3月


3月31日 残念なことに、講演後、パソコンの調子がおかしくなり

写真がうまく取り込めなくなってしまったために

容量が一気にいっぱいになってしまいました。

この機会にブログにしようかと悪戦苦闘中。

どうしてもしっくりこなかったらまたこっちに戻ってくるかも。

とりあえず、こちら(長山さきのオランダ日記)も見てみてください。


しばらく忙しいので、ゆっくりの更新になると思います。

10年間もつづけたこのオランダ日記が名残り惜しい。

ずっと読んでくださってありがとうございました。

ではとりあえず、ブログでまた!






3月29日 きのうはみっちゃんと。
 

待ち合わせにかわいいピンクの花束をもってきてくれていて、うれしかった。

2人でおしゃべりしてから家へ。


この間、来てくれた友だちと同じように

「会いたかった〜!」と夫に叫んでいた。

夫がまた語る。

みんな夫の話が聞きたいのだ。


みっちゃんと夫と、宇宙のことから子育てまで話をしていて思ったこと。


わたしは常々、英語の基本はRとLのちがいがわかることだから

(聞きとれて、自分で発音できること)

自分は無理でも子どもにはできるようにしてあげて! と

機会があるごとに言ってきたのだが。


せっかく話の内容がよくてもRとLができないと

それだけでマイナスになってしまう。

〈オランダ語がすごくよくできる〉と紹介した友だちは

残念ながらすばらしく雄弁でもRとLができないので

息子は「発音もよくできるかどうかの一部だ」と言っていた。


元々、自分自身がRとLができなければ、

それが如何に大切なことかはわからない、

ゆえに子どもにそれを習得させることの大切さもわからないのだ、

ということに気がついた。


同様に、わたしのことを参考にしている、と言ってくれる人たちには

〈アンテナ〉の必要性について話してきたけれど、

これもアンテナを使って生きてきていない人にとっては

まったく「?」な話なのだろう。


アンテナで大切なものをキャッチできるようになる――

そんなの、RとLの習得以上に抽象的すぎる。


みっちゃんの子どもたちはまだ小さいので

その話を聞いていたら自分の子どものときを思い出した。


みっちゃんの娘のりあなはみっちゃんに怒られたり、

ぱんっと軽く叩かれるのがとても嫌で

「わたしがお母さんになったらぜったいにそんなことはしない。

ママもわたしの子どもにぜったいそんなことしないでね」と言っているそう。


8歳の子どもが自分が母親になるイメージをすでに抱いているなんて?!と

驚いたのだが、彼女はヴィジュアル化が自然とできるよう。

妖精のことを考えれば、てのひらにぽん、と妖精を出すことができるのだそうだ。


忘れていたけれど、

わたしも子どものときにはふすまがスクリーンで

寝るときにはそこに幼稚園の大好きな先生の映像を映して

見てから寝るのが習慣だった。


イマジネーションの親友がいて、いつもいっしょに遊んでいたし

器に折り紙を切った四角い紙を入れたら

それは本物の豆腐の味噌汁になった。


「そういう子どもは100人に1人らしい」とみっちゃんは言っていた。

ほんとうにそうなのかはわからないけれど、

とにかく、りあなとは前から通じるものを感じていて、

とてもしっくりする会話をすることができたのを思い出した。


アンテナをもっている(=テレパシーでなにかを実現する)人も

100人に1人なのかはわからないけれど……

とにかく、わたしにとってはとてもあたりまえな〈アンテナ〉について

ごくあたりまえに話をしていても

とてもトンチンカンだったのかもしれない。


でもみっちゃんはわたしが子育てについて話したことを

わたしが覚えている以上に心に留めてくれていたようで

さきちゃんのおかげで子育てがうまくいった、といつも言ってくれる。


そこで、きのうは〈アンテナ〉よりも具体的なアドバイスを

1つだけさせてもらった。

いつも、子どもに怒ったり、手を出してしまったりするそうなので

