「親愛なる孤独と苦悩へ」
をプレイした感想







まずはじめに、このレビューを書くに至った説明させていただきたいと思います
切欠は凄く単純で、C92にて、楽想目さんとブースがとても近い場所であり、直接お話を聞かせていただき、私自身が興味を持ったからでした。
色々とお話をさせていただき、作品を購入させていただく際に「絶対にやります」なんて、力強く答えてしまったからです。
死生観をテーマにしている私には無視することなど到底出来ませんでした。
作者様自身への興味や、私自身のC92での体験無しには語りにくいレビューになってしまうと思いますが、
私が思った感想をまとめて、それがまたどこか知らない誰かの切欠になってくれればと思います。
知ってるけど知らない、誰かのために。





「親愛なる孤独と苦悩へ」

白を貴重としたパッケージは、まるで手紙そのもののようだ。
それが、このゲームを手に取ったときの率直な感想でした。
私にそう思わせたのは、そのあまりに美しすぎるタイトルのせいだったのかもしれません。
孤独。そして苦悩。
とても愛おしく、しかし苦い印象のある言葉でした。
人は誰も孤独を嫌い、孤独を求め、恐れ、そしてまた、孤独を愛するのではないだろうか。
具体的な意味ではなく、誰しもただ“なんとなく”共感してもらえる感覚ではないでしょうか?
人は常にないものねだりの矛盾を繰り返します。
一人になれば孤独を感じ、それを嫌えば群れる。
しかし群れの中では不自由を感じ、孤独を求める。……概ね、それの繰り返しなのではないか。
ただ、どこかでその繰り返しは突然途絶えるのではないか?
いつか、何度目かにたどり着いた孤独に、取り残されてしまうのではないか?
そんな見えない恐怖に怯えながらも、そこにたどり着くその日をどこかで待っている。
悩みとは、一概にマイナスな物などではない。寧ろ、人にとってもっとも大事な事なのではないでしょうか?
苦しみ悩む。とは、それだけその人が真剣に命を使っている瞬間なのではないかと、私は思うのです。
辛く悲しいことから逃げてはいけないとは言いませんが、闇雲に逃げ続けるのではなく、
向き合ってあげれば、それもいつしか甘美な思い出へと変わるのではないでしょうか?
……などと、長々とタイトル一つに私の価値観を語ってしまいましたが、
オタク気質0の知人にこのパッケージを見せてみた結果「病んでるじゃん」と、2秒で言われました。そんなもんなんですね。
私の知人が一般的であるかどうかはわかりませんが、
価値観の違い一つで、手紙のような美しさを感じた私と「病んでる」と、マイナスの塊に感じた知人。
作品として万人受けを狙うにはどうしたら~!などと語りたいのも山々ですが、それは別の話でして、
価値観とはそれ一つでここまで物の見方を変えるものだと、痛々しいほどに感じさせられました。



ゲームの概要にもあるとおり、この作品は三人の大学生の物語で構成されていました。
所謂オムニバス形式であり、開始とほぼ同時に、一人目のストーリーがはじまりました。
そして、プレイすること数時間。
あまりに生々しく作られているキャクター達のパーソナリティに驚きました。
それは綺麗や汚いなどではなく、ただありありと存在していて、まるでドキュメント番組でも見ているような感覚でした。
ハッキリ言って、それらを見ているときの私の感覚は“これはなんなんだろう?”でした。
それは単純な“おもしろい”や“つまらない”ではありません。
このキャラクターたちの人生を垣間見ることは、一体何になるのだろう?
それがゲームであり、物語だと言われてしまえばそのままなのですが、物語である以上、それらは何かの意図でそこに存在している。
格好をつければ、これは職業病なのかもしれませんが、考えたくなくても、その一場面一場面に、作者の意向を感じようとしてしまいます。
つまり、作者は何をしたくてこのような物語を選んだのだろうか?
心理学? カウンセラー?
読み進めていくと、“まぁ、なるほどな”と納得したとき、一人目のお話が終了しました。
そして二人目のストーリーになり、まこちゃんのテーマが流れてきたとき、勝手に自分の中で納得をした気がしました。
まだまだ漠然とした感覚ではありましたが、なんとなく“やっぱり、そういうお話なのかな?”と。
カウンセリングと言うものは受けようと思えば、受けてみること事態は誰でもそれほど難しいことではないと思います。
大なり小なり質は違えど、実際に受けたことのある人も珍しくは無いのではないでしょうか?
私自身も、人生で何度か受けたことはありました。
それくらい、カウンセリングと言うものは特別なことではない。
だけれども、人が真剣にカウンセリングを受けている様を、堂々と横から終始見ていることなんて出来るでしょうか?
生々しく描かれるパーソナルは、そのカウンセリングにリアリティを与え、あらゆる面で読み手を惹き込んできます。
このキャラクターの行く末はどうなるのだろう? 現状の問題は解決するのだろうか?
そして、次はどんな心の話が聞けるのだろうか? と、
それは作品への興味や、物語の興味ではありませんでした。
自分自身が、それぞれの物語の主人公を通して、カウンセリングを、心の授業を受けている状態でした。
それほどまでにこの作品のそういった面での完成度は恐ろしく高く、最初は
“あ、こんな人、居るだろうなぁ”くらいの感覚が、いつの間にか“これは自分にとっての○○だ”と、
そのカウンセリングを自分に置き換えて受け止めてしまっていました。





しかし、物語が後半になると、それまでの感想や価値観など、どうでもよくなりました。

もはや、これはゲームなのか?

ただそんな風にしか、考えることは出来ませんでした。
冒頭でも書かせてもらったとおり、私はC92の会場で直接お話を聞かせていただき、この作品に触れる切欠を得ました。
事情を知らなかったら、私はこの作品とも出会えていないのですが、正直フラットな感覚で物語に触れることは出来ませんでした。

これ……、誰のセリフ?

物を作っている自分からしたら、一番言われたくない台詞なのですが、そう思わずには居られませんでした。
そしてただ、


何故もっと早くにこの作品に出会えなかったのだろうか?

早く出会えていても、それはそれで関心をきっと持たなかった

じゃあどうすれば良かったのか?

どうしようもなにもない。出会えて良かったな?



そんな自問自答のような後悔を繰り返しました。
次々に現れる、私の知らない後悔が、ただただ残念だと、私に言ってくるようでした。
何も出来るわけが無い自分と、何も出来ない自分に涙が出ました。
どうしようも出来なかったとしても、こんなのってあんまりだ。と。

なんでだよ。

そう、あったこともない誰かに、真剣に思ってしまいました。
そんな風に、真剣に感情を動かすことになるのも、生々しいほどのキャラクター達のパーソナルが成すものなのかもしれません。
もはやこれは目を離すこと、背けることなど出来るものではないはずです。
概要にもあるとおり“それぞれの最後を見届けよう。”


私がこのゲームをプレイする切欠がC92であったように、私の感想がまだ見ぬ誰かのプレイの切欠につながれば、本当に嬉しいです。
そして同時に、このゲームを既にプレイした方の足拭きマットのような何かになれることを願います。
こんなにも沢山の感動と、そして自分自身の中の感情に出会える機会をもたらしてくれたことを、純粋に感謝します。
ただ、心はどこか空虚さを感じていることが否めません。

今、どこに居るのか知らないけどさ。ものらすさん、ありがとう。







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