラはスケール1/52の表示、フェニックスシリーズになると、(同一金型なのに)1/50表示になるということです。しかしフリクションシリーズに限って言えば、裏板にも箱にもスケール表示はありません。

中島登著『1955-1998国産ミニカーマニュアル』(グリーンアロー出版社)47ページの「フォードファルコン」の項に、『縮尺がやはり1/50に変更されているが、フルサイズのビュィックやシボレーと比べてみるとどうもこの数字は怪しい。』という記述があります。

このスケール表示をチェックしてみましょう。実車の「フィンド・B-ボディ」(1959年式ビスケイン・4ドア)は、ホイルベース119.0インチ、全長210.9インチ、全幅79.9インチ。これをセンチに直すと、全長535.686cm、全幅202.946cmになります。ミクロペットは全長10.4cmなので、1/51.5、全幅では4.1cmなので1/49です。1/50・1/52表示のどちらも間違いでない、ビミョーな数字と言えるでしょう。
おそらく輸出市場のことも考慮し、フェニックスシリーズの他のモデルが1/40であることとの関係もあって、半端な1/52という表示を避け、1/50という表示にしたものと思われます。
一方でコーギーは、全長10.5cmで1/51、全幅4.2cmで1/48.3でした。

実車のスペックは、「Chevrolet Police Cars by Edwin J. Sanow, Krause Publications,1997」によります。
1インチは2.54cmです。

裏板は「MINICA PHENIX」


裏板には車名も、「MADE IN JAPAN」の刻印もなく、ただ「MINICA PHENIX」とだけあります。通常のフリクションシリーズは、「MICROPET」になっていますので、
(画像下段はダットサン・ライトバン)これは非常に奇妙なことです。

このインパラの金型は「PHE-5」番として、「チェリカ・フェニックスシリーズ」でも継続生産されました。フリクション・モーターを取り、シートとサスペンションを付けたわけです。「フリクション版」と「フェニックス版」は同時生産がされたらしく、「CHERICA PHENIX」の裏板を付けたフリクションモデルがある、と『ミニチュアカー考古学』には書かれていますが、「MINICA PHENIX」については触れられていません。
しかし「フリクションシリーズ」と「チェリカ・フェニックスシリーズ」で裏板を共用すると言っても、ボディそのものが同一とは言え、フリクションを固定するための加工と、サスペンションを固定するための加工とは違うはずで、そうそう裏板のパーツ在庫を融通し合っていたとも考えにくいのです。特にフリクションの「はずみ車」のカバーにあたる部分は大きく下面に出っ張っていて、動力部を固定するためのツメの入る穴とともに裏板加工をしないと、フェニックスシリーズの裏板はそのままでは使えません。加工するには、プレスが二度手間になってしまいます。

想像するに、「チェリカ・フェニックスシリーズ」の立ち上げ以前に、「MINICA PHENIX」というブランドを輸出用に使っていたのではないでしょうか。

手元に、「ジャパン・ミニチュア・コレクター・クラブ」発行・『コレクター』誌・第37号(昭和38年(1963年)3月1日発行)があるのですが、巻頭にメーカー各社と同誌監修者との「座談界」が掲載されており、大盛屋酒井通玩具株式会社・酒井康友氏の写真が掲載されています。創業社長は忠次郎氏、二代目社長は通雄氏で、康友氏というのはおそらく同族の役員の方でしょう。
そして、『コレクターとしては、フリクションは要らない』という司会者の指摘に対して、『私ども輸出を少しやりますけれども、外人、とくにアメリカ人なんかは、フリクションを喜ぶんです』という興味ある発言をされています。

「フリクション・モーター」というのは、「はずみ車」が付いていて、進行方向に「ブーン・ブーン・ブーン」と勢いをつけると自走する装置です。電池は使いません。チョロQの前の世代の動力装置だと思ってください。昔はブリキトーイなどにも皆これが付いていました。

ミクロペットのインパラはコーギーのコピーか??