怒ってしまうのは仕方ないけれど

とにかく今日、帰ったら、謝って、お礼を言ってね、と。


ママが怒ってしまうのは親の遺伝、ということで

りあなも納得しているそうなのだが

それでもちゃんと言葉で

「ゴメンね、いつもイライラして怒ってしまって。

いつも色々ありがとう」と伝えられたら、

みっちゃんはもっとよくなっていくよ、と。


ほんとうに、息子は赤ちゃんのときから大人みたいな人だったし

りあなとわたしもふつうの人間どうしの会話でつながっていた。


「子どもだろうが大人だろうが、人間としての成熟度には

年齢はぜんぜん関係ないんですよ」とは夫の言葉。


わたしにとっても18歳の息子のシビアな意見は

まだまだわたしの人間的な成長を助けてくれるもの。


自分の子どもに教える、という考えではなく

学ばせてもらう、と考えられるかどうかで

その人の成長はちがってくる(これも夫)。


――ということで、〈アンテナ〉は

もっている人にとっては(わかる、わかる!)という話だし、

もってない人には話す意味のないこと、とはじめて気づいた夜でした。


みっちゃんにはまた5月に会えそうなので

いっぱいおしゃべりするのを楽しみにしていよう。


そういえば、息子はきのうは試験週間の終わりを祝って

学友の女の子の寮にお泊まり。


彼女(ガールフレンド)とはべつに男女2人ずつの仲良しグループができて

いっしょに勉強したり、楽しそう。


きちんと清潔好きに育ちすぎた息子は

たった1泊なのに、シャンプー、トリートメント、

お気に入りのボディショップのシャワージェルにスポンジまで

入れていて、「そんなの持っていったら笑われるよ!」と言っても

おかまいなしだった。


今日は彼女が家に来るとか。

若いのに、ちゃんと彼女のことも考えていて

よくやっているな、と思う。

彼にはいいものをキャッチするアンテナは

伝えることができたようだ。






3月25日 ジム後、トラムで薬局にオメプラゾールを取りに行き、スタバに寄る。
 

デッドリフトで2,5キロ×2のダンベルから5キロ×2になって4回目。

ちょっと腰に違和感があって、また悪くなるのが恐くて

元のウェイトに戻そうかと思ったのだが、

きっとできるはずだから、あと1週間、やってみて、と言われて。

今日、やってみたら、先週とはちがって

終わったあと、腰が軽く感じるようになっていた。


年齢的に体力は下降していくはずだが

筋力がアップしているので、若いときよりも逆に疲れにくくなっている。

(筋力がつくと疲れにくくなる、ということもはじめて知った。)

まだ身体的にも進歩していけるのがほんとうに楽しい。


晩ごはんは2日前から塩とオリーブオイルをすりこんでおいた

スカーデラッペンときのうからもどしておいたひよこ豆をじっくり煮て

野菜たっぷりの定番ポトフ。

明日の夜はいないので、カレーにして食べてもらえるように。


 

きのうのちらし寿司。

ていねいに料理するのは楽しい。

東京おばあちゃん(母方)ほど仲良くなかったけれど

やっぱり、打出のおばあちゃん(父方)の血も入っているなぁ、と

ちらし寿司の得意だった祖母を思い出したりした。


マテアにお寿司のお礼にもらったイースターエッグ。

でも、韓国の店で息子に買ってきたミルキーのほうが

食べたくなって、1つ、分けてもらった。






3月23日 1916年以来の寒さだそうで、

体感温度は地域によってはマイナス15℃にもなったそう。

風が切るように冷たくて、さんぽも早々、切り上げる。



 もっとパンをもっていってあげればよかった。








最近の晩ごはん。
 

息子リクエストの〈茶色いごはん〉。

近所のオランダの肉屋で薄切り肉が手に入らなくなって作っていなかったのだが

ダンクに売っているのを見つけたので、奮発。

やっぱり、おいしくてなつかしい味だった。


きのうはスモークサーモンとホワイトソースのパスタ。

夫がベシャメルソースを作ってくれて

ほんわりやさしい味になった。

 

