慶長の花器

1.店の主人  .客の男  3.少女:9歳 12歳 17歳 幕間 22歳 
 

 

1.店の主人

畜生。 わしは、あんな悔しい思いをしたことは、なかった。
あれ以来、わしの人生は、変わってしまった。 悪い方へ、悪い方へだ。
今でもよく、夢を見る。 狂おしいほど。

あの花器、その底から浮かび出たあの花びら。
その美しさ。 わしのものだったのに。
目の利かぬ間抜けは触れてはならぬと、誰かの声が聞こえてくる。
それから、碁石が、わしに襲いかかってくる。 白石が。
やめてくれって叫ぶと、今度は、黒石だ。

そして、あの小僧の顔に変わる。 何故か、楽しげに、にこやかに。 それなのに、碁盤に打ちつけるその指先だけは、厳しく、わしを糾弾している。

あの時まで、わしは自分が結構な目利きだと思っていた。 たいていの奴は、真偽も解らず、馬鹿面さげて、骨董を語りたがる糞野郎ばかり。 初めは、そういう奴を小馬鹿にするのが、ちょっと楽しみなだけだった。 いつの間にか、安物を目の利かない馬鹿どもに売りつけて、利をむさぼるようになっていた。 その上、盗品売買にも手を染めてしまった。 妻子を養うには、金が必要だからな。

だが、わしの支えは、もう一つ、碁の腕前。 自慢じゃないが、そこらのプロだって相手じゃないと自惚れてた。

それなのに、あんな小僧に。

その日も、馬鹿を相手に商売をしていた。 ただ同然で、手に入れた、まがい物。 それを慶長の花器だと言うと、その馬鹿は講釈をたれやがった。 心の中で笑ってやった。

それをあの小僧、突然現れおって。 これは、偽物だ。 本物は、藍色の冴えがもっとあって、釉薬の塗りだって、こんなに甘くないだ。 形の品が違うわ。 抜かしやがった。 商売の邪魔はされたが、まあ、わしは、目利きは嫌いじゃない。
でもって、そこへ、あの女の餓鬼だ。 いきなり、店に入ってきて、店先に置いといた、つまらん花器を、自分の家から盗まれたものだと言い出して。 盗品売買のことがわかったら、大変だ。 わしは、その餓鬼を突き飛ばした。 餓鬼の体が当たって、店の茶碗が割れた。

「家に連絡してやる。 五万持って来い。」
と、脅した。 そしたらまたあの小僧だ。
「俺と碁の勝負しない? 五万賭けてさ。」

わしの五段の免状を見てるのに、平然と言いやがる。 馬鹿な奴だ。 わしが、黒を持った。 なのに。 これは。 何だ。 わしは、負けた。 負けたなんてものじゃない。 勝負にもなってないぞ。

クソッ。
五万、なんて、どうでもいいわい。

「何だと?」
わしが、どうにもならなくて、投了した碁を、石を交換して打つだと。 あのくだらん花器を賭けて。 逆転などできるわけがない。 わしが、どうしようもなくて、投了した碁だぞ。
小僧。 でかい口、叩くな。

何なのだ。 あの小僧は。 一体。 何者だ。
「花器は返してもらうよ。」だと。

ふん。
あんな花器なぞ、くれてやる。 わしの碁は、どこへ行ったんだ。 わしの碁。
わしが頭を抱えていたら。 あの小僧。 何と。 花器に水を注ぎやがった。 何をするつもりだ。

「えっ。」
花器の底から花模様が浮かび上がってきた。 そういえば、聞いた事がある…遠くで小僧の声がした。

「特別の釉薬が塗ってあるから、他の作品とは違って見えるんだ。」
「花器は花を活けてこそ花器。 弥衛門最期の傑作だってさ。」

わしは、夢中で花器に手を伸ばした。
「これは、わしのもんだ。」
小僧の手が、びしっと、わしの手をはたいた。
「見苦しいぜ。 この世に、人間は2種類しかいないんだろ。 目の利く奴と、目の利かない間抜け。 目の利かない間抜けだったね。 おじさん。」

あの啖呵は。 見事だったぜ。 碁のようにな。
だが、わしが、はたかれたのは、手だけじゃなかった。

わしの商売は、あれから、あがったりになった。 とうとう、3年後には、店を畳んで、女房の国元に身を寄せることになってしまった。 碁の方もあれきりだ。 何故か、勝てない。 碁仲間が、忠告をくれた。
「一度、プロの個人指導、受けたらどうです。 気分が変わるから。」
「私も受けたんですがね。 いやいや、良いもんですよ。 一皮向けるというか。」
「個人指導たって、高いんじゃ。 金が勿体無い。」

「いえね。 最近は、低段でも結構実力あるのが、多いんですよ。 昇段の仕組みに不満持って、大手合とかを拒否するのがいるとか。 私が頼んだのも、30過ぎの2段でしたが、なかなかこれが。 強いんですよ。」

そうか。 東京ともおさらばだ。 置き土産に受けてみるか。 個人の指導碁とやらを。それで、厄払いだ。

碁仲間、推薦のお買い得のプロ。 これで、つきを取り戻す。 今日、そいつが来る。おっ、来たようだ。

ピンポン。 インタホン越しに声が聞こえた。

「日本棋院から参りました。 進藤ですが。」

 

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