ネコ・パブリッシング『国産ミニチュアカー考古学』新版102ページに、『別の企画者は初期のミニチュアカーが輸入品のコピーではないかと指摘されたことに立腹し、それなら他社にないスケールにと1/40スケールに決めた。』という記述があります。そしてこの話から私が真っ先に思い浮かぶのが、ミクロペットとコーギーのインパラの関係なのです。確かにマルサンは、随分たくさんディンキーのコピーモデルを作りました。はたしてミクロペットのインパラはコーギーのコピーなんでしょうか。

まず時期の関係を見ましょう。コーギーは223番の「ポリス」のリリースが最も早く、1959年12月、次いで220番のセダンが1960年1月、221番のタクシーが1960年6月、439番のファイアチーフは1963年1月になります。一方で、ミクロペットはノーマルのセダンの方が早く1961年8月、ハイウェイパトロールは前述のように1961年10月になります。製品が発売されるまでには、企画・設計・原型製作・金型製作・テストショット、というプロセスが必要ですが、59年12月のコーギーのインパラ発売から、ミクロペットのインパラ(セダン)発売までは1年8か月ありますので、コピーまたは参考にするだけの期間はあったことになります。
(コーギー製品の発売年次は、「Corgi Toys by Dr. Edward Force, Schiffer Publishing, 1997」によります。)

次にモデルそのものを比較してみましょう。一番右の白ボディはコーギーでも新金型ですから、一番左のミクロペットと、真ん中のコーギー1stモデルを比べてください。
全長でミクロペットはわずかに小さいこと、全高でもルーフが低いことがわかります。したがって、少なくともコーギー製品を雄型にしてそのまま複製したようなものではないことがわかります。

やはりコーギーは「参考」にしているのでは…


しかし、各部の処理の仕方がやはりかなり似ているんですね。何万キロも離れた日本とイギリスに別の技術者がいて、同じ「シボレーインパラ」をモデルにしようと考えた時、「偶然に」これほど大きさや処理、つまり三次元形状の解釈が似て来るかというと、やっぱりそれはないんじゃないかな、と思います。(「クラウンとの再会」のページでご紹介した、40系クラウンの形状解釈が、モデルペットと大盛屋でかなり違うのをご覧ください。)大盛屋はそれまで国産車だけをモデル化していて、このインパラが最初の外国車・アメリカ車でしたから、やはり何らかの形でコーギーのインパラを参考にしたのだと、私は思います。コーギーの「ステート・パートロール」エンブレムに、ミクロペットと同じような「鷲」が乗っているのも気になります。そもそも、アンテナの長さ・取り付け位置まで同じですし…。

そしてフェニックスシリーズで外国車をたくさんラインに加え、輸出を伸ばすための下地にしたのではないでしょうか。だっていくら輸出をしたくても、スバル360のモデルではアメリカで売れないでしょうから…。ほぼ同時期に発売されている「フォード・ファルコン」の方は、コピーの対象となるような製品が思い浮かびませんから、当然オリジナルを企画・生産できる技術を大盛屋は持っていたわけです。フェニックスシリーズの特徴になった「下地メッキ」という手法を大盛屋で最初に採用したのも、このインパラです。

それにしても、59年式インパラを1959年中に発売しているコーギーはさすがです。
ミクロペットは61年。これをアメリカに売りに行っても、もう米本国では61年式インパラが走っていたことでしょう。これは結構ツラい話です。

追記(2004.4.27)


また「インパラ」を買ってしまいました。「ミクロペット・フリクション」のノーマルセダンで、「フリクション」としてはまずまずのお値段だったためです。大昔に持っていた下半分赤のモデルより、このターコイズブルーの方が良いです。このモデルのフリクションを取り、シートを入れた「フェニックス」シリーズのモデルも見かけましたが、こちらは高かったのでパス。やっぱり少しぐらい状態が悪くても、安いにこしたことはありません。

少し以前の雑誌を見ていたら、以下の記述を見つけました。
ネコ・パブリッシング『モデル・カーズ』2001年3月号『戦後ティン・トイ小史 ブリキ自動車の思い出』27P、テキストは朝田隆也氏。
どうやら大盛屋がコーギーのインパラをコピーしたのは事実のようです。

上記のように実車スペックとの比較では、コーギー/大盛屋ともに約1/50で、『コーギー1/43、大盛屋1/40』という記述や、『複製すると一回り大きくなる』という記述には納得できない部分がありますが、少なくともこういう「事件」があった、という点を伝える貴重な証言であると思います。
それにしても、それまで国産車のオリジナル金型をたくさん作っていた大盛屋が、なんでまた突然コピーなどしたのでしょう。何かの「焦り」だったのでしょうか。


『現在、原因を作った2社が共に廃業して存在せず、“時効”でもある為、ここで初めて“何故ダイヤペットがS=1/40を採用したのか”、その原因の一つと考えられる史実を公表させていただく。これはそもそも、アサヒ玩具と大盛屋酒井の問題なのである(1963〜64年頃)。