怪しげなパスタはわたし作。

自然食の店の鶏ミンチと炒り卵の甘いパスタ。

はじめての組み合わせだけど、意外と人気でした。


今日はまたまたパンガシウスのフライ。

じゃがいもがたくさんあったので、付け合わせに。

ぱりっとしていて、とてもおいしかった。


明日はひさしぶりにちらし寿司を作ろうと思って

材料を買いそろえた。

寿司太郎ではなく具も作ります。


食事以外、特になにもないようなしずかな日々。

仕事して、家事をして、ジム行って。


相変わらずニュースが興味深い。


小学校の全国一斉試験(CITO-toets)が5〜6月に変更になり

中学進学はますます小学校の担任の評価しだいになる、というニュースにビックリ。


ギムナジウムによっては試験結果の点数によって選抜したいので

独自の入学試験をする、というところもあるよう。


そうでないところは担任の主観の入った評価をもとに選んだり、

あるいは入学をいったん許可した子どもでも

試験結果が悪ければ、入学とりやめにしたりすることになるかもしれないらしい。


ますます迷走するオランダの教育。

たしか、もっと学業優秀な子どもの実力を伸ばすことに

力を入れるはずだったんじゃなかったっけ?

優秀な人材を育てなくて大丈夫なのか、オランダの将来は?


そして、こんな状態なのに

オランダの教育がすばらしい、といまだに日本で言われているのは

いったいどうなっているんだろう?!


大学生が奨学金をもらえず貸与になるのももうすぐ。

すべて間に合って大学生になれた息子はラッキーだと思う。


生まれた年が数年ちがうだけで、

待遇がまったくちがう。

ほんとうに不公平な社会だ。

このままでは親に財力がないと、

たとえ優秀であっても借金を恐れて

高い教育を受けないことを選ぶ人が増えていきそう。


政府が目先の財政削減だけでなく

長期的展望のもとに〈教育〉を考えているとは

どうにも思いにくい昨今だ。


とりあえず、声を大にして言いたい。

オランダの教育はぜんぜんすばらしくないですから!!






3月20日 WTCランチ。
 

ひさしぶりのワガママといつものスタバ。

友だちおススメのおいしい麺と

わたしおススメのあったかシナモンロール。

おいしいものに大満足。

でも会話はそれよりももっとよいものだった。


おたがいが聞いてほしかった話の内容は

ぜんぜんちがうのだけれど、

短い時間にぎゅっと色々話せて充実していた。


愛しい友だち。

おたがい、いい方向に向かっていけますように! と思いつつ、

まだ真冬のように寒い道を歩いて

家に戻って仕事をつづけた午後でした。






3月18日 昨夜、一区切りついたので、今日はゆっくり。


(講演でパソコンを使って以来、ホームページビルダーに写真が取り込めなくなってしまい、
コピー&ペーストしてるために画像がぼやけてしまう…涙)



たまっていた手洗いの洗濯をしながら、

息子が金曜日に買ったばかりのLPから

上の真ん中の1枚を聴かせてもらった。


カール・シュターミッツのチェロ協奏曲。

(18世紀ドイツのチェコ系作曲家……はじめて知った。)

2度つづけて聴くくらい、楽しませてもらった。


レコード屋のおじさんと顔なじみになるくらい

LPをコレクションしている息子。

赤ちゃんのときから大人みたいな人だったし

いまはなんだかずっと昔(生まれる前?)の記憶があるみたいだ。




超シンプルなやることリストだったのだが、

晩ごはん作るのがめんどくさくて……

 

いつものスペックラッペンで即席塩豚を作り、

ジャガイモとマカロニを茹でて付け合わせに。

シンプルだけどとってもおいしかった。


右はコマーシャルで見て気になっていたビーフ・スキヤキスープ。

首をかしげながら飲んで、さいごまでおいしいとは思えなかった。

スキヤキ、というには甘みが足りないところが物足りない原因かな。


ちなみに、やることリストのとなりのバウンティーは

めずらしく食べたくなって買ってきて

晩ごはんのあとのデザートにした。


たまにはこんな日もあっていい。

明日はまた机に向かいます。






3月17日夜 今日はまったりと。

お昼ごはんは息子が中華街で買ってきてくれた

インスタントラーメン。

ひさしぶりにとてもおいしかった。


中華街に行くときはなぜかかならず

「なにか買ってきてほしいものある?」と声をかけてくれて

「う〜ん、特にないかな」と言うと、

「ラーメン?」と聞いて、

自分のお金でおいしいラーメンを買ってきてくれたりする。


色んな種類のお茶を飲むのが好きで

きのうは缶がかわいいからとアールグレーを買ってきて

おやつにはミルクティーを淹れてくれた。

 


「今日はMoeder-zoon dag(母と息子の日)みたいだねぇ」
「そう?」
「うん、嬉しいな。元に戻してもう1回はじめたい」

日々、批判されてばかりなので、ひさしぶりの穏やかな関係がうれしかった。


ティータイムが好きで、真夜中近くにお茶を淹れていたり

お気に入りのマグカップをとてもだいじにしていたり……

わたしにそっくり。

不思議なところが似るものだ。


Eva Jinek op zondagで

オランダで男性と女性が同じ労働をしても

男性1ユーロに対して女性は83セントしか稼げないのは

スキャンダラス! とかんかんがくがく論じられていて――


女性は全員、子どもを預けて男性と同じように働くべきだし

家のなかの労働は妻と夫がぴったり50%ずつするべき、

という意見に、まぁまぁそんなに熱くならないでも、と

ハンス・ウィーヘル(VVD)とモナ・カイザー(CDA)が

なだめ役にまわっていた。


「男性は1ユーロで女性は83セントという事実だけを論じよう」

とヒートアップして言っていたけれど

男性には出産できない、というのも事実だと思うのだが。


生まれてから数年の人間にとって大切な時期に

自分でしっかりと子どもを育てたい、という女性が

働く女性に蔑まれるのは違和感がある。

全員が同じことをする必要はない。


お金を稼ぐことだけがエラい、という社会の尺度に

たまに反対意見を唱える(自分の意志で子育てを選んでいる)人がいるけれど

肩身の狭い存在。


なぜそこまで子育てとか家事が否定されるのか。

社会(特に女性)から女性はこうあるべし! と

決めつけられるうちはまだまだ発展途上な気がする。


男性が主夫になることにもまだまだ否定的な目があるし

人間は保守的で、なかなか変わっていけない存在だ。


他人とぜんぜんちがう人生を歩いてきた者としては

みなそれぞれでいいのに、と思う。


分厚い本を訳す前も後もがんばりは同じなのに

目に見えて評価できるものがあると

他人から理解されやすくて(世間体がよくて)

なんだかラクになったのが不思議。

そして、昔も同じようにがんばっていたのに

なんでそれは認めてもらえないのか、とどこか納得できない。


まわりから理解されずに悲しかったから

形になっていなくてもがんばっている人は

応援したいな、と思う。

(ほんとうにがんばっているのと

どこかで投げやりだったり、ラクしようとしているのはちがうけど。)


晩ごはんは――
 

今日は燻製サバのパスタ。

いつもていねいに骨をとってくれる夫(他はわたしがやりました)。

右はいつかのパンガシウスのフライ風。

こちらも夫作。

いつもありがとう。


ちなみにチューリップは、

この間、おじさんにもらったバラが速攻でよれよれになったので

アルバートハインできれいなのを買ってきた。






3月17日 おひさしぶりです。

ぎゅっと色んなことの詰まった日々のあと、

ぽかんと書くことがなくなっていました。


地味に仕事や家事をしつつ、友だち主催の集まりにいったが

めずらしいくらいつまらなかった。

 