アサヒ玩具がコーギー製モデルの輸入の為、コーギー・トーイと契約を結んだ同時期に大盛屋がシボレー・インパラのモデルを市販してしまい、これが元で海賊版問題に発展してしまったのが最初である。初の海外メーカーとの契約でピリピリしていたアサヒ玩具の方が先に騒ぎ出し、担当のSさんから私(朝田隆也氏)の家まで電話をかけてきた。大盛屋がコーギー製のシボレー・インパラ(S=1/43)から型を取ったのは事実のようであるが、Sさんの話を聞くと、私が「売っても大丈夫」と云った為、大盛屋が市販したのだと騒ぎ立てる。私(朝田隆也氏)は大盛屋の社長でも何でも無い、ただのマニアなのだから、お世辞でも「売れるでしょう」というのは当たり前の話。それを曲解されたらしい。ところで実際にコーギーのモデルから型を取ったのなら一回り大きくなるはずだ。大盛屋で型を調べると、やはり一回り大きく、約1/40スケールになっていた。そこで大盛屋の酒井社長と相談の上、“大盛屋のモデルはアンチモニー製、スケールはS=1/40”と云う事で騒ぎは収まったが、これが元で大盛屋のアンチモニー製モデルは皆、S=1/40となった。これを引き継いだのが米澤玩具。現在はアサヒ玩具も大盛屋酒井も廃業して業界には居ない。この出来事が全てではないと思うが、ダイヤペットが1/40というスケールになった最初の原因の一つである事は事実である。』

インド製ステートパトロール発見!! (2004.6.10)


2004年2月11日に、この「インパラへの郷愁」のページをアップした際に、インド製・マクスウェルの「シボレー・インパラ・ハイウェイ・パトロール」の「捜索宣言」をしました。
その後国内のネットオークション上で、マクスウェルのノーマルのインパラ(メタリックレッド)1台を発見。塗装のあまりの派手さに気おくれして、これは未購入。
海外のネットオークション上で「Maxwell India」で検索をかけるのですが、バスモデルなど数点はヒットするものの、ハイウェイパトロールはおろかインパラそのものが見つからない日々が続きました。

ところが!! このページをご覧になった方から、『サンセットさんのネット通販サイト上に出ている』というご連絡をご親切にもいただきまして、かくしてようやくインド製・インパラ・ステートパトロールを入手することになったのです。
(この場を借りて、あらためてお礼申し上げます。)

入手したのは、インド製・ミルトン・ミニオートカーズ#305「シボレー・ステートパトロール」。まぎれもなく、ネコ・パブリッシング(Model Cars Special Issue)『ビンテージ・ミニカー』(2004年1月31日発行)140Pに掲載のモデルです。

『ビンテージ・ミニカー』誌の記述に誤り!!


ただしここで重大な事実が発見されました。『ビンテージ・ミニカー』140Pでは、
左上の「ハイウェイパトロール」と右下の赤いノーマル・インパラの説明のうち、
「MAXWELL MINI #558 102mm」と「MORGAN MILTON #305 104mm」の記述が入れ替わってしまっており、「ハイウェイパトロール」は実は「マクスウェル」ではなくて
「ミルトン」の製品だったのです。これでは「マクスウェル」でいくら検索してもお目当てのポリスカーはヒットするはずがありません。

よくよく画像を見れば、ミルトンのパッケージそのものである箱には「#305」の品番が写っており、金型も右側の赤いポリスカーやタクシーと全く同一です。当初私は、同じインドのメーカー同士で、マクスウェルとミルトン間に金型のやりとりがあったのかと考えていました。(例えばヨネザワとアガツマの関係のように。)しかし同じインパラでもマクスウェルとミルトンの金型は、どうやら別もののようです。

「ミルトン」というのはブランド名というよりは社名で、「MINI AUTOC ARS」がブランド名のようです。コーポレート・シグネチュアは、「MORGAN MILTON PVT. LTD.CALCUTTA 16」となっています。インドの商業法人制度なんてわからないですが、シンガポール/香港などでは「プライベート・リミテッド」(Private Limited/Pvt. Ltd.)は最も標準的な会社形態だということで、同じ英連邦系法制度のインドでもそうなのでしょう。

ミルトンのパッケージに書かれている商品名は「CHEVORET "STATEPATROL"」で、『ビンテージ・ミニカー』に記載されている「CHEVORET IMPALA "HIGHWAY PATROL"」ではありません。これはライターの思い込みよる、ミルトン側商品名との不一致なのか、ミルトンが出荷リストやカタログ上などで「CHEVORET IMPALA"HIGHWAY PATROL"」という名称を使っているからなのかわかりませんが、間違えられたマクスウェルでも「CHEVORET IMPALA "HIGHWAY PATROL"」というバリエーションモデルを作っているのではないか、と疑わせます。この点は継続調査事項です。ひょっとすると、アルゼンチンのブービートイズなどにもインパラのポリスがあるかもしれません。