集いの前と後。

誰か1人、連れてきていいという趣旨だったのだが

その人の電車が遅れて待ちぼうけ。

この時点で行く気が半減。


遅れていったのですでにかたまって話していて

結局、主催した友だちくらいとしかまともな話ができなかった。

それなら彼女とお茶すればいいわけで

わざわざ雨のなか、行く価値はなかった。

つまらない人が友だちを連れていくら集まっても

そこにおもしろいものは生まれない。

さっさと帰って家でFlikken Maastricht、見ました。


昨夜は対照的にとても楽しいパーティーに。
 

メルセデスの友だちのカーレンの誕生日。

ジム後、スタバで時間をつぶして直接、ライツェ広場近くのお宅にうかがう。

端がキッチンの細長いリビングの中央に

大きな棚を数メートル離して2つ置き、

その間に階段を数段つけてロフト風に上がれるようにして

2畳ほどの仕事スペースにしているのがステキだった。

他にも写真を撮りたかったのだが、

ずっと喋っていて機会を逃してしまった。


あたりまえだけど、興味深い人の友だちはやっぱり興味深い。

会って10分で、この人と自分は仲間だ、と感じる。

今回、いちばん感じたのは

27年オランダに住んでいる、というドイツ人女性だった。

「わたしは自分のまわりに独自のアムステルダムを築いている。

わたしが街に合わせるのではなく、

街がわたしに合わせてるの」と楽しそうに話していて

その感じがよくわかるので笑ってしまった。


今朝は疲れていたのに興奮していて

6時に目が覚めてしまった。

もうすぐEva Jinek op zondag。

それまでに朝のコーヒーをゆっくり飲もう。






3月11日 震災からちょうど2年の今日、

縁があって、福島の学生さんたちに安楽死の話をさせてもらうことができた。


看護学院の研修旅行でハーレムのDe Blinkertという介護施設に行き、

施設の院長で倫理学が専門の方のお話を聞いた。


テーマが安楽死だったし、パワーポイントを見ながらだったので

通訳はとてもやりやすかった。


〈緩和ケア〉という概念自体が日本はイギリスをもとにしたもので

オランダのPalliatieve Sedatieとは言葉は似ているものの

内容はまったく異なる。


事前の質問提出が英語に翻訳されていたため

施設側はオランダの〈死期の迫った患者を深い眠りに落とし

痛み、苦しみを取りのぞく〉という意味でのセデーションについて

準備をしていた。


元々の概念が異なっていて話がずれているところを

わたしの知識で補わせてもらうことができた。

帰りの車中では合法化後も如何に安楽死がむずかしいか、

お話しさせてもらった。


学生さんたちと震災の話をする時間はなかったけれど

朝早い出発前に早起きして黙とうをされていた、という

話を聞けただけでもよかった。


やはりわたしには自分の方法でしか関わることはできないと感じる。

それは、ふだんから、自分にできることを

ひたすらいっしょうけんめいする、という

ことでしかありえないのだけれど、

今日のように偶然、福島の方たちと、

安楽死というテーマでつながれた、というのは不思議で

ありがたいことだと思う。


震災の直後にはなんの役にも立たない

オランダ人の詠んだ俳句の翻訳、という形で関わっていた。

それも、俳人の母をとおして俳句の大切さを知り、

オランダ語ができたから。


〈わたし〉という媒体をとおして

つながりそうもないなにかとなにかがつながる

不思議な感じ。

そういうことがよく起こる。

そういうときには、いいこと、正しいことが起こっていると感じる。

この感覚を大切に生きていきたいなと思う。


元気に生き生きと看護を学ぶ若い方たちに

自分が大切に思っているオランダの文化としての安楽死について

少しでも話をすることができたことに感謝して、

自分なりの3月11日を過ごしたいと思う。






3月10日 祖母の20回目の命日は――
 

ジムの帰り道にあるはじめてのお花屋さんで

色が気に入ってえらんだのだが。


ちょっといたんできはじめていて、

正直、これをえらんでまずかったかな、と思っていたら……


「これは君にあげるよ」とおじさんが!

え〜っ、と驚いていると、

「自分でもうきれいだと思わないから」


べつに売り物にならないほど古いわけでもないし

半額にしてくれるだけでも喜んだと思うのに。

(8ユーロだったから、5ユーロでも十分だった。)


おばあちゃんの命日だから、と話したからかもしれない。

Sterkteと言って渡してくれたので

もう20年も前だから、と言うと

そうなんだ、でもやっぱりどれだけ昔でも考えるよね、と言ってくれた。


ごつごつのおじさんの顔にお礼のキスをさせてもらった。

おじさんビックリしたかも。


「あのおじさんにはいいことがあるよ」

帰ってから夫と話した。

あのやさしさは、きっといいものを招くにちがいない。


そして夫の作ってくれていたおいしいパスタを食べて

コンセルトヘボーへ。


ちょうど祖母の好きだった

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番をやっていたのだ。

はじめてのピアニスト、アレクセイ・ヴォロディンさんの演奏が

とても好きで、祖母や軽井沢を思い出しながら

全身全霊で聴いていた。


CDがほしかったのだが現金をもっていなかった。

ヴォロディンさんがサインのために座っていたので

せめてお礼でも言おうかと思っててきとうに喋りかけてみた。


「CDが買いたいんだけど現金をもってなくて…」
「助けてあげたいけどぼくももっていないから」
「でもすごいステキなピアノでした。ありがとう!」
「それはありがとう!」

みたいな会話をしていたら……

振り向いた女性が「お金、貸してあげられるけど」

え〜っ?!


なんと、わたしのことを信頼して20ユーロ貸してくれたのだ。

バタバタと、ヴォロディンさんがサインするテーブルの片隅で

振り込み口座を教えてもらい、電話番号を交換した。


「どうやってやったの?! 今後の参考に聞かせて!」と

ヴォロディンさんも驚いていた。

オランダってやっぱりステキな国だ。


祖母の20回目の命日で

祖母が好きだったピアノコンチェルトを聴きにきていたから

やさしさがとてもうれしい、とお伝えする。


それでヴォロディンさんのショパンのCDを今日は聴いている。

ショパンも祖母が大好きだった。

わたしにとってははじめてのショパン。

また楽しい世界が広がる。


祖母とわたしの絆の象徴である命日は

人のやさしさに満ちた日だった。

おばあちゃん、天国からいっぱいミラクルをありがとう。

これからもずっとつながっていてね。






3月9日 祖母が亡くなってちょうど20年。
 

「どうすれば迷惑をかけずに死ねるか、考えている」と言っていた祖母が

大往生で天国に行けた日。

おばあちゃんが嬉しくてたまらなかった日から20年、ということで

講演会ができたのもきっと祖母が天国で計らってくれたことだと思っている。


そしてきのうは――

祖母が生きていたころにつきあっていた

25年前のボーイフレンドと10数年ぶりに再会した。


25年来の友だちが家に来てくれたこととともに

おばあちゃんの計らいのよう。


彼が講師をしている学校のそばのカフェで1時間半、

おだやかに、ぎゅっと詰まった話をすることができた。


あのときと変わっていないけれど、

あのときは日本人でいまはオランダ人、と言ってもらう。

まさしくそのとおり。


フラれたときはほんとうに悲しくて

あれほど泣いたことはなかったけれど

いまがしあわせだからあれでよかった、と

しずかに回顧して語る自分。

ほんとうはどれだけ好きだったかを

いまさら告げてくれる彼。


おたがい大人になり、

安定した家庭があるいまだからこそできること。

とてもいい時間だった。




晩ごはんはひさしぶりに塩サバ。

味噌汁は友だちが来たときの残り。

インゲンは出かけ前に作り、

ダイコンはわたしが買って夫がおろしてくれた。

チームワーク。


大泣きするような悲しい体験も

時がたてば、自分にとっていちばんいいことが

起きていたのだ、と納得できる。

わたしの人生はずっとその繰り返し。

真面目に生きていれば大丈夫。


オランダ人と認めてもらえつつ

塩サバがおいしい日本人。

そこにたどり着くことができた。

(オリーブが梅干しの代わりになったけれど。)


「塩サバ、おいしいねぇ」と共感しあえることが

貴重なことだと感じられる――

そんな夜でした。






3月7日 きのうは楽しい1日でした。
 

ばったり会ったチョンシーファットさんがコーヒーをごちそうしてくれた。

ボロボロの部屋着のままアルバートハインに行く途中だったので

「こんな格好だけど、いい?」と言うと

「きれいだからぜんぜんかまわないよ」と言ってくれる。


83歳と50歳で男女の話を真剣にする。

いままででいちばん〈友だち〉としての会話だった。


そして夕方。
 

25年来の友だち参上。

家に来てくれたのは10年以上ぶり。


おたがいのことを知り尽くしていると思っていたのに

当時、あれだけ毎日、話していながら

昨夜、はじめて話したこともあってビックリ。

そして、やっぱり特別なつながりがあるのだ、とおたがい思った。


夫と彼女のほうが通じ合うこともたくさんあって

ふと気がつくと、2人が似て見えたりして

面白い時間だった。


それとはべつに、ものすごくワクワクする話も出て

帰ってから、ご主人までいっしょにワクワクしてくれたよう。


いつの日か、実現すればどんなに楽しいだろう!

そんな夢があるだけでも生き生きできる。


おいしいケーキもありがとう。

わたしは定番の塩豚の炊き込みご飯。

白いお皿は前日の残りで作っておいたポテトサラダ。

夫はいつもどおり、おいしい卵焼きを作ってくれた。






3月5日 昨夜、ベルト・カイゼルに最終報告をまとめて送ったら

今朝、返事をくれて――


「君はほんとうにとても特別なことをしたと思う。

すばらしい」と書いてくれていた。


講演会で喋りっぱなしではなく、ちゃんと報告するところまで

これで無事、終了。


その道の権威である人が認めてくれたとは

ほんとうに嬉しいこと。


ここに至るまでフローニンゲン大学まで話を聞きにいき

本を読み、報告書を読み、論文を書き。

それはインターネットで簡単に手に入る情報とは

ぜんぜんちがうもの。


認めてもらえたことを誇りとして

また次、がんばっていこう。



生理でもがんばってジムに行ったら

いるはずのないトレーナーがいて、

忙しそうだったけど、週末はちゃんと休んだか、

気にかけてくれた。


ベルト・カイゼルに褒めてもらってうれしい話をすると

ハイファイブして喜んで、よく頑張ったからと言ってくれた。


彼がジムにいたのは

アメリカに移住した若くて優秀な女医さん(イタリア人)が

束の間のバカンスでのアムステルダム滞在中に

彼とトレーニングしたかったから。


心をこめて仕事をしていると

人はちゃんと帰ってくる。

すばらしい。


楽しそうな彼女に、よいバカンスを、と声をかけて

握手をしてきた。


いっしょうけんめい自分のすべきことをする→

人が認めてくれる→

自分もまわりもうれしい気持ちになる→

ますますがんばれる。


まわりで、こういう輪が展開しているのが

とてもうれしくて、

おだやかな春の日に歩く森の道で

シューベルトのピアノソナタがとてもやさしく

頭のなかに流れていて

ちょっぴり泣きそうになった。


さて、晩ごはんの準備をしよう。






3月4日 きのうは話したいことのある友だちが来てくれたのだが

親子ゲンカの真っ最中ですごいところを見せてしまった。


しかも原因は〈焼き飯〉を分けてくれなかった、とか

そんな情けない話だし。


息子の部屋と台所を行ったり来たりしながら

心ここになく作った意味不明な料理(辛くないカレー)を食べて

それでもいろんな話ができたような。


まぁ、そんなカッコ悪いところも含めて

ど〜んと見てもらって、それはそれでよかったっていうことで。


めずらしく息子が素直に謝ってきた。

「子育てって最終的には

自分にそっくりなケンカ相手をつくることって思ってたんだ」

なんてことも話して、抱き合っておしまい。


あ〜あ、焼き飯から人間性を否定しあうケンカだなんて。

50歳にもなってまだまだ子どもだ。


そんなわけで辛くないカレーの写真もなし。


今朝はウォルフレンさんと電話。

かけて、とのことでドキドキしながらかけたら

来客中でかけなおすことに。

洗濯を干しながら英語の練習をしてみたり。

(オランダ語でよかった。)


ドタバタ、バタバタしてるけど

ちゃんとなにかが動いている感じ。

忙しい3月がますます忙しくなってきた。


焼き飯ごときでケンカしてる場合じゃない。

しっかりとがんばろう。

(時間がないけど、

〈焼き飯〉っていうコラムを書いてみたくなった。)






3月2日 お世話になった夫にお礼の意味をこめて。
 

ひさしぶりにGolden Chopsticksに大好きなイカの黒味噌炒めを食べにいった。

ジムのあと、ダムで待ち合わせてデートのよう。

おいしく中華を食べたあとは、お気に入りの中央駅のスタバにご案内。

 

天井が高くてスタバじゃないみたい、と驚いていた。

お気に入りの紅茶が街場のスタバより5セント高いことを発見。

でもベートーベンのごちゃごちゃのスタバに比べたら

5セント余分に払うのも安すぎるくらい。

ごちゃごちゃのスタバも好きだけど、ここはやっぱり落ち着く。


夫とは、がんばっていれば不思議と

次々とさらなる課題が現れるし、

助けてくれる人も現れるね、という話をしていた。


ジムではまたトレーナーが腰の調子を整えてくれて……

講演のあとできっとガチガチだと思っていたら

意外とやわらかくて驚かれる。


でもきっとそれは日ごろからメンテナンスしてくれているから。

昔のわたしだったら講演は倒れそうに緊張することで

終わったらヘトヘトだったはず。

それがすんなりこなせて、またすっと日常に戻れるのは

自分で筋肉を鍛えつつ、メンテナンスもしてもらっているからだ。


まわりの人が助けてくれるということは

正しい方向に進んでいるから、と夫も言ってくれる。


そういえば、トレーナーとも

'Goede mensen trekken goede mensen aan!'

(いい人間はいい人間を引き寄せるもの!)

'Zo is het!' (そのとおり!)と話したことがあった。


ほんとうにシンプルなことだけど、まちがいない。



最寄りのトラム停に戻ってきてホームを歩いているとき――


「いいところに住んでるよねぇ、長山さんと鶴田さん」と夫。

「ほんとだよねぇ」とわたし。



黄色い〈VICTORIA HOTEL〉の文字が後ろに流れていくのを

ライデン行きの電車の車窓から見ながら、

いつかここに住みたい、と思っていた夢が

いまはわたしの日常になっている。


がんばってたどり着いた〈ココ〉と

これから進んでいく道。


暗い夜道を並んで歩きながら

色んな人に助けてもらいながら歩んでいく自分の人生の道に

一瞬、想いを馳せていた。






3月1日 3つのことを並行してやっていたら……
 

ぱたんとエネルギーが切れそうになったので、あわてて1人スタバ。

イングリッシュブレクファストティーがホッとおいしかった。

大混雑のスタバの隅に落ち着いて座れ、息を吹き返した。


アルバートハインで買い物して帰り――
 

2日目ポトフにベジタリアンのファラフェルとナゲットをプラスして。

彼女にヘルシーな晩ごはんを食べてもらえた。


右はいつかのスパゲティ・ナポリタン。

マカロニソースのパスタとケチャップ味の日本のスパゲティ、どっちがいい? と聞くと

日本の、とのことだったので。

素朴な、ホッとする味だった。


さぁ、お楽しみのFlikken Maastrichtがはじまる。

かじりついて見よう。

2月の日記へ

オランダ日記