ミルトンのパッケージには「インパラ」の車名の記載がひとつもないので、共通ボディを使っていた59年式ビスケインのポリス・パッケージのつもりか?? などと思ったのは考えすぎで、ミニカー裏板はやっぱり「IMPALA」になってました。

中島登著『ミニカーコレクション』(二見書房・1980年)の写真ページ96P、リストページ212Pに、ステートパトロールではありませんが、同じインパラのタクシーが掲載されており、1967年発売、日本に輸入、品番#306との記述があります。ただしスケールの「1/43」は、コーギーとほぼ同サイズであることを考えると正確な表現ではないことになります。(以前に書いたように約1/50。)
ステートパトロールが#305、タクシーが#306という連続品番であることを考えると、発売時期はほぼ同じ、ステートパトロールも1967年頃の発売と推測されます。生産期間は不明ですが、70年代中頃まで生産されていても不思議ではありません。

確かにコーギーに酷似


ご覧のように、ミルトン(画像上)の黒1色の塗装と、ドアサイドの「STATE PATROL」エンブレムはコーギーのファーストモデル(画像下・1959年12月〜1965年の生産・品番223)にそっくり。せめてシールぐらい違うものを印刷すればいいのに。ただしコーギーや大盛屋には見られないプラスチック製のホイルを履いています。
大変に面白いのは、コーギーが左ハンドルなのに対して、ミルトンはイギリス式の右ハンドルを採用している点です。(大盛屋はフリクション内蔵なので、シート/ハンドルは付いてません。)
もうひとつ、コーギーとの類似点としては、アンテナパーツを保護するための、紙製のパッキンが付属している点です。大盛屋にはたぶんこの紙パッキンは付いていなかったのではないかと推測されるので、その分ミクロペットは他社よりアンテナの素材が柔らかいのかもしれません。

しかしミルトンは大盛屋のコピーでは??


では本当にミルトンはコーギーのコピーなんでしょうか??
インドの「ニッキートーイ」がイギリス・ディンキーとライセンス契約をしていて、「インド・ディンキー」と呼ばれたという話や、アメリカのステートパトロールまで右ハンドルにしてしまうというイギリスの影響力の強さから言って、インド→イギリス→コーギー/ディンキーという推測がされるのはある意味当然なのですが、私が現物を見た印象はちょっと違います。

画像は、左から大盛屋、ミルトン(インド)、コーギー(1st)、コーギー(2nd)の順です。
左2台が似ていて、右2台が似ていませんか??  (ただし右2台は両方コーギーなので、似ているのは当然です。)
先ほどの『ビンテージミニカー』の記述で入れ替わっていた、という全長の表記が、
ミルトン102mm、マクスウェル104mmになっている点は重要です。

つまり、コーギー(1st/2nd)+マクスウェルのグループに対して、ミルトンと大盛屋がわずかに小さいのです。
加えて、テールフィンの後先端の尖り方、上から見た時のテールフィンの裾の拡がり方、ボディ全体に対するルーフの位置などが、大盛屋とミルトンで大変類似性があります。コーギーは当時でも日本・インドより進んでいたと考えられる玩具の安全基準上の問題から、テールフィンの先端を丸めているのではないでしょうか。ミルトンは、コーギーではなく、大盛屋をコピーしているのではないか、というのが今回の私の仮説です。

フロントマスクをじっくりご覧ください


原型をコピーした後のディテールの修正という程度ならともかく、コーギー(1st)をそのまま複製してもこうはならないと思うのです。
(もう1点補足すれば大盛屋も、上記朝田隆也氏の記述にあるような、コーギー1stを原型にした他なる複製ではないことになります。)
「コーギーのコピー」を疑われている大盛屋・ミルトンともにコーギーとはちょっと違い、大盛屋とミルトンの間が最も似ている、という皮肉な結果になりました。

この4台を並べてみる限り、日本・インドでイギリスに対抗しているという、チャンドラ・ポースのような結論が見えて来ます。

この4台が集合するのは結構珍しいかも。


私の買っていないマクスウェル製のインパラはは、『ビンテージ・ミニカー』の記述によれば、ボディが上下分割されているということです。上下分割と言えばコーギーのセカンドモデル(品番481・1965年8月〜1969年の生産)が該当します。(コーギーの2ndモデルは、ボディ上下の間に、フロントグリル/サイドモールなどが一体になったメッキ・プラのパーツをはさみ込んでいます。)
コーギー2ndの発売年次は1965年で、ミルトンの1967年頃と似たりよったりですが、マクスウェルはコーギーのセカンドモデルの影響を受けているのではないでしょうか。